ここだけ宮脇俊三先生を勝手に生き返らせるスレ
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「1月の終わりと言えば、松前線の廃止を思い出さないわけにはいかぬ。
沿線住民は、何の見返りも得ることなく鉄路を奪われたではないか」
と、改めて国鉄”改革”への怨念をたぎらせる。 「今、門司から福知山に山陰線の鈍行で旅しようとしたら何回乗り換える事になるのかと思って、
時刻表を調べてみた。
そうしたら、何という事か。門司から山陰線上り始発に乗り継ぐことができぬではないか!」
と憤る。 「ただ、考えてみると、山陰本線の起点というか終点は幡生であり、
その意味では、下関から乗ってもよいことにはなる」
と自らを無理矢理納得させる。 「自分の都合で遠回りさせておいて、
その分の運賃を客から徴収するとは何事か
(長万部ー札幌間)!」
と、JR北海道に猛抗議する。
しかし、鼻で笑われて終わり…。 「富山ー神岡」のサボに惑わされた事に腹立てつつも、
行先表示器全盛の現代に味気なさを覚えたり。 「当方は、昭和50年12月29日に上り『有明5号』の遅延のせいで湯之前線に乗り損なうなど、
鹿児島本線の度重なるダイヤの乱れで散々迷惑を被った。
剰え、昭和53年12月19日には、八代駅にて、当日で有効期限切れとなる乗車券の継続乗車手続きを
懇願したものの聞き入れられなかった。
貴管理局は客の存在を何と心得ていたのか」
と、当時の門司・鹿児島鉄道管理局幹部にに文句言うとか。 寒川ー西寒川間の初乗りを、出張の帰りで済ませた、
って事を、今でも祟られてたりする。 忍者の里へ行って、今度は手裏剣を命中させようとする。 気のせいか女の子が近くで「ぼくに水割り頂戴!」と言ったような気がする。 「『どうも特急列車の客には変なのがいる』って、あんたが一番そうだろ」
と、〇村△樹辺りに突っ込まれてたりする…。 〇…畑に蒔いて、花や野菜の元にする物
△…曲がりくねってるというのの正反対の状態
この人物(東京都足立区在住)は、
宮脇氏が、「ぼくに水割り頂戴!」なる客に出食わした旅に関して、
そのルートを決定するに当たって若干の指南を行ったという。 椅子ごと身体をせり出してきたくらいノリノリだった。 “あれから40年以上“経っても、
「新松戸ー西船橋間の開通で最長片道ルートが
変わる事をお察しになれなかったのですか?」
と嘲笑されて言葉に窮する夢を見たりする。 100系の個室に閉じ込められて原稿書かされる、
っていう夢にもうなされたりする。 今年で94歳なのだから原稿はもう書かなくていいのでは、と考えたりする。
灯子がなんとかしてくれるだろう、と。 「私には、『汽車』の話など書けません。
父と違いますし、妹にも申し訳ありませんから…」
と執筆依頼を断る長女を目にして、肩を落としたり。 「そう言えば理子も間もなく50か。パパもトシを取るわけだなあ」
気分転換に街をぶらつくことにする。しかし、まちさんは夫の帰りを待ちは
しない。空気のような存在だから、宮脇家にとっては、夫の存在はさほど重要
ではない。良く言えば「無害」
強いて言えば酒を愛しすぎることがちょっと欠点なのだが。 「妹さん、というのはどういう事ですか?」
と尋ねられて、灯子氏は、
「小学校2年生の時、父に連れられて旅行に出掛けたら、
電車に乗ってる時にトイレに行きたくなったというんです。
ところがその電車にはトイレがなくて、あろう事か、妹は駅のホームで”させられた”そうです。
それがトラウマになってるようで、鉄道関係の事物には著しい拒絶反応を示すんです…」
と涙ながらに語ったりする。
というやり取りを陰で見ていて宮脇氏も自責の念に駆られて…。 「近頃急に物が見え難くなった」
と言って、最長片道ルートを提唱した眼科医を訪れる。 広尾から始まった最長片道切符の旅も40年以上が経ち大幅なルート変更を余儀なく
されることに。
「淋しいですな」とポツリ。 今度はJRバスを含めた最長片道ルートを
辿ろうと思いかけたが、
「これは、さるレイルウェイライターとやらの猿真似になる」
と気づいて“自粛“する…。 由々しき事態でありぞっとしない。
ヤング諸兄の投稿を祈るや切。 現状の最長片道ルートの終点が肥前山口である事を暫し呑み込めなかったり…。
(T大卒なんだから、そんな事はないだろうが) 某スレでの種村センセイとの不毛な争いはもうおやめください
アル中呼ばわりされていますぞw 「今年はその人物の七回忌だな」
なんぞと、ふと思い出したりする!? あの人も勝手に当スレで生き返らせてみては? とふと考える。 「優等列車には再び喫煙車を設けるべきである」、と各鉄道会社に訴えを起こす。 「パパも禁煙しないとダメですよ」と言われても耳を傾けることのない先生である。 新型コロナウィルスの恐怖に慄いて、旅行に出掛けられなくなったり…。
「私はそれでなくても肺を病んでいるのである」と。
(”だったら余計、禁煙すべきだろうと”の声は耳に入らず!?) その結果、健康診断で、
「肝機能の数値(γGTP)が悪いですね〜。お酒は控え目にしましょう」
とか釘刺される。 中央構造線の旅で、今度は鳥羽に泊まって
伊勢エビを賞味しようとする。 その結果、体調の異変を感じた時には既に…。
てな事言いだすと、このスレ終わっちまうが。 しかし93歳の年齢がたたり乗り継ぎに失敗してしまう先生 置いてけぼりを食って、空しく駅のベンチで次の列車を待ちつつ、
「そう言えば42年前、1分間の乗り継ぎを企てた私を大股で追い越していった、
あの女の客は今どうしているのだろう」
と、ふと思い出したりする。 昭和53年。ヤクルトが阪急を破り球団初の日本一になった年か・・・・・・と
思うと感慨深いものがあるスワローズファンの先生 妙齢の女性がものすごい勢いで僕たちを追い越し、列車に乗り込んだ。
周囲のヤングも、うへーこれはすごいなどと口々に言っている。
もちろん、僕も宮脇さんも、乗り継ぎには失敗した。
駅前のなんでも屋で買ったパンをかじりながら、ひとしきり、
例のギャルについて宮脇さんと語り合ったことである。
…と、実はそこにいたもそもそ先生が。 僕は40歳の誕生日を目前にして常呂駅付近の流氷に喜び過ぎて転倒。掌がえぐれた
懐かしい思い出がある。昭和51年のことだ。 「私1人が下界に舞い戻った事を妬んでいる人物がいるようだ…」
と慨嘆する。 最長片道切符の継続乗車が認められたとしても、
八代から枕崎までの間、一切駅の外に
出られなかったと思い当たって、
八代駅の改札係に感謝する気持ちになる。
同時に自分を棚に上げて「額の禿げ上がった中年の駅員」
などと揶揄した事を詫びたいと考えたり。 宮脇先生推奨の湧網線ですが今、流氷が勢力を増しているようです。 昔、結核が蔓延した時代を思い出す。
「通勤列車が感染拡大の場にならぬよう祈るばかりである」と、
近所の神社に願掛けに出掛ける。 3日前は、「一旦!?」昇天した日だった事を、今更のように思い出す。 亡くなった父が落胆して無茶苦茶な旅に出て死を早めてしまったのを思い出した。 「現在では、東北・高崎・常磐線にもグリーン車が連結されるようになって、
『グリーン車の無料開放』を見出す楽しみがなくなった…」
と慨嘆する。 予定していた北海道旅行をコロナウイルスの影響で取りやめになる羽目に。
家で酒を飲んで荒れる先生。 「しかし、近頃北海道も、”用があっても乗りたくない国電”だらけではないか。
平常時と雖も、もう一つ出掛ける気になれずにいる」
などと虚勢張ったりする。 改めて中央構造線の旅に出掛けて、今度は渥美半島の釜揚げうどん食おうとする。 今度は、東京から大阪へ行く途中で、岳南鉄道・静岡鉄道・大井川鉄道・遠州鉄道、にも乗る。 ダイナミックですね。ノシャップ岬のほうまで。
普通ならば稚内は、もう去るくらいの時期に逆に接岸するとは。 「昭和58年3月に雑誌社の編集者を連れて
オホーツク海岸沿いを北上した折、
やはり稚内から『利尻』に乗った方が
面白かったかも知れない」
と今更の如く後悔する。 シベリア鉄道に乗ったのは昭和57年。理子は小学生だったなあ。としみじみ。 「来月1日は、『西寒川線』『日中線』等の三十七回忌か…」
と感慨にふける。
同時に、自らの意向を無視した国鉄”改革”への憤りを新たにする。 初めて湧網線に乗った感動から50年。私は当時43歳だった。 どこかの青年に説教したことがある気がするが年のせいか
場所が思い出せない。 実は昭和52年夏頃から時々、
差出人不明の脅迫状が届いてたとか…。 東北新幹線の上野開業から35周年よりも、
急行が大々的に廃止された点への憤りの気持ちが断然強かったりする。
何より食堂車の全滅がけしからぬ事であったと振り返る。 48年前に「日本最長」の座から転落した北陸トンネルを通ってみようと考える。 宮古―釜石間が山田線でなくなった事を憤る。
「元々、三陸縦貫鉄道は国鉄の手によるものである筈だったのだ」と。 「ぼくに水割り頂戴!」と60代と思われる女性が叫んでいた。 青森―好摩間を寝台特急の車中で過ごした事で、最長片道切符の旅を済ませた事にした。
これを未だに後悔してるが、さりとて今更改めて乗る気にもなれず。
そこを走る車両は紛れもなく「用があっても乗りたくない国電」そのものだから。 浜川崎駅で、「途中下車印を押してくれ」と言うが、拒否される。 飯田駅で「切符の再発行が必要」と言われ、逃げようとするが捕まる…。 再び中央構造線の旅に出ようかと思うが、
「帰りの楽しみ」がないと思い当たって取り止める。 もう一度、最長片道切符の旅に出ようと思う。しかし、ルートが大幅に短縮されてしまったこと
だろう。 「今は本当に、“稚内発肥前山口行“の切符しか
発売されない。逆方向は不可能である。」
と悟って、南から北へ向かえない寂しさを痛感する。 この家の主人はよく旅に出る。しかし最近は、魅力的な路線が多数廃止に
追い込まれてしまったこともあり、出不精になりつつある。 空腹が旅情を上回っているから猛然とハンバーガーを食べる 東京オリンピック延期?あんなもんは、1964年昭和39年の1回で十分だこのハゲ 「それがこのスレの趣旨に何の関係があるというのか。
さような事も考慮せぬ向きが増えたとは、実に憂慮に耐えぬ」
と思ったりする。 加悦鉄道の跡地を訪ねたいと思うものの、
新型コロナウィルスの前に屈する。
「命あっての物種である」なんて。 今度は自作の「最長片道ルート」見せて、
T村N樹に失笑されたり…。 「東京に戒厳令が敷かれようとしているとは…。
しかも、”不急不要”という言葉は戦時中を思い起こさせるものである」
と言葉もない思いに襲われる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています