ここだけ宮脇俊三先生を勝手に生き返らせるスレ
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
森駅に行くのは何年振りであることか。いやはや感慨深い。 「1月の終わりと言えば、松前線の廃止を思い出さないわけにはいかぬ。
沿線住民は、何の見返りも得ることなく鉄路を奪われたではないか」
と、改めて国鉄”改革”への怨念をたぎらせる。 「今、門司から福知山に山陰線の鈍行で旅しようとしたら何回乗り換える事になるのかと思って、
時刻表を調べてみた。
そうしたら、何という事か。門司から山陰線上り始発に乗り継ぐことができぬではないか!」
と憤る。 「ただ、考えてみると、山陰本線の起点というか終点は幡生であり、
その意味では、下関から乗ってもよいことにはなる」
と自らを無理矢理納得させる。 「自分の都合で遠回りさせておいて、
その分の運賃を客から徴収するとは何事か
(長万部ー札幌間)!」
と、JR北海道に猛抗議する。
しかし、鼻で笑われて終わり…。 「富山ー神岡」のサボに惑わされた事に腹立てつつも、
行先表示器全盛の現代に味気なさを覚えたり。 「当方は、昭和50年12月29日に上り『有明5号』の遅延のせいで湯之前線に乗り損なうなど、
鹿児島本線の度重なるダイヤの乱れで散々迷惑を被った。
剰え、昭和53年12月19日には、八代駅にて、当日で有効期限切れとなる乗車券の継続乗車手続きを
懇願したものの聞き入れられなかった。
貴管理局は客の存在を何と心得ていたのか」
と、当時の門司・鹿児島鉄道管理局幹部にに文句言うとか。 寒川ー西寒川間の初乗りを、出張の帰りで済ませた、
って事を、今でも祟られてたりする。 忍者の里へ行って、今度は手裏剣を命中させようとする。 気のせいか女の子が近くで「ぼくに水割り頂戴!」と言ったような気がする。 「『どうも特急列車の客には変なのがいる』って、あんたが一番そうだろ」
と、〇村△樹辺りに突っ込まれてたりする…。 〇…畑に蒔いて、花や野菜の元にする物
△…曲がりくねってるというのの正反対の状態
この人物(東京都足立区在住)は、
宮脇氏が、「ぼくに水割り頂戴!」なる客に出食わした旅に関して、
そのルートを決定するに当たって若干の指南を行ったという。 椅子ごと身体をせり出してきたくらいノリノリだった。 “あれから40年以上“経っても、
「新松戸ー西船橋間の開通で最長片道ルートが
変わる事をお察しになれなかったのですか?」
と嘲笑されて言葉に窮する夢を見たりする。 100系の個室に閉じ込められて原稿書かされる、
っていう夢にもうなされたりする。 今年で94歳なのだから原稿はもう書かなくていいのでは、と考えたりする。
灯子がなんとかしてくれるだろう、と。 「私には、『汽車』の話など書けません。
父と違いますし、妹にも申し訳ありませんから…」
と執筆依頼を断る長女を目にして、肩を落としたり。 「そう言えば理子も間もなく50か。パパもトシを取るわけだなあ」
気分転換に街をぶらつくことにする。しかし、まちさんは夫の帰りを待ちは
しない。空気のような存在だから、宮脇家にとっては、夫の存在はさほど重要
ではない。良く言えば「無害」
強いて言えば酒を愛しすぎることがちょっと欠点なのだが。 「妹さん、というのはどういう事ですか?」
と尋ねられて、灯子氏は、
「小学校2年生の時、父に連れられて旅行に出掛けたら、
電車に乗ってる時にトイレに行きたくなったというんです。
ところがその電車にはトイレがなくて、あろう事か、妹は駅のホームで”させられた”そうです。
それがトラウマになってるようで、鉄道関係の事物には著しい拒絶反応を示すんです…」
と涙ながらに語ったりする。
というやり取りを陰で見ていて宮脇氏も自責の念に駆られて…。 「近頃急に物が見え難くなった」
と言って、最長片道ルートを提唱した眼科医を訪れる。 広尾から始まった最長片道切符の旅も40年以上が経ち大幅なルート変更を余儀なく
されることに。
「淋しいですな」とポツリ。 今度はJRバスを含めた最長片道ルートを
辿ろうと思いかけたが、
「これは、さるレイルウェイライターとやらの猿真似になる」
と気づいて“自粛“する…。 由々しき事態でありぞっとしない。
ヤング諸兄の投稿を祈るや切。 現状の最長片道ルートの終点が肥前山口である事を暫し呑み込めなかったり…。
(T大卒なんだから、そんな事はないだろうが) 某スレでの種村センセイとの不毛な争いはもうおやめください
アル中呼ばわりされていますぞw 「今年はその人物の七回忌だな」
なんぞと、ふと思い出したりする!? あの人も勝手に当スレで生き返らせてみては? とふと考える。 「優等列車には再び喫煙車を設けるべきである」、と各鉄道会社に訴えを起こす。 「パパも禁煙しないとダメですよ」と言われても耳を傾けることのない先生である。 新型コロナウィルスの恐怖に慄いて、旅行に出掛けられなくなったり…。
「私はそれでなくても肺を病んでいるのである」と。
(”だったら余計、禁煙すべきだろうと”の声は耳に入らず!?) その結果、健康診断で、
「肝機能の数値(γGTP)が悪いですね〜。お酒は控え目にしましょう」
とか釘刺される。 中央構造線の旅で、今度は鳥羽に泊まって
伊勢エビを賞味しようとする。 その結果、体調の異変を感じた時には既に…。
てな事言いだすと、このスレ終わっちまうが。 しかし93歳の年齢がたたり乗り継ぎに失敗してしまう先生 置いてけぼりを食って、空しく駅のベンチで次の列車を待ちつつ、
「そう言えば42年前、1分間の乗り継ぎを企てた私を大股で追い越していった、
あの女の客は今どうしているのだろう」
と、ふと思い出したりする。 昭和53年。ヤクルトが阪急を破り球団初の日本一になった年か・・・・・・と
思うと感慨深いものがあるスワローズファンの先生 妙齢の女性がものすごい勢いで僕たちを追い越し、列車に乗り込んだ。
周囲のヤングも、うへーこれはすごいなどと口々に言っている。
もちろん、僕も宮脇さんも、乗り継ぎには失敗した。
駅前のなんでも屋で買ったパンをかじりながら、ひとしきり、
例のギャルについて宮脇さんと語り合ったことである。
…と、実はそこにいたもそもそ先生が。 僕は40歳の誕生日を目前にして常呂駅付近の流氷に喜び過ぎて転倒。掌がえぐれた
懐かしい思い出がある。昭和51年のことだ。 「私1人が下界に舞い戻った事を妬んでいる人物がいるようだ…」
と慨嘆する。 最長片道切符の継続乗車が認められたとしても、
八代から枕崎までの間、一切駅の外に
出られなかったと思い当たって、
八代駅の改札係に感謝する気持ちになる。
同時に自分を棚に上げて「額の禿げ上がった中年の駅員」
などと揶揄した事を詫びたいと考えたり。 宮脇先生推奨の湧網線ですが今、流氷が勢力を増しているようです。 昔、結核が蔓延した時代を思い出す。
「通勤列車が感染拡大の場にならぬよう祈るばかりである」と、
近所の神社に願掛けに出掛ける。 3日前は、「一旦!?」昇天した日だった事を、今更のように思い出す。 亡くなった父が落胆して無茶苦茶な旅に出て死を早めてしまったのを思い出した。 「現在では、東北・高崎・常磐線にもグリーン車が連結されるようになって、
『グリーン車の無料開放』を見出す楽しみがなくなった…」
と慨嘆する。 予定していた北海道旅行をコロナウイルスの影響で取りやめになる羽目に。
家で酒を飲んで荒れる先生。 「しかし、近頃北海道も、”用があっても乗りたくない国電”だらけではないか。
平常時と雖も、もう一つ出掛ける気になれずにいる」
などと虚勢張ったりする。 改めて中央構造線の旅に出掛けて、今度は渥美半島の釜揚げうどん食おうとする。 今度は、東京から大阪へ行く途中で、岳南鉄道・静岡鉄道・大井川鉄道・遠州鉄道、にも乗る。 ダイナミックですね。ノシャップ岬のほうまで。
普通ならば稚内は、もう去るくらいの時期に逆に接岸するとは。 「昭和58年3月に雑誌社の編集者を連れて
オホーツク海岸沿いを北上した折、
やはり稚内から『利尻』に乗った方が
面白かったかも知れない」
と今更の如く後悔する。 シベリア鉄道に乗ったのは昭和57年。理子は小学生だったなあ。としみじみ。 「来月1日は、『西寒川線』『日中線』等の三十七回忌か…」
と感慨にふける。
同時に、自らの意向を無視した国鉄”改革”への憤りを新たにする。 初めて湧網線に乗った感動から50年。私は当時43歳だった。 どこかの青年に説教したことがある気がするが年のせいか
場所が思い出せない。 実は昭和52年夏頃から時々、
差出人不明の脅迫状が届いてたとか…。 東北新幹線の上野開業から35周年よりも、
急行が大々的に廃止された点への憤りの気持ちが断然強かったりする。
何より食堂車の全滅がけしからぬ事であったと振り返る。 48年前に「日本最長」の座から転落した北陸トンネルを通ってみようと考える。 宮古―釜石間が山田線でなくなった事を憤る。
「元々、三陸縦貫鉄道は国鉄の手によるものである筈だったのだ」と。 「ぼくに水割り頂戴!」と60代と思われる女性が叫んでいた。 青森―好摩間を寝台特急の車中で過ごした事で、最長片道切符の旅を済ませた事にした。
これを未だに後悔してるが、さりとて今更改めて乗る気にもなれず。
そこを走る車両は紛れもなく「用があっても乗りたくない国電」そのものだから。 浜川崎駅で、「途中下車印を押してくれ」と言うが、拒否される。 飯田駅で「切符の再発行が必要」と言われ、逃げようとするが捕まる…。 再び中央構造線の旅に出ようかと思うが、
「帰りの楽しみ」がないと思い当たって取り止める。 もう一度、最長片道切符の旅に出ようと思う。しかし、ルートが大幅に短縮されてしまったこと
だろう。 「今は本当に、“稚内発肥前山口行“の切符しか
発売されない。逆方向は不可能である。」
と悟って、南から北へ向かえない寂しさを痛感する。 この家の主人はよく旅に出る。しかし最近は、魅力的な路線が多数廃止に
追い込まれてしまったこともあり、出不精になりつつある。 空腹が旅情を上回っているから猛然とハンバーガーを食べる 東京オリンピック延期?あんなもんは、1964年昭和39年の1回で十分だこのハゲ 「それがこのスレの趣旨に何の関係があるというのか。
さような事も考慮せぬ向きが増えたとは、実に憂慮に耐えぬ」
と思ったりする。 加悦鉄道の跡地を訪ねたいと思うものの、
新型コロナウィルスの前に屈する。
「命あっての物種である」なんて。 今度は自作の「最長片道ルート」見せて、
T村N樹に失笑されたり…。 「東京に戒厳令が敷かれようとしているとは…。
しかも、”不急不要”という言葉は戦時中を思い起こさせるものである」
と言葉もない思いに襲われる。 「三江線の最後の日から早2年である。
この線を経由して、浜田―岡山間の急行が走るのではないかなどと考えたりもしたが、
全く当てが外れた。尤も、国鉄とすれば、それこそ”不要不急”の路線を経営させられた、
との思いだったのであろう」
などと回想する。 江の川の眺めが良かった路線。先生と違って、それがしは一度しか乗ったことが
なかったのだが。 国鉄分割民営化に関する見解(異論)を披瀝しそびれた事を改めて悔やんでる。
「何故、インタビューされた時に『利用者の視点』を思いつかなかったのか」と。 しかし過去を振り返っても仕方ないと思い直して旅に出ることにする。 元の夕張駅の跡地へ行ってみる。
付近の住民に”インタビュー”して、
「これがこの国の交通政策というものか…」
と慨嘆、やはりこの思いを書に訴えねば、と決意を新たにする。 福知山線のあの事故現場に足を運んでみる。
「21世紀の日本でこのような前時代的事故が起きたとは信じ難い。
鉄道の技術進歩とは何であったのか」と嘆きつつ。 肥薩おれんじ鉄道線? それは、いかなる鉄道であるか フランス国鉄関係者に、
「TGVの最高時速は何キロでしたかな?」
と嫌味ったらしく尋ねる日の到来を待ち侘びる。
それだけに、”整備新幹線の最高速度260km/h”とかを腹立たしく思ったり…。 「私は酒で体内を消毒できているのである」
…なんて事は、T大卒ともあろう御仁だから、考えるわけないが。 鉄道とは「金を失う道」と書く。しかしパパは後悔なんかしていない。
金なんか残しても人生つまらんと思っている。
しかし家族には金を残したい。 去年、北陸新幹線の車両10編成が一気にお陀仏になったと知って、
JR東日本に幾らか寄付する。 「また一段と煙草が吸い難い世情になった」と不満を漏らす。 「旅」の企画の打ち合わせに美人編集者を同席させて、
宮脇氏に無理難題を押し付ける(東京から大阪まで歩かせる、等)雑誌社。 「私を感激させた気仙沼線も結局廃止された」と憤ると共に、
開通日に志津川駅にいた、当時の女子高生を思い出す。 「私の”国鉄全線大集合”をパクるとは何事か!」
と、某大学教授に文句言ったりする。 で、あくまで犯人追跡のための一場面でしかなかった筈の、
時刻表探索に没頭し過ぎて、NGの連発。
それがプロデューサーをはじめスタッフの逆鱗に触れ、とうとう役を下ろされる。 相棒に「由々しき事態であり、ぞっとしない」とコメントされる先生 「『武蔵野線の西船橋延長で最長片道ルートが変わる』、
程度の勘も働かん奴に事件の捜査なんかできるのか」
と思われてたりする。
で、逃走する犯人役は、何処かの眼科医M畑(逃走経路考えるのはお手の物)。 「これは『不要不急の旅行』などではない。私にとっては仕事なのである」
と言って、列車に乗り合わせた他の客に自身の正当性をアピールする。 43年前、筑前宮田駅へと所望したにも拘らずバスの営業所へ連れていかれた経緯から、
もっと地理を勉強しろとタクシー会社にクレームを入れる。 「東京近郊区間の路線に乗るからと言って、
前日目覚まし時計をかけずに寝るのはよくない」
と悟る。 「近頃は、座席のリクライニングに後ろの客の同意を求める時代になったのか」
と嘆くことしきり。 その時、何処かのレイルウエイライターとやらが乗り合わせてて、
「どうも、特急列車の客には変なのがいる」
と揶揄される。 列車に乗ると、女子高生から警戒の眼差しを向けられる。
「あのおじ(い)さん、何?キモ〜〜〜〜い」
って…。 「もう今年で94だよ・・・・・・あ、いい手がある。灯子に仕事回そう」 「今年は、足立区に住んでた”あの御仁”の七回忌か…」
とふと思い出す。 「肺病などとうに克服されたと考えていたが、とんだ誤りであった」
と反省する。
同時に、
「しかし、私が知っているあの医者は眼科であった」
などと、余計な事も思ったり。 「今日ではもう、
”高山本線経由の列車で金沢へ行こうとする客が、間違えて富山から猪谷へ戻る車両に乗ってた”、
などという事はないのか…。
私の鉄道に関する有識さを発揮できる場がどんどん狭められている」
と歯軋りする。
それを小耳にはさんで、鼻で笑う、何処かのライターとやら…。 8月15日には今泉駅に行こうとするが、
「今年は無理な情勢か…」と肩を落とす。 「札沼線の非電化区間は、本来今日まで営業する筈だったではないか!
新型コロナウィルス云々などというのは言い訳にもならぬ。
もとより、そもそもこれを廃止などという仕打ち自体が受け入れ難いものであるが」
などと、憤りを新たにする。 浜川崎駅の有人改札を通ろうとしたら、
「ここでは途中下車印は押しませんよ」と釘刺される…。 「個人的道楽のために我々の仕事を妨げるような事はお控え下さい。
興味本位からのお問い合わせには応じかねます」
と、各鉄道会社から抗議或いは警告の手紙が届いてたりする。 「私を味方に付けるのと敵に回すのとどっちが得ですかな」
言葉は穏やかだが実はかなり怖い先生 先生のことではないが
味方に付けても良いことないが
敵に回すと甚だ面倒臭い人ってのはいるw その場所が駅だったから、自らの使命を忘れ、旅立つ客を羨望の目で眺める。
それが原因で犯人を取り逃がし、とうとうクビに…。 種村刑事ってその昔、北海道の常呂駅で転倒して掌を負傷したと聞いた。 東京の新型コロナウィルス感染者数の集計が間違っていたと聞いて、
「行政のやる事にも、すいぶんいい加減なところがある。国鉄の”二重戸籍区間”や”距離の水増し”に当たろう」
と呆れ顔。 信楽高原鐡道事故の犠牲者の供養に現地へ行きたいと思うものの、
世情からして叶わず. 「5月と言えば、私が北海道完乗を果たした季節である。
しかし、その帰り道にとんだ失敗をしでかしたのであった…」
と、反省しきりの心境に。 「今や北海道でも、”国電型のロングシート”が蔓延しているではないか。
どこもかしこも東京に右へ倣えとは、正に笑止千万。これが国鉄改革とやらの成果か!」
と憤りを隠せず。 「一致団結してこの難局に立ち向かわなければならない時に、
これでは何のために組織されているのか分からない」
とWHOを非難する。 旧盛線の沿線を歩いていても、今の子供は誰も挨拶しなくなってる。
「知らない人に注意」みたいな事、学校でやかましく言われるようになったから。 羽沢横浜駅で下車する先生。
「また乗る路線がなくなってしまった・・・・・・」 次女と一緒に我孫子―成田間の電車に乗ったところ、
今度は自らが「催す」(年齢的な事情もあって)…。 43年前、深酒が元でやらかした失敗を思い出し、今日(5月23日)だけは「断酒」を志すが、
一晩寝たら元の木阿弥に…。 足尾線の、足尾―間藤間だけを最後まで残した事を、今更のように後悔する。 ちょっと長旅に出ようとすると、今は娘から訓戒垂れられる。
「パパ、気を付けてよ。旅先に何か忘れてこないで。前カメラなくしたでしょ」
「お酒飲み過ぎちゃ駄目よ。まして他の人に絡んだりしちゃ」
とか…。 列車内で女子高生に話し掛けたら、警察に通報される。 全線完乗を改めて祝って貰ってる。
今度は本当に盛大な祝賀会に。 福岡の友人を訪ねようとしたら、時間の都合で飛行機に乗らざるを得なくなった。
それを白状したくないし、嘘つくのも憚られるし…。
いっそ取り止めにしようか、と悩んでる。 モスクワオリンピック中止でもいいいや厳密には日本等西側ボイコットでもいい東京オリンピックよりは、と慨嘆する。 最長片道切符の旅を始める前日には、出発地に泊まれるように、仕事を段取りする。 銀河鉄道999号のパスを盗まれたが
種村刑事に取り返してもらった 42年前に、花輪線の列車内に置き忘れたカメラも出てこぬものか…。
なんぞと、未練がましい事考えてたり。 気仙沼に行ったら、漁師からマグロ買おうとする。
更に、
「あの地でタクシーに乗ったら、”小さな親切大きなお世話”に注意せねばならぬ。
私は気仙沼駅へ行ってくれと言ったにも拘らず、南気仙沼駅へ連れて行こうとした運転手がいたのだ」
と、気を引き締める。 「今度こそ、閑散期に指定席の客を一隅に固めるような有様には文句言ってやろう」
と思うが、今日では、客が座席を選択できる制度が普及した事を知って、
振り上げた拳の持ってき所に困る。 小山で、遅れて着いた東北本線から水戸線に乗り換えようとするが、
ホームに駅員はおらず、置いていかれる。 ホーム置き去りは昔もあったなと思うが歳のせいか場所が思い出せない。 「『最長片道切符の旅』を逆のコースでも実施して、
その時は『五葉』で花巻―釜石―宮古―盛岡、と乗り通してみたかった」
と回想してる。
「花巻から『五葉』に乗って、”盛岡までの急行券を下さい”と言ったら、
車掌はどんな顔をしただろうか」
なんて思って。 「ひょっとして、『サンダーバード』を追い越す快速があるのではないか」
などと思って、必死に時刻表の京都―大阪間を眺め回してる。 「いつか、1晩で2枚の寝台券を使うような贅沢してみよう」
と思ってたが、気が付いて見ると、寝台車なんて殆どなくなってた。 「そのうち、東京―札幌間を、鉄道で日帰りできる時代が来るのか…」
などと思ってたりする。 「時と共に東京から直通できる道府県数が減少するとは…」
と、つい溜息交じりに、手に取りかけた時刻表を放り投げる。 気を取り直して時刻表を再び手に取るが北海道のところを見てため息をつく。 「私も新型コロナウィルスとやらに感染するかも知れない。
無念ではあるが、旅行は自粛せねばなるまい」
と意気消沈する。 「今や鈍行が一番味気ないではないか。
北海道や九州も国電型のロングシート車だらけだ」と憤慨する。 滝川発釧路行きのロング鈍行はもうないのか、とため息。 「稚内に着いたら一泊する」と言った時に、「は〜あ」と返答した若造を見つけ出して説教垂れようと思ったが、
その6年前の、青函連絡船での出来事(酔って同室の青年に絡んだ)を思い出して自重する。 一緒に旅行した雑誌の編集者から、
「私に、『汽車で行く事”なんか”ないとは何だ』なんて仰いましたけど、
御自身が『飛行機旅行”なんか”クソクラエと思ってる』って本に書いてるじゃないですか!」
と文句言われてる。 車販係から、
「お買い物はなるべくまとめてお願い致します」
と文句言われる。 「券面記載事項が見えなくなった切符は無効です」
って、途中下車印だらけの乗車券を無理やり没収される。 今年の夏は「北海道&東日本パス」の旅に出ることを決意。 鹿児島本線に乗ったら、またもダイヤが乱れて予定を狂わされる。
で、JR九州に抗議の手紙出す。そこには過去の恨みつらみまで書かれて…。 (曾)孫を鉄道ファンにしようと画策した事はあったんだろうか…。
そもそも、いる(た)か否か不明だが。 「松前線のみならず、木古内―江差間も廃止とはけしからぬ。
これは紛れもなく新幹線便乗廃止ではないか!」
と憤ると同時に、
「これは遡れば、国鉄分割民営化の問題であったのである。
やはり、これについてコメントを求められた時に、問題点を指摘すべきであった」
と後悔するが、後の祭り。 「それにしても、元の渡島大野のような場所に新幹線の駅ができたとは。
そのせいで、下り特急(通過列車)のために造られた筈の通称”藤代線”に、 今や一部の鈍行しか走らない。
何と皮肉な事か」
なんて事を、本にしたためたりする。 「国電型車両にもトイレを付けるべきである」
と、投書する。しかしその回答が、
「乗車前にお済ませになるよう、御留意下さい。
これはお客様の責任であります」
なるもので、目にした途端、怒り心頭に。 「移動制限が解除されたと言われても、
斯様な有様では、おいそれと旅行に出掛けるなど叶わぬではないか」
と政治に不満抱く。 「不謹慎ながら、新型コロナウィルスの感染者数とやらの如く、鉄道利用者も増加せぬものか
特に”北の大地”では」
などと思ったりする。 実は、昭和57年6月23〜30日の間だけの、「最長・最長片道切符」を買ってあったとか。 駅弁は、お目当てのもの以外でも、買える時には必ず買おうとする。
買いそびれて昼飯がパンと牛乳、なんて事にならないように。 >>391
今はむしろ田舎で鉄道に固執した旅をすると
パンと牛乳さえ手に入らないケースも多い 「それにしても、昨今では、
食堂車はおろか車内販売さえない特急も少なくないというではないか」
と慨嘆する。
これを聞いた某・元車内販売員が、
「私を見掛ける度に何か買おうとする面倒な客がいて、本当にやり切れなかった」
「女性の客に”ぼくに水割り頂戴”って言われて心臓止まるかと思った」
なんて苦心談を披露したり。 コンビニで100円コーヒーを注文して飲む先生。
安いのに地味に美味い。 新幹線「こだま」からも車内販売が消えていたと知って愕然とするが、同時に、
「そう言えば、”こだま”というのは、誰かの娘の名前ではなかったか」
などと、まるで関係のない事思い出す。 私の娘は灯子に理子と。なかなか渋い名前を付けたものだと思う。 「名前は名前として、”あのような所為”は困りますぞ」
と、昭和53年当時の木下駅長から文句言われてたりする。 「”理子”と言えば、どこかのプロ野球選手の娘の名前としてパクられてますなぁ…。
読み方が同じかどうかは知りませんが」
などと、某レイルウェイライターに揶揄される。 「上野駅で厚岸駅の牡蠣飯が買えるとは いい時代になったものだ」と思ったが
実は隣駅の尾久で調製されたと知って落胆する先生 「尤も、斯様な事は、他の駅弁にもあり得るだろう。
要は、どのような紛い物を食わされるか分かったものではないという事だ」
と無理やり自らを納得させる。 もう一度最長片道切符の旅の計画を立ててみる。
「しかし昔と比べて味気ない路線になってしまったものだ」 しかし関西地区などでは
国鉄時代ロングシートだった路線が転換クロスシートになっていたりもする 今の終点が肥前山口である事をなかなか理解できなかったりする。
と言って、あのレイルウェイライターとやらに頭下げるのも癪だったり…。 ただ某レイルウエイライターに自分の旅行計画を話したら椅子ごと身体を
せり出してノリノリの反応を示すような気もするし。 宮脇氏:「最長片道ルートの終点が、何故肥前山口のような”まだ先に行ける”駅なのでしょうか?」
件のレイルウェイライター:「一度通った駅にぶつかって終わるという事は、別におかしくない筈ですよ
(そんな事も分からないのか??)」
なんてやり取りになるのかどうか…。 「それにしても、一時期、『運賃計算上の最長片道経路と実際の最長片道経路が異なる』
などという事態に至ったというが、こんな事に”あの眼科医”はよく気付いたものだ」
と、(宮脇氏にしては珍しく?)感服する。 「私が新型コロナウィルスとやらに感染して再び(!)命を落としたら、
世間はいかなる反応を示すだろうか」
などと、ふと感慨にふける。 「根室の町名はきちんと覚えておかなければならないだろう。
特に緑町と梅ヶ枝町の境界については」と思う。 久々に根室本線に乗る先生。
しかし落石駅付近でワンマン列車がシカと接触事故を起こし、根室到着は7分遅れ。
(今夜は根室で眠ろう)
その前に根室駅で『北海道&東日本パス』を購入しておく。 「然様に縁起でもない駅名は存在しない。落合駅である。
それにしても、この線は今や、
『新得線』+『釧路本線』+『根室線』に分割するのが最も実態に合うという事になるだろう」
と、何かの本に書いたりする。 「何処かに”国鉄スワローズ”贔屓のタクシー運転手はいないものか」
なんて思ったりする。 エゾマツとトドマツの違いを必死で覚えようとするが、やっぱりすぐ忘れる。 >>408
すでに緑町の薬局も梅ヶ枝町のキャバレーも潰れているのでその心配はない 「あの時、『梅ヶ枝町はもっとあっちです!』と言った娘さんは今どうしているだろう。
さすがに、”お〇゛さん”になったのは否めないと思われるが」
などと、失敬千万な回想してたり。 「パパ、女子高生に色目使うのも大概にしなきゃ駄目よ。
今の世なら、”セクシュアル何とか”で訴えられるんだから」
と娘2人に釘刺される。 「駅の係員や運転士・車掌等への、列車の運行に関係ないお問い合わせは御遠慮願います。
職員は、植物の名称などを一々気にかけてはおりません」
と、札幌鉄道管理局長名の手紙が届いてたとか。 「スマホ?なんだそりゃ」といつになく、ぶっきらぼうな先生 「それがあれば、列車にカメラを置き忘れる、なんていうリスクも減らせますよ」
とか言われてムッとしたとこで夢から覚めたり。 某・眼科医から
「私のホームページに最新の最長片道ルートをお示ししてありますが」
と言われて歯軋りする…。 なんとかインターネットを覚えた先生だが巻き添えを食ってアクセス禁止の
憂き目に。 試しに「時刻表2万キロ」と検索ワードに入力してみる。 「新型コロナウィルスへの感染リスクは気になるが、旅行に出掛けたい衝動を抑え難い」
と、気持ちが揺れている。 >>426
法の奴隷 言葉の自動機械
別に花の名前を「問合せた」わけではない うっかりエロサイトにアクセスしてしまう先生
「刺激が強すぎて非常に良くない。パパは酒を飲むことにする」 「やはり、本物の女子高生の方がよい。特に旧・阿仁合線沿いは”上質”である」
等と邪な事考えたり。 肥薩線の橋梁が流されたのを目にして、天の不条理に憤る。
「私が雑誌編集者と泊まった、人吉の”上等な旅館”は、無事なのであろうか」
などとも思いつつ。 「それにしても、鹿児島県で新型コロナウィルスとやらの感染者が急激に増えているのは何とした事か。
これは正に”二重苦”に値しよう」
と、関心の対象がいきなり北海道から九州に移ってる…。 宮脇刑事は不正乗車を見つけるのが得意
種村刑事は不正客から金を巻き上げるのが得意 で、その不正乗車した輩が、
「例外的に途中下車(継続乗車)認めろ」
って駄々こねたりするのに手焼いたり。 種村刑事に息子がいたら「はやぶさ」とでも命名したのだろうか。 三女が生まれたら「さくら」とするのは普通にあり。
しかし種村クンと私は違うと独り言を言う先生。 ニュース7のアナ『…リニア問題、以上のような状況です さあ識者はリニアの問題をどう見るんでしょうか
まず高名な鉄道ファンでもある鉄道作家の宮脇俊三さんに聞いてみましょう。
宮脇さん(……)<リモート出演で操作に手間取っている模様>
あれっ?どうしたんでしょうか?もう一回呼んでみましょう。宮脇さ−ん!(……)』
宮脇『うひゃ―!どうしたらいいんだ!! それに慣れないTV出演しかもリモート出演で
普段は静かな虫歯クンも騒いできたぞ』 NHK「にっぽんの廃線100」に出演
三宅裕司『ボクはね、やっちゃんのほうだからこんなてっちゃんな番組に
出ていいのかわかんないですがね、ボクのオヤジは国鉄の鉄道技術研究所の研究者で
新幹線の試験車の運転席に乗せてくれた。これを自慢したくて来たんですね』
宮脇俊三『ほほう。それにしても下津井電鉄と新潟交通それに蒲原鉄道を
選外としたのは、どういうことですかな』
三宅裕司『・・・・・・』 改めて、宮崎県側から村所を通って湯前駅に向かいたいと思う。 「私が愛してやまぬ人吉の町が、天の斯様な仕打ちを受けるとは、心が痛む。
しかし、近年の異常気象の背景とされる地球温暖化の一因は、
野放図な車の氾濫ではないか。とすれば、或る意味で人災である」
と、改めて自説を開陳する機会を窺ってる。 再び、不要不急の都外への外出が自粛となる。
そういうわけで、舎人・ライナーの初乗りをする。
わりあい、おもしろかった。わたしはけっしてJR偏重ではなく、こういうのも又佳しと思う。
気分がよくなって、駅前食堂でとんこつラーメンなぞ奮発する。
来るのを待つ間、なんとなくテレヴィを見ていると、熊本鹿児島の大水害のニュースが流れる。
40年前に豊肥本線で見かけた大判時刻表を握りしめた声の大きいお爺さんと、
日豊本線で出会った一心不乱に着発時刻をメモするお婆さんとを、思い出した。
二人ともご存命なら110歳は越えているが、「どうしてるかな 」と思う。 「その2人もさることながら、昭和53年12月に筑肥線の車内で見かけた、
あれやこれや買い込んで車内で食してたおっさんの事が気になる」
と回想する。自らも当時「おっさん」だったの棚に上げて。 一旦降りた列車に再び乗る術はないかと模索する。
しかし、以前それをやった筑肥線・唐津線は変り果て、添田線は消えた、と思って肩を落とす。 仕方がないからえちごトキめき鉄道に乗りに行く計画を立てる先生 東京都知事が、都民の道府県への移動につき「分かりました」という。
正式に自粛を取り消すのだろうか。取り消さないのだろうか。
とりあえず、大判時刻表を読んで、東北北海道新幹線の半額切符を
使った汽車旅の行程表を作成する。 「越後トキめき鉄道は、直江津を跨いで乗っても運賃は通算されるのか。意外だった。
接続は、国鉄・JRの頃から相変わらずで、全くなっていないが」
などと、些か失敬千万な事思ったり。 「巷では再び”戒厳令”が敷かれるかも知れぬ。
そうなったら、旅行どころではない」
と先行き不安な心境に陥る。 224人。テレビ・ニュースは、その数字をくりかえす。
あいにく、私は東京に住んでいる。「都外に出れそうもないな」と思う。
大東亜戦争の時も不要不急の旅行は禁止されたけれども
陸軍将校上がりの国会議員だった父の「荷物」となることで、全国を汽車旅した。
だが、今はそれもできない。どうしたものか。
有名な「ユー・チューバ―」のスーツ君に、自宅で汽車旅をする方式を
聞いてみることにする。 「東京でも旅先でも、夜の街で酒が飲めなくなるのはやり切れない」
と、再びの緊急事態宣言は勘弁して欲しいと思う。 スーツクンが、大きな黒縁メガネをかけて長めの頭髪になり
「宮脇先生のコスプレをしてみる」という動画を検討中か 「『サンライズ瀬戸・出雲』の誕生日であるが、用もないのに乗りに行くのも憚られる」
と、しきりに残念がる。 「肥薩線や飯田線の復旧はいつになるのか。
元々経営難の線区だけに、非常に気掛かりである」
と気を揉んでる。 「通称を設けるなら、私の発案通り”根室線”にすべきではないか」
などと意固地になったり…。
ところが、そう表明した途端に、
「御自身が、”『佐賀線』では、佐賀からどちらへ向かうのか分からない”、などと文句言っておいででしたが。
であれば、何故”根室線”は問題ないんですか?」
などと、読者からイチャモン付けられる。 >>461
行き止まりの根室と
三分岐の佐賀とは話が違うであろう 先月、釧網本線と花咲線、両方乗って来ましたよ先生。
エゾシカがやたら出没しましたよ。
などと先生をけしかける読者。 固辞→固持
文筆を生業とする御本人は、斯かる間違いは犯さんだろうが。 >>463
現在北海道東日本パスを使って根室を目指しているが
滝川〜釧路が今でも根室本線であることに驚く 「線名だけが、昔を偲ぶよすがか…」
と、古き良き時代に思いを馳せる。 「奥尻島の災害から27年という事も、ともすれば人々の記憶から消し去られたかの如くだ」
と慨嘆する。 「新型コロナウィルスとやらの問題で、国と都が”互いにやっつけ合う”ような事をやっているのか…。
国鉄末期の如き様相ではないか」
と呆れ顔に。 その駅近くのバーに入って後悔した時の事思い出す。
相手したホステスが、それこそ「バー(婆)」だったのか!? 「名寄本線が廃止された後も、遠軽でのスイッチバックは解消されていない。
不便極まりないが、今更駅を移転するようなわけにもいかないのであろう」
と、面倒に思いつつも、遠軽で座席を回転させる。 27年前の奥尻島の災害に思いを馳せるが、見舞いに行く事もできず、歯軋りする。 網走駅は以前よりも相当に廃れている町のようだ、と呟く先生。 取り敢えず、白樺と他の樹木の区別は出来るようになろうと必死になる。 因美線を淫靡線と言ってたなこの先生w
しかも老風俗嬢の事を古いトンネルとw 「つまり、私だって男だという事である」
などと、或る意味で居直ったりする。
「とは言え、昨今は列車内でのいかがわしい真似も現に取り締まられるようになったから、
少なくとも現実問題としては、心せねばなるまい」
なんて殊勝な心境にもなったり。 突然、
「やっぱり、42年前、あの高山のビジネスホテルで、
マスターの奥さんの手料理ご馳走になればよかったか…」
などと回想したり。 「近頃の東京の気候はどうなっているのだ。
あの奥尻島の災害が起きた、平成5年を思い出させるではないか。
しかも今度は、日本にコメを融通してくれる国があるかどうか分からぬ」
と、下界に降臨した時期が悪かったことを悔やんでる。 「今度志布志に泊まる時は、モーニングコールがあるホテルにしよう。
我ながら名案ではないか!」
と思ったが、既に大隅線も志布志線もない。 「お客さん、初乗り乗車券だけで鶴見線全線に乗ろうなどと企まれては困りますね。
これは紛れもない不正乗車ですよ」
と、鶴見駅の事務室に連行される夢見る。 北見のような観光客が泊まらない地味な都市で
月曜日でも木曜日でもなく水曜日に
ホテルというホテルが全て満室とは
(今週水曜日の実話)
私は風俗街の中にある古色蒼然たるビジネスホテルで難を逃れた 「根室を無視するのは後ろめたいが、いつか厚床に泊まろう」と思う。 「ワシは一度だけ厚床の旅館に宿泊した」と先生の愛読者 札幌に泊まる時には、必ず事前に部屋を予約する。
タクシーで散々走り回った挙句にラブホテルで一泊、なんて事のないように。 タクシーに乗った時は急いで目的地に向かって貰おうと思うが、
一方で「何をそんな急いで(慌てて)るんだ」と怪しまれるのも困るし、
痛し痒しの心境に。 「肺を病んだ辛さ・苦しさは、私は誰よりもよく知っている。」と妙な豪語する。
「じゃあ、何で煙草なんか吸ってるんですか?」と突っ込まれた途端、
「あ、汽車の時間だ」とか言ってそそくさ立ち去る。 種村クンも喫煙者だったし、と、どうでもいいことを思い出す先生 「鈍行の全面禁煙化は一番遅かったJR東日本が、
新幹線のそれには何処よりも早く着手したではないか」
と呆れ顔に。 「そう言えば、『コロナ』とは、『にちりん』に通じる意味合いとかいうではないか」
なんて事を突如思ったり。 昔は深名線とか喫煙していた人が多かったですな、とのたまう先生。 「不要不急の旅行を控えるよう呼びかける時代が戻ってくるとは、余りに衝撃的である。
背景は75年前とは異なるとしてもだ」
などと思いつつ、実は何処かで、1940年代前半を懐かしんでたり。 「不要不急の旅行を控えるよう呼びかける時代が戻ってくるとは、余りに衝撃的である。
背景は80年前とは異なるとしても」
などと思いつつ、実は何処かで、1940年代前半を懐かしんでたり。 「私に関わるスレッドとやらで、他人の文章を盗用する輩がいるとは嘆かわしい。
文筆に携わる者としては、決してあってはならぬ事態である」 「今日では、博多まで”汽車”で行こうとすれば、ただ新幹線の座席に腰掛けているだけである。
これでは私だって飛行機に魂を売りかねない」
などと愚痴をこぼす。 「新型コロナウィルスとやらへの感染状況は、”どこまで続く泥濘ぞ”そのものではないか…。
加えて各地の豪雨。鉄道は至る所で寸断されている。
これは、下手をすれば戦時中に匹敵する災難に至るかも知れぬ」
と、深い憂慮の念を覚える。 しかしそれでも私は旅行に行かねばならぬ。
いつものことなので、妻のまちさんは、夫の帰りを待ちはしない。 列車に乗ると、確実に席を譲られるようになっている…。 何がAKBだAKT秋田テレビなら解るが。
とは言え秋田と言えば寝過ごして列車の乗り継ぎに失敗したまさにそこだから、本当は思い出したくもない筈なのだが。 「尤も、あの時(昭和52年5月23日)『むつ1号』に乗れていたとしても、
寝過ごして大館で降りられず、秋田まで行っていたかも知れない。」
と改めて飲み過ぎを反省する。
あと、
「秋田と言えば、翌年カメラを無くした所でもある」
などと、要でもない事を思い出す。 75年ぶりに、8月15日に米坂線に乗ろうとする。
しかし、新型コロナウィルス禍を案ずる妻子から止められる。 仕方ないから8月15日はサンライズ瀬戸号で四国上陸を目論む。 「それにしても、直流区間しか走れぬ寝台電車とは、いかにも”元・国鉄”的ではないか。
東海・西日本揃って、自らの縄張りの事しか頭にないと証明しているようなものだ」
と改めて思ったり。 渋谷駅のみどりの窓口で最長片道切符を購入しようと列に並ぶ先生 実はそこには、
「指定券と同時発行の場合を除き、
こちらでは当駅(東京都区内・山手線内)発以外の乗車券は販売致しません」
なる貼り紙があったり…。 「それにしても、東京や大阪付近のような場所では距離が伸びて、
北海道や九州はスカスカになったではないか。
斯様な事では、最長片道切符の旅は味気ない限りだ」
と、改めて国鉄再建監理法案に恨みを抱く。 「田町と品川の間に新駅ができたが、あのような名称はどうも私の感覚にそぐわぬ。
付近の地名なり、これも好みではないが、”南田町”とでもするなり、方法はあった筈ではないか」
などと不満を抱いたりする。 久し振りに、「ひたち」で仙台へ行ってみようと思ったら、
運賃が東北本線経由より高い事に憤慨する。
「日暮里―岩沼間は”遠回りさせられた分の運賃を徴収”されるようになったのか!」と。
しかし、常磐線経由で仙台へ行くのは「JR側の都合」でないので、文句言えない…。 「”元・国鉄”は、私が愛してやまなかった路線を狙い撃ちするかの如く廃止しているではないか!」
と怒りを露わにする。 改めて、
「襟裳岬で一泊してから最長片道切符の旅を始めたかった」
と慨嘆する。
すると、
「最初から、私が提唱したルートに従わなかったからですよ」
と何処かの眼科医院から嘲笑の声が…。
加えて、
「早く僕を頼っとけば、そんな事にならなかったんですよ」
などとほざく、某足立区竹ノ塚の住民も夢に出てきたり。 処女のように広尾線は温存しておきたかった、と昭和の昔の出来事を
悔やんでみたり。 悔しがってるのは、
「処女のように温存しておきたかった」
なんていう書き方が自由にできた時代が失われた事だったり。
今の世でこんな記述やったら、立ちどころに
「こういうのはセ○ハラになりますので…」
なる注文が付くに違いないから。 「今はパソコンとやらがあるから、自力で最長片道ルートを探るのも楽になったのではないか」
などと甘い考えを抱いたり。 93歳にして5ちゃんねるデビューを果たしてしまう先生 「宮脇俊三先生と種村直樹。どこで差がついた☆慢心・環境の違い」というスレを立ててしまう
先生 「御自身を『先生』、こちらを呼び捨てとは、いかなる御所存ですか!」
と文句言われてたり。 著作物に自宅の住所を記載するよう要求されるが、一切拒否する。
「以前、鉄道ファンを名乗る人物が、『貴方と鉄道談義を交わしたいからお宅へ伺いたい』
などという手紙を寄越した事があるからです」
と言って、頑ななまでに。 「十和田南」「蔵王」「中軽井沢」「阿蘇」などは「毛馬内」「金井」「沓掛」「坊中」に戻すべきである、
と鉄道会社に手紙を出すが、一笑に付される。 JRの旅客営業キロの合計を正確に算出しようとするが、
「今度は、確認のためには6社に足を運ばねばならぬのか」
と溜息つく。 もう一度シベリア鉄道乗車を先生におススメしたい。
今度はモスクワから東へ東へと移動するルートで。 1日1往復の列車同士が何故12時間毎に擦れ違うか、講釈する相手を探してる。 今度は、最も寒い時期にシベリア鉄道に乗ろうとするが、家族に止められる。
「前乗った時からどれだけ年取ったと思ってるの!」って…。 あの時の相棒を誘おうと計画。
一人旅が似合うが外国旅行は一人でないほうがいいし。 「こういう場合に継続乗車できるかどうかの相談にやってまいりました」
なんて、中○兄弟が漫才やるのか…。
で、
「ゲストの宮脇相談員はどうお考えでしょうか?」
と振られた途端に差し歯が取れちゃったり。 今度棋聖のタイトルを取った藤井聡太くんは鉄道マニアなのか。
宗谷本線に乗りたがっている?お安いご用だ、などとブツブツ言っている先生。 「それにしても、その世代にとっては、国鉄はもとより、青函連絡船も歴史の範疇なのか。
札幌方面から稚内への鉄路が二股に分かれていた事も…」
と、改めてジェネレーションギャップに嘆息をつく。 「上野東京ラインとやらが開業したとなると、
”東北本線の起点が何処か”というクイズもやり難くなった」
と、不満に思ったり…。 「ことによると、私が降臨した事で日本に災いが齎されたのだろうか?」
などと、首のすくむ思いでいる。 今のうちに乗っておこうと宗谷本線に久々に乗りに行く先生。
時間の都合上やむなく新千歳空港まで飛行機。 「GoToキャンペーンとやらが、東京を除外したものになっているとは、実に忌々しい」
と憤慨する。 矢張り、昭和58年3月の、雑誌編集者との旅の折、
稚内から「利尻」に乗ればよかったかと後悔してる。 >>547
あの時幌延の待合室で寝ると言っていた青年は
どんな人生を送っているのであろうか?
まさかネトウヨとやらになってはいまいか 「考えてみれば、あの”青年”も、今や当時の私の年齢を超えたであろう」
と回想する。
併せて、
「駅の待合室でゴロゴロと一夜を明かす客は、国鉄にとって迷惑千万な筈だ。
だから、例の継続乗車船に関する規程が設けられているのではないか」
とも。 で、奥方に、
「ちょっと、またなの〜?
…あの人とは外で会ってくれない?」
とか耳打ちされてる。 「孤高の世界を行く私と違って種村クンはお山の大将タイプですな」 しかし、雑誌の編集者を自ら以上の「鉄道マニア」に仕立て上げたりもする。
「私の”病”は、期せずして近づいてきた人間に感染(うつ)ってゆくのである」と思う事しきり。 宇和島に行ったら、今度は本当に蒲鉾の材料を飯にぶっかけて食わされる。 鳴門の寿司屋では、「生ワカメしか注文せん客」って事で、ブラックリストに載せられてる。 久々にストリップが見たくなって山陰地方の町を再訪するが、
閉店していて肩を落とす。 「やはり、余り丸出し・特出しされるよりは、適当に見え隠れしているのがよい。
鉄道でも同様で、この点で私は列車ダイヤを欲しくなったりはしないのである。
時刻表から推理するのが面白いのだ」
と自説を披歴する。 「寝台特急や、いわゆる”鈍行”が廃止されては、鳥取までカニを食しに行く大義がなくなった。
それならば、往来に便利な福井に出掛けた方がよい」
などと口を滑らせて、鳥取県関係者を失望(憤慨)させる。 再び「中央構造線の旅」に出ようと思いかけるが、
「はやぶさ」に乗って帰る、のに相当する楽しみがないと思い当たって、結局放り出す。 「PCRとやらは、枕木の一種なのか?」
などと口にして、周囲の失笑を買ったり…。 北海道へ行く時は、エゾマツとトドマツの写真を携行する。 東武伊勢崎線に乗る際には、「さる人物」に出食わさないかどうか、警戒してたり。 Windows95搭載パソコンを秋葉原に買いに行く 他に、昭和53年10月28日に花輪線の車内に置き忘れたのと同形のカメラも買おうとする…。 散々弄られてる掲示板にさりげなく加わり軌道修正を試みる 「15日には今泉駅に行きたいが、新型コロナウィルスも気になる」
と葛藤する。 >>571
一畑電鉄には私の慣れ親しんだ井の頭線の電車が2両で健気に走る 宍道湖が見たくなったのでサンライズ出雲乗車を計画する先生 或る日の夕食の席で家族に、
「もし私が新型コロナウィルスに感染して回復不能になったら…」
と、再び(!?)天に召された日の事を指図する。 「そんなこと気にする前に、煙草止めて酒も控えめにしなさい」
と奥方から窘められてたり。 明治以降の人文地理の法則に逆行して
駅前だけが寂れ果てている地方都市が増えたものだ
しかし元々陸蒸気の煙を嫌って町外れに駅がつくられたのだから
元に戻っただけかもしれぬ 「今や、1本の列車の運転距離という点でも、東京―博多間の新幹線が第1位になるのか」
と落胆する思いに。 とりあえず東京〜鹿児島中央までの新幹線旅行を試みる先生 「やはり、『はやぶさ』は山陽・九州新幹線の名称にするのがよい。
できれば、東京―鹿児島中央間直通の列車が設定され、それにその名が充てられるのが理想的であるが」
と、暗にJR東日本(北海道)に「はやぶさ」返上を迫ったりする。 握手券付きの本が億万長者のプレイボーイに買い占められる >>584
東京発日豊本線方面が「富士」というのも... 「日豊本線は、鹿児島本線や長崎本線より格が落ちる」
などと言った経緯もあり、
「富士」が東京―日豊本線間の列車の名称になってる事に何処か納得できずにいる。
で、その反動を恐れる余り、大分県や宮崎県にはどうも足が向かなかったり…。 「42年前の夏、サラリーマン人生から足を洗った時、もっと早く”大旅行”の行程を決めるべきだった。
結局、最長片道切符の旅も、時間に追われる羽目になった」
と今更後悔する。 「あの時は要するに、ぐずぐずし過ぎたのである。あるいは南から北へ攻め上った
ほうが良かったのではないかと考えてもみたり。私も当時は若かった」 「尤も、早い時期に出掛けていたら、新松戸―西船橋間が開業する前のルートになるところであった。
それがよかったかどうか…。
いや、そうであったら、『あの人物』に頭下げるような仕儀には至らなかったのだ」
などと、思いは千々に乱れる。 娘が小学5年と2年だったあの時。
比較的に遅くに生まれた子供だったが、今では上の娘もちょっとした
物書きである。感慨深い。 ジョン・コンスタンティンからあの世から連れ戻した借りを返せと言われる 高校野球を見て、
最寄り駅の花咲駅を廃止してしまった民営化の影にため息をついたのである。 「浜松―豊橋間のバス位あっていい筈ではないか」
と、何かにつけて訴えてる。 「静岡県内は普通列車が3両編成しかないのに乗り合わせると地獄だ。
過疎化地帯を走っているのではない。せめて8両編成にすべきだ」と声高
に叫ぶ先生。 「現状は要するに、『文句があるなら新幹線に乗れ』という事ではないか。実にけしからぬ」
と鉄道会社に抗議の手紙を出すが、一笑に付されて終わる。 「まさか、”新型コロナウィルス感染防止のため、○○歳以上の方は乗車を御遠慮下さい”
などという時代になるのではあるまいな」
と危惧してる。 「今日ばかりは、『飛行機旅行なんかクソクラエ』とも言い難い気がする」と思ったり。 まさかこの歳になってヤホーニュースとやらに取り上げられる日が来ようとは 「リニアモーターカーの工事が、また頓挫しようとしているではないか。
私が生きているうち(!?)には乗れぬという事か」
と嘆く事しきり…。 さすがに静岡県内の普通列車については
「長く乗っていられるのに安い」などとは思わない 「日本中の列車が、”用があっても乗りたくない国電”と化しているのだ」
と歯軋りする。 だが新潟支社管内は最近新造車両にボックスシートが増えてきて嬉しい
八海山を眺めながら八海山のワンカップなど呑むのは
さすがに憚られるご時世ではあるが 青春18きっぷとは言わず
青春18のびのび切符と言う 藤井聡太の青春18キック炸裂
(。´・ω・)ん?藤井聡太って誰とのたまう先生。
先生の後継者になるかも知れない鉄道マニアの愛知県在住の高校生ですよ、と愛読者 「私も、”PC枕木”みたいな名前の検査受けた方がよいのか…」
などと思って見たり。 昭和20年8月の「時間表」が何処かに保存されてないかと、そこら中の図書館に行くが、徒労に終わる。 「軽井沢の別荘に行って、近所のテニスコートで短いスカート姿の少女を眺めよう」
などと邪な魂胆を抱いてたが、昨今の世情でそれもオシャカになった。 「この夏は、肺炎ばかりでなく、日射病だか熱射病も大敵というではないか。
冷房の効いた列車内で過ごしたいが、駅に辿り着くのも命がけだ」
と慨嘆する。 「備後は大体岡山県に相当するが、一部は広島県にかかっている」
なる誤謬が、嘗ての職場で代々語り継がれていると知って、著しい罪悪感に襲われる。 備後落合。何故か知らないがよく来る駅だな、と先生。 「”ビンゴ”って、あのゲームが広島県の辺りで誕生したんですか!?」
と若い編集者に真顔で尋ねられて、
「近頃の学校教育はどうなっているのだ!!」
と憤る。 「やはり8月15日には特別な感情を禁じ得ない。
これは、いくら時代が変わろうと絶やしてはならぬものである」
と決意を新たにする。 >>613
備中は全部岡山県で
備後は全部広島県なのだから言い訳が立たぬ 「結局、私も、東北本線の起点が何処か知らぬというのと大差ない、という事である」
と反省しきりの心境に…。
更に福井県の”鉄道ファン”から、
「越美北線の起点も誤解されてましたよね」
なる手紙が届いたり。 「戦時中、こんな豪雪(森宮野原付近、785cm)が記録されたのだ」と若年層に主張してたら、
「今は最高気温40℃超えが続出してるんですよ」と言い返されたり。 「”単位数が2倍になると組み合わせ数は2乗になる”、という理由は何ですか?」
なんて読者に突っ込まれたりする。 近頃の若い者は
「数学が嫌いならやらなくていい」
という教育を受けているのか 「やはり、最高学府というのも、『昔の大学』程度に数を絞る必要がある。
(元)国鉄の特急も、数の急増に伴って、とみに格が下がったのだ」
などと口にして、世間の顰蹙を買ったり…。 「多経路システムに於ける最長または最短ルートの探索について」
なる、某大学教授の研究の概要だけでも何とか理解しようと思うが、徒労に終わる。 「今の方が、飯山線と只見線に乗って日帰り、が不可能になっているではないか!」
と怒りに燃える。 もう一度、鈍行の寝台車で紀伊半島を巡りたいと思う。 飯田駅に着いたら、
「今度は逃がしませんからね」
と、途中下車印だらけの最長片道切符を取り上げられる。
で、再発行まで一週間近く足止めされる羽目に…。 折角全線開通の日に乗った只見線も気仙沼線も
今や全線を鉄道で乗り通すことはできない 「そのうち、”中央構造線の旅”もできなくなるのか」と危惧する。
「阿波池田から川之江に行くバスは、既にないのではあるまいか」とも。 八幡浜から三崎に行くバスも
松山発の特急バスに途中乗車するしかない 東京大阪国鉄のない旅で唯一まともに客が乗っていた
浜松ー鷲津間直行バスも
1日僅か3本になっているではないか 「ですから、こちら(浜松)から豊橋へ行かれるなら、国鉄というかJRが便利ですと、
再三ご案内申し上げておりますが」
と遠州鉄道バスの案内係にやり込められる夢見る。 「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の影響で
案内係の対応はかつてより良くなってたり 都電の4本のレールが等間隔かどうか
(下り線と上り線の内側のレール間の距離も1372mmなのか!?)、測ろうとする。
それで電車の接近に気付かず、運転士に怒られたり。 「新型コロナウィルス感染の蔓延とGoToキャンペーンがいかに両立するのか。
私には皆目見当がつかない。鉄道の利用が盛んになるのは良い事と言いたくなるが、
どう考えたらよいのやら分からぬ」
と困惑する。 自分の言いたいことを宮脇先生に代弁させてるだけのやつは寒いな コロナに不要不急ジジイ成敗してもらういうことであればコロナいいね思ったり テメーは実効的な事何一つ言えねーくせに他人の発言に言い掛かり付けてるだけの、
>>636みてーな野郎が最大の害悪。 >>638
個別具体的に指摘したわけじゃないのに噛み付くってことは自覚があるのかw
わかってたらやめろよ。うすらみっともない。 再びわんこそばに挑戦すると言い出すが、妻子に止められる。 赤岩〜大沢間のスイッチバックを、改めて味わってみたいと思う。 中央構造線の旅で、
佐賀関―臼杵駅間のみとは言え、
タクシーに乗った事を何処かで後悔してる。 女子高生に席を譲られることが今さらながらショックである。 しかし、その温もりを感じて悦に入るという、困った性分。 編集者のとき担当していた瀬戸内寂聴が年上なのに存命と知って思い出話をしに行く 「やはり私は早死にであったのか」と肩を落とす。
その上、奥方に「だから、煙草止めなさいって口酸っぱくして言ったでしょ」と責められる。 東北本線に再び気動車が走るようになった事に驚愕する。 酒もやめられない。紹興酒を昼から口にする。
「ママには内緒だぞ」と灯子に告げる。 「それで、いつ寸又峡温泉にご一緒させて頂けるのですか?」
と、某雑誌社の元編集担当から矢の催促だったり。 旅行の喜びを知ったまちさんから旅行の計画を立てて、と懇願される。
はて、どこに行こうか、と時刻表と格闘する鉄道員周遊俊妙居士、もとい
宮脇俊三先生。 差し当たって、「ななつ星」あたりにしようかと思うが、
東京―九州間の移動手段に困る。
新幹線しかない上にこれはすっかり味気なくなってるし、
かと言って、飛行機に魂売るなんぞプライドが許さんし。 「いそかぜ」があれば
サンライズ出雲から乗り継いで九州に行けるのだが 結局、「サンライズ瀬戸」で、自らの本籍地を訪ねる事に。 たまにはノビノビ座席でノビノビすることも考えたが
結局いつもの個室に。 最長片道切符の旅の途中で
「大平総裁誕生」
の新聞記事を目にした時の事を思い出す。 「『ルクセンブルクではあっと言う間、フランスやドイツでも1日乗れば国外へ出るのに対して、
日本では2日がかりで乗っても領土の中』と言われるが、比較の仕方がおかしいではないか。
我が国でだって、最大限急いだとしたら、1日もすれば国境に辿り着く」
と読者からクレームの手紙が来てたりする。 渋谷駅の様変わりぶりに、未だ戸惑いを隠せずにいる。 「昭和50年12月の時点で、山野線435Dが吉松に着く5分前に肥薩線836レが発車するダイヤになっていたのは、
タクシー会社と共謀しての事であったのか!?」
と、当時の鹿児島鉄道管理局関係者に絡んだりする。 >>661
日本から鉄道で超えられる国境など皆無ではないか 豊島園や、各地のデパート閉鎖に心を痛める。
「これはマイカーの蔓延に依拠するのであろうし、
駅前や近くの商業施設撤退は、ますます車社会を助長するのだ。
正に悪循環である」と。
釜石で朝飯を食いそびれかけたがコンビニで暖かい幕の内を仕入れて事なきを得た 駅弁よりもコンビニ弁当のほうが美味いと思うことが何故かある。 「板谷峠のスイッチバックが消えて30年。早いものである」と回想する。
で、それを抹殺した恨みから、山形へ行く時は、仙台へ出て仙山線経由にしてる。 >>667
飛行機ありにしたら1日で世界一周できるだろバカ >>670
一遍ぐらい「旅の終わりは個室寝台車」読んでから書き込め、バカ >>672
1番最初に読んだのが個室寝台車
バカは>>661 「昨今の情勢は、言わば飯田線を4社に分断するようなものではないか」と慨嘆する。 一方で北陸本線だった鉄路を鈍行列車しか走らなくなった事により車窓をゆっくり楽しむ機会を得た
特急街道だった頃にはなかなか出来なかったので、半日がかりでまわってみようと思う
この忌々しい流行り病が収まってからではあるが… 「しかし、在りし日の”鈍行列車”の風情は最早味わえない。
大阪近郊も同然の車両に乗り続けるとは、甚だ興醒めである。
尤も昨今では、国電型のロングシートでないだけ有難いと思うべき情勢になっている」
などと溜息ついたり。 国電型のロングシートで悠然と駅弁を食べていた昔を懐かしむ先生 「最長片道切符の旅」で御殿場線に乗った時、ロングシート車だった事を思い出すと、
改めて無念さが沸き起こってくる。 久し振りに、土合駅の階段を下りて、トンネル内のホームから電車に乗ろうとする。
さすがに、この駅の階段を昇る気力は、とうになく…。 >>675
私の愛する国鉄こそファシズムの権化ではないか?
と複雑な気分 「それにしても、今は北海道に国電型のロングシート車など、
地域の特性を全く顧みぬ所業が罷り通っているではないか。
1回乗れば何十万円などという列車を、どこかが始めれば他も挙って真似したり、だ。
寧ろ、国鉄の頃の方が、各地の実情に見合った施策が見られた」
てな事を思うかどうか。
多分に、”思って欲しい”という個人的願望が強いが。 >>683
北海道のロングシートは札幌函館近郊だけで
ローカル区間はボックスか転換クロスシート
地域の特性を鑑みてると思うが
それより中央本線や紀勢本線のロング化が嘆かわしい そう言えば、今年乗った釧網本線も花咲線もボックス席だったな、と記憶の糸を
辿る先生。 >>683
夢空間や諸外国の豪華寝台に乗ってはしゃいでいた宮脇先生がそんなことを思うかね?
宮脇先生を自分のスピーカー代わりに使うのは敬意を欠くぞ。 >>686
凡百の貧乏鉄ヲタと宮脇先生とは格が違う
ということをわかっていない輩が多いな 当たる確率の高低差はあっても、所詮このスレは全て、
書き込みした奴の推測の域を出るものじゃない。
要するに、どれもこれも、大なり小なり「宮脇先生を自分のスピーカー代わりに使」ってるって事だ。
それが悪いってんだったら、こんなスレ自体閉鎖すべきだ。 『父・宮脇俊三への旅 宮脇灯子』という文庫本があり、思わず手に取る先生。
幼い娘の手を引いているのは、まぎれもなく、若い日の(と言っても40代だが)
私ではないか。
・・・・・・文句を言わない父など、父ではない。・・・・・うん、灯子にしか
書けない文章だな、と満足そうに微笑む先生。 >>688
「原作の主旨に沿ってるか」という点が重要
沿っていないならば、中原中也や太宰治を都合のいいイケメンに脳内変換してる腐女子と同じ >>688
宮脇先生がいかにも言いそうなことを想定してセリフを作るのと
単に自分が言いたいだけのことを宮脇先生に言わせるのは天と地ほどの差がある。
このスレは作品を通じて得た「自分の中にいる宮脇先生との対話」なんだよ。言わば法事で故人を偲ぶがごときもの。
だから「敬意を欠く」という言葉も出る。 宮脇氏は「変わりゆくものは受容する」という姿勢が一貫していたからね
乗ること自体を目的とした豪華列車の類も
滅びゆく鉄道の生き残り策として好意的だった 廃線跡巡りは好きなのだが
私は葬式鉄ならぬ法事鉄であろうか? >>694
そういえば宮脇先生は開通当日にはよく乗ってるけど
廃止当日の最終列車に乗った記述は見たことがない 廃止された路線のダイヤを再考する、
「線路があった時刻表」
なる書を著わしたりする。 >>697
それ面白いな。
草軽電気鉄道は生き残っていたら吾妻線延伸なんかもあって興味深いダイヤになったと思う。 しかし、それが宮脇氏の著作の中で最も膨大なものになった、
などという皮肉な結末に至ったり。 「北海道&東日本パス70日間の旅」を計画
「本当にやるんですか」「やりますよ」 吉備路をゆっくり辿ってみようと思い立つが、
そこまでの道程が余りに味気なくて、気力が萎えがちに。 9月と言えば、「東京―大阪間・国鉄のない旅」に出た事を思い出し、
「名古屋からの近鉄の行程を、急行の乗り継ぎにしてみるのも一興だったか」と呟く。
するとその時同行した元編集者から、
「難波に23:58着という事は、電車が3分遅れてたら、その日のうちには着けなかったんですよ」
と突っ込まれる。 >>701
先生はそんな貧乏臭い旅はせんよ
横見じゃあるまいし 18きっぷの旅はしばしばしてたじゃないか
ホテルや温泉、食べ物をいいものにすれば貧乏くささも減るさ 「旅の終わりは個室寝台車」の飯田線の中で藍君に中島みゆきを聴かされたように、若い編集者にあいみょんを聴かされる
『女は「あなたの心臓をえぐり取ってネックレスにする」と唄い、飯田線は伊那谷を走る。』 「それにしても、今は全区間直通列車が全て下地・船町を通過するではないか。
これでは編集者いびりの醍醐味に欠ける」
と悔しがる。 部下をいびった後に寿司屋で一献
そういう上司も少なくなりましたな >>706
「今夜だけでもきれいになりたい」ではなく
「今夜死んでもいいからきれいになりたい」
の方を引用すべきだったと後悔 「そう言えば、あの音楽は今でも”ニューミュージック”と称されるのか。
鉄道の方は、我々が飯田線に乗った翌年登場した『新型』車両も、とうに引退している」
などと思ったりする。 >>710
ニュータウンが50年経ってもニュータウンと呼ばれているようなもんだろうw
でもjpopという言葉ができる前の米米クラブとかも
ニューミュージックと呼ばれていたような 「結局、『東京―大阪間・国鉄のない旅』への”仕返し”も不完全燃焼に終わった感じだ」
と、今更のように悔しがる。 今や「最長片道切符の旅」は「最長」の名を冠するのも躊躇われる程にルートが限定されてしまったと嘆く。 「何と言っても、現在は四国を除け者にしているのがよくない」
と、些か憤慨する。
で、
「それは御自身の本籍地がある場所だからですか?」
などと茶々入れられたり。 「そのうち、『時刻表1万キロ』にせざるを得なくなるのか」などと思う。 旅先で新聞の白抜きの見出しを目にして
「地震で東京が潰れたか」と思ったら、
「菅新総裁誕生」であった。 「今度の総理大臣は、『湯沢に新幹線の恩恵を』などと言い出すのか」
なんて思ったり。 沼宮内や木古内にフル規格の新幹線が停まるご時世に
湯沢や横手がロングシートの普通のみとはけしからぬ 42年前の今頃、結局自力で最長片道ルートを割り出すのを断念した事を思い出し、
「豊橋から会津若松に向かう経路を思い付くとは、どのような頭脳の持ち主なのか」
と、件の眼科医に畏敬の念を抱く。 四国を全て割愛し北陸本線や信越本線の大部分を割愛したJR最長片道切符になんの意味があるのかと嘆く 「『新幹線も活用すれば、在来線のみ利用の場合より長くなる』どころではなくなった。
少なからざる地域で『新幹線を利用せざるを得ない』というが如き有様である」
と、”新・最長片道切符の旅”なる本に書いたりする。 「あの頃は「並行在来線問題」などなかった。JRから経営分離すれば経営が成り立つとはどんなカラクリによるものか」
と首をひねる。 「矢張り初心に帰って、最長片道ルートに捕らわれない遠回りの旅を考えるべきか」
と思ったりする。 >>712
JR無しで東京から大阪に行くのも今や高速バスで乗り換えせずに行けてしまう。
ルールを更に工夫せねば単なるバス旅行である。 「今度、高山に泊まる機会があったら、
ビジネスホテルの経営者の奥方に手料理を振舞って貰おうか」
なんぞと邪な思いを抱いてる。 「最長片道切符の旅」の、
「…まず西佐川を通過し、次に佐川に停車する。西へ向かって走っているのに『西』が先に現れるのである」
との叙述に関して、
「それより前に、”東へ向かって走っているのに『東』が先に現れるのである”、を体験された筈ではありませんか
(厚岸―厚床―東根室―根室)」
なんて、読者から混ぜっ返しの手紙が届いてたり。
それに対して、
「そこ(厚床―根室)は、本来のルートから外れていますので」
とやり返そうとしたら、差出人の住所も名前も書かれていなかった、とか。 「昨今は観光客目当ての奇抜な終着駅も増えた。旅の風情とは程遠いものだが、路線が生き残るためにはきっと必要な事なのだろう」
と肩を落とす。 「矢張り終着駅というものは、山守や北進のような感じがよい」
などと、何かの本に綴ったりする。 もし智頭線とか北越北線がJRだったら、線路のない時刻表にあったダイヤに近いものになってただろうな。
北越北線は東日本だろうから、線路のない時刻表そのまんまのダイヤになってた可能性大。
智頭線の場合は西日本なので、現実の智頭急行のダイヤに近いようなダイヤ(但し最高速度は110km/h)になってたと思う。 「”GoToキャンペーン”とやらの時流に乗って何処かに出掛けようか」
と口にした途端、家族から止められる。 「近くにも旅はある」って「男にも穴はある」みたいに、新しい世界に気づかせてくれる素敵な言葉ですね。と感想を伝えたい 「解かってくれたか(ニヤリ」と返されたらどうすんの 幌延駅の待合室で寝ると言っていた青年
まさか若き日の横見浩彦氏ではあるまいか
1961年生まれなら当時22歳 40年前、品鶴線経由に変わった横須賀線に乗った後上野に行き、「ゆうづる」で青森に向かった事を思い出す。
で、「あのような事は、”若かった”からできたのだ」と回想する。 「10月2日は、”国鉄の特急の格が一層下がった日”と言えよう」と思う。 北海道へ行って「本物の太陽」を見ようと思うが、
そのきっかけになった広尾線は最早存在せず、意気消沈する。 「今、大いに活用してるのはノビノビ座席だね。ちょっと、コロナは怖いけどね。」 「最長片道切符」を購入した後、経路の記載に欠落がないかに目を光らせようとする。 「『白鳥』に乗り通すのは、もっと空いた時期にするべきであった」
と後悔する。 「そのうち、金沢から大阪や名古屋さえ直通できなくなるというのか」
と憤慨する。 日高本線・鵡川〜様似間116km廃止合意の知らせに肩を落とす先生 昭和57年6月23日に成立した、「最長・最長片道切符の旅」をやってみたかった。
と、今更ながら思う。 >>744
「そのうち、北海道の鉄道の電化率は100%になるかも知れぬ。
つまり、現在の非電化区間は全て消滅という予感がするのである」
なんて事を何かの本に書いたりする。 我ながら日本が最も日本らしい姿を見せる絶妙な季節に「最長片道切符の旅」を実行したものだと思う 「しかし結局は、『特急や急行も利用し、夜遅くまで乗』る事が多かった。
その最も甚だしい例は、青森―好摩間を、一旦東京に戻るために寝台特急に乗った事で
済ませざるを得なくなった経緯だが、他にも吉松―人吉間が日没後の特急になったりした。
会社を辞めた事で決別できたと考えていた、時間に追われる旅行になったのである」
と、ちょっと後悔もしてたり。 昭和53年10月から42年が過ぎた今は、旅に出ようとすると、子供から訓戒垂れられる。
「お金無くさないで」とか、「札幌駅で1分で乗り換えようなんて無理しちゃ駄目よ」とか。 「あの頃は今にして思うと若かったな。娘も二人とも小学生だったし」 「丁度42年前の昭和53年10月12日、最長片道切符の旅に出掛けた
(羽田空港から千歳空港に向かい、札幌に出て「からまつ」に乗った)」
と回想する。
「あれから今日でちょうど42年。清々しい秋空である。最も今日は金曜日でなく火曜日
であるが」 「帯広駅前の本屋に行ったら、『エゾマツとトドマツの違いを知るのに都合の良い本があるか?』と聞いてみよう」
と考える。 十勝バスで豊頃町のうまいラーメンを食べに行こうかと思ったが
店はおろかバス路線すらも無いのであった 新型コロナウイルス(C-COVID19)終息の見通しが立たない。
下手に取材に出ると感染して行き倒れしかねんからなぁ・・・ 今度は厚床に泊まろうと思って道東に出掛けるが、やっぱり根室まで行っちまう。 最長片道切符の旅で行った梅ヶ枝町の炉端焼きの店がまだ健在なのが嬉しい 具体的な店名を言うと「俺ん家」
・・・・・・・・・でも本には店名は書かないことにしよう。 根室市の緑町にいる時は、うっかり「梅ヶ枝町」を口にする事のないよう、慎重の上にも慎重を期す。 紋別の日本旅館に泊まった時、下着の洗濯を頼んでみたが、断られた。 今は大抵のビジネスホテルに
コインランドリーという便利なものがある 「42年前、私が北海道で見た日本シリーズの試合では、何れもスワローズが敗れた。
特に10月17日の第3戦では、3塁も踏めなかった」
と回想して、旅先ではヤクルトの試合は見ない事にしてる。 旧・喜茂別駅付近に出掛けて、改めてエゾマツとトドマツを判別してみようとする。 「まさか、”最長片道切符の旅”の青森―好摩間の行程を、
北海道からの帰りに寝台特急に乗った事を以て替えねばならなくなったとは」
と、今更のように悔しがる。 「これから一層寒くなるので、風邪など引かぬよう体を鍛えねばなるまい」
と思って、近所のジムに通うと家族に宣言するが、一笑に付される。 「旅先では、カメラは肌身離さず持ち歩かねばならぬ」と気を引き締めてる。 「私が全区間乗り通した時に限って、あの特急は、『白鳥”2号”』などという余計な数字をくっつけていた」
と些か不服に思っている。 今度気仙沼に行ったら、漁師からマグロ買おうかと思う。 私が早めにこちらに来たのは
高山本線に置き忘れたハマチの祟りかもしれぬ 「近頃、時刻表から擦れ違いや追越を推理する楽しみがめっきり減った」と嘆いてる。 「矢張り、旅に出る時には、一定の額の現金を携行する必要がある」
などと思って、自らの不行状(=深酒)は反省せず。 42年前に、花輪線の車中に置き忘れたカメラの事を思い出す。
しかし、さすがに遺失物係に申し出る勇気は出ず。 「42年前の今日こそ、
『僕に水割り頂戴!』
なる声を上げた女の客に遭遇した日である。
尤も、私が一番”変なの”だという向きもあるようだが」
なんて事を思ったりする。 「首里城が焼け落ちて1年になるのか。
慰問がてら、モノレールに乗りに行きたいものだ」
と思いつつ、結局酒飲んでたり。 東北本線上り列車に乗った時は、小山には定刻に着くよう車掌に注文付ける。 「『そとやま』の車内で、『あなたもう生理休暇使っちゃったの?』などと話してたOL達も、
今は既に60代か」
と感慨にふけってる(自らを棚に上げて)。 「考えてみると、私は”最長片道切符の旅25周年”を目前にして昇天したのだった」
と歯軋りする。 「今風邪を引いたら、簡単に医者にかかれない。くれぐれも用心せねばならぬ」
と気を引き締める。 日高本線に乗りに行きたいが、「葬式鉄」の一味になるのも憚られると思って逡巡する。 「考えてみると、『最長片道切符の旅』といい、飯田線や特急『白鳥』の乗り通しといい、
何れも日が短い時期にぶつかった。全く巡り合わせの悪かった事だ」
と改めて悔やんでる。 「将来、北陸本線は米原―敦賀間だけになるというのか」
と思い、言葉を無くす。 「明日、つまり11月6日は、北陸トンネルの火災事故が起きた日だが、
他にも何かあったような気がする。何であっただろうか。私の”同好の士”と関係あった気がする。
…どうも思い出せない。年のせいか」
と苛立つ。 「そうだ。ようやく思い出した。足立区竹の塚在住だったあの男の件だ」
と、今日は朝から、T村N樹なる人物の七回忌に出掛ける準備に余念がない。 孤高の旅を好む私と大勢の取り巻きを連れて旅に出るTくん。
どちらがいいとか言うつもりはないが私は自らのスタイルを今後も変える
つもりはない。 「そのうち、最長片道切符も自動改札対応になるのか」
と、暗澹たる思いに駆られる。 「今は、私1人だとしても、安房鴨川から内房線経由で千葉まで鈍行で乗り通す気にはなれない。
最長片道切符の旅の折は、連れてきた次女の退屈ぶりが察せられ、止むなく断念したのだが」
と、昨今のロングシート車の蔓延を恨めしく思う。 >>792
JR全線が自動改札対応になったらなったで
据え膳食わぬは男の恥とばかり
「130円本州一周一筆書きの旅」へと出かける で、浜川崎に着いても改札係の姿がないのを見て、拍子抜けした思いに駆られる。 「今日は鶴見の”あの場所”へ行ってくるか」と呟く。
しかしその途端、次女から
「パパ、42年前の今日の事、忘れてないでしょうね
(木下駅のホームで用足しする破目に)」
と、恨めし気な視線が向けられる。 上州の空っ風に吹かれても風邪を引かないように、毎朝乾布摩擦に精出す。 「今年はクマに襲われる被害が多発しているというが,昔秋田で食した熊鍋の味は忘れ難い」
などと思ったりする. 今度「最長片道切符の旅」に出る時は、
何が何でも中央西線は各駅停車に乗ろうとする。 せっかく景色の良い中央本線なのに
運悪く新宿から名古屋までロングシートで乗り通す羽目に 「今や、”鈍行”が一番味気ないという事ではないか。
42年前に、我が娘が、『汽車に乗るんじゃなかったの?』口にした、
その不満が全国に蔓延しているに相違ない」と憤る。
で、その娘(次女)が、
「一番はトイレがない事でしょ!」と鋭い突っ込みを入れる。 八高線クラスの路線でも、「乗り損なったら大変という運転間隔」なのだと思う。 突然、「わんこそば」に再挑戦しようと思い立つが、家族から止められる。
「うっかりのどに詰まらせでもしたら、”また(!?)”あの世行きよ!」と。 「昔は北陸本線であった金沢ー直江津間の現状を見ていると、
飯田線が再び4社(豊川・鳳来寺・三信・伊那電気、の各鉄道)に分かれそうではないか」
と慨嘆する。 「時刻表 奥の細道」に絡んで、
新潟交通(県庁前ー燕)→東三条→新津→五泉→蒲原鉄道(村松で途中下車)→加茂→高崎、
なんていう面倒な行程のスケジューリングをやらせた雑誌編集者の労をねぎらって飲みに誘ったところ、
トイレに立った隙に、酒に毒を入れられたり。 「38年前、ついに東京から札幌まで、列車と連絡船の乗り継ぎで日着が可能になった」
と、改めて当時の間隙を思い出す。
今は鹿児島から札幌はおろか旭川まで日着が可能であるが
枕崎から根室や稚内まで日着可能になるまでに
果たして両端の路線は存続できるのであろうかと
残念ながらそう思う 「根室から枕崎へ行くとなれば、最短距離を辿るとしても、日本の広さを実感できるではないか」
と改めて思う。
しかし次の瞬間、
「と言っても、新函館北斗から鹿児島中央まで新幹線、というのは少々興覚めだが」
などと言を翻したり。 東海道新幹線はほぼ全区間景色が見えるからまだしも
北陸や九州などは長大な地下鉄の如くである
中央リニアが完成しても「鉄道」とは呼びたくない気がする 全ての新幹線について、暗くても何処を走っているか分かるようになった。
しかし、
「それだけ、いつ何処へ行くにも新幹線に乗らざるを得なくなったという事だ」
と思って、嬉しくもなかったりする。 風邪を引いて、「最長片道切符の旅」に出られない日が続いた思い出から、
「病気など、やむを得ざる事由による旅行の中断に際しては、
乗車券の有効期限を日延べとする事ができる」
のごとき規則変更を要求したりする。 「私が下界に舞い降りたことが地球に災いを齎したのではあるまいか。
だとしたら、実に申し訳のない事である」
などと、珍しく(失敬)、殊勝な思いを抱いたりする。 「明日は”いい夫婦の日”とやらか。女房を誘って何処かへ出掛けようか。
しかし、昨今の新型コロナウィルス騒ぎも気になる。どうしたものか」
と思案にくれている。 「矢張り、『南武線は夜でもよい』のような差別的扱いはよくなかった」
と反省する。 「私が贔屓にしている国鉄スワローズを”裏切った”金田正一の移籍先である読売ジャイアンツは、
日本シリーズで『南海ホークス』に、言わば5連敗ではないか」
と留飲を下げてたり。 ホークスなのに、「つばめ」を走らせるJR九州と提携するとは何事かと、今更腹を立てている 「いつかスワローズ贔屓のタクシー運転手に出会いたいものだ」
と思ったりする。 42年前を思い出して、尻手で浜川崎行に乗り換えようとしたら、
やたら長時間待たされる。 「飯田駅では、途中下車印が多数押された切符を取り上げられぬよう、用心せねばなるまい」
と、気を引き締める。 「やはり、北千住ー日暮里(ー上野)ー尾久ー赤羽ー田端、という、
乗り換え不能の駅で乗り換えたようなルートは拙かったのか」
などと不安に陥ったりする。 コロナ禍なのに平気で遠出をする若者に腹を立てるが、
自分も戦時下に関門トンネルまで出掛けたことを思い出し、
仕方がないと自分に言い聞かせる 「その旅行の代償として、私は虫垂炎を悪化させた。
やはり、天罰というものはあるという気がしたのである」
などと神妙な面持ちに。 「今頃、博多の街は大騒ぎなのであろう。
行ってみたいものだが、現在では寝台特急はない」
と悔しがる。 「もうすぐ、あの神岡線の末裔の命日か」
と思い、改めて”富山―神岡”なるサボを逆恨みする。 「これからは、”雑誌の編集者と近所の寿司屋で一献”も難しくなるのか」
と不服になる。 久々にソフトバンクの昔の親会社の南海電鉄に乗ることにする。
贔屓球団の国鉄と日本シリーズでは一度も対戦したことがなかったが。 「南海電鉄と言えば、客車時代の『つばめ』の色と湘南電車の緑とを合わせたような塗装が特徴だった。
それが見られなくなったのは、少々寂しくもある」
などと、結局国鉄を基準とする物の見方から抜け出せずにいる。 42年前、和歌山線の急行の車内で遭遇した車掌には、それ以前にも出会った事があると未だ思ってる。
「あの車掌は、”自分はずっと和歌山勤務”などと嘘をついたに違いない」と失敬千万な思い込み。 「今頃の時期に高山へ行っても、観光客向けの飲食店は営業していない。
ガイドブックにはそうした情報も載せるべきではないか」
と出版社に文句言いに行く。 飛騨に行って、当地おススメというカジカ酒を飲もうと考える先生。
「フグ酒よりも行けますぞ」と知人から聞いたからである。
「カジカとは、いかなるものか」
ぶつぶつ独り言を言う先生であった。 >>833
「最新情報は各店ホームページをご覧ください」と言い返される 「斯様な企業の出版物は今後一切購入せぬ!」
と憤慨した直後に自らの経歴が蘇り、
「考えてみれば、私はあの連中のような業界に身を置いていたという事ではないか」
と自己嫌悪にも陥ったり。 「出版業と文筆業 所詮虚業の人生」
とこの歳になって虚無感に襲われる
「これはまずい」と自棄酒 「可部―三段峡間の最後の1日から17年。以て瞑すべし」
と改めて思う。 「東北本線が日本最長路線でなくなってから18年、
あのような中途半端な新幹線(八戸終点の如き)のために、因果な事だ」
と溜息つく。 新幹線と完全並行している東海道本線と山陽本線が全く無傷なだけでも幸い
と思い直す 「『智頭線』が産声を上げてから26年経ったか。
形は変わったが、”線路のない時刻表”から脱却したのは何よりであった」
と感慨にふけってる。 「東北新幹線が新青森開業となって10年、山形新幹線が新庄開業となって21年。
ミニ新幹線などと言って栄華を焦った山形・秋田は、言わば”慌てる乞食は貰いが少ない”を地で行ったようなものではないか」
と揶揄するような気持になるが、次の瞬間、
「しかし、この両県で新型コロナウィルスとやらの災いが小規模に留まっている事をどう考えればよいのか」
などと神妙な面持ちに。 ググってただ年数数えてくる奴
他のスレにもいたな
毎年1足して同じこと書くキチガイ >>844 みてーな、テメーは何一つ語らねーで
他人に発言にイチャモンつけるだけの野郎が
スレにとって最大の害悪なんだがな。 >>844 みてーな、テメーは何一つ語らねーで
他人に発言にイチャモンつけるだけの野郎が
スレにとって最大の害悪なんだがな。 >>844 みてーな、テメーは何一つ語らねーで
他人に発言にイチャモンつけるだけの野郎が
スレにとって最大の害悪なんだがな。 テメーは何一つ語らねーくせに
他人の発言にイチャモンだけ付けるような
野郎が最大の害悪をもたらす。 「私はやらないが種村クンはインターネットをやるのだろうか?」 >>844,>>849
大体、山形新幹線の新庄延伸や東北新幹線の新青森開業がいつだったか位ぇな事は、
一々調べなくたって頭に入ってんだ。 「いつしか、”三次に行ったらハンバーガーを食いたい”と思う様になってきた。これはまずいぞ」
と、気を引き締める。 「わざと上記のような反応を返しているのか否か分からぬが、
”これはまずいぞ”とは、”これはよくない傾向だ”との意味である。
やはり、三次に行ったら三次の名物を味わいたい。
それが、一度どうにも空腹に耐えかねて、ついハンバーガーに手を伸ばしたばかりに、その虜になりかかっている」
と自省したつもりになってる。 三次と聞いてふと備後落合あたりに足を伸ばしたくなった。
何故か立ち寄る機会の多い駅。 なお今三次駅前にバーガー屋は無い模様
お好み焼きで我慢してください先生 五分歩けば牛丼屋もファミレスもありますぞ
三江線なき今は立ち寄る機会もないだろうが それでも昨今の地方中小都市の駅前に比べれば
三次駅はまだ恵まれた方だと思う
かつて駅弁を買った新見駅前の現状は... 新見駅の駅弁は栄養バランス的には、とてもいい感じだったが。値段的にも。
ただし、先生の好みとは少し違うような。
久々に木次線に乗ることを試みる先生。 今の新見駅前はとても1時間毎に特急が停車するとは思えない >>861
新見は一応駅前食堂と喫茶店があるし、ちょっと行けば「いんでいら」で名物のえびめしも食べられる。
あと、駅弁売ってた弁当屋はまだ仕出し屋として営業してて弁当も売ってくれる。
まだまだ恵まれてると思うがなぁ。 >>864
新見駅は交通の要衝ではあるが市の人口そのものが少なく
観光資源も乏しい上に本来の街の中心からも離れている
それでいて津山や三次には一本もない特急が毎時停車するのには違和感を覚える ロングシートの私鉄など用があっても乗りたくないが
一畑電鉄には京王井の頭線の旧車両が走っているので話は別 松江泊。宍道湖の七珍料理に舌鼓。
明日は山陰本線の旅へ。 やはりサンライズ出雲は京都から山陰本線に入るべきだと考える。 サンライズは「電車」なので無理です先生
「汽車」はおろか「客車列車」も絶滅危惧種である 智頭急行線の建設現場の取材をするより
山陰本線全線電化を訴えるべきだったかと後悔 最長片道切符の旅で出てきた「星の王子」って、どんな格好していたのだろうか?
当時は今ほど奇抜な服も無かろうに。 令和3年。途中の平成の記憶が抜け落ちているが94年もよくぞ生きてきた。
家内には感謝している。 >>95
「なんでも屋」の表現を使ったのは種村氏より宮脇氏の方が先だと思う
「時刻表2万キロ」の会津若松のビジネスホテルで近くのなんでも屋の割引券をもらって飲みに行ったというのが最初だと思う >>760-761
根室の「俺ん家」は吉田類さんも行った名店ですね
最長片道切符取材メモで「今回の最低」と酷評した大阪のビジネスホテル「シャトーテル大手前」は
潰れて建物だけ廃墟になって残ってる。
本編ではホテル名こそ出てこないけど、場所的に記述で特定できる 爺になっても「〜っす」口調で許されるのは
あの人くらいだろう コロナなる耳慣れない言葉が流行しているが私は元気である。 遥か昔に失効しました。
94歳の今になって再取得する気になれません。
好きな酒も飲めませんし。
とのことです。 お宅の玄関先にクルマが置いてありますが?
運転するのは女房です
ご自分では運転しないのですか?
しませんよ 三駅が徒歩圏内で昼間でも五分待てば電車が来る
新宿や渋谷まで約十分で家の周囲は狭隘道ばかり
なぜ自動車を所有しようとするのか? 北海道旅行からの帰りに地震の影響で盛岡〜那須塩原間が不通。足止めを食らってしまう。 青春18きっぷの季節。
しかし、ここまで18きっぷをまだ買っていないことに気が付いた先生。 久々に「最長片道切符の旅」を読み返してみた。
登場人物の多くは既に亡くなっていると思う。 >>894
存命なのは大量に乗り合わせた高校生たちくらいか?
あとオフィスレディー達かな 1番若かったのはりんご齧ってる女の子が
カープの帽子かぶってる少年達か
他ならぬ理子さんか
赤ちゃんも出てきたっけ 「ぼくに水割り頂戴!」の女の子、実際には女装した男ではないだろうか・・・ 今、最長片道切符の旅をやろうとするとルートが単純化してしまって、ある程度は私でも分かる。
起点は稚内からであろう。私が昭和53年に実行した時は、広尾から出発したのだが。
などと昭和時代を追憶する先生なのである。 JRバスも含めた最長片道切符の旅をやることも考えた。
あと40年若ければ。 東京から札幌までは日着できるようになって久しいが
稚内〜西大山はまだ無理である。新幹線が札幌まで全通すれば叶うのであろうか。 旅の醍醐味は、独特の「間」にある。
北海道のような土地には簡単に着いて欲しくない。 自分の意見をただ書くだけの場所じゃないんだからもうちょっと工夫しなさいよ 村上とかいう若者の五輪決勝での先制ホームランに大喜びのスワローズファンの先生 今年も終戦記念日は今泉駅前の出来事を思い出すが
8月15日は玉音放送があっただけの日であって
ポツダム宣言受諾の日ではないのである 「天竜浜名湖線は外国人など乗らぬ線だろうけど」
「いいえ遠江国にはブラジル人が沢山住んでいます」 ローマ字を読み終らないうちに列車の扉が閉まってしまう。 >>185
指南というより、別の人が作ったルートを見せただけなんだが。 >>448
山本という人名みたいな駅も、周囲に住宅が建て込んで、すっかり様相を変えました。 >>798
マタギの老人に「あんなものはダメダメダメ」と再び笑われる 久々に山陰本線を旅して、阿川駅の変貌ぶりに腰を抜かす。 松浦鉄道が松浦線だった国鉄時代に東海道本線御厨駅が開業していたら
遠江御厨(とおとうみみくりや)になったのであろうか >>918
ここは宮脇氏を生き返らせるスレ
あなたが喋ってはいけない 「稚内から樺太に鉄道がつながって、オリエント急行まで接続される時代を見たかった。」
などと言うかな?
悲願だったわけじゃなし、あるがままか。 今だったら、「時刻表ひとり旅」にあった路線座談会はどんな感じになるんだろう?
東北本線とか身長が縮んじゃるな >>921
鹿児島本線なんて二人(?)に分裂してしまった 議長「日豊さんと日南さん、少し間を空けていただけませんか。後ろの方が見えませんので……。
はい、ありがとうございます。おや、宮崎空港さんでしたか。はじめまして」 議長「深名さんも湧網さんも美幸さんも今回は欠席と。それから『タンシン』さんも
今回は欠席ですな」
「議長! それは『いぶり』です!」
議長「ああ、そうそう。申し訳ない。胆振さんも今回は欠席と。で、あなたは?」
「胆振の代理人の函館ですわ。ワシのところも影が薄くなっておりますわ。これは
内緒なんですけど、ワシのところの長万部から小樽まで営業を任せている息子が
将来の独立を考えているんで困っているんですわ」
議長「しかし、おたくのところは倒産の心配はしなくていいだけマシだという外野の
声もありますが」 「息子の前では『父さんは倒産なんて怖くない』なんて胸を張っていますが、もうワシ
もトシだし、働くことに疲れましたわ。隠し子の上砂川が亡くなって以来、なんというか
虚無感に襲われるようになりましたわ」
「議長! 深名さんも湧網さんも美幸さんもとっくに亡くなってしまっていることを
ご存じか?」
議長「私の心の中では永遠に生き続けていますが・・・」 議長「日高さんも車椅子でよくおいで下さいました」
「息子もずっと前に死にましたし いっそ殺してほしいところなんですがね」 >>929
留萌本線「日高さん、私もです。息子は33回忌を過ぎました。日高さんより私の方が早く死にそうですね。」 日高&留萌
「室蘭さんや根室さんもご苦労様ですが、千歳さんや石勝さんという元気なご子息がいらして羨ましい」 >>922
ベトちゃんドクちゃんみたいなもんだ(不謹慎) 東北本線、だいぶ背が縮んでしまいましたな。
盛岡から先、18きっぷで乗れませんぞ。
しかし、切り替えの早い先生、「北海道&東日本パス」を用意 贔屓球団のヤクルト・スワローズが日本一になって感慨無量である。
思えば私が最長片道切符の旅に出た昭和53年もヤクルトが日本一で神宮球場は使用出来ず
相手はオリックスの前身球団の阪急ブレーブスだった。
まだ娘は二人とも小学生だったのだが。
と回想する先生。 思えばあの年の日本シリーズで、スワローズが勝った4試合のうち2試合は、阪急の先発投手は元国鉄マンの今井雄太郎だった。
彼がこの年に完全試合を達成した時は私も嬉しかったが、その今井投手を打ち崩しての日本一というのは少々複雑でもあった。 78年は阪急ブレーブス
95年はオリックス・ブルーウェーブ
21年はオリックス・バッファローズ
名称はそれぞれ異なれどヤクルトはオリックスには強い。 流氷の季節。紋別には接岸しているらしい。旅の虫が疼く。 種村氏は流氷に足を取られて手のひらをケガしたことがあるようだ。
私も気を付けなければ。 >>941
しかし今や車窓からオホーツク海が見える鉄道路線は釧網本線のみ 新幹線のトンネル騒音で話が半分くらい聴き取れないが適当に相槌でも打って済ませてしまおう その程度の知識で.. と毒づいてしまったのは申し訳なかった、フィリピンの観光局の方。鉄道の事知ってるわけないよね。 存続していれば常呂駅を確実に好きな駅の上位に選ぶ。 >>953
いざフィリピンに行ってみれば
「その程度の知識でよくフィリピンに来ましたな」
と言われそうなことの連続であった そういえばロハスからイロイロまでの100キロを超える泥道を走ってくれたのは
今は無き「トヨペット・コロナ」だったのも感慨深い 今年の秋は全線運転再開するという只見線に乗りに行こう。 山陰本線と因美線が廃止されでもしたら
万字線方面のネタが書けなくなる
Microsoft IMEでは「万字線」が一発で出なかった
物書きには使えないな >>901
旭川-山川日着の動画を観て自分もyoutubeを始める先生 >>960
旭川〜山川間は「最長1日切符の旅」と言えようか
しかし有効期限は1日ではないのですっきりしない 新幹線が札幌まで延伸するものの長万部から小樽にかけての山線がこのままで行くと廃止になってしまうの
は淋しい。国鉄スワローズもといヤクルトスワローズが今年も強いので気を紛らわせることは出来るのだが。 山線は三セクどころかバス転換される見込みだが
全く並行していない室蘭本線すら並行在来線として
JRから切り離されそうな気配である 今や博多から宮崎に鉄道で行く場合
鹿児島中央経由が最短時間なのである
文明とは何であるか考えざるを得ない だがすでに50年以上前から
東京から福井はおろか石川富山でさえも
米原経由が最短時間であった時代もあったのだが 宮脇先生が昭和53年に実施した「最長片道切符の旅」をいつかやってみたいとボクは思う(-ω-)/
しかしながら先生の頃とは時代が異なり、出発点だった広尾線はもうない。
ルートに組み込まれていた標津線も湧網線も天北線も羽幌線も・・・・・
残念でならない(-ω-)/
ボクは北海道の廃止路線の多くは一度も乗車体験がない。深名線とちほく高原鉄道くらいしか知らない。
鉄道に関して言えば、間違いなく「昔は良かった」と言えるとボクは思う(-ω-)/
どうでもいいことだが、今年の夏の全国高校野球大会は沖縄県の沖縄水産が全国優勝するような気がしてならない(-ω-)/ >>960
かつてスーパーマリオにはまってたことを灯子さんにばらされてるので、サブチャンネルでゲーム実況も始める先生 あんなボソボソ声で実況されてもなぁ
やっぱり活字が一番 > ボソボソ声で実況
なんとなく放送大学を思い出した >>966
ここは宮脇先生に独り言を言わせるスレであって
おのれの独り言を垂れ流すスレではない
そんなスレももう終着駅は近い >>968
残っている動画は60代以上ばかりだからな
若い頃からあんなボソボソ声じゃなかったと思うぞ 安倍くんも私と同じスワローズファン。
私は国鉄時代からの筋金ファン。 大阪市の身体障害者の皆さん!
大阪地下鉄回数カードを交通費代わりに支給されピンハネされましょう! 「北海道&東日本パス」を使って1週間旅に出ようと思う。
家内が「私も連れてって」とせがんだ。
渋谷駅に着く。
みどりの窓口ではなく、自動券売機の前に立つ私。お札を投じて、トクトクきっぷの
ところを押して、ポン、と押すと、お釣りがジャラジャラと返ってきた。 渋谷から宇都宮行きの「湘南新宿ライン」に乗ると早速席を譲られる。 そもそも私は日没前にそれも列車内で酒を呑むような下劣な人種ではない
誘惑に負けた時も小ジョッキ一杯に留めている 日没後の列車内での飲酒と
日中の店内や自宅での飲酒はどちらが下品なのだろう混雑率や座席タイプにもよるのだろうが 北海道&東日本パスを使用しての旅行の1日目。17時59分仙台着。
今日はここで宿泊することにする。
牛タン定食を食べる。シチューに牛のしっぽを煮込んだテール・スープなど、
とても美味い。 仙台育英高校、東北初の全国優勝おめでとう、とコメントしておく。
二人の娘が中学生くらいだった頃は池田高校全盛だったが、今でも私は池田の校歌を
歌える。 >>983
仙台名物と言いながらオーストラリア産ではあるが
オーストラリア牛はアメリカ牛よりも日本的だと思うのでまあよい 盛岡からIGRいわて銀河鉄道の乗客になる。
もともとは東北本線だったのに、と私は慨嘆した。
地元の高校生が乗客に多い。 青い森鉄道も元々は、東北本線。
悲惨なのは、身体のあちこちにメスを入れられて、一部を切り取られてしまった信越本線。 何で高崎横川はぐんまちゃん鉄道とかじゃないんだろ? なんとなく似ている。
横川・軽井沢間が切り取られてしまって、繋がっていない信越本線と
指を詰めてしまった893 私が著述家として世に出られたのは
ローカル線の上客であったやや柄の悪い高校生たちのお陰であり
感謝に堪えない 青森からひと駅の新青森へ。新幹線の駅は真新しくて綺麗。土産物屋も充実しているが、
駅からしばらく歩くと、とたんに淋しい風景になる。
やはり青森駅こそが青森県の中心なのだと思う。
ただ、青森駅は行き止まりのような構造で、本来ならばここに新幹線を通すのが筋だと
思うけれど、仕方がないと感じる。
新青森から新幹線に乗る。やがて青函トンネルの中に吸い込まれていった。
(いよいよだな)と背筋がゾクゾクしだした。 青函トンネル内は新幹線も思うようにスピードが出せない。
それでも思いのほか早く北海道に突入した。
新函館北斗。既存の渡島大野駅を改称した新幹線の終着駅であり、始発駅でもある。
久々の北海道。深呼吸をせずにはいられない。 このスレッドは1000を超えました。
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