1990年代の鉄道
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
国鉄時代ほど古くはないが、それでも21世紀、令和の今日からみたら
隔世の感がある1990年代
GTOのVVVF車が当時最新鋭、近未来感あふれる変調音に興奮
国鉄末期からの界磁添加励磁制御&MT61シリーズも、最新鋭ではないが新世代の部類
103系、113、115系、485系はバリバリ現役
16両編成の0系が東京駅でも見られた。長窓にスリムラインの前期型車両も健在
キハ40の車齢は10〜20年程度、まだまだ「若い」?
165系、キハ58など急行型車両も健在、というか急行自体がまだ残っていた
国鉄型特急はまだ回転クロスやバッタンシートが当たり前、グレードアップ改造車のフリーストップ式リクライニングシートが羨ましい
「発車メロディー」「自動改札」「JR型駅名標」が鉄道新時代の証
東武や名鉄では釣り掛け車が普通に走っていた
そんな、まだ記憶に新しいつもりでもちょっと懐かしい90年代の鉄道について語りましょう。 >>26
90年代まで完全新造車は高価だったのを知る身としては信じられない話だな
時代が違うから仕方ないが 首都圏では209系やE217系といった新系列が出始めた時期だったが、165系の急行東海や南武支線の101系や鶴見線のクモハ12もまだ走ってて、鉄オタ的に面白い時期だった >>28 常磐快速線では申し訳なさそうにE501が入ったが、主流は爆音立てて走る103や415。
いつになったら、新車が大量投入されるのか?
2000年開業予定のTX、利根川渡る鉄橋は基礎工事すらやってない。用地買収も進んでない。
そんな時期だった >>29
ライトの位置が低い401系もまだ走ってた >>28-29
それらは当時は輸送力増強が目的だったから
JR東日本は90年代半ばに車両故障が頻発するまでは更新してぼちぼち使う気ではあった
90年代半ばの車両故障頻発で株主に被害が出て正式に使い捨てに方針転換となった 中央総武の故障頻発により急遽作られたのが209-500
故障頻発が無ければE231の開発が終わってからの置き換えになっていた筈 >>30
低運転台は90年代はすでに走ってない
93年にデカ目グロベンに目覚めた自分は当時、地元横浜の東海道線にはすでに走っておらず
関東近郊だと、常磐線の403系、千葉以東のローカル線、熱海以西の東海管内に行かなければ
見られず、行きやすい上野で常磐線の403系のみを見に行ってたことがあった >>33
1990年代はもう走ってなかったっけ?
赤系から白系の塗装変更の対象にはなってたようら 低運転台401系は、つくば博の終了と共に引退だったはず。
一方、デカ目の403系は1編成だけしぶとく残り、E531系が登場するまで残ってた。 90年代の新形式は関東でも少数派に終わった車両が多かった印象
251系、255系、E351系、215系、E501系
営団06系、東急2000系、新京成8900系
等 >>35
それなのに415-1901は15年で廃車という…この辺りからなんも容赦なくなった感はあるがな >>36
常磐線の209-1000は該当するかな?
209自体はたくさん製作されたが >>35
デカメってまだ存在するのかな?
北陸本線の471が最後だった?
西日本の乳首みたいなのはまだあるのかな? 485系改造の特急「北近畿」用183系
特急「北近畿」に使用されていた485系は直流電化区間しか走行しなかったため、
不要の交流機器を撤去して直流電車に改造されて 40続き
JR西日本初の183系電車の登場となったが、外観は485系そのもので、JR東日本の
183系とは全く違っていた。
のちに「雷鳥」用などの485系と区別するため、窓の下に細い赤ラインが入れられた 南海2000は、当初は21000置き換え用として計画されたが、まずは輸送力増強目的で3本が登場し、しばらくはこの3本で打ち止めになる予定だった
しかし、金剛に急行が停車するようになり、朝ラッシュ時の急行が連日5分以上の遅れが常態化
その理由に2000と21000・22000を併結させた際の相性の悪さがあった為、増備再開を前倒しし最終的には22000も置き換えられ、21000・22000と同数の64両が製造された
南海は2000の計画時点ではVVVF採用に消極的であり、当初は21m車に関しては試作車の仮称9100を1本のみ製造してしばらく様子見する方針
90年代半ばまでは阪神のように界磁チョッパ車を継続増備し、仮称9100の試験結果次第でVVVFの量産車を導入する予定であった
2000も、おそらく21mVVVF量産車が出るまでは4本目以降の増備はお預けだったと思われる
ちなみに2000が当初の計画通り21000のみ置き換えだった場合、1050は量産されていた
ちなみに関西空港線のJR側車両の乗り入れは当初は103・113の予定だった
(南海21m車の新造計画変更により、急遽223-0が計画されたともいわれている) 南海の塗装変更も90年代だったが、塗装変更時は在阪マスコミでもしばしば話題になる程度でもあった
また、ラピートが初めて南海に搬入された時は在阪各テレビ局がヘリコプターを出すくらいだった 阪神は1995年の大震災による事故廃車の代替は当初、京急の旧1000を買うことが予定されていた模様だが、結局は様々な理由で中止となり、代わりに9000系が作られた
また、JR西日本223系1000番代と阪神5500系は共に1996年1〜3月期に登場する予定だったが、この震災による車両やりくりの都合で1995年内に登場が前倒しされた >>44
恐らく仮称9100が1992年登場予定で、21mVVVF量産車は1995年以降に出る予定だったと思われる >>47
21mVVVF量産車(史実の1000系)の製造が前倒しされたのは関空開港が1994年に決定したから 91年の春、北総鉄道が京成高砂・新鎌ヶ谷間開通したときに当時の終点、千葉ニュータウン中央まで乗ってみた。
都営5000で新鎌ヶ谷まで戻ったが、高速時の振動が凄く窓やドアがガタガタ揺れていた。
この車両、京急1000とは違い高速運転には向かない、赤字路線の多い都営だから安物なんだろうと思った。
その後も何度か北総線に乗ったが、千葉ニュータウンの辺りはあまり変わってないという印象。
パッとしなかった都営地下鉄だが、5000が引退したころから車両や設備の改善が進んだね。 223系0番代は223系で唯一、VVVFがGTO(他の223系はIGBT)であるが、これは当初の計画にはなく南海対策で急遽計画された車両のため、設計が比較的短期間だったために足回りは281系と共通のものを使用した結果と思われる
223系1000番代に関しては、設計時点でVVVFにIGBTを使用するのは既定事項とされていた模様 小田急のワイドドアは、
90年代当時の朝ラッシュ時の混雑が激しく
高架複々線化工事も大幅に遅れていてピーク時の輸送力を増強することができないため
1列車での輸送人員を増やす目的で1990年度に導入
同時期に京王が5ドアを導入したのに対し、
小田急は整列乗車の観点から4ドアのままとして
ドアの幅を2mにし車内の座席を減らし座席を収納式として乗車人員を増やすことを試行
結果は
収容力は向上したもののドア幅を拡大したことにより駆け込み乗車を助長させてしまい
列車の遅延発生を増やしてしまったこと、
小田急では乗客の平均乗車距離が長く、
座席数減少で着席機会が減ったことから乗客の評判も悪く、
期待したほどの結果も無く、
収納式座席は営業運転では一度も収納して使用されることはなかった 90年代当時は東急はオールステンレスカーは解体しない方針で、営団はアルミ車は40年使う方針であった
このため営団06・07と東急2000は少数しか製造されなかった 富山地方10030は当初阪急2800の車体を再度2ドアに戻したものが予定されていたというのはよく聞くけど本当かね?
史実では京阪旧3000の車体となったけど 相鉄民なんだけど、90年代は東京の渋谷や恵比寿によく行ってたんだが
そこで見る埼京線の緑帯の205系を見て都会を感じていた
当時の相鉄は全車直角カルダンで芋臭さが半端じゃなかった
月日は流れ、形式は違えど同じ緑帯の車両が相鉄線上を走っているのを見て
信じられないというか、隔世の感を感じる 1990年代に竣工した相鉄車両一覧
8701…1990.9.29〜10.1甲種輸送、12.25入籍、1次車
8702…1991.3.9〜3.11甲種輸送、3.20入籍、2次車
8703…1991.3.19〜3.21甲種輸送、3.29入籍、2次車
8704…1992.1.18〜1.20甲種輸送、1.30入籍、3次車
8705…1992.3.7〜3.9甲種輸送、3.19入籍、3次車
8706…1992.3.21〜3.23甲種輸送、3.31入籍、3次車
8707…1993.1.14〜1.16甲種輸送、2.1入籍、4次車(2006.3.31廃車)
8708…1994.3.12〜3.14甲種輸送、3.23入籍、5次車
8709…1995.3.29〜4.1甲種輸送、4.11入籍、6次車
8710…1996.3.8〜3.10甲種輸送、3.19入籍、7次車
8711…1997.3.7〜3.9甲種輸送、3.18入籍、8次車
8712…1998.2.27〜3.1甲種輸送、3.10入籍、9次車
8713…1999.9.3〜9.5甲種輸送、9.14入籍、10次車
9701…1992.11.27〜11.28甲種輸送、1993.1.11入籍、1次車
9702…1993.2.26〜2.27甲種輸送、3.9入籍、1次車
9703…1995.2.25〜2.26甲種輸送、3.7入籍、2次車
9704…1996.1.20〜1.21甲種輸送、1.31入籍、3次車
9705…1996.4.20〜4.21甲種輸送、5.8入籍、3次車
9706…1999.2.9〜2.10甲種輸送、2.22入籍、4次車
(9707…2001.3.8〜3.9甲種輸送、3.19入籍、5次車) 東武の栃木群馬エリアでは、96年まで足回りが戦前製造の3000系が運用されていて
その後、同エリアの冷房化のため釣り掛け5000系に置き換えられた。
90年代半ばにもなって、「冷房化」。これ、中小私鉄じゃなくて、大手の東武ですよ。
しかも釣り掛けを釣り掛けで置き換えるという時代錯誤さ。
まあ5000系は車体更新してあるから外見も内装もまんま8000系だけど。 南海の支線も1995年まではつりかけ式の1521系が走っていたが
貴志川線に至っては1201系 アルナ工機は阪急8000・8300の大量増備に備えて90年代に製造ラインを増設したが、結局その増設されたラインが使われることはなかった >>28
>>29
>>30
>>33
当時は単に走れればいいという理論だったから
2000年代になってから使い勝手が悪かったり保守面で難があれば置き換えるようになり、社員や現場で働く人の声を聞くようになったんだと思う 板谷峠のスイッチバック廃止、50系客車淘汰、あけぼの、津軽のルート変更。
国鉄晩期と同じく、交流電機の活躍の場が失われて形式消滅した時代。 1994年
山田線にピーク時1時間特急9本快急急行6本普通3本
志摩線特急5本普通3本も走ってた
日曜日は高安の便所付き車を名古屋線に運用して不足分は奈良線の車両を大阪線で走らせてた
3・3・SUNフリーきっぷはじまったのもこの頃 余談だが、1990年及び1992年登場の車両は日立GTO-VVVF搭載の車両が多い
1990年登場
・JR北海道785系
・JR四国7000系
・東武100系
・都営12-000系量産車
・大阪市営新20系
・大阪市営66系
・南海2000系
・泉北高速5000系
1992年登場
・西武6000系
・京王8000系
・東急2000系
・南海1000系
・神戸市営3000系
・福岡市営2000系 >>1
関西はつい最近まで90年代と状況があまり変わっていなかったけどな 鶴見線101系とか宇都宮線115系とか、非冷房車がまだギリギリ残ってたのが1990年
1991年になるとなくなってきた >>66
そのころは上野口の中電に電動サボ装着が進んでたな
一緒にAU712冷改もされてた 上野口のサボが無くなったのが1992年の3月改正だった記憶がある
たしか中央本線や長野地区や新潟地区も同時だったから
子供ながらにJR東日本の組織力には驚いたな >>68
常磐線中電は1年早く1991年3月から。
3/1からダイヤ改正までの約2週間は移行期間で
サボと電動幕が併用された。
415系最終増備車は製造当初からサボ枠が無かった。
鉄道ファン91年6月号辺りに記事があったはず。 >>74
500 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2019/09/27(金) 09:01:00.79 ID:bB+vVW/Ir.net
こころちゃん、まだ小学五年生なんだな。
つまり『ヒミツのここたま』と『ひらけ!ここたま』はほぼ同時期の話(サザエ時空なのは置いといて…)
501 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2019/09/27(金) 21:03:30.02 ID:5UISReRe0.net
こころちゃんは進級も身体的な成長もない永遠の小学五年生
537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/03(火) 19:07:22.45 ID:Dza8LUTyI[2/2]
>>500-501
あれか、
「 はくたか号 」で例えると、
https://nihonkai.exp.jp/hm/ha/hakutaka-he.html ←これに成れずに、
https://nihonkai.exp.jp/hm/ha/hakutaka.html ←これか >>74-76 それ実は、これが、強制終了したから。
937ニューノーマルの名無しさん2021/02/04(木) 04:07:58.56ID:hqU6zOmC0
技術信仰が足りない
961ニューノーマルの名無しさん2021/02/04(木) 04:10:53.42ID:AXf3z4nY0
>>937
信仰も賽銭も足りない
963ニューノーマルの名無しさん2021/02/04(木) 04:11:03.95ID:SBxX8V3/0>>974
観光で食べてく
観光資源がない地域の人は海外に出稼ぎ
それはそれで良いのかも
おれは逃げきり出来そうだから若者は頑張ってな
974ニューノーマルの名無しさん2021/02/04(木) 04:12:58.68ID:ZP/U77he0
>>963 それも、実は、これだった。
テレビ見ないと最近マジで時事に疎いんだけど、
テレビつけても悪人面のおっさん達が、ツイッタークソリプ民より、
醜い言い争いしてる番組しかないからつまらない。←これ
午前8:54 · 2021年1月18日·Twitter for iPhone、https://twitter.com/Ezu2222/status/1350954619128655874
【科学】「技術先進国とは呼べなくなった日本…デジタル化は20年遅れ、未知数の研究への投資にも消極的」 元内閣府副大臣が警鐘 ★4 [ボラえもん★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1612372451/l50
これと、トドメの、
この、左翼列車の、滅亡
https://blog.goo.ne.jp/richoak0925/e/e7e566e9896901d41839f529b3539f4d
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 165系はこれからもずっと走り続けると思っていた。
キハ58もずっと走り続けると思っていた。
だけど、103系は早く消えてほしかった。 >>74-76
それ関係で、これも、遂に。
259名無し野電車区2019/05/08(水) 16:13:32.07ID:ZCZRCp6F
2022年度末までに上越新幹線はE7系に統一
https://www.jreast.co.jp/press/2019/20190504.pdf >>82
だが、901系を初めて見て乗って、103系いつまでも元気でね(はあと)という気になった。 この頃の東海道新幹線は、いろんなバリエーションがあったな。100系だけでも、3種類あった。今では考えられない。 90年代初頭はJR東日本が103/113/115の車両更新工事、小田急が2600の編成組み換え(8連化)/5000系列(・9000)の車体修理という風にこの時点ではまだ基本は抵抗制御車を使い続けるような感じであったが
(小田急9000はチョッパ車) 1990年代の総仕上げとなるダイヤ改正が、1999年12月の中京地区で行われた。
青春18きっぷで東西を行き来する人の難関だった関ヶ原〜米原で、
1時間1本から2本に増えたのは、旅人の朗報だった。
ほかにも、313系のデビュー、特別快速の新設、岐阜以西の各停化、
豊橋〜岡崎の普通の削減(1時間3本→2本)など、
西暦が2で始まる時代の「当たり前」が、このダイヤ改正で形成された。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています