懐かしの天北線
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廃止から早や30年の長い歳月が経ってしまいましたが、景色は素晴らしい路線
だったと思います。 >>797
興浜北線廃止後は跨線橋を撤去して構内踏切で良かったかもね。
支線が廃止された美幌駅や少し前の倶知安駅も同様の構造で
本屋寄り1番線はレールがなく、乗降には跨線橋を渡る必要がある(あった)。 >>800
急行いぶり は2番線到着後1番線に
入れ替えしてたのだよ 浜頓別でもう一度宿泊したいとボクは思う(-ω-)/
白鳥の湖・クッチャロ湖をのんびり眺めて過ごしたい(-ω-)/ 明日と明後日の音威子府駅舎で何かが起こる
ヒント(´・∀・`)っ 常盤軒 クマと格闘して激闘の末、勝利。そのまま食べてしまうというのはどうだろう・・・・・ 大阪市の身体障害者の皆さん、
大阪地下鉄回数カードを交通費代わりに支給されたヘルパーが、
あなた方のもとにやってきます!
石津さんのご両親のように、身内の失火で焼け死にます。 >>803
2日間限りで駅そばが復活したが
畠山製麺の蕎麦も廃業で食い納めか..... >>810
天北龍の店主は協力せず商工会が企画したそうです。
畠山製麺所は一子相伝を貫いて廃業した。(舶来製の製麺機が老朽化も理由) >>812
昭和40年代にNHKテレビで特集されたと言うし
50年以上は経つだろうね
濃縮つゆは芦別のソラチが作って畠山製麺が
販売しているが、つゆも残さないのか? 道の駅おといねっぷ天北龍の蕎麦も消滅か?
村内には咲来蕎麦もあるが 後背地に豊富な森林資源を控え、林業で栄え
木工場が建ち並んだ小頓別には密林寺もあったな
人口も大幅に減って学校も消え木材会社も減ったが
小頓別木材株式会社が健在なのは救いか >>819
純国産の木材を好む人は一定数いるから今ある会社はとりあえず大丈夫かと思う。 SCRÅMBLE化まだ? 09/10 10時14壺 上野駅でやったAR車両フォトスポット、小頓別前でもやってくれないかな 時刻表1969/5月から
小頓別発下り
407:721D、稚内/北見枝幸行
625:723D、稚内行
1026:725D、稚内行
1315:741D、浜頓別行
1506:303D、急行天北・稚内行
1538:727D、稚内行
1827:729D、稚内行
2115:745D、浜頓別行
小頓別発上り
645:742D、旭川行き
747:722D、音威子府行
1105:746D、音威子府行
1243:724D、音威子府行
1349:304D、急行天北・札幌行
1613:726D、音威子府行
1956:728D、音威子府行
2311:730D、音威子府行
歌登町営軌道下り
1025:歌登行
1350:歌登行
1507:歌登行
1828:歌登行
2116:歌登行
(到着)
735、1335、1440、1805、2105(歌登発) 昭和50年代後期の音威子府駅、天北線もあったし、停車時間も長いので
車掌も2、3番ホームのベンチに腰掛けて乗客と一緒に常盤軒の蕎麦をザバザバ、
タバコを吸いながら缶ジュースをグビグビ飲んで一休み、いい時代だったな。
天北線廃止翌年の1990年春はまだ常磐軒売店は2、3番ホームにあって
ホームは客でごったがえしとまではいかないまでも、
狭い売店内は食い物や蕎麦、飲み物を求める乗客で満員だった。
外は寒いが、車内は暑いので、私も冷たいものを飲みたくなり
ホームで一気飲みした冷たいオレンジジュースは格別の味だった。
続いてプラ容器の蕎麦を入手して美深到着までに食べ、
その後、名寄駅でも急行礼文に乗る前に角館商会の蕎麦を食べたが
冬の寒い日に食べる立ち食い蕎麦は格別の味わいがあるね。
北海道の駅で立ち食い蕎麦屋があるのも今では札幌駅くらいだよ >>832
標茶はもう立ち蕎麦屋さんはないのかな
標津線の待ち時間にそばを食べてたらお店の方に白鳥見てきたら?と言われて川まで見に行ったな JR代替バス 天北宗谷岬線 浜頓別以南予約制と通学便
>地元紙より。2023年10月をめどに、
1)稚内市〜猿払村〜浜頓別町(宗谷バスが引き続き運行)
2)浜頓別町〜中頓別町〜音威子府村
( 民間事業者によるデマンド型交通、一般混乗の高校通学便)に分割。 >>833
なし、だと思う。
稚内や留萌、新得駅には蕎麦屋がある筈けどホームには直結していない。
昔は乗換駅には大体、弁当屋や立ち食いそば屋、売店があったよ >>835
標茶に行ったのはもう35年も前だもんな
寂しくなったな >>836
ぽけっと
今年の8月でオープンから40年 >>837
喫茶店があったんだ
橋まで行って戻ってしまった
ここは天北線スレでしたね
失礼いたしました >>831
もう一度見てみましたが、
3/5現在、歌登町営軌道、汽車、との記載がありました
ただし全国版のため、バス代行等になっていても、
情報が遅くなっている可能性はあるかと思います
記載が「汽車」でも、何かあったら代行バス、という可能性もあるかと思います
ちなみに、同じ場所に以下記載がありました
羽幌炭鉱鉄道(築別/築別炭鉱)、DCマーク
留萌鉄道(恵比島/昭和)、DCマーク
歌登町営軌道(小頓別/歌登/(志美宇丹=歌登からは時刻無し、休止?))、汽車の記載
士別軌道(士別駅/上士別)バスマーク
になっていました 音威子府駅ホームにあった常磐軒屋台兼待合室は
蒸気機関車の煤が染み込んだ様な味のある代物だった
まさに年代物という感じで、ホームの洗面台やベンチも良い
アクセントになっていたし跨線橋やホーム上屋ともマッチしていたが、
今は列車本数も激減して、構内踏切で間に合うくらいだね。 >>802
浜頓ホテルか?
たこしゃぶやホタテシュウマイが有名でゆうパックでも販売していた
他に浜頓別町では牛乳モナカが有名 新得駅の蕎麦屋はホームに直結していた
が、店内飲食が圧倒的に多い 天北線下り始発がそろそろ音威子府を発つ頃だよ
冬場は2台、夏は1台での運転だった 真冬に1エンジン車のキハ22を単行運転して
山中でエンジン故障、立ち往生なんてしたら
暖房も止まるし、昨日今日みたいな日だったらピンチに陥るだろうね
今のJRだったら端から運休を決めているかも知れないが
交換設備のない小石駅で1986年秋までタブレットを交換して
発車していたのも、小石止まりが設定されていた事に加え
ここを無人化すると鬼志別から曲渕まで30分近くも列車が
消息不明になってしまうので、中継点としていたらしいよ 映画あったよな
9600が天北峠で立往生してその辺を歩いてた伝説の野良機関士が圧縮引き出しするやつ
まぁ名寄線の話なんだけど >>847
上音威子府ー小頓別間も天北峠だが
一ノ橋ー上興部間も天北峠だね
名寄本線は天北峠を隔てた下川ー上興部間が
中湧別ー興部間や興部ー上興部間よりも先に開業している 「思い出お〜い」というフレーズ
(想ではなく思、ーではなく〜、がそれぞれ正しいみたい)は、
天北線のイメージが強烈だけど、
ググったら他線区のものも幾つもヒットする。
JR北海道?の共通フレーズなのかね?
最新では、札沼線の部分廃止時にも用いられているみたい。 上り普通DCに乗っていたら、
下り天北と、敏音知で交換
みんなホームに降りて、構える
先頭は、DE10_1708でした
37年前になります 迂闊にも、天北線(沼川)と宗谷本線を結ぶ夢のような簡易軌道があることを今更ながら知った 日曹専用線と並んで幌沼線の立地がえぐ過ぎてしびれる >>854
スレ違いですが、礼文島から本土へは常に2日がかりとは、何という鬼畜ダイヤ…
と思うのは、現代人だからですかねぇ。 >>855
良くみたらわかると思うけど
発着が稚内になっているから
本土から礼文島までは1日
船が1隻しかないから往復で2日
隔日運航となります
昭和40年代でも同じ
https://i.imgur.com/pwPHZ3v.jpg >>854
旧客使った混合列車があるのは知っていたが、まさか時刻表に出て来るとは!
地元民限定と思っていたら、一般に開放されていたとはね
そして最初に停まる温泉駅までというのが‥列車は鉱山まで行くが一般客も終点まで乗れたのかな?
しかも「不定期」の断りが不気味w
鉱山まで20キロ足らずを1時間もかかっていたようだし、なにかと面白そう
あと先の幌沼線とは位置的に途中で交差するが、平面クロスだったらしい
現存してたら、もう行かずにはいられない両線w 日曹線の上に旭川電気軌道があるしw
旭川四条、士別、名寄、美深、音威子府、問寒別、幌延、豊富
小頓別、浜頓別、沼川…
宗谷天北は今じゃ考えられないくらい活気があったろうね >>856
854の時代と違って礼文発稚内は日着可能だよ
隔日で稚内-利尻-礼文-稚内、稚内-礼文-利尻-稚内で、毎日運航なら今の冬ダイヤと速度は違うが同じパターン
下に就航船が書いてあるとおり利尻丸と礼文丸の2隻あり、夏のピークは毎日運航だった 小樽から島を渡り継いで
稚内まで翌日
小樽から稚内経由で斜里まで2日
https://i.imgur.com/l8vtUls.jpg 天北線は出てくるが、勇猛戦もコンポ苦戦もかの通り。 宗谷本線音威子府から南稚内間を廃止して、天北線を残す、という案は、
全くあり得なかったでしょうか、ね それがあり得るなら江差線の木古内~江差間を廃止して松前線を残したかも
今となっては江差側も廃線となったけど 江差は一応振興局のある場所なんで
基本、国鉄再建法が線区単位の扱いなんだからどうしようもない
そこをいじると収拾がつかなくなるので
あと幌延はどうしても優遇されるだろうし それと沿線の廃れっぷりみるとやはり天塩側が優位かなと思う
もちろん鉄道がなくなると衰退が加速はする点もあるけど
猿払みたいなのを例に影響ないという人もいるが、実際に影響しないわけはない
ただそれを差し引いても天北側の衰退が強くて不利 猿払村も流氷が去り、そろそろ漁場整理をして、ほたての水揚げが始まる頃か
本格操業は連休が明けて、海水温が上がり、貝が泳ぎ回る様になってからだけどね
オホーツク海のほたては春や秋よりも夏が旬、夏のほたては美味しいよ 猿払村、今年は流氷が来たのやろか・・・・・気になるところです。
知床のウトロで1か月ちょっとで流氷が去ってしまう暖冬だったもので・・・・・ 猿払村のホタテも昔は大きくて安かったが、最近は小さくて高い
1`3個くらいが普通だったが、最近は`4個でも上物だよ 売りやすい大きさがある デカけりゃいいってもんでもない
猿払村はホタテ御殿が立つってんだから大したもの >>874
概して大きい方が内容積も増えるので食べごたえもあるし、貝柱も大きくて割安だよ
ただ、まだ今の時期は寒さで貝が萎縮していて貝柱が小さいかも知れないな
だから、殻を開けてみたら貝柱が小さくて「なんだ・・」と思うかも知れない 天北線廃止から30年以上、昔はなんともなかったが
煮付けや炊き込み御飯、カレーに入っている
帆立の貝柱が最近は矢鱈と歯に挟まる様になった
それだけ年を食って歯も悪くなったというところか(笑)
猿払のほたてが筋肉質で美味な事は確かだけどね 歯間ブラシお勧めだけど
ゴム製の見た感じやわい感じのが良い 顎の骨が痩せて歯茎が下がるというべきか。
歯もすり減るし、緩んで食い物が詰まったり挟まるな(笑)
廃止当時20歳くらいの鉄道マニアも今では50代半ばくらい、
歯は傷み、身体にもガタが及び、凸レンズが必要な年齢だけど
平成、そして、昭和は遠くになりにけりだよ(笑) 30年も経つと髪は減り、頭も目も歯も悪くなるし、身体機能も衰える
足腰の筋肉だけではなく、胃や腸も筋肉だけど、天北線が走っていた当時は
若くてピチピチしているのに便秘に悩み、下剤を飲んだり、浣腸をして、
トイレに閉じこもる妹を冷やかしたりもしていたが、いつの間にか
私もかなりの便秘体質になってしまい、今は兄妹揃って浣腸仲間(笑)
浣腸している事は妹には内緒だけどね^^; 歳を取るのは仕方ない
「年寄り嗤うな行く路だもの」 昔は跨線橋の上り下りも楽々スタスタで短時間停車での売店や駅前商店、蕎麦屋へのダッシュも余裕だったが、
今は跨線橋の上り下りは手すりを使い、息を切らしながらだし、エレベーターやエスカレーターがあればそっちに乗ってしまうが、それでも、乗り込んでしばらくの間は心臓もバクバクで、際どい乗り継ぎはしんどい 881だけど足腰や胃腸の衰えは加齢に加え、
自動車を運転する様になったせいかも知れないね。
当時は車の運転をしなかったので自転車や自分の足で歩き回るしかなく
必然的に足腰も鍛えられて、早めし早グソ芸のうちなんて言っていたけど
今はどっちも無茶。運動不足のせいか、30代くらいから便秘しがちになり、
ついには妹と同じ便秘仲間になり、今は妻とも便秘仲間、浣腸仲間だよ(笑)
恥ずかしいので便秘の事は妹には内緒の筈だけど、
何だか妻からバレてるっぽい気もするけどね(笑) 夫婦、兄妹揃って便秘仲間、浣腸仲間...(笑)
廃止から34年も経つし当時20歳としても今は54歳
中高年夫婦や中高年兄弟姉妹あるあるかもね
そういう私も長時間の外出や旅行には
ライフリー紙パンツが必要になった(笑) >>864
悪天候や事故で宗谷本線が走れなくなった時に備えて、
急行宗谷等に天北線廻り、同様に急行天北にも宗谷本線廻りの臨時ダイヤを予め用意していたし、
音威子府ー幌延ー稚内の宗谷本線と天北線がどっちも
砂原線みたいな感じで「宗谷本線」を名乗っていたら
とりあえず残った可能性はあったかも知れないな >>887
イトウが棲息するカムイト沼も神秘的な雰囲気でなかなかです 天北線跡を車で走ると、まだまだ残骸が残ってますねえ 浜頓別の駅弁、若僧は知らないだろうな
昭和45年頃まで売ってた
最果ての旅情を感じたものさ >>893
昭和45年には営業中止
渚滑、興部、陸別にも駅弁があったが
紋別には蕎麦しかなかった 子ども叱るな来た道だもの、年寄り嗤うな行く路だもの 陸別に駅弁があったのか
それレア体験の部類かも
浜頓別、興部、渚滑は海産物の弁当か? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています