懐かしの天北線
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廃止から早や30年の長い歳月が経ってしまいましたが、景色は素晴らしい路線
だったと思います。 >>749
継承しないという村の掟でも
あるかのような感じがするんだよなあ
謎だ 昔の時刻表ではそろそろ稚内行始発が音威子府を発車する時間だよ 音威子府闘争団の羊羹と
こくろうラーメンは
まだあるのかな 昔は咲来が常盤村の本村だったが
今はすっかり寂れた 咲来には学校、郵便局、農協、駐在所等が一通り揃っていたし、
電気屋や自転車屋もあったはず 音威子府村外でも咲来産蕎麦の看板ポスターやのぼりを時々目にする事がある 音威子府〜稚内直通便5往復でスタートした天北線代替バスも
今は稚内〜音威子府を直通するのは1便だけだと
稚内口はまあまあ乗っていても、音威子府口はほとんど空車状態 >>765
入浴状態なのだったら「干し」ではなく湯戻し状態ではと 天北線沿線で気になる事、中頓別に一軒家一ヶ月家賃1万円で広告が出ていること。 干し葡萄しか出会いなさそうだけど、いいの?
彼女らからしたら、じゅうぶん貴方でも若い部類だと思うけどw 宗谷本線のみどりの窓口といえば、赤い青春18きっぷ 名寄で赤い18きっぷを買った記憶。90年代やったな(ー_ー)!! 中頓別の借家は確か築60年以上の物件だったはず
冬場はすきま風だらけで凍死しそう >>782
既に凍死した人がいて事故物件かもしれない 「奈良そごうの閉店とそごう本体の経営破綻は邸宅跡を潰された長屋王の祟りではないかとふと思う」 >>784
横浜そごうは今も順調なのか?
最近、横浜駅は西口ばかり元気で東口はどうなんだろう? 生まれも育ちも横浜市内で高校の時は必ず横浜駅を通って通学していたボクだが
そんなボクでも年がら年中どこかしらで工事をしている横浜駅周辺を見ていると
呆然としてしまう(-ω-)/
迷子になるな、というほうが無理な話ではないか(-ω-)/ >>786
わかる
よく利用していた西口の地下街ですら最近変わりすぎてわけわからなくなった コロナ前に音威子府で降りて天北線跡に沿って歩いた記憶
草が生い茂って見つけるの極めて困難だった >>789
ある日森の中、熊さんに出会った。
何てことになりそう。 Nゲージで
国鉄 北海道貨物列車(黄帯車)セット(8両)
国鉄 C55形蒸気機関車(3次形・北海道仕様)
国鉄 旧型客車(宗谷本線普通列車)セット(5両)
が発売されるから、購入して昔を懐かしむ 久しぶりに猿払村のほたてを食べたが
貝柱やヒモが矢鱈と歯に挟まった
それだけ歳を食い
天北線の思い出も遠い昔の事になったという事か(-_-) 小型化と価格高騰が続いていたオホーツク海の
ホタテだが、昨日はキロ4個くらいとまあまあの
大きさだった(昔はキロ3個くらいが普通だった)
但し、まだ値は張る 晩ごはんは猿払沖に揚がった
ほたての炊き込みご飯だよ(^^)
エラとヒモ、貝柱で出汁をとった醤油味の
ご飯を炊いて仕上げに刻み海苔と紅生姜を散らす 復刻版 浜頓別駅弁は新宿京王百貨店の全国駅弁大会で販売していた様な 浜頓別駅1番線は興浜北線専用で天北線は
跨線橋を通った2番、3番線からの発着だったが、
階段の上り下りが些か面倒だった
構内改良工事もポイント工事やら電気工事、信号工事で何億円もかかるし、メリットもなかったんだろうけど 音威子府駅の本屋寄りホームは短い
2両編成の気動車が精々というところだが
気動車化に合わせて短縮されたのかな? >>797
興浜北線廃止後は跨線橋を撤去して構内踏切で良かったかもね。
支線が廃止された美幌駅や少し前の倶知安駅も同様の構造で
本屋寄り1番線はレールがなく、乗降には跨線橋を渡る必要がある(あった)。 >>800
急行いぶり は2番線到着後1番線に
入れ替えしてたのだよ 浜頓別でもう一度宿泊したいとボクは思う(-ω-)/
白鳥の湖・クッチャロ湖をのんびり眺めて過ごしたい(-ω-)/ 明日と明後日の音威子府駅舎で何かが起こる
ヒント(´・∀・`)っ 常盤軒 クマと格闘して激闘の末、勝利。そのまま食べてしまうというのはどうだろう・・・・・ 大阪市の身体障害者の皆さん、
大阪地下鉄回数カードを交通費代わりに支給されたヘルパーが、
あなた方のもとにやってきます!
石津さんのご両親のように、身内の失火で焼け死にます。 >>803
2日間限りで駅そばが復活したが
畠山製麺の蕎麦も廃業で食い納めか..... >>810
天北龍の店主は協力せず商工会が企画したそうです。
畠山製麺所は一子相伝を貫いて廃業した。(舶来製の製麺機が老朽化も理由) >>812
昭和40年代にNHKテレビで特集されたと言うし
50年以上は経つだろうね
濃縮つゆは芦別のソラチが作って畠山製麺が
販売しているが、つゆも残さないのか? 道の駅おといねっぷ天北龍の蕎麦も消滅か?
村内には咲来蕎麦もあるが 後背地に豊富な森林資源を控え、林業で栄え
木工場が建ち並んだ小頓別には密林寺もあったな
人口も大幅に減って学校も消え木材会社も減ったが
小頓別木材株式会社が健在なのは救いか >>819
純国産の木材を好む人は一定数いるから今ある会社はとりあえず大丈夫かと思う。 SCRÅMBLE化まだ? 09/10 10時14壺 上野駅でやったAR車両フォトスポット、小頓別前でもやってくれないかな 時刻表1969/5月から
小頓別発下り
407:721D、稚内/北見枝幸行
625:723D、稚内行
1026:725D、稚内行
1315:741D、浜頓別行
1506:303D、急行天北・稚内行
1538:727D、稚内行
1827:729D、稚内行
2115:745D、浜頓別行
小頓別発上り
645:742D、旭川行き
747:722D、音威子府行
1105:746D、音威子府行
1243:724D、音威子府行
1349:304D、急行天北・札幌行
1613:726D、音威子府行
1956:728D、音威子府行
2311:730D、音威子府行
歌登町営軌道下り
1025:歌登行
1350:歌登行
1507:歌登行
1828:歌登行
2116:歌登行
(到着)
735、1335、1440、1805、2105(歌登発) 昭和50年代後期の音威子府駅、天北線もあったし、停車時間も長いので
車掌も2、3番ホームのベンチに腰掛けて乗客と一緒に常盤軒の蕎麦をザバザバ、
タバコを吸いながら缶ジュースをグビグビ飲んで一休み、いい時代だったな。
天北線廃止翌年の1990年春はまだ常磐軒売店は2、3番ホームにあって
ホームは客でごったがえしとまではいかないまでも、
狭い売店内は食い物や蕎麦、飲み物を求める乗客で満員だった。
外は寒いが、車内は暑いので、私も冷たいものを飲みたくなり
ホームで一気飲みした冷たいオレンジジュースは格別の味だった。
続いてプラ容器の蕎麦を入手して美深到着までに食べ、
その後、名寄駅でも急行礼文に乗る前に角館商会の蕎麦を食べたが
冬の寒い日に食べる立ち食い蕎麦は格別の味わいがあるね。
北海道の駅で立ち食い蕎麦屋があるのも今では札幌駅くらいだよ >>832
標茶はもう立ち蕎麦屋さんはないのかな
標津線の待ち時間にそばを食べてたらお店の方に白鳥見てきたら?と言われて川まで見に行ったな JR代替バス 天北宗谷岬線 浜頓別以南予約制と通学便
>地元紙より。2023年10月をめどに、
1)稚内市〜猿払村〜浜頓別町(宗谷バスが引き続き運行)
2)浜頓別町〜中頓別町〜音威子府村
( 民間事業者によるデマンド型交通、一般混乗の高校通学便)に分割。 >>833
なし、だと思う。
稚内や留萌、新得駅には蕎麦屋がある筈けどホームには直結していない。
昔は乗換駅には大体、弁当屋や立ち食いそば屋、売店があったよ >>835
標茶に行ったのはもう35年も前だもんな
寂しくなったな >>836
ぽけっと
今年の8月でオープンから40年 >>837
喫茶店があったんだ
橋まで行って戻ってしまった
ここは天北線スレでしたね
失礼いたしました >>831
もう一度見てみましたが、
3/5現在、歌登町営軌道、汽車、との記載がありました
ただし全国版のため、バス代行等になっていても、
情報が遅くなっている可能性はあるかと思います
記載が「汽車」でも、何かあったら代行バス、という可能性もあるかと思います
ちなみに、同じ場所に以下記載がありました
羽幌炭鉱鉄道(築別/築別炭鉱)、DCマーク
留萌鉄道(恵比島/昭和)、DCマーク
歌登町営軌道(小頓別/歌登/(志美宇丹=歌登からは時刻無し、休止?))、汽車の記載
士別軌道(士別駅/上士別)バスマーク
になっていました 音威子府駅ホームにあった常磐軒屋台兼待合室は
蒸気機関車の煤が染み込んだ様な味のある代物だった
まさに年代物という感じで、ホームの洗面台やベンチも良い
アクセントになっていたし跨線橋やホーム上屋ともマッチしていたが、
今は列車本数も激減して、構内踏切で間に合うくらいだね。 >>802
浜頓ホテルか?
たこしゃぶやホタテシュウマイが有名でゆうパックでも販売していた
他に浜頓別町では牛乳モナカが有名 新得駅の蕎麦屋はホームに直結していた
が、店内飲食が圧倒的に多い 天北線下り始発がそろそろ音威子府を発つ頃だよ
冬場は2台、夏は1台での運転だった 真冬に1エンジン車のキハ22を単行運転して
山中でエンジン故障、立ち往生なんてしたら
暖房も止まるし、昨日今日みたいな日だったらピンチに陥るだろうね
今のJRだったら端から運休を決めているかも知れないが
交換設備のない小石駅で1986年秋までタブレットを交換して
発車していたのも、小石止まりが設定されていた事に加え
ここを無人化すると鬼志別から曲渕まで30分近くも列車が
消息不明になってしまうので、中継点としていたらしいよ 映画あったよな
9600が天北峠で立往生してその辺を歩いてた伝説の野良機関士が圧縮引き出しするやつ
まぁ名寄線の話なんだけど >>847
上音威子府ー小頓別間も天北峠だが
一ノ橋ー上興部間も天北峠だね
名寄本線は天北峠を隔てた下川ー上興部間が
中湧別ー興部間や興部ー上興部間よりも先に開業している 「思い出お〜い」というフレーズ
(想ではなく思、ーではなく〜、がそれぞれ正しいみたい)は、
天北線のイメージが強烈だけど、
ググったら他線区のものも幾つもヒットする。
JR北海道?の共通フレーズなのかね?
最新では、札沼線の部分廃止時にも用いられているみたい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています