懐かしの天北線
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廃止から早や30年の長い歳月が経ってしまいましたが、景色は素晴らしい路線
だったと思います。 本土人からみると大平原に利尻富士がぽっかり浮かんで見える
サロベツ原野なんて夢のような風景
途中下車してしまったら次来るのが5時間後くらいだったけど
この風景を歩いて見たいと降りて見たら
大平原の草が人より高くて広大な景色はなにも見えなかったw 宗谷本線の利尻は近いからリアルな美しさという感じだけど
稚内ー音威子府でみる利尻富士は空に浮いてるかのような幻想世界 >>650-651
四ッ谷に音威子府そばを出す店がある >>651
畠山製麺で乾麺、生そばを販売しているし
北海道の一部スーパーでも入手可能 国鉄とJRは昭和で特定地方交通線をほぼ廃止し。青函トンネルと瀬戸大橋線を開通させた。 >>656
水道水で味が左右されるから難しいと思ふ 音威子府村の人口約700、そのうち120名ほどいる高校生は他所者だし、
実質的な人口は550人くらい。 音威子府駅1番ホームは短く
停車できるのはせいぜい2両編成の気動車だな >>662
本来のアイヌ語は「オ=トイネ=プ」、
開業時は中川郡中川村の音威子府駅だったが大正5年に分村して常盤村、
そして、駅が有名になったので、それに合わせて村名も音威子府に変えた。
元々常盤村の本村は咲来で音威子府駅周辺はほぼ無人地帯だったが、
大正元年に恩根内からここまでレールが延びて駅がつくられ、
やがて、稚内への分岐駅として機能する様になった。 >>662
もっとも稚内への鉄道は今の宗谷本線ではなく、天北線が宗谷線、宗谷本線として
大正3年に小頓別まで開業、その後、中頓別−浜頓別−浅茅野−鬼志別−南稚内と
徐々に延伸されて大正11年に先に開業、当時は南稚内が稚内を名乗り、ここが終点。
その頃の宗谷本線はまだ天塩中川止まりで音威子府と南稚内の南北から
天塩南線、天塩北線として工事が進められ、大正12年秋に天塩中川−問寒別、
翌13年に南稚内−兜沼、更に翌年には問寒別−幌延間が、そして、大正15年に
兜沼−幌延間が繋がり、音威子府は鉄道の町として栄える様になった。
中頓別町や猿払村、幌延町は南から、豊富町は北から鉄道が敷かれ、
小頓別や浅茅野、問寒別、兜沼などがそれぞれ、かつては終着駅で
町内、村内で最も長い歴史を持つ駅である事を知る人も今では少なくなった。 1986.11.1ダイヤ改正で名寄本線や日高本線、羽幌線等で急行が全廃され、
無人駅も一気に増えたが、このダイヤ改正でも急行天北が残ったし、
この時は天北線が廃止になるとは思わなかったよ。
当時は稚内や南稚内から天北線の切符を買ったり、
音威子府又は音威子府以南の各駅から天北線経由の切符を買っても
宗谷本線の売上に計上されていたので収支係数自体も怪しいものだったが
音威子府から稚内へは幌延回りと天北線回り、どちらも同等レベルだったでは? 西村京太郎氏の短編「最果てのブルートレイン」は昭和61年あたりの天北線を舞台に
繰り広げられた作品。
「行きたいなあ。乗りたいなあ」と思いながら、まだ当時10代の自分は思いながらも
その願いは叶わず。
20代になって浜頓別や猿払には宿泊。 今の鉄道地図を見て南稚内〜兜沼間が先に開通したと言われると
首を傾げる様な人も多いかも知れないな。
天北線が残っていれば合点もいくだろうけど。 以前音威子府に到着する下り最終特急から鬼志別に行くバスがあり、役人風の人たちが数人
乗り込んでいたが、いつの間にかそのバスもなくなってしまったようだ。 >>665
「幌延回り」とみて一瞬羽幌線経由?と勘違いしてしまったw >>668
正確には鬼志別の先、小石行だったと思う。
今は鬼志別発旭川行、稚内発鬼志別〜浜頓別回り札幌行や
枝幸発札幌行の都市間特急バスが一日数本走っているけど
音威子府と中頓別の往来はほとんどないみたいだね。 今は3時30分過ぎか。
昭和39年時刻表では3時44分音威子府発稚内行がある。
その頃の音威子府駅では今頃の時間、夜行で着いた新聞や荷物を
天北線始発に積み込んだりで大忙しだったんだろうね。 >>673
冬は除雪も必要、信号も手動だったし
車両整備に機関車の交換や給水、貨車の入れ替えなどで
音威子府駅はほぼ24時間稼働していたんだろうね。 昭和末か平成初めかは覚えていないが30年以上も昔、
HBCほっとないとHOKKAIDOで天北線特集が組まれた事がある。
雪が降る深夜の音威子府駅、駅員が正面ドアを開け、明かりを点けたりして
開店準備(笑)、やがて、天北線始発が名寄方向から回送で到着、
次いで朝6時10分台発の稚内行1両編成には豊富温泉に行く地元のおじさんが
乗り込んで先に発車、天北線の2番列車は少し遅れて数分後に発車、こんな内容だった。
天北線は通票閉塞だったので早朝深夜も運転関係の駅員派出が当然必要だが、
当時は律儀に旅客窓口も始発から最終まで開いていたよ。
また、音威子府の次の交換駅は小頓別、次が敏音知だが、
早朝深夜は音威子府と中頓別の間を1閉塞として運転していた。 些かスレ違いかも知れないが、
天北線が大正11年11月1日に全線開通した頃、今の宗谷本線は天塩中川止まり(※)
(※正確には天北線が開通した年の11月8日に音威子府〜天塩中川間が開通)
翌年秋に問寒別まで延伸されたが、途中の歌内駅が来年3月のダイヤ改正で廃止だと。
宗谷本線では開業時には交換駅だった多くの駅が棒線駅、貨車駅に変わり、
最近は駅の廃止も相次いでいるが寂しいね。 >>676
ちなみに天塩中川
誉平(ぽんぴら)駅として開業した >>680
当て字だけじゃなく意訳、開拓者の名前や出身地とか色々あるだろ ポンは小さい、ピラは崖
ちなみに赤平のアイヌ語地名はフレ=ピラ、
フレは赤いでピラは崖だから、上半分がアイヌ語の意訳で下半分が当て字の合成地名
また、中川町佐久は長野県からの入植があった訳ではなく、アイヌ語の地名との事 中川町にぽんぴら温泉があるな
宗谷本線沿線には温泉が多いが、天北線沿線も中頓別(ピンネシリ)、
浜頓別、猿払、そして、稚内と各市町村に一応、温泉が一つはある それと、中頓別には見事な鍾乳洞があるが、近くの軍艦岩は貝の化石
こんな山の中が昔は海の底だったとは思えないよ
また、明治時代にゴールドラッシュが起きた枝幸郡一体、
山奥に歓楽街や料理屋、巡査駐在所もつくられたというし、
下頓別は砂金掘り師たちが住み着いて街ができたとの事
もちろん今でも多少の砂金は出るらしい
https://hokkaidofan.com/nakatonbetsu-golddust/ ポンピラアクアリズイング。だれがおぼえられるねん。 >>689
せっせと掘り続けて集めた砂金で指輪を作った人もいるよ
明治30年代には2.7トンほど(推定)掘り出されたとの事
金75グラムが100円で当時の100円は今だと100万円以上に相当する。
一緒に産出する砂白金は利用価値がないとして当時は廃棄していたが
明治40年代に入り、白金需要が急増すると共に雨竜川流域の
深川市鷹泊や幌加内町で砂白金が見つかり、こちらも採掘ラッシュが起きた。 明治期の最初の何年かでほとんど掘り尽くされたみたいだけど
今でも地道に掘り続けるとまあまあ手に入るのだから大したものかと 一攫千金狙いはやめて地道に働いたほうがケガしなくていいよ 旭川と稚内の間のみどりの窓口は1980年の時刻表見ると名寄だけ つまらない荒らしに付き合うことないよ
というか自演かよ マジレスすると音威子府と南稚内にみどりの窓口が設置されたのは天北線廃止後。
天北線が宗谷本線として残されていたら、浜頓別や鬼志別あたりに設置された可能性はあるだろうね。
また、JR北海道がみどりの窓口設置駅を大幅に減らすみたいだけど、幌延駅の窓口は天塩町や豊富町、遠別町民の需要もあるので残ると思うよ。 もし天北線残すなら、宗谷本線と同じタイミングでCTC化されていただろうね。
んでもってそのタイミングで中頓別、浜頓別、鬼志別以外は無人化(もしかしたら小頓別も残したかも)。
90年代以降みどりの窓口設置。
2016年辺りに中頓別、鬼志別無人化(両自治体が簡易委託請負)。
こんな感じになったと予想 つまり史実とは違い小頓別、敏音知、曲渕、声問は無人駅となったってことね
他には
90年代前半にワンマン化
宗谷北線運輸営業所に含まれる
上音威子府が2001年に廃駅
周磨、上駒、山軽、安別が2016から2018あたりに廃駅
現在廃線に向けて沿線自治体と調整中
ここまでの妄想は立てれる つか、天北線残すなら宗谷本線音威子府以北は廃線だよ チー牛駒大苫小牧オタの好きな学校
駒大苫小牧
小樽潮陵
札幌南
函館ラサール
大麻
東海大札幌
滝川西
稚内大谷
健大高崎
作新学院
東海大相模
興南
チー牛駒大苫小牧オタの嫌いな学校
北海
北照
札幌第一
札幌日大
札幌大谷
立命館慶祥
札幌創成
旭川の学校
クラーク
白樺学園
八戸学院光星
仙台育英
早稲田実業
横浜
松商学園
星稜
県立岐阜商業
龍谷大平安
秀岳館 音威子府そば(製麺所)が絶滅の危機だと。
廃業したらレシピとか永久に失われてしまうぞ ♪襟裳の 春は〜〜〜 あああ
と書いといてなんだけど、襟裳岬から宗谷岬まで
直線距離でも400km以上あるよな。 >>726
斜里を朝8時に出発して稚内には17時に着くから
襟裳〜宗谷は・・考えたくもない 音威子府産でもないのに
音威子府そばと名乗ってたんだよな駅ソバ屋 長野で山菜そばを食べたところ、そばは長野産だったが、山菜は中国産だった。 静岡西伊豆の旅館に泊まった時、夕食に駿河ずわいが出て美味しく食した。
ところが翌朝、旅館の周辺を散歩していたら、ずわい蟹の絵が描かれた段ボール箱発見。
なんとスウェーデン語。昨夜の駿河ズワイは偽装だったのだ。 そもそも駿河ずわいって何?
駿河湾で取れたずわい蟹ってこと? >>733
今でもその言葉を使っているかは定かではないが昔はそう呼んでいた。 >>735
1989年の今日がラストランだったが
最終日まで札幌直通の急行天北が運転されていたのは
元宗谷本線の貫禄衰えずというところか(-_-;) 後背地の豊富な森林資源、オホーツク海の海産資源、更には炭鉱も抱え
農林水産鉱業の各部門で栄えた猿払村だが、森林資源の枯渇や炭鉱の閉山が重なり
更には乱獲のせいでホタテも全く揚がらなくなり、昭和30年代には
「貧乏見たけりゃ猿払へ行きな」とさえ言われる程に・・・
昭和40年代半ばから「採る漁業から育てる漁業」への転換を目指して
地蒔きホタテ養殖(稚貝の放流)を開始、ホタテ産地としてよみがえり
貧乏村から日本一の金持ち村と呼ばれる様になったのはお見事というところか 1回だけ猿払には行きましたが、また行きたいなあ(*´ω`*) >>738
天北線が廃止された33年前はホタテ養殖が軌道に乗り、
ようやく安定しはじめた頃かと。
当時と今とでは猿払村の雰囲気もだいぶ変わったかな? 温泉が湧き、ホタテ御殿が建ち、道の駅やバスターミナルがつくられ、建物の多くが新しく綺麗になり、中国人労働者が増え、ホタテ満載のトラックがガンガン走りetc 猿払のホタテ漁も連休明けからが
本格期だが近年は貝の小型化が著しい 上音威子府駅で三時間待っても汽車が来ないんだけどストライキなのか? 清水港線の三保駅でうっかり乗り遅れた後、20時間列車を待ってるけど一向に来ないんだが、
これもストライキか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています