懐かしの天北線
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廃止から早や30年の長い歳月が経ってしまいましたが、景色は素晴らしい路線
だったと思います。 >>513
南稚内は市街地で街の中心みたいなもん
稚内は連絡船のためにつくられたからね >>517
南稚内駅は旧稚内駅だけど場所が違うよ
今の南稚内駅周辺の市街地と呼べる地域は駅と機関区の移転で出来たもの
最近は郊外型の大型店舗も集積してるね >>514
貨物も頻繁に走っていたし、車庫もあったり、入換などで
蒸気機関車の時代はいつもガシガシ、モクモクだったよ。 >>517
>>518
地元利用者は南稚内の方が多いかも知れないな 天北線廃止前に南稚内と稚内の間を走る定期列車は
宗谷本線直通が9往復くらいで、天北線回りもほぼ同等、
天北線廃止で一気に半減して、その後の減便で
今は特急が3往復、普通が3〜4往復くらいか・・・
稚内市内は圧倒的にバスが便利だし、本数も多いが、寂しいね・・・・・ >>524
南稚内と稚内の間にある高架橋も
旅客以外に貨物や入換、回送がガンガン走っていて
踏切の混雑緩和を目的に建設されたとの事だけど、
今の本数では宝の持ち腐れだね。 宗谷本線も旭川運転所のある北旭川貨物駅までは複線だけど、
そこから先は単線で、名寄から先はますます単線だね...
天北線があった当時の音威子府〜南稚内間は実質
複線区間だった様な気がするよ。 >>524
稚内駅から先も1982年位までは北防波堤まで引き込み線が伸びていて、
途中には踏切もあったし、貨車がとまっている事も多かったよ。
その後、展示された蒸気機関車C5549も腐食が進み解体撤去され
今は動輪が展示されているだけだ... >>528
先週のテレビの旅サラダで福澤朗がちょうどそこを訪ねていたね シーズンに急行で稚内に着くと
駅前の「天北旅館」をはじめ
旅館やホテルの呼び込みがわんさかだったな。 まあ自分で一軒一軒訪ねたり電話したりで周るよりは泊まる方も楽だったのかも 終着駅で全員下車、しかも、シーズン中の、
特に夜行で降り立つのは観光客がほとんど。
客引きには都合の良い条件が揃っていた。
実際に稚内に着くと観光客でごった返していたし
朝早くから客引きが駅で待機して、蕎麦屋も店を開けていた。 >>536は俺はこんな搾取には騙されない!とかなんとか言って駅前で新聞紙巻いて不貞寝してそう 詳しくは忘れたけど、電車の動画広告に出てくる猿払村が「猿仏村」になってた 猿払村のホタテも昔は大きくて食べごたえがあったが
ここ数年ほどは小型化しているな。
昔はキロ3個が普通で最低でもキロ4個だったが
最近はキロ5個サイズが主流だと。 猿払産じゃないが(オホーツク沿岸は冬季休漁)
先ほど他の海域産ホタテをもらった
養殖だけど結構大きい。1個250〜300グラムくらい >>544
サロマ湖産との事。
湖内では耳吊り養殖、湖に面するオホーツク海では地蒔き養殖が行われている。
オホーツク海は流氷が押し寄せるのでホタテ漁は冬から春までは休みだけど
サロマ湖内での養殖貝は冬でも出荷できる。という事で、ホタテは通年あるよ。
どちらかと言うと地蒔きの方が筋肉質で大きく育つけど
養殖も手間ひまかけて育てると大きく育つし
砂が入っていないので食べやすいとも言えるね。 >>544
今の時期に時蒔き養殖のホタテを食べたいなら根室海峡産が良い。
流氷の影響も然程受けず、サケ漁の時期を除いてほぼ通年水揚げしている。 タコに追い回されながら海の中を泳いでいるし、筋肉質で大きく育つよ >>552
冬のキハ22は2台、夏は1台が多かったな >>553
1両の馬力が180しかないので、
冬場は2両・360馬力で降雪に対応していた。 ユーチューブに【廃線跡】天北線の廃線跡、駅跡巡り(音威子府〜南稚内)ってのが
上がっていた
https://www.youtube.com/watch?v=Nuv27cXxTJg >>554
それだけではなく、天北線は150キロもの長丁場。エンジン1つのキハ22が冬に小石と曲淵の間だとか、天北峠で故障したりすると暖房も止まるし、安全確保のために2台で運転していた模様。 小頓別も昔は随分栄えたけど
すっかり寂しい街になったね そりゃまぁ、昔は言わば歌登&枝幸の玄関口だったわけですから。 あ、道路だけでいえばまだ言わば玄関口か。小頓別で乗り換える必要が無くなっただけだな。 歌登、枝幸行のバスが小頓別駅前から出ていたし、木材会社が軒を連ねていたよ。
中頓別の人口が今は1700人ちょっと。
昔は小頓別だけでもこの位居たのでは? 天北線の計画当初は音威子府〜枝幸〜浜頓別だったが
音威子府と浜頓別とを短絡させたので小頓別から歌登、枝幸への軌道が作られた 小頓別小中学校も廃校になったね
今は郵便局や駐在所があるが
人口も70人くらいに減ったんじゃないの? >>568
平成2年春に通った時はまだ2、3番ホームで母親が店を切り盛りしていたが、
駅舎建て替えに伴い移転。母親によると、駅舎内に引っ越した事で
売れ行きも伸びたとの事だったが、数年後に死去。西野守さんが継いだが.....
長時間停車の普通列車では車掌や運転手もホームで蕎麦を食べている事が良くあった。 音威子府駅ホームの常盤軒そば屋台は格別の風情があった。 >>572
あらゆる条件的に「ハイ継ぎます」とはいかないよね
もういっぺんいただきたかったなぁ(´TωT`) あー書き忘れた。
ピンネシリ駅跡の道の駅で売っている「中頓別牛乳」
すごくおいしい♪ >>576
松屋菓子舗(浜頓別)の牛乳最中と松の実最中もすごくおいしいらしい♪ 廃線後の街に残る和菓子屋さんの店訪問は面白いかも! と思もた。 1986年11月改正で急行天北が廃止になって全部宗谷に統一されてもおかしくなかったはず
途中駅で乗降する人が殆どいなくて99%が全区間通しだったとか
廃止直前まで急行を残してた理由が謎
周遊きっぷ全盛期の頃且つ興浜北線が残ってた頃ならば浜頓別で乗り換える鉄道マニアも結構いたようだが 常盤軒では音威子府銘菓としてバター饅頭も販売していたな >>579
周遊きっぷに全盛期なんて存在しないよなあ
周遊券の頃なら急行天北に違和感はなかったよ >>38
原則として男女別室なので、新婚旅行の夫婦が同室で寝られない。 >途中駅で乗降する人が殆どいなくて99%が全区間通しだった
これが廃止されなかった理由でもあるのでしょうね
幌延や豊富は既存の宗谷1本で充分なら「わざわざ面倒を増やしたくない・今日と同じ明日がいい」 >>582
そもそも新婚旅行でユースに泊まるかよwww 荒天や不通時に備えて急行宗谷はあらかじめ天北線周り、
同様に急行天北も宗谷本線回りの迂回ダイヤを組んでいたらしい。 天北線、松前線、伊勢線、鍛冶屋原線は客のいない本線の巻き添え 加古川線に付随する支線は1日で乗りつぶすのが大変だった思ひで >>592
1955年12月1日 気動車の運行開始
1956年2月26日 客貨混合列車廃止、全列車気動車化
1961年4月1日 北見線から天北線に改称 音威子府駅で販売していたバター饅頭は
美深の花月堂が製造して常盤軒が販売していた >>595
中川郡や名寄地方では評判のお菓子屋さんだよ 起点の音威子府、終点の南稚内共にキヨスクさえ消えてしまったな・・・
音威子府駅キヨスクにいたHさんは
確か駅前のお菓子屋さんや電気屋さんと兄弟の筈 天北線があった頃の沿線の人口と今とを比べると orz だもんなぁ 天北線沿いを車で駆け抜けたが、そもそも人がいない。 猿払村が唯一、微減または微増を繰り返しながら
人口約2700〜3000人の間を維持し続けているが
これもホタテのおかげかと。
総人口の何%かは中国人だろうけど。 ホタテ御殿すごかったねコリャ舐められませんわ@月曜から夜ふかし >>610
「思い出お〜い天北線」と列車の側面に書き込んで運行していたし、
主要駅に配置された記念スタンプも
「思い出お〜い天北線」だったんだよ。
ちなみに図案は音威子府がオトイネップタワーで鬼志別はサイロだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています