懐かしの天北線
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廃止から早や30年の長い歳月が経ってしまいましたが、景色は素晴らしい路線
だったと思います。 >>294
「文責・荒木」という天北線に直接関係のない余計な資料もどきは減ったかい? 上音威子府駅で1時間待っても電車が来ないんだがストライキなのか? 浜頓別駅で泥酔していた宮脇俊三氏を介抱していたことによる
ダイヤ乱れです。 >>297
電化されていないから電車は来ないよ
待っていればSLかDLがくるよ >>300
くだらねー奴だなお前
回線切って首吊って氏ね あれ?ホームが除雪されていない
列車通過してしまった 凍りついた線路は今日も、北に向かって伸びてゆく、窓の向こうは天北原野、行くてをさえぎる雪ばかり〜♪山川豊の新曲「天北線」 夕方に音威子府発小石行が走っていた。
(到着後は鬼志別まで回送)
そんな訳で小石駅は昭和46年に交換設備が廃止されて無人駅化された後も駅員が配置され、タブレットを交換して発車していたが、昭和61年秋のダイヤ改正での小石行廃止と共に無人化され、2年半後には天北線も歴史の彼方へと走り去った。 交換設備撤去されたのに運転扱いの駅員居たとは珍しいケースだね
廃止まで簡易委託はやっていたようだけど 小石までは通学等での利用があったんだろう。
天北線代替バスも小石行がほぼ同時間帯に1本走り、
音威子府発最終も確か小石行だった。
ここを無人化してしまうと、鬼志別を出た列車が
曲渕まで23キロに渡って消息不明になってしまうために
早朝深夜は駅員が派出して、運転扱いをしていたと聞く。
それに、次の曲渕まで回送するのも馬鹿らしいし、
鬼志別へ引き返すにしても、信号がないと発車できない。
音威子府〜浜頓別間でも駅員が終日いたのは
中頓別のみで小頓別などは早朝深夜は駅員不在
音威子府〜中頓別〜浜頓別を閉塞区間として運転していた。
音威子府駅の天北線資料室には小頓別駅の備品と思しき
「早朝は駅員が不在で云々〜」こんな看板が展示されていた。 もし天北線が再建法の対象路線に含まれていなければ、宗谷本線と同時期に自動閉塞が導入されていただろう
となると、中頓別、浜頓別、鬼志別以外は無人化されていただろう
そして近年の更なる合理化促進で、美深等と同じ時期に中頓別と鬼志別も無人化されたと予想 天北線が残っていたとして、中頓別は無人化も有り得るが、猿払村は金持ち村だし、鬼志別は無人化しないのでは?
立派な駅舎に建て替えられたと思う。 >>310
猿払村は金あるから、無人化の際に村で簡易委託引き受けたと思われる 猿払駅もあってs61.10.31までは交換駅だったが猿払村の中心駅は少し離れた鬼志別。
猿払駅前は小市街と郵便局があるくらいで隣の浅茅野の方がむしろ開けていたけど、代表駅と村名とが矛盾した関係だった。 どちらにしても自動閉塞が宗谷本線と同時期に導入されていたら
小頓別、敏音知、猿払、曲渕、沼川、は84年頃に無人化されていたはずだし、小石、樺岡、声問も完全無人になっていたと思う
声問は乗車券類は70年代の無人化後は販売せず、簡易委託もなかったとのことだが、運転扱いの駅員が補充券を販売していたのか気になる >>258
素焼きの丼じゃなかったか、確かプラス60円で車内持ち込み出来た筈。30年前の話だけど別の駅かも知れん。 樺太が日本領だったら重要路線として残っていただろうね。 猿払村のホタテはここ数年間、小型化しているらしい。
5月の連休が明けて、海水温の上がる夏がむしろ本格期だが、今年はどう出るか? 熱々のフライをレモン醤油でね。
貝焼きだったら、調味料は使わずに
焼いてそのまま。 急行券が南稚内ー音威子府間だと僅かに150キロに足りず、稚内ー音威子府だと150キロを超えるから。
でも、ここは特例区間だったか...
理由はわからない。 50キロ、100キロ、150キロ、200キロ、201キロ以上だった もし天北線が残っていたら、浜頓別駅の停車時間中に窓口で青春18きっぷを買っただろうな。赤の生券の。 >>341
小石簡易局(99711)局番号が大きい局がある・
例えば、小石局では、猿払村の猿払簡易局(99777)。
最大は北見市の日吉簡易局(99779)だろうか。 >>342
駅ひとつ勘違いしてました、すみません。
稚内曲渕簡易郵便局
(わっかないまがりぶちかんいゆうびんきょく)
(99806)
こちらがMAXですね。 >>343
(342を書いた者です)
なるほど。お説の通りと思います。 >>336
>>337
小石到着後に鬼志別まで回送していた 浅茅野、猿払、小石
3駅の沿線でどこが1番栄えていたのだろうか?今は目糞鼻糞の差なのだろうが >>346
小石も石炭の露天掘りで栄えたけど、浅茅野じゃないの?
今でも学校や集配郵便局、寺院等が一通り揃い
浜頓別〜浅茅野間が先に開通して、
鬼志別へレールが延びるまでは終着駅だったし >>338
>>339
中国への輸出が激減して
国内向け、北海道向けに猿払産ホタテを叩き売り中だよ
連休明けからが本格操業だし、更に安くなりそう >>348
中国に売ってたから異常に値段が高かったのか・・ 干貝柱に加工出荷している。
ついでに言うと、
加工工場の人手不足に悩む猿払村では
工場作業員を中国から輸入している >>337
1973年までは小石も交換駅だったし
728Dに小石で併結かもね。
小石の交換設備撤去後は
鬼志別まで回送していた。 ホタテ食べたい
刺身やフライで。。。
ネット販売して欲しいな ↑閲覧しましたよ。ひとめぼれ。
北海道でホタテ食べると大きさに衝撃受けますぞ。シンプルに味噌汁にしても
美味いです。 俺もHPを見た
安くなってるの?
運賃や振込料を入れたら、高い買い物になりそう 昔は1キロで34個サイズが普通だったけど最近は小型化しているね
本州宛送料は高いね
ここ(宗谷漁協)は?
http://www.souya.or.jp/katuhotate.html 昼間の急行待ってたら来たのが寝台車だったw
座席にはなってるけど上段まんまでそこで寝てる人も居た。
天北線から見る利尻富士は
原野の先に島が浮かんで見えるんだよ。宗谷本線とは違う。 >>362
ありがとうございます
音威子府始発に乗るのは無理ですね 音威子府駅から徒歩1分の場所にゲストハウス『IKERE音威子府』
という宿があるようです。 >>363
昔は夜行急行の到着に合わせて
天北線の始発は音威子府を
3時30分〜4時30分頃に発っていて
利用者もまぁまぁ、平成の初めまでは
律儀に駅員が始発から最終までいたし、
その昔は機関支区に車庫もあったし
貨物列車がビシバシ走ってSLがしがし、
煙モウモウで冬などはラッセルが上下二方向へ走り、雪掻きや列車の準備等で大忙し
24時間眠らない様な駅だった。
今の音威子府駅窓口は日勤だけど
運転扱いの駅員は終日いるのでは? >>364
昔は咲来や恩根内、佐久、小頓別など
ほとんどの駅前には旅館があったなぁ。 >>367
遺憾ながら佐久の藤田旅館も数年前に.....
ついでに言うと雄信内の高木旅館も。 駅前旅館は行商の宿泊利用もあったのだろうが、むしろ駅まで何里も徒歩で来た客が汽車を待つために休憩や食事してたんではないかと どっちもじゃないのかな?
駅逓取扱人が鉄道開業後に駅前旅館を
開いたという話を聞いた事もある。 >>371
羽幌駅前の「民宿旅館サロベツ」の発祥は構内食堂なので、
開業時はまさに休憩や食事のための店舗だったようだ。 >>373
厚床や小沢、新夕張の駅前にはまだあるけどね 剣舞の駅前旅館は、ランチのラーメン&カレーセットが秀逸。食堂に入り切らない客は客室に案内される。 小頓別も人口100人を割り寂しい街になったね。
駐在所や郵便局はあるけど暇そう。駅前の丹波屋(菅井旅館)も天北線廃止と共に廃業、鉄道が走らないと街はさびれる。 鉄道あっても廃墟になってしまうのは宗谷北線の集落でも明らか 逆にそういう過疎化の町の駅前旅館に泊まってみたいですね。 居間でも現役?
昔ならそのクラスの駅前でも旅館は当たり前にあったのだけど 意外なところでは旧銀河線高島駅前の高島館や上興部のだるま屋旅館など
「こんなところで仕事になるんだろうか?」と思う様なところにあったりするけど
常連客や長期滞在客がいるのかも知れないな。 スレチだけど荻伏駅前のだるま屋旅館もまだ営業しているのかな? 猿払村をはじめとしたオホーツク沿岸のホタテ漁もそろそろ本格期突入だね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています