懐かしの天北線
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廃止から早や30年の長い歳月が経ってしまいましたが、景色は素晴らしい路線
だったと思います。 >>226
氷見線の雨晴駅も出ていますね。ここは10年以上前ですが途中下車したことがあります。
懐かしい思い出です。 今から40年くらい前に天北線を尋ねて鬼志別駅改札口上に
ぶら下っていた帆立貝の細工物を硬券入場券購入で頂いた
事がある 猿払に宿泊したのは、もう24年も前。懐かしい・・・・・・ 緑の絨毯の中をただ北に向かって走る🏃‍♂️ 夏の日本海はベタ凪なんだけどな。冬場が厳しいんだが。 浜頓別から見るオホーツク海のキハ22の車窓は地吹雪ですごかった 創価学会員をやってます。仙台あのさあです。
ゲーセン板によくいます。
冬は必ず春となる!
思い出も大事ですね。 イク=絶頂に達するだろうか。
それとも「逝く」だろうか。
日本語とは、難しい。 夏は涼しいんだろうな
窓全開で風を感じながら、オホーツク海を車窓を見る 音威子府の初代スタンプ
1932-12-18から施行
デザインが秀逸だと思う
北見線と宗谷線のジャンクション
https://i.imgur.com/WYwqr33.jpg みどりの窓口で「浜頓別まで乗車券と天北の指定券1枚」って言ったら若い駅員は固まっちゃってたよ >>249
池袋駅だったら一発で理解出来て
即発券処理完了だったのにね(その当時) 天北線に乗る前に音威子府で駅ソバ食べて腹ごしらえしたよなあ
今は駅ソバは食べれないだろ あの天ぷらは不味いからないほうが良いだろう
だから、俺はかけソバオンリー
昆布出汁がうまいからスープまで完飲 音威子府のソバ屋、 朝9:30頃 入れ物に天ぷら入れて
歩いて駅に運んでいるの爺様を駅前通りで見かけた。 >>264
大きなやかんに麺つゆ入れて運んでいるのも見かけた。 >>267
1、2年前に爺様ではなく、婆様が骨折した件か? 北海道で時間は気にしちゃいかん。まあ、そういうこっちゃ。 音威子府は駅そばと一路食堂しかないよな、セコマは一路より遠いし、食べるとこ限られるね >>274
マニアは音威子府の駅そばをじいさんから跡継ぎして、年中無給で売りまくってくれよ
新メニューでキツネそば入れてほしいね なるほど。音威子府でじっくりと時間潰したくなりました。 一路食堂は赤い音威子府そばが食べられます。
常盤軒は赤い音威子府そばが食べられます。 さっきNHKラジオの鉄音で音威子府のそばや天北線の話をしてた。
聞き逃し配信もあるらしいよ。 >>34
>>35
俺の若い頃、昭和60年頃は、帯広と層雲峡だと聞いた。
四国の方のお寺でやっているYHは、ペアレントの住職がボケている
と言う話を聞いた事がある。 意外と宗谷岬から樺太は距離があって確かフルマラソン位は離れている。
2回行ったことがあるが、私は見れなかった。 距離なら津軽海峡並みに離れていると思う
水深は全然違うけど 稚内から音威子府までの宗谷バスの運賃、4000円オーバーってビビるぞ! ピンネシリ温泉、1泊2食8千円から だそうです。
受付は電話only 音威子府駅の天北線資料館、時々見に行くが、展示物が少しずつ差し替わってる。
しかし駅舎内に漂う蕎麦つゆの残り香がなんともイイ。 >>294
「文責・荒木」という天北線に直接関係のない余計な資料もどきは減ったかい? 上音威子府駅で1時間待っても電車が来ないんだがストライキなのか? 浜頓別駅で泥酔していた宮脇俊三氏を介抱していたことによる
ダイヤ乱れです。 >>297
電化されていないから電車は来ないよ
待っていればSLかDLがくるよ >>300
くだらねー奴だなお前
回線切って首吊って氏ね あれ?ホームが除雪されていない
列車通過してしまった 凍りついた線路は今日も、北に向かって伸びてゆく、窓の向こうは天北原野、行くてをさえぎる雪ばかり〜♪山川豊の新曲「天北線」 夕方に音威子府発小石行が走っていた。
(到着後は鬼志別まで回送)
そんな訳で小石駅は昭和46年に交換設備が廃止されて無人駅化された後も駅員が配置され、タブレットを交換して発車していたが、昭和61年秋のダイヤ改正での小石行廃止と共に無人化され、2年半後には天北線も歴史の彼方へと走り去った。 交換設備撤去されたのに運転扱いの駅員居たとは珍しいケースだね
廃止まで簡易委託はやっていたようだけど 小石までは通学等での利用があったんだろう。
天北線代替バスも小石行がほぼ同時間帯に1本走り、
音威子府発最終も確か小石行だった。
ここを無人化してしまうと、鬼志別を出た列車が
曲渕まで23キロに渡って消息不明になってしまうために
早朝深夜は駅員が派出して、運転扱いをしていたと聞く。
それに、次の曲渕まで回送するのも馬鹿らしいし、
鬼志別へ引き返すにしても、信号がないと発車できない。
音威子府〜浜頓別間でも駅員が終日いたのは
中頓別のみで小頓別などは早朝深夜は駅員不在
音威子府〜中頓別〜浜頓別を閉塞区間として運転していた。
音威子府駅の天北線資料室には小頓別駅の備品と思しき
「早朝は駅員が不在で云々〜」こんな看板が展示されていた。 もし天北線が再建法の対象路線に含まれていなければ、宗谷本線と同時期に自動閉塞が導入されていただろう
となると、中頓別、浜頓別、鬼志別以外は無人化されていただろう
そして近年の更なる合理化促進で、美深等と同じ時期に中頓別と鬼志別も無人化されたと予想 天北線が残っていたとして、中頓別は無人化も有り得るが、猿払村は金持ち村だし、鬼志別は無人化しないのでは?
立派な駅舎に建て替えられたと思う。 >>310
猿払村は金あるから、無人化の際に村で簡易委託引き受けたと思われる 猿払駅もあってs61.10.31までは交換駅だったが猿払村の中心駅は少し離れた鬼志別。
猿払駅前は小市街と郵便局があるくらいで隣の浅茅野の方がむしろ開けていたけど、代表駅と村名とが矛盾した関係だった。 どちらにしても自動閉塞が宗谷本線と同時期に導入されていたら
小頓別、敏音知、猿払、曲渕、沼川、は84年頃に無人化されていたはずだし、小石、樺岡、声問も完全無人になっていたと思う
声問は乗車券類は70年代の無人化後は販売せず、簡易委託もなかったとのことだが、運転扱いの駅員が補充券を販売していたのか気になる >>258
素焼きの丼じゃなかったか、確かプラス60円で車内持ち込み出来た筈。30年前の話だけど別の駅かも知れん。 樺太が日本領だったら重要路線として残っていただろうね。 猿払村のホタテはここ数年間、小型化しているらしい。
5月の連休が明けて、海水温の上がる夏がむしろ本格期だが、今年はどう出るか? 熱々のフライをレモン醤油でね。
貝焼きだったら、調味料は使わずに
焼いてそのまま。 急行券が南稚内ー音威子府間だと僅かに150キロに足りず、稚内ー音威子府だと150キロを超えるから。
でも、ここは特例区間だったか...
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