いったい神岡行きはどうなるのかと不安になり駅員に尋ねると、この「のりくら7号」の後部6両を切り離し、前の3両が神岡行き、後ろの3両が途中の猪谷まで行くのだと言う。

細かい表現は違っているかもしれないが、「時刻表2万キロ」の第一章。
そもそも名古屋からの夜行「のりくら」は何両編成だったのだろう。富山で切り離す付属編成が6両なら、最低でも3両は金沢まで行ったのではないか。とすれば富山までは9両で運転されていたのか。
昼間の「のりくら」と編成を合わせるためだろうが、新聞輸送がメインのような夜行急行を長編成にして、乗車率がどのくらいだったのか気になる。