>>808
白樺、蕗の台共にかつては交換駅でかなりの木材を積み出していたし
戦後集団開拓団が入地した蕗の台には小中学校もあった。
しかし、気候条件も激しく、営農は振るわずに離農が相次ぎ
昭和37年には蕗の台小中学校が廃校となり、同年開拓団も解散、
昭和39年には蕗ノ台駅が無人化され、昭和47年頃には無人地帯となった。

白樺はホームや線路より高い位置に比較的珍しい左側出入り口の駅舎が建ち、
(蕗の台駅舎もほぼ同じ形の左側出入り口)、同時に開業した宇津内駅が後に
北一已駅の駅舎に転用されたとの資料もあるし、北一已駅が左側出入り口である
事を考えると宇津内、蕗ノ台、白樺各駅は同一設計とみて間違いないと思う。
農業には不適当な土地であったが、一時期は木材の輸送で栄えたものの
昭和30年代に入ると急速に寂れ、昭和36年には無人駅となり、昭和38年頃には
無住地に、そして、昭和52年からは冬季閉鎖となった事は皆さん承知かと。

朱鞠内湖が近いのでたまに釣り人が下車したり、天文ファンや鉄道ファンが
下車するくらいだったが、平成2年の廃止後もプレハブづくりの保線小屋が残り、
(同様の小屋は蕗ノ台にも存在)ストーブや調度品も置かれていた。
また、蕗ノ台駅は深名線撮影の隠れた名所とされていた