深名線の思い出
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深川と名寄を結ぶ長大路線。1995年9月3日を以て惜しくも廃止。
日本最寒も記録された極寒地帯でもありました。 江丹別でマイナス36度を記録。マイナス35度越えは19年ぶり。 >>570
確かにでかいわ。
あの消防の時をきっかけに、お尻と小便好きになってしまった。
あのお姉さんと仲良くなりたかった
話を戻すと、利用者の多さでランクすると、深川ー多度志は当時の普通のローカル線並みの利用はあった。
多度志ー幌加内は富内線や勇網線等の再建法による廃止路線と同等かな。
幌加内ー名寄は美幸線と日本一を争う区間。 多分寒い土地柄なので、ある程度体脂肪を蓄える必要性があるのかも。
私は痩せぎすは性に合わない。ポッチャリした人が好み。 幌加内のバスセンターの建物は立派だ。!トイレも暖房が効いていて、ウォシュレットもある。充電もできる。なぜ駅跡に作らなかったんだろうね 87年の夏に朱鞠内の駅名標の前で車掌さんに帽子借りて記念撮影したな。 幌加内の蕎麦屋さん、車の交通量が少なすぎてかわいそうだなw ワカサギの天ぷらそばを食べたい
朱鞠内湖ではまだやってんだろ? 道央圏は札幌だけ狙われている感じで他はどこも平年の半分以下だぞ
特に空知周辺は平年の3割にも満たない地域もあるぞ 寒さもさることながらコロナウイルスが北海道で猛威を振るっている。 西名寄駅で1時間待っても電車が来ないんだがストライキなのか? おじいちゃんつまらないんだよね
天北線のスレでも同じ事やってるし 朱鞠内駅で乗客同士のトラブルがあったための遅れです ハイラルの鉄道
貧弱な線路で、短尺レールだったから、キハ20系気動車は
トコトコという忙しないジョイント音を立てながら走っていました。
路盤が貧弱であるため、台車からの振動は大きく、乗り心地は悪い。 ブレス オブ ザ・ワイルドのハイラルでは…。
将来の高速化に対応するために、線路は新幹線規格で設計。
標準軌と、国鉄の在来線のレール幅の三線軌道を取り入れた。
かつて、犬夜叉の蓬莱本線で活躍していたキハ40系気動車が
ハイリア鉄道に譲渡された。
古いと言っても、車齢が若い車両であり、エンジンは
DMF14HZへ換装済み。すべて冷房改造車。
へブラ山の路線はキハ40系気動車でも登れるように勾配を緩やかに再設計する結果に…。 冬は暖房が効きすぎて車内ポカポカ。
確かに油断すると寝る。 いや、冬の車窓に集中できて寝る暇がなかった
当時、デジカメがあれば500枚は撮影しただろうな
乗車時の時に納めた心のHDDは、いつの間にかなくなってきている 95年中坊の頃。
高等部の鉄研の先輩が深名線乗車ルポを学園祭配布の機関誌で発表していたのを読んで、一人で北海道に行けない境遇がすごく悔しかった。
今でも深名線のれた 95年廃止。辛うじて私は深名線に間に合った。春の時期に一度乗りたかった。 1964年復刻時刻表を見ると、全列車が朱鞠内乗り換えになっていて
全線運転する列車が無い。 系統分けないと遅延したときに全線に影響するからなんだよな
ということは遅れたときに連絡してくれなくて、厳冬の朱鞠内で一泊とか発生してたんだろうな
楽しそう 民宿くらいはあるのでは?
夜中駅舎から閉め出されたら確実に凍死するわ まどかがある。坂を登るから駅から20分以上は歩くだろう。
あと運転手・車掌用の官舎があったはず。 60年代なら、ただの撮りヲタの趣味訪問でも駅員が宿直室へ厚意で招くような時代だよ
ましてや事情が事情なときは、そういうことになるだろう。 乗ったこともない連中が想像で懐かしがってるだけのスレだからな というかそんな昔ならスナックが2件もあったんだから、当然宿泊施設もあっただろう >>613の続き
深川⇔幌加内は無いが、深川⇔鷹泊が有る。
あと名寄⇔天塩弥生が2往復。 そもそも614の見解がすでにおかしい
国鉄当時なら、昨今みたいに接続させないなんてありえんないし 80年ごろには、湖畔駅近くに民宿があったが、室内と言っても耐寒試験のようだった。 生活圏は朱鞠内を境に名寄と深川に分かれているので、大雪等のダイヤの乱れの影響が少ないように、朱鞠内では接続をとらないのが正解。
それで困るのはヲタくらいなもんでな。 名寄ー天塩弥生の列車って利用者いたのだろうか?
深川ー鷹泊も多度志より北は? 名寄−西名寄が定期利用者がいた
名寄−朱鞠内はいないんじゃない? 627は国鉄時代をリアルで知らん奴が
知ってるみたいにドヤってるだけだな。笑 国鉄の頃に遅延して接続しないでおいていかれたことなんか何回もあるんだけど
特に名古屋圏。1分すら待ってくれなかった時があった
深名線は知らんからありそうって言っただけだど、1時間も2時間も遅れても接続して
くれるなら、系統分離する意味ないと思うんだが、まぁそこまで断定口調ってことは
実体験があるんだろうな
さすが国鉄時代をリアルに知っててドヤってるだけはある。笑 朱鞠内駅の隣のお店で朱鞠内湖っていうお酒を買った
空き瓶ずうっと保存してたけれど、実家にまだあるかも
北母子里の母子里一刻館泊ったことある人居る? >>631
その国鉄時代の特殊な例だったってことが理解できない輩は放っておいたらいいんだよ。
国鉄が赤字だからって鉄道の運行を止めて代行バスを走らせるなんてことも嘘と言い出しそうだわ。 >>631
その国鉄時代の特殊な例だったってことが理解できない輩は放っておいたらいいんだよ。
国鉄が赤字だからって鉄道の運行を止めて代行バスを走らせるなんてことも嘘と言い出しそうだわ。 国鉄時代 は臨機応変があったからね
厳冬期の深名線に乗りたかったなぁー
深名線って団体貸切できたよね、国鉄もJRも金出せばやってくれたよね? 国鉄時代の事はわからないが、公務員さんが臨機応変に対応できたのかな? だから、朱鞠内の停車時間で降りたときに、
温度差を感じたな
キオスクで買ったUCCの缶コーヒーは旨かった 北海道のキオスクで買うホットコーヒーはベルミーでしょうw 地元民です。
私が物心付いた頃すでに深名線はバス路線になってましたが、YouTubeで在りし日の美しい車窓風景を見て感動しました。
当時乗られてた方がとても羨ましいです。 >>646
当時、深名線乗るためのスケジューリングが大変だったよ 深名線乗るために本州から鉄道旅行に行ったけど、確かに一筋縄ではいかない
ダイヤだった。途中下車もしにくい(したが)。
地元民の方の646氏は生まれるのが遅すぎた(笑)。
私の中では間違いなく5指に入る路線。 湖畔〜北母子里間、車で行ってもビックリするぐらい自然しかない地域(道は現在一部通行止め) 世情が落ち着けばまた行ってみたい
もちろん鉄道車窓からの眺めが最高だが
それが叶わぬ今はクルマを飛ばすしかない >>650
はあ?
宇津内湖と朱鞠内湖を結ぶ建造物が存在しとることを知らんのか?
まあ今では宇津内付近には通常では確かに車では行けんがな。 とにかくアイヌ語の地名すら無かった場所を開拓したのは凄い労力だったはず
でも継続するには立地も気候もあまりにも過酷すぎたのだろうね
蕗ノ台、そこはもう奴らの聖域 >>652
>はぁ
と、知ってて当然な風の言い方なので、後学のためお教えください。
>>650は「クルマで当地を訪れても自然ばかりだ」、と言ってるようですがその構造物はどのようなものですか?
導水トンネル的なものでしょうか? 真冬の朱鞠内や幌加内をドライブしたことがある。
凍結した朱鞠内湖ではワカサギ釣りする人たちがたくさんいた。
道の駅には露天風呂の温泉があってマイナス10度以下の入浴を楽しんだ。 宇津内湖までは車ではなく、自転車で行ってみてください。すず 暖冬だったから、
ヒグマウヨウヨ
キタキツネピョンピョン 道内の到達困難廃駅トップ3は
1位 宇津内駅
2位 神路駅
3位 張碓駅
かな?
特に宇津内駅は場所確認不可なミステリーゾーン。 宇津内は廃止が昔過ぎてランキングにすら入っていなかったね
まあそのランクに上雄信内、蕗ノ台と続く感じだろうね でも秘境駅ランキングあれば、張碓や上雄信内よりも、蕗ノ台の方が上位にランキングされそう
それくらい蕗ノ台の秘境度は高い 私鉄も入れたら錦沢駅とかもあるけどキリが無くなるから旧国鉄、JRのみに限定すると、蕗ノ台と同順位くらいで鹿越仮乗降場もあるね。
まあ到達難易度は互角だけど、総合的な秘境度は圧倒的に蕗ノ台の方が上だけれども。 蕗ノ台駅は雪のない時期だったら乗用車で楽勝だけど、地元住民のオヤジとの遭遇確率高し。
上雄信内駅は、私有地という制約がなければ到達は可能?
ダムなどで水没した廃駅や、青函トンネル内の海底駅を除けば、>>664が到達困難駅と思われますね。
そのほかでは、夕張鉄道錦沢駅あたりは、自転車道になったけど整備放棄されたので現状で到達できるかはわからない。
今後、もし小幌駅が廃止になったら、ここも到達困難駅としてはトップクラスかと。 >>667
どこかのサイトに馬の水飲み穴の跡が駅跡周辺にあってハマると一人での脱出が困難で危険と書いてあった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています