深名線の思い出
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深川と名寄を結ぶ長大路線。1995年9月3日を以て惜しくも廃止。
日本最寒も記録された極寒地帯でもありました。 木造駅舎や緩急車が残っている駅は長時間停車でいいんじゃね? >>449
そんなのは百も承知。
余談だが、1971.09.15の函館本線104レでは、小樽から長万部まで
開けっ放しの窓があったとかw
只でさえ三重連だから煙も煤も普段の1.5倍なわけで
一般客はさぞ迷惑だったろうな… >>445
簡単にアクセスできる街の駅より、白樺、蕗の台などで30分ぐらいのバカ停があったら楽しかったろうな。(ただし冬季を除く) >>442
100万あればやってくれるだろうが、もう路線はない 深名線って、乗ると すんごく眠いんだよなぁ
何故だろう・・ 真冬に乗った時ですが、車内がポカポカに暖かいんですな。
眠くなるのも分かるような気が。 名寄は駅弁を食べたことがあるが、もう駅弁販売マークのない駅になっている。 寒い時に立ち食いソバって、なんだかホッとするんですなあ。
うまさが倍増するというか・・・・・・・ 幌加内バスターミナル内の蕎麦屋せいいちも無くなっていた
うまかったけどなぁ〜 廃止当日、幌加内で大雨の中を食べた蕎麦の味が忘れられない。
その後、見事なまでに天候が回復したのだが。 廃止当日、虹も出ていたなあ。最後に、また雨が降って。
最後は「蛍の光」が車内に流れて一斉に車内から拍手。
1995年9月3日。 飯山線とか只見線も雪景色は凄かったが一番衝撃的だったのは深名線。 冬に乗ると二重窓のガラスがくもって、ゆっくりと車窓などを眺めることは難しいのだがね。 確かに曇る。昔は寒さが大の苦手だったけれども、北海道に旅行するようになってからは
冬こそ北海道、と思うに至った。雪景色は七難隠す。木次線の風景も良かった。島根県
から広島県に入ったところが豪雪地帯でビックリ。旅をしないと分からない部分がある。 山下画伯の場合、夏は北の方へ冬は南の方へ旅していたって日記にあったな。 北海道は夏は最もおススメな地域。対抗は四国。川がとにかく綺麗。
シャワー代わりに水浴びをしていた。
冬はどこか、となると、やはり北海道、ということになってしまう。
ことに道央から道北・道東。 やっぱり沿線から見た、名羽線建設の橋脚だよな
今は残っていないだろうけど >>477
美幸線の未完成区間、
いまでも道路から見つけることが出来る。 仁宇布までは行ったが寂しい光景だった。
11月中旬。雪がうっすらと積もり、客車がポツンと
一人ぼっちで孤立していた。 名羽線と言っとるのに、未成線っつうとすぐに枝幸周辺を持ち出すのは、何かの病気か?
しかも仁宇布にあるのは客車じゃねえし。 美幸線に羽幌線に天北線、名寄本線。さらに深名線。
接続していた仲間を失い1本の頼りない線となって
最北に伸びている宗谷本線がどこか寂しい。 名羽線が開通したら、名寄−朱鞠内は路盤改良しロンクレールでも入ったんじゃない?
名羽線は高規格路線だからね
ほんとに残念な路線だよ 羽幌に出たら焼尻島さらには天売島に出るのも魅力的な選択肢 昭和60年以前、羽幌線・天北線は最長片道切符の
経路に組み込まれていたが残念ながら深名線は圏外 >>474
冬に北海道を旅したら人生観が変わったかも。 種村直樹は以前、蕗ノ台駅の駅前ロータリーで野糞をぶんまけたみたいだな
土壌汚染は深刻化したみたいだな 冬の日没後に乗ったとき、長いトンネルかと思っていたら、両脇の雪の壁が窓より高かったんだよな。 朱鞠内の雪の壁は凄いと思った
朱鞠内駅のキオスクでガムと缶コーヒーを買ったが、カップラーメンは無かったよな
キオスクの女性店員はいい味出してた
そのまま、深川行きに乗り込んだ 幌加内駅の間違いだと思うキオスクは。
朱鞠内は美少女がいる駅前商店w >>512
1987年はあったな。
駅前商店と言うか、GSだったと記憶している。 一番利用者多かったのが多度志で、次が鷹泊か幌加内あたりだろうね 途中下車のしにくさでは屈指。朱鞠内では足止めを食らうダイヤ編成上、
毛色がちょっと違ったが。 蕗ノ台で下車した強者いたのかな?
次の列車末までの間、熊さんの恐怖との闘い 待っていないで朱鞠内まで歩くんだよ
徒歩3時間あれば余裕で着くよ それこそあのルートはヒグマ遭遇の可能性高いだろ
当時からかなりやばい道路だったようだし 冷凍肉を網で焼いたヤツだったけど、オレは食べた後吐いた クマは鍋か鉄板焼きあたりがおススメかと。
サルナシ=コクワ(キウイの親戚)とか木の実をふんだんに食べたクマの肉は美味い
(マタギの話)とのことで、食べたエサによって肉の味がかなり違う模様。 三毛別の袈裟懸けも食べたら美味しくなかったらしいしね 〆た時の時間にも味の違いがあるらしい
散弾銃を持って路線沿いは歩けないからなぁ 深名線が廃止になってから数年後、今くらいの時期に代替バスに乗ったが、
途中から閑散としてきた。
深川に着いた時には、日もとっぷりと暮れていた。寒々とした光景が身に染みた。 マニア以外、元旦の深名線なんてまず乗らなかっただろうね。多度志ー深川間は除いて 本数が少なくてもラッセル車は頻繁に走っていたんだよな むしろ列車本数が少なくて列車が線路の雪を跳ねてくれないから除雪が必要なのだがな 国鉄時代末期の白樺駅、蕗の台駅が正式な駅で、まだ冬季休業になっていなかった厳冬期はどんな様子だったんでしょう?
動画、静止画って、どこかで見れますかね? 深名線ラッセル列車撮りに行ったヤツ大勢いるんじゃね
シューティングスポットはわからないけどな
白樺・蕗の台辺りで待ち構えてるヤツはいたと思うね 厳冬期の白樺、蕗の台までは道路は当然冬季通行止めだから、朱鞠内か北母子里から雪中行軍する人はいたのかなぁ?
なんせ、-40℃?の最低気温ホルダー地帯だからね。 そういえば、この路線って簡易委託駅って無かったよね
直営駅2
業務委託駅0
簡易委託駅0
完全無人駅 他全て 直営駅は、朱鞠内と幌加内だっけ?
沼牛と添牛内は廃止間際まで簡易委託じゃなかった? 今日の朱鞠内最低に気温-24.7℃
夜間停泊では、終夜アイドリングしていたんだろうな 厳冬季の早朝や夕方の名寄−朱鞠内の運転手は、誰も乗っていないから不安だったろうね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています