深名線の思い出
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深川と名寄を結ぶ長大路線。1995年9月3日を以て惜しくも廃止。
日本最寒も記録された極寒地帯でもありました。 北海道の人が内地に来ると部屋が寒くて風邪をひくというのは、よく聞く話だ。 >>350 内地の家が夏向きに、風通しがよいように造られているから。
日本古来の家の造り方では北海道の冬は越せないということで、開拓使の時代から気密性の高い構造にした。 >>351
はい?
名寄の北国博物館にでも行ってみるがよいぞ。 名寄駅から歩いて20分くらいだよな
途中レンガ工場があったけど、今はやっているのかな? 幌加内発の最終深川行き、当然乗客ゼロで
窓開けて夜空を見上げるのが好きだったな >>358
内地からの鉄ですよ!
周遊券乗り回し組です! >>363 携帯カイロとシュラフ持ってけば十分寝られるだろ。かさばるけど。 氷点下30度超の冬にこそ野宿・・・・・・・したくない。 日本で最も秘境路線だったと思う
特に蕗ノ台駅は残っていたら小幌と秘境駅ランキング1位を争ったと思う 白樺駅も秘境駅だろ
朱鞠内駅で駅寝したヤツいるのかなぁ 白樺駅は車アクセスが容易で秘境度がやや減点かな
でも残っていたら10位になりそう で、懐かし板でイッチョマエに語ってるっつうことは、オマエら行ったことがあるんだろうな? 懐かしい路線である。もう廃止から24年とは・・・・・・・・・・ 特に湖畔から蕗ノ台にかけては人が容易に踏み入れることができないよね >>378
>>291で出てきたようつべ動画「朱鞠内湖の西側を半周しました」を見てみたら?
林道は橋が落ちたり、崩れていたりするので、徒歩か、マウンテンバイクだったら踏破できるかもしれんけど、
熊さんもたくさんいる予感。 この路線も緩急車タイプの駅だったら、駅寝する人も多かったんじゃね
白樺駅に設置してほしかったな しばれる冬に寝袋一つで野宿は度胸が要る。
昔は寒さが大の苦手だったが、北海道に旅行するようになってからは
体質が変わったのか、冬の寒さを体感してこそ北海道の真髄だ、という
気持ちもある。
北海道は北の果てかも知れないが、シベリア的気候風土の南の果て、とも
言える。 宗谷本線智東駅で年越し駅寝したヤツがいたな
車掌車タイプの駅でも、極寒シェラフでも大丈夫なんだろうな 真冬の北海道で駅寝出来たら、もう楽勝では。たいていの場所でできる。 寒冷地でも密閉出来る待合室があるとこは凌げても、開放型の 寒冷地でも密閉出来る待合室があるとこは凌げても、暖地でも開放型の待合室しかないとこは風が通るからちと厳しい 真冬なら虫はいないと思ってたら意外といるもんなんだな。 野宿天国は四国だと思う。夏は特にいい。川が綺麗だからシャワー代わりに
使える。野宿ではないが、ネットカフェに連泊して、シャワー代わりに川に
浸かっていた。40分くらい。吉野川の支流。 思い出は美しくしすぎて、四季を通じて山・畑・川・湖・雪・空どの沿線風景も 「隣りのお姉さん」八神康子。深名線との関係は不明。 深名線の乗車はひとりで楽しむのが合っている
だから、八神康子さん AVなんかより政和温泉で裸ジンギスカンをやりたかった 政和温泉でノーパンしゃぶしゃぶをやるのも一考。しゃぶしゃぶ食いたい。
タコしゃぶ美味かった。 あの頃、ズリネタで深名線乗客はビニ本持って、キハ56のトイレで手淫していたんじゃないの?
あの頃の女性客は印象が薄くて何か起こすようなことはなかった
なので、俺は冬景色の車窓に集中していた でもせっかくの深名線の車窓風景が広がっているのに、トイレでなんたら
しているのは実にもったいない。
ワシは秋田県内の普通列車内で爆睡していて夢精してしまったことはある。
秋田駅のトイレでこっそりパンツを替えた。 深名線に乗っていた頃、3日間テレビを見ないことはザラだったなあ。
世の中の情勢などどうでも良かった。
ただ旅がしたかった。 何かを忘れるには北海道。代わりに風景を記憶に残す。 何かを忘れようと思っても、分岐、接続する線路が多くて、とてもじゃないが忘れるどころではないというのが筑豊の廃線区間か?
北海道でも歌志内線、幌内線、万字線、函館本線上砂川支線なんぞはそんな感じか? 残念ながら上記の路線、どれも乗ったことがない(TДT) >>420
週刊誌に銀座で美幸線の切符を販売してる姿を掲載させたトドと愛称があった町長 その為、実力日本一の赤字路線だったのに4位に転落してしまった。 昭和54年以降、実力日本一を奪回出来なかった美幸線。ライバルの深名線は惜しくも2位止まり。
「およげタイやきくん」に阻止されて1位になれなかった「木綿のハンカチーフ」の立ち位置。 深名線。それは都会の絵の具に染まり過ぎた人が目指した別世界だった。 >>421
切符販売で赤字をかなり減らした広尾線を思い出した。 鶴見線。それは朱鞠内の森の絵の具に染まり過ぎ退屈に飽きた人が目指した別世界だった。 山手線。それは都会の絵の具に染まり過ぎて朝までカラオケに興じていた男が
疲れ切って爆睡してしまっていたプチ・ビジネスホテルだった。 東京駅は、御下げ髪の少女をも変えてしまう魔力がある。 アンタ気持ち悪いんだよ
他のレスでも同じようなこと書きこんでるだろ? もう冬の装いかなぁ。真冬にこの地域を2回訪れたが
通過だったので真の寒さを体感していない。 なんだかとても寒いんだ
彡 ⌒ ミ
(´・ω・`) 深名線存続中に真冬の時期、極寒しばれフェスティバルをぜひ開催してもらいたかった。 >>432
そこは「眠いんだ」でないと正しく反応されんぞ。 キハ53系500番台なら旅情あるけどキハ54だと銀箱萎え 深名線をキハ53-500 1両借りきって仲間で貸し切り列車をやりたかったけど、各駅停車で駅には15分程度停車、朱鞠内は45分からい1時間停車。ダイヤ作ってJRに出したら、いくらで引き受けてくれただろうか? >>442
車両の人員分の乗車区間の団体券(74に立席8が入るかは不明)に車両利用料がキロ計算か時間に別途回送費用が最低必要だった様な? 木造駅舎や緩急車が残っている駅は長時間停車でいいんじゃね? >>449
そんなのは百も承知。
余談だが、1971.09.15の函館本線104レでは、小樽から長万部まで
開けっ放しの窓があったとかw
只でさえ三重連だから煙も煤も普段の1.5倍なわけで
一般客はさぞ迷惑だったろうな… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています