深名線の思い出
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深川と名寄を結ぶ長大路線。1995年9月3日を以て惜しくも廃止。
日本最寒も記録された極寒地帯でもありました。 芸人の安浦光子が言ってた放屁音を消す方法、試してみたが効果ゼロじゃないか。
おかげで職場で大恥かいたわ。 深名線、禁煙じゃなくてタバコ嫌いの自分にはそこだけは嫌だった。 朱鞠内湖に立ち寄った思い出がある。魚鬼が生息している。 朱鞠内駅内にキオスクがあったね
名羽線の橋桁が車窓から見えた 最終日、何と10両編成にまでなった。
東京都が引越ししてしまったような喧噪。
しかし、人間でいえば「葬式」と言っていい儀式。
どうしてもはしゃぐ気分になれなかった。
以来、廃止当日の列車に乗りに行くことは一度もない。 冬はキハ53のワンボックスが一人で独占できるくらいだったな
乗客のほとんどは周遊券だっただろう 真冬に乗ったことがある。途中駅の朱鞠内あたりで途中下車しようと目論んだことが
あるが、外のあまりにも寒々とした風景に途中下車する意欲をなくしてしまい、終点の
名寄まで乗り通してしまった。確か深川を5時10分発の始発だったと思う。
前夜は、網走発の特急オホーツク札幌行きを宿代わり。4時47分(記憶違いあるかも)
深川着。北海道フリー切符を使用していた。
名寄駅にて。私の前方を歩いていた女子高生の会話「今日はあったかいね」
寒暖計があったが、氷点下20度を指していた。 オレは厳冬期の名寄発16:00-朱鞠内-深川行の列車に乗車したが、
日が暮れる前の朱鞠内までは素晴らしい冬の車窓だったな
とても神秘的だった
朱鞠内から深川までは暗くなってしまい、景色はわからなかったが、
車内はジョイントのきざむ音だけで、鉄オタもいなくてとても静かだった 個人的には好きな路線のトップは釧網本線。夏の釧路湿原(霧が発生することが
多くて、とても幻想的)と冬の流氷。あとエゾシカの目撃率がきわめて高い(最近
は、ほぼ100%目撃できる)。タンチョウヅルも目撃することがよくある。
深名線は好きな路線のベスト5には加えたい路線だった。夏と冬、両方体験出来た
ことは貴重なことだったと今にして思う。朱鞠内に幌加内、あと湖畔駅で乗下車して
いる。 長大路線の上に屈指の豪雪地帯だから存続させるのも大変だったと思う。
本来ならば昭和60年あたりに廃止になっていたであろう路線。
10年長生きできた、と思うべきなのかも知れない。 JRバス転換後、一度、深名線ルートをほぼ踏襲したバスに乗ったが閑散と
したものだった。97年の暮れだったと思う。
その後、火事で焼失してしまった駅もあると聞いた。
もう深名線の痕跡をたどるのは難しいことなのかも知れない。 もはや、湖畔駅から蕗ノ台駅までは到達できないですよね。 国鉄名羽線の建設凍結で路線の使命は終わったのかもしれない つながらないままで幻に終わった興浜線(興浜北線+興浜南線)や、
名前からして美深と北見枝幸を結ぶ筈だった美幸線と同様、深名線も
路線延長は幻に終わった。 >>19
宇津内、蕗ノ台、白樺の駅跡は道道528号線が長期通行止になっているので、訪問は難しいと思われる
湖畔駅跡近くに三股と言うバス停になってバスは再び朱鞠内方面へUターンして、
国道275号線で北母子里へ向かう 一時期、廃駅を巡る旅行に凝っていた時期がある。
訪れた駅は、大社、卯原内、計呂地、西春別、仁宇布、渚滑、広尾、幸福。
他にもあったと思う。数年で断念してしまったが。
紋別・浜頓別・根室標津には宿泊経験があるが、駅の痕跡を見つけることが
出来なかった。深名線は、廃止になったのが比較的遅い路線ではあるが、
もう20年以上、廃止から歳月が経ってしまっている。駅も恐らく解体されて
しまった所が多いような気がする。 深名線廃止後、蕗ノ台-湖畔で線路を剥がすためにモーターカーを使って廃線作業してたな
無人地帯だから残しても良かったのにな 真冬の幌加内方面を車で旅したことがある。
主要道路は24時間体制で除雪してあったが
それでも道幅は狭なってるし各家庭の雪かきは大変そうだった。 >>24
根室標津なんて資料室にごっそりあるでしょう >>23
2018年10月に白樺駅跡地に行けました。
遺構はないけど、単管パイプで囲われた北大?の植物小屋のようなものがあるだけでした。
宇津内駅は到達はおろか、場所の特定すらできません。
ちなみに、宇津内駅舎は廃止後に留萌本線の北一已駅に移築されたそうです。 >>31
いや、表定時速で考えれば時速24kmだ。さほど変わらんか。
7〜8時間かかるのは、たぶん混合列車でしょうね。 最後はキハ48 302&303
キハ65 528が活躍
明けて9月4日の急行宗谷は旭川から札幌までキハ56 210&211が先頭
※2日の自由席は何とキハ150-5だった おっと失礼
キハ54 528だ
この間、急行礼文はキハ54 527&529で固定
他にキハ56 156やキハ27 204
キハ54 506なんかも来ていたな >>31-32
朱鞠内で馬鹿停してるな。9600の頃に乗りたかった
キハ22の頃乗ったけど、直通はなくて朱鞠内で運行分離してた
待ち時間が長いから雪がちらつく中、犬走りを湖畔まで歩いた覚えがある >>31 の北見線、とあるのは、のちの天北線のことですね。残念ながら未乗。
〒の印がある駅も、ちらほら。
深名線ならば、辛うじて末期に間に合いましたが・・・・・・ 深名線の北母子里-湖畔のような無人地帯で原生林の中を走るような路線て、
日本中にはないよな? エゾシカ等の野生動物の出没も聞いたことがなく、まさに秘境。
ここでは「温める目的」で冷蔵庫に入れて保存。外に放置すると
ジュースの缶がフグの顔のように変形。 >>38
根北線が越川から東方が開業していたらそれ以上だったかもしれませんね。 西名寄駅は簡易な木造駅舎だった
高校生らしき男子が下車した 昭和60年初頭の時刻表を古本屋で買ったが壮観な眺めだった。
北海道の赤字ローカル線が大量に切られる直前の時代。
既に白糠線は存在しなかったが。 89年の天北線、名寄本線、標津線の廃止で、しばらく廃止路線なしで推移した。 >>31
宇津内止まりの最終って怖いような気がする 深川駅を特急で通過する時の乗り換えの車内放送で、深名線跡を走るJRバスの幌加内線までアナウンスするんだよね。 JRバスも深名線同様ガラガラだったね
バスの運転手が話しかけて来たこともあった。
その運転手、バスマニアだった。 タクシードライバーと違って路線バスドライバーって乗務中は業務に関係ない事を話してはならないはずだが。
昔は大らかでよかったですな。 1回だけ、バスに乗った。12月下旬。深名線跡地にふさわしい季節。 真冬は、途中下車しにくい。せめて2時間に1本の割合だったならば。。。。。 JRバス深川駅最終便に乗ったときは俺一人だけだったから運転手と話しをして過ごした。
トイレ付観光バス級を貸し切りしたような関心だった。 JRバスを利用した時は回数券を使用した記憶がある。 ダイヤモンドダスト現象も見られる地域だろうな・・・・・・ キハ22 1というのにのった。
半室荷物室だったようだけど、キハニでなかった。 北海道スレの過疎り方に比べて
後まで残ったからのう >>23
通年通行止めは三股(湖畔)から蕗の岱まで。
夏なら母子里から白樺、蕗の岱まで普通に行ける。 >>25
柱の一部と屋根は残っとる。
次は鷹泊か添牛内か、、、
沼牛は略 最終列車は、とっぷりと日が暮れていて車窓風景どころではなかった。 名寄発深川行き最終列車。終点の深川の一つ手前で一人の男性が乗車した。
メガネを掛けていて太めの体形。20代から30代と見た。
「やった! 最後の乗客だ!」「これを狙っていたんだよ」と、はしゃいでいた。
周りを不気味な沈黙が支配した。
開店前のラーメン店で行列を作っている人に雰囲気が似ている。
この年の2月、厚岸でかきめしの駅弁が2つ残っていたので買い求めて釧路行き
の車内で昼食代わりとしたが、この時、車内でメロンパンを食べていた人に
気のせいか雰囲気が似ていた。妙に記憶に残っている。 深名線と聞くと、なぜかチューリップの『悲しきレイントレイン』という曲が
頭の中を駆け巡る。 最終日、土砂降りの雨の中、幌加内駅で下車して蕎麦を食べた。
再び車中の人となり朱鞠内で下車。一転して晴れ。
めまぐるしい天気の急転。1995年9月3日の記憶。 >>69
きれいな虹が出ていたな。
ちな、翌日まで雨だった記憶。 当初の予定では最終日の9月3日に乗って、翌9月4日のJR転換バスに乗る予定
だったが、9月3日の喧噪を目の当たりにして、また転換初日も人が殺到するんだろう、
と読んで、初乗りのほうは、取りやめた。数年後、真冬にJRバスに乗ろう、と決めた。
開始初日では深名線沿線の本当の姿は見えてこなかっただろう。
翌、9月4日。釧網本線に乗っていた。塘路という駅で初めて降りた。塘路湖は
秋晴れで、すがすがしい陽気だった。前日の喧噪が嘘のように人の気配がしなかった。
深川から特急オホーツクで宿代わりとしていた。網走を確か6時44分の始発に乗った
思うが、ハッキリとした記憶はない。 最終日に行っておいて自分は違うみたいなレスはなんなんだろう その当時は流石に今みたいな馬鹿みたいな鉄はいなかったんじゃないの?
知らんけど しんめいせん朱鞠内行きです。次は西名寄です「続きまして」天塩弥生、北母子里の順に停車します。 美深の記録の方が低いがな。
母子里は北大演習林の観測記録だし。
公式には旭川になるのかな。 94年夏。新宿から村上夜行に乗り、翌日は快速ミッドナイト(函館→札幌)で車中泊。
こうして、なんとか深名線初乗りを果たした。朱鞠内で下車。
廃止の噂があったが、地元のおじさんは「大丈夫だと思うよ」と言っていた。
朱鞠内湖へ行く。寒暖計は30度を示していて、思いのほか高かったが、カラリと
していて、意外に過ごしやすい。夏の深名線エリアは明るくのびやかな雰囲気だった。
この後、斜里(現在の知床斜里)で翌朝降りて、知床で3日間費やした。
帰路は生まれて初めて飛行機を利用。現在は、ちょくちょく飛行機を利用するように
なってしまった。青春18きっぷを使って貧乏旅行をしていた当時が懐かしく
思い出される。 青春18派には乗りにくい時代になってしまった。在来線が次々に
第3セクターに転換されてJRと切り離されてしまう。
新幹線開通と引き換えに大事なものを失ってしまった気がする。 某画伯「せっ、線路を歩けば い、いいんじゃないかな?」 深名線で真冬にそれやると自殺行為。殆ど列車来なかったけど。 >>90
とうの昔に剥がされて原野にかえってるから安心しろ。 湖畔駅など全国版の時刻表に登場しない仮乗降場が存在した。 >>92
仁宇布付近だけだし。
それ以外はきれいに剥がされてるぞ。 銀河線から持ってきたハエたたきと、フェイク駅舎はあるけどね。 雨煙別とか駅名が洒落ている。
アイヌ語が語源での当て字なのかと思うけど。。。 宇遠内とか植苗もアイヌ語で「悪い川」て意味だっけ。
何が悪かったんかね?水質? 暴れ川だったのかと。北海道で汚い川は想像出来ないですし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています