もしもあの鉄道路線が廃止されていなかったら?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
もしもあの鉄道路線が廃止されていなかったら?の"もしも"を語るスレです。 >>34
その失敗の轍を踏んだのが、他ならぬ>>33の北陸鉄道!
元々別々の会社を合併させ、国鉄以外の石川県内の交通網勢力をほぼ独占したのは良いが、線区がバラバラに離れていて連絡網が成立せず、コストや人員配置が分散して統率が取れず、一つ一つの線区は短距離で盲腸線同然。
結局は殆どの路線が廃止されてしまった。 >>34 定山渓鉄道、札幌都心乗り入れしないと存続難しかったのでは?
札幌市地下鉄南北線のルートに近くなるが、真駒内から地下鉄(通常の鉄輪方式)に相互乗り入れしていたら・・京都市営地下鉄東西線と京津線のような方式になるが。 >>37
そこは自前の線路持つのをイメージしてたわ 東武鉄道熊谷線(熊谷〜妻沼)。
利根川を挟んで西小泉まで連絡していたら、あの特急カメ号と、高崎線のオーバークロスと曲線の改良などは必要だったかもしれないけど、埼玉の悲願、高崎線に対する『横の』交通網の一つ、そして埼玉と群馬を繋ぐルートとしてそれなりに機能していたのではと妄想は尽きない。 岡山臨港鉄道
廃止されなければ築港地区が活性化していただろう。 >>39
東武伊勢崎線沿線と熊谷を結ぶルートは途中で行田市を通る秩父鉄道(羽生〜熊谷)がICカード使用不可だから、
もし通じていたらシフトしていた人がおそらくいただろうね。 >>40
59.2改正までに大元止まりの運行体系が改善できなかったのが原因
OR側は国鉄に対して
旅客の岡山、貨物の岡山操への片乗り入れの要請を断られた(1980)時点で
事実上、余命が断たれた状態
ほかにも
岡山市は、1983年策定「岡山市交通基本計画」において
臨港線を存続させ岡電との相互乗り入れするプランがあった >>42つづき
ORが1970年代後半に検討した岡山乗り入れプランでは?
・臨港線は全便が岡山直通(平均26往復、30分ヘッド)
・乗務員は大元で引継せず岡山まで乗務する
・臨港線設備の近代化(CTC化、駅施設改良、留置線延長等)
・気動車を国鉄から譲受(保守・検査等も国鉄に委託)
・設備投資は岡山県・岡山市による資金援助が前提 >>42 岡山・大元間の宇野線を完全複線化しないと難しかったのでは?
県や市は臨港乗り入れよりも宇野線複線化の方が優先課題だったんだろ。 旧西武鉄道村山線が全線開通していたら、
わが武蔵村山にも鉄道があったのに… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています