昔の青梅線・五日市線
山登った後、駅に着いて乗る電車が通勤型にはちと興ざめする。また明日、このような電車に乗って通勤するのかと思うと。
中央線なら高尾以西はほとんど115系なのに。 >>136
その中央線高尾以西、115系の投入前は72系とか闊歩してたけどな。
キミの興ざめする通勤型。 >>137
山スカモハ71形とモハ72形の混結も普通にあった。
モハ72だけの編成はなかった。必ずお便所付きを連結するためだったとか。 ガキの頃から学生の頃に乗った記憶では、
クハ76は向きは別にして、4両中1両は必ず連結していました
なお、クハ79/モハ72850/モハ72850/クハ76、の4両は実際に乗りました
モハに限れば、モハ70がなくモハ72だけ、は存在していました 青梅線って、鉄道省管轄だったことはなかったってこと、きょうはじめて知りました・・・
国有化した時点でもう運輸通信省管轄だったそうな 1969/05から
武蔵五日市発の武蔵岩井行き
608/632/1711/1814/1924/2058、6本
ちなみに、東京435→534立川541→614武蔵五日市で、
朝の二本目の632発に乗車は可能
もし今残っていたら乗りたいですが、1711発になりそう
(夏ならまだ暗くはないでしょう) >>139
山スカのモハは71。
一時期常磐線の混雑緩和のためマトに応援に来ていた 鉄ピク、青梅線・五日市線の特集だったから買ってきたよ・・・
なんか、これまで買いそろえてきた青梅・五日市線の本のなかでも
いちばんくわしいっぽいかもしれん。
青梅電気鉄道時代の電車の走行シーンの写真、はじめて見た。 各雑誌でたまに特集してくれるが、多くは見たことのある写真ばかりで期待外れの続いたなかで今回の特集は出色 「EF15を現役時代の姿に」 クラウドファンディングプロジェクト
令和の時代にもう1度"国鉄ぶどう色"をにらさきの地に
韮崎駅から徒歩30分の韮崎中央公園に「電気機関車EF15」が保存されています。
これは、昭和61年に旧国鉄から貸与されたもので、「EF15形式198号機」(以下EF15)のほか、
「トラ」や「ヨ」を含む5両連結という、日本全国を見ても珍しい状態で今もなお当時のまま保存されています。
観覧用のステップが常設されていることから、容易に車両に乗ることができ、地域の子どもたちに愛されているとともに、
韮崎市の人気フォトスポットのひとつになっています。
しかしながら、長い年月の経過とともに、車体の塗装の剥離が進んできています。再塗装と整備を進め、
もう一度韮崎で『在りし日の姿の電気機関車』を取り戻すためにクラウドファンディングを実施します。
https://www.city.nirasaki.lg.jp/kurashi_tetsuzuki/furusatonozei/8509.html
EF15 198号機・・・青梅線とは縁の深い貴重な保存個体なので、情報貼っておく。 >>143は俺も発売日に購入済みだが、今日小作のブックスタマへ行ったら『バックナンバー』として山積みされてた…あそこ昔から鉄道書籍に力入れてるよね。我が家の1冊は飼育している小動物に噛まれてボロボロになってしまったから、もう1冊買い直すかなぁ。
余談だけど元TSUTAYAがジムに、その向かいにスタバ出来ててワロタわ 立川育ちで五日市に親戚の家があるので、
昭和40〜50年代に五日市線を時々利用していた。
一般市民の多くは、当時の五日市線・青梅線の車両を
「カリント電車」と呼んでいた。
(お菓子のかりんとうのような色だったから) <追記>
当時は南武線もカリント電車だったと思う。
中央線はオレンジ色だった。 いちおう、旧国の車体色は「ぶどう2号」なんだけどさ
たしかに近寄ってよく見ると、ぶどう色してんだよな
でも遠目に見ると、かりんとう色とかチョコレート色に見えるという・・・
考えてみると不思議な色ではあるな 薄だいだい色は昔の日本人には肌色としか表現しようがなかったんだよ
ぶどう色も然り RPも「拝島駅ビフォーアフター」とかやれば評価するんだが
橋上駅舎化した直後に訪れたが構内店舗詰め込むために階段の段数増やしたのかといいたくなった