昔の青梅線・五日市線
98年の貨物最終列車なら奥多摩で関係者向けのセレモニーやった
NHKがヘリ飛ばして空撮取材、夕方のローカルニュースで伝えてた。 >>83
当方、むかし牛浜駅周辺住民だった。
チョコレート色の3種類っていうのはたぶん、クハ79とクモハ73とクモハ40かな。
クハ79の前面は101に似てたよね。
103系はたしかJR移行前後のころだったか、オレンジ、スカイブルー、エメ、イエロー、ウグイス、
みんなそろっておもしろかったなぁ。 横浜線でもイエローだけいなかったのにこっちは全部揃ってたんだすごい 103です。
拝島駅の東側にある電留線エリアの一画に、以前、
ヤ567という貨車が止め置かれていた。(ヤ550形というらしい)
除草剤散布用のタンク車で、タンク上部にライトがついていた。
ネットにあがってる画像だとみんな黒い車体なのだけど、
90年ころに撮ったときは、真っ黄色の車体だった。
何年か前に閉鎖された長〜〜い踏切の途中から見ることができたのだった。 奥多摩駅のさらに先に、奥多摩工業の専用線があったのだが、
青梅線で石灰石輸送をしていたころは、工場から奥多摩駅まで、
たぶん奥多摩工業の私有だと思うが、D728という赤いディーゼル機関車が
ホキを運んでいた。
私は青梅線沿線で生まれ育ったのだが、奥多摩駅でこんなロコが動いてると知ったのは、
恥ずかしながら33歳にもなってからだった。それも石灰石列車廃止の直前。
それでも廃止になる前に存在を知れてよかったと思っている。 いま売られている、「国鉄時代」2022-11月号に
国鉄五日市線の大久野貨物の話が、けっこう詳しく載っている。 >>110
NHKはヘリまで飛ばして取材してたからな 立川発奥多摩行き5両
後ろ1両は青梅で切り離し
ガキのロコの鮮明な記憶です
カメラを持って撮り始めは中学から
クモハ40の各種が変色ネガに残っていました 青梅線・五日市線の103系の前面方向幕は、フィルム製ではなく、
布製のものが使用されていたな。
布製の方向幕は順次、フィルム製のものに取り換えられていったようだが。 武蔵五日市からつるつる温泉に行く、蒸気牽引列車に見立てた送迎バスが廃止になるとか。
日本で唯一の牽引二種免許が必要な車両だったのについになくなってしまう。 大特二種も必要な車両が存在しない。
ただ、牽引二種は連節バス運転手に持っている人が多いとか、
空港で飛行機を引っ張る運転手の任用資格になってるとか聞いたことはあるが、
真偽のほどははっきりしない。 ↑
いや、知ってても答えなくていいよ。もうスレチだから。
大特二種なんて関係ない話しだから、どっかほかのスレでやってください 「青梅鉄道公園」60年経てついにリニューアル 建替えで長期休園へ "展示車両の追加”は何が?
2023.04.27 乗りものニュース編集部
https://trafficnews.jp/post/125612
2023年9月1日から2025年度末にかけて休園だそうです。 >>117
牽引2種はそれだけで運転できる車両はない。
大型2種と両方が必要になる。
戦後の大都市では拡大する需要から、たくさんの客を乗せることのできるトレーラーバスが使われたが、
車両火災時の対応ができなかったことと、単車のバスが次第に大型化してきたため、
そのうちなくなってしまったと聞いたことがある。
現在も走っている連節バスは、つくば博の時導入されたのが最初で、牽引2種も検討されたが、
ナンバープレートが1枚なことから、大型2種のみでOKとなった。
大特2種は、例えば雪上バスで有償運送する場合必要だが、現在は自家用の雪上バスはあるものの、
有償運送(緑ナンバー)は存在しないため必要とする車がない。
スレチだけど、鉄道のカテゴリーに入るトロリーバスもあるので、あしからず。 補足だけど、大特2種が必要な雪上車も昔あったと聞いたことがある。
敗戦後不要になった戦車で乗客の乗った大型橇を牽引したようで、北海道に存在したとか。
これだと牽引2種も必要だね。 昔、新潟県の燕温泉で、雪上バス(一般乗用)があったらしいと聞きました
自分が行った時は、赤倉♨→燕♨間の旅館の送迎の雪上車
車内には旅館に行く一般の方がいて、
そして長いロープを後ろに引いて、つかまって燕♨にもどるスキーの人がいた
こんなことしていいのかどうか当時よくわからなかったけど、
自分もつかまって燕♨まで行ってみたいと思っていました 青梅・五日市のホリデー快速だけど、五日市行きは廃止、奥多摩行きは青梅打ちきりになってしまったな。 まぁ、しょうがないんじゃない?
だって、奥多摩や五日市にレジャーで行くのに、
わざわざ電車っていう選択するやつなんているか? つるつる号、車掌の居るツーマンバスとしても貴重だった
ワンマン運行で保安員付きはザラにあるしそれを車掌と言ってるのも多いが >>124
わざわざ電車っていう選択するやつがこれまでは多かったから成り立ってたんだろう
そして、今後もなんとか維持したかったから「東京アドベンチャーライン」って愛称つけて、大々的に観光キャンペーンなんかもやってた
それがコロナで全てポシャって今に至る、ってとこだろう ハイキングや登山だと鉄道やバスが便利なことは多々ある 例えば雲取山登山だと、車で行くと同じ登山口に降りてこなければならないが、列車やバス利用だと、三峰口から入り、奥多摩に降りることが可能だ。 高尾山行った時は、高尾山口駅で降りて、帰りは相模湖駅で乗った。 コロナで奥多摩へ観光客が減ってたけど、それなければ土日やシーズン時、青梅・奥多摩間で並行する青梅街道は渋滞連続だからなあ。
駐車場も少ないし公共交通機関使わざるを得ない。 車で登山の方って、
行はともかく、
下山後の帰りの運転の疲労は大丈夫なのでしょうか?
自分なら、帰りの電車に座ったら、熟睡です >>134 疲れていたら仮眠取ってから発車するのでは。帰りの電車で座れたら寝られるが、シーズン時の青梅線だと途中駅からでは着席できなかったりするし。 山登った後、駅に着いて乗る電車が通勤型にはちと興ざめする。また明日、このような電車に乗って通勤するのかと思うと。
中央線なら高尾以西はほとんど115系なのに。 >>136
その中央線高尾以西、115系の投入前は72系とか闊歩してたけどな。
キミの興ざめする通勤型。 >>137
山スカモハ71形とモハ72形の混結も普通にあった。
モハ72だけの編成はなかった。必ずお便所付きを連結するためだったとか。 ガキの頃から学生の頃に乗った記憶では、
クハ76は向きは別にして、4両中1両は必ず連結していました
なお、クハ79/モハ72850/モハ72850/クハ76、の4両は実際に乗りました
モハに限れば、モハ70がなくモハ72だけ、は存在していました 青梅線って、鉄道省管轄だったことはなかったってこと、きょうはじめて知りました・・・
国有化した時点でもう運輸通信省管轄だったそうな 1969/05から
武蔵五日市発の武蔵岩井行き
608/632/1711/1814/1924/2058、6本
ちなみに、東京435→534立川541→614武蔵五日市で、
朝の二本目の632発に乗車は可能
もし今残っていたら乗りたいですが、1711発になりそう
(夏ならまだ暗くはないでしょう) >>139
山スカのモハは71。
一時期常磐線の混雑緩和のためマトに応援に来ていた 鉄ピク、青梅線・五日市線の特集だったから買ってきたよ・・・
なんか、これまで買いそろえてきた青梅・五日市線の本のなかでも
いちばんくわしいっぽいかもしれん。
青梅電気鉄道時代の電車の走行シーンの写真、はじめて見た。 各雑誌でたまに特集してくれるが、多くは見たことのある写真ばかりで期待外れの続いたなかで今回の特集は出色 「EF15を現役時代の姿に」 クラウドファンディングプロジェクト
令和の時代にもう1度"国鉄ぶどう色"をにらさきの地に
韮崎駅から徒歩30分の韮崎中央公園に「電気機関車EF15」が保存されています。
これは、昭和61年に旧国鉄から貸与されたもので、「EF15形式198号機」(以下EF15)のほか、
「トラ」や「ヨ」を含む5両連結という、日本全国を見ても珍しい状態で今もなお当時のまま保存されています。
観覧用のステップが常設されていることから、容易に車両に乗ることができ、地域の子どもたちに愛されているとともに、
韮崎市の人気フォトスポットのひとつになっています。
しかしながら、長い年月の経過とともに、車体の塗装の剥離が進んできています。再塗装と整備を進め、
もう一度韮崎で『在りし日の姿の電気機関車』を取り戻すためにクラウドファンディングを実施します。
https://www.city.nirasaki.lg.jp/kurashi_tetsuzuki/furusatonozei/8509.html
EF15 198号機・・・青梅線とは縁の深い貴重な保存個体なので、情報貼っておく。 >>143は俺も発売日に購入済みだが、今日小作のブックスタマへ行ったら『バックナンバー』として山積みされてた…あそこ昔から鉄道書籍に力入れてるよね。我が家の1冊は飼育している小動物に噛まれてボロボロになってしまったから、もう1冊買い直すかなぁ。
余談だけど元TSUTAYAがジムに、その向かいにスタバ出来ててワロタわ 立川育ちで五日市に親戚の家があるので、
昭和40〜50年代に五日市線を時々利用していた。
一般市民の多くは、当時の五日市線・青梅線の車両を
「カリント電車」と呼んでいた。
(お菓子のかりんとうのような色だったから) <追記>
当時は南武線もカリント電車だったと思う。
中央線はオレンジ色だった。 いちおう、旧国の車体色は「ぶどう2号」なんだけどさ
たしかに近寄ってよく見ると、ぶどう色してんだよな
でも遠目に見ると、かりんとう色とかチョコレート色に見えるという・・・
考えてみると不思議な色ではあるな 薄だいだい色は昔の日本人には肌色としか表現しようがなかったんだよ
ぶどう色も然り RPも「拝島駅ビフォーアフター」とかやれば評価するんだが
橋上駅舎化した直後に訪れたが構内店舗詰め込むために階段の段数増やしたのかといいたくなった