迂回運転の思い出
客車時代の急行能登が碓氷峠経由じゃなくて長岡経由に変更されてた時期があったな
他にも迂回運転について語ろう 東北新幹線建設による仙台駅改良工事に伴い、夜行列車が仙台貨物線経由ということがあったな。深夜で仙台駅通過するから、問題なかったわけだが。 阪神大震災の時の寝台特急あかつきは福知山線・山陰本線・播但線と迂回してた
新潟県中越地震の時の急行能登はほくほく線を経由してた 有珠山噴火の時は山線が迂回ルートになってたが線路容量が足りずやむなく普通列車を減便した
曲がりくねってて北斗が4時間以上掛かってた 水害で山陽本線が壊滅したので貨物列車を山陰本線迂回を検討してたが準備だけで数カ月掛かるみたいでお流れになる可能性高い
ブルトレ全盛期だったら簡単に迂回できたのに 中越地震の時、最初に復旧した越後線経由で新潟〜長野に快速(485)が設定された
後から知ったが磐越西線でも、ばん物のスジと車両を使ったリレー快速があったらしい >>4
しっかり、ほくほく線運賃加算と線内急行料金も設定された 貨物列車の山陰本線迂回は7両編成が限界だった
交換設備の有効長が短い駅あるのか?
昔は交換設備が無駄に長い駅あった