【169系】碓氷峠の思い出 その5【EF63】【EF63】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
国鉄随一の難所であった碓氷峠の思い出を語るスレです。
前スレ
【489系】碓氷峠の思い出 その4【EF63】【EF63】 [無断転載禁止]©2ch.net
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1497453544/ Wikipdia鵜呑みの奴がいるようだがw
あらためて見たら1号機は横川運転区で保管されたことになってるな
国鉄末期の話だから横川機関区なんだが高崎に送った筈
これには貨物の廃止などで余剰気味になった背景があって
同時期には余ったEF62もEF58置き換えで荷物列車に回されている
1と14は高崎で保管されることになるが
当時高崎では保存展示を目論んで廃車電機を集めていた
日の目は見なかったが結果的にこれが鉄道文化むらに繋がる
国鉄分割民営化の過程で高崎の組織も再編され
東日本と貨物で高運と高機となった
1と14もその際に別れたものを思われる
14が高崎から倉賀野へ移動したのは2005年で翌年解体
その間1年足らずだった筈
俺見てたからw わかったよ、オレが悪かった。おまえすげーってことでいいよ >>603の訂正
2004年には14が倉賀野に移動してたぬ
自分で撮った写真見返したら1年間違えてたw
解体まで2年前後倉賀野にいたことになる
すまんでした 秋の行楽シーズンにも関わらず、訪れる人も少なく・・・
一般人はともかく、自称、横軽マニアも口だけ・・・ >>616
忠実にしないと元機関士が五月蝿いから
ボランティアにはやらせたくないという話もあったがな 文化むらってそういうとこだよ、新理事長になる前の
人事刷新でだいぶ変わったけどな 安中市と軽井沢町がイニシアチブでモメてる最中、機構さんは
29日に実験強行したが、安全大丈夫なんですかねぇ?知りませんよ 年に数回もないウォーキングだけだからへんな乗り物を作ったって乗らない。
もちろん通常営業でもニーズがない。 廃止から20年を過ぎ、訪れる人も少なく。
園に入ると、昔、デパートの屋上に置かれていたような子供用の遊具があちこちに
並んでいた。そこから奥に行くと、広い芝生とかつては日本の鉄道輸送を担ってきた
車両群が並ぶ。どれも塗装がハゲ、あちこちに錆が目立ち朽ち果てた姿を隠し切れ
ない状態だ。
小さな親子連れが、ぽつんとベンチに座り弁当を広げていた。
手持無沙汰にするママに話を聞いた。
「とても静かなところですね・・」
会話はそれ以上続かなかった。子供の生まれる前の知らない時代に活躍していた
車両に興味が沸くはずもないわけである。
かつては軽井沢までの橋渡し、多くの人々がホームに降りて駅弁を買うなど賑わいを
見せた横川駅。その時代も通り過ぎ、人々の記憶からフェードアウトしていくだけの空
間が、ここにある。 裏妙義山で日が翳るのが早いし、朝は濃霧が発生して独特な雰囲気があった。 >>628
ポエジーな表現に感服するが…
この先の動向が気になるなぁ。
秩父鉄道・三峰口の鉄道車両公園の雨晒し車両たちも全部撤去・解体されたらしいし。
SL関連の設備を充実させていく予定らしいが…もう、SLノスタルジアだけに観光的価値を見い出す考え方さえ、もう古くないかと思うのだが。 安易といえば安易だけど、動態保存のノウハウが最も確立されてるのがSLであることも確かだからなぁ
客が呼べない、とゴハチすらリタイアする状況では、、 >>628
オマエが子供連れの奥さんと話せるわけねーだろ
このキモオタが( ´;゚;ё;゚;) >>633
確かにね。
電気関係の部品が少なく純機械的な物ほど、部品さえあればレストアがきくから。
>>634
628氏の訴えようとしている事に水を差す事もないでしょ。
何でもかんでもオタ扱いして、挙げ足取りや重箱の隅つつきはご勘弁願いたいな。 閑散期に何言ってんだと
今日はトロッコ走るぞ
部屋を出て乗ってこい 鉄道文化村〜丸山変電所までしか歩いたことなわ。
その先はやっぱりキツイかな? そこから先が66.7‰だけど人間にとってはたいした坂じゃないよ
それでもずっと登ってるから疲れも時間も平坦地歩く1.2倍くらい見ておけばいいんじゃね 平面走ってる鉄道を幹線道路が跨いでいるところで6%が多いからそのくらいの長さなら自転車でも平気だけど
距離考えるとね >>640
66.7/1000=6.67/100
当 た り 前 だ ろ >>639
目の錯覚も多少は絡むけど、碓氷湖の横の廃線跡(遊歩道)を見てみると、また、実際に少しでも歩いてみると恐ろしい急勾配だと感じるよ。1〜2両の登山鉄道ならともかく、幹線鉄道の何両もの列車を通したのはキ◯ガイ沙汰と言っても過言ではない。 体力のない自分はめがね橋からトンネル内を少し歩いただけでヒィハァ言ってしまう 1kmで667mだとそれほどでもないようにみえるが、
10kmで667mとなると相当だよなあ。
10mで66.7cm、車輌20mの片側が1.3mちょい上がるとすると、
恐ろしく感じる。 車両の中でも前と後ろで傾斜になってるのが実感出来たからね 走り屋からすると6パー?ぜんぜんたいしたことねーじゃん、って言われた。 >>650
それはクルマと列車の重量の違いや、接地面との粘着力の違いを全く考えない無知な輩なだけw 66.7‰、11両編成の高低差約15m
大体ビル5階として構図的な遠近感考慮するとこんな感じに見えると思う
https://i.imgur.com/ic9hQdJ.png 似たような感じは新幹線で東京駅につく直前に見られるな >>649
急行能登で碓氷峠通過時に目が覚めなかった人はいなかっただろうな 傾斜もそうだが、エアサスパンク状態の振動で目が覚める >>656
アプトのエントランス通過時の衝撃で目覚ましたヒトいる? >>657
エントランスでそんなショックが起きてたらラック破損で急停止だろうな。 今まで無かった小刻みな振動がガタガタきてエアサスパンクしたなーって思った思い出 >>644
大袈裟なんだよ。丸山変電所から熊の平まで4km強。標高差300mもない
人間にとってはたいしたことない。軽装のジジイやババァがヘラヘラ登ってる
自分も園児つれて余裕で往復した
>>650
まぁいまのクルマならね。それでもそいつが自慢するこっちゃないんだけど
ターンパイクが平均7%。横軽新線開通の当時はそれが登れたら一人前のレベルだったのに 66.7‰ごとき歩くので騒いでるようだが
そのへんの丘陵のニュータウンの坂なんかどうする
住人はそこで普通に生活してる ずっと坂が続くのがきついんでないのかな
100mとかそのくらいの坂なら誰でも問題ないっしょ
でも延々と66.7%の坂が続くとなると結構ツライ人も入ると思う 長い連続勾配がそれ自体きついのは分かるが
高低差が同じなら仕事量も同じ(適当 板谷峠なんて大したことないな
こっちは深夜にあけぼの、津軽、おが が通過していた >>662〜
だ〜からさ、換算重量何百トンという鉄道車両と、せいぜい1トンそこらの重量物が1台きりで走る自動車・体重何十キロの人間の徒歩では全然違うでしょ。
だからこそ碓氷線は大変だったわけだし。
登るのはまだしも、下りでは上から何百トンがブリブリ押してくるのを受け止めながら降坂する。ブレーキの加減によっては編成の一部が浮き上がる。
連結器への負担は多大、保線の苦労、構造物 特に橋梁にかかった負担は大きく、クラックがあちこちに入っていて保守は並大抵ではなかったのだよ。 >>676 ゴム底の靴やゴムタイヤに比べて鉄輪の摩擦係数が低い、そのため加速度で不利な反面、路面から来る抵抗が小さいので平地上の定速運転では効率が良い、という特徴を考えるべきなんだろうな。
体重60sの男性が体重20sの小学生6人乗ったトロッコを40‰の勾配で押して上がれるか、人車鉄道の実験やってみればわかると思う。 >>676
気持ち悪い。「人にとって」 って書いてるだろ。読解力のないバカってのはわかったし
自分がやってもないことを得意気に、それも気持ち悪い表現でレスとか本当に
気持ち悪い。だから、鉄ヲタは気持ち悪がられる 一々物言いが上からな奴と
一々噛み付かずにおれない奴
ヲタの性かな >>678
こちらの言い方が気に障ったなら申し訳ないけど、「『人にとって』たいした事ない、だから鉄道でもたいした事ない。」と解釈されそうな文章でしょ。少なくともここで書いた以上は。
それとヲタと決めつけて過度に嫌悪するのはご勘弁を。信越本線の普通の利用者だっているわけだから。「病識がない」とか、それでも言うならご自由にw。
まぁとにかく、幹線鉄道荷とって碓氷越えは大変だったのですよ。これは揺るぎない。 まぁ、ヲタだろうが一般人だろうが今となっては訪れる人も少なく。
機関車の体験運転は予約でいっぱいらしいけど、それだからといって
実際の遊歩道まで足を延ばす人はいない・・・
かつては多くの人が支え、そして多くの人が利用した。しかし、それも
時代の変貌によって人々から忘れられ、ううん、思い出される事すら
ないただの辺鄙な場所になってしまった。そこの勾配がどれくらいだ
ろうが、リアカーに人を乗せて登れるかどうかとかそんな事はもうどう
でもいいことなんだよ。
わかるね? それさ、安中市長と議会に手紙書いてみなよ。
次の選挙じゃ市税金食い虫の文化むら閉鎖に向けての
反対派が当選して流れ変わるかもよ?
軽井沢や富岡のご機嫌取る必要もなくなるしさ。 日本には英国みたいに保存鉄道のスポンサーになってくれる貴族や資本家が居ない。 >>684
鉄道車両の良好な保存には、やはりそれ相当のお金=自治体ごとの予算=税金が必要って事か…。
>>686のようなネカチモの篤志家がいないとなると、公共予算依存しかないけど、それがダメならボランティアって事で、それも限界がある。
わかるけど寂しいなぁ。 税金が投入され、それで地域が活性化されるかといえばそういう要素もないからな。
一般市民レベルからいえば、使わなくなったガラクタに税金を投入なんて絶対反対
でしかない。
もちろん、連日来場者が溢れ、施設のグレイドアップの為というのなら賛成だが。
そんな筈もなく。
まぁ、百余年の歴史の閉幕というなにか勢いがあってあれだけの施設を作っちゃ
った勢いがあったんだろう。それから30年も経てば、閉園もやむなしといったところ
だろう。 碓氷峠鉄道文化むらもかれこれ10年近く行ってないや ゴーンくらいの財力あれば碓氷峠くらい百ぺん復活させられる 子供を連れていきましたら、さびてデコボコした車両を見て怖い!と怖気づいて
ました。
よくないですよね〜。 >>693
高台の体験用機関車置き場横の189系2両のこと?
あれも流転の末に塗り直してピカピカだったのに、近況の画像を見てモノクロかと思うほど衝撃的でしたわ。
なんでこれだけ放置されまくってるんだろうと。 これはよかった。さっきつべのホームトップに挙がってきてた。
視たらサビサビに加えて、サイドの行先幕がなぜか中でズレ落ちかかってて痛々しい…。 10月1日の信州妙高リレー2号は
最終あさま37号の折り返しだったんだ 前後の機関車の連絡のため、車内放送がなかった。昭和50年ごろの話。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています