【169系】碓氷峠の思い出 その5【EF63】【EF63】
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国鉄随一の難所であった碓氷峠の思い出を語るスレです。
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【489系】碓氷峠の思い出 その4【EF63】【EF63】 [無断転載禁止]©2ch.net
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1497453544/ >>252
代行バスになって何回かは乗ったが、中高生はガタ減りした印象があったんだよ。
交通費が上がって敷居が高くなったのかとも思ったし。
アウトレットが出来て以降、今のティーンズの足が向くならけっこうなこと。
道路のド渋滞は困りものだが。 >>253
人に話をする時は
順序立てて整理して話しましょう 今の軽井沢の集客状況は特鉄道に関係なくても
横軽の現状って意味じゃスレチとも言えんよ
なにしろ横川側はおぎのやしか無いんだしw 益子焼?とかコストかかっているんだったらプラスチックでいいだろ。
ゴミの処分も紙やプラスチックよりコストかかってそうだしな。
国産牛とかいくらなどの海産物を使っているわけでもないのにな。
逆に販売数が減ったから値上げ感もあるな。 プラで釜飯とか存在価値全否定ワロタw
コスパ至上主義のナウなヤングだとそれが普通なのかな〜とお爺さんのボヤキ 益子焼の器、昔は今みたいに薄っぺらくなくてもう少し立派だった
お粥をたくのに重宝したんだが、今のはあまり長く使えない。 碓氷峠区間廃止の時は確か850円位だった。
横川で軽井沢方面乗り納めの時に食べたっけ。 1000円は6年前から
800円から900円に上がったのが
廃止直前の頃
>>267
年寄りは昨日も20年前も区別つかなくなるw 一応、東京駅でも売ってるらしいけど、入荷時間が遅いみたいだし。
朝一番の新幹線に間に合えば買ってるんだけどな。 軽井沢売店や横川SAでも8時からだろ?
東京駅11時は仕方なかろう
中途半端な時間から販売開始しても売れんだろうし >>268
当時の掛紙アルバムに貼ってあるが96年に買ったときは800円で97年には900円だった(97年春の増税で値上げ) 横川から丸山信号場までは歩いたけど次回はメガネ橋まで挑戦したい
あとブラタモリで歩いてた旧中山道もいいなぁ 逆にすればいいんだよ。熊の平までバスで行って横川まで降りてくる。下りだけだから余裕
SL横川が横川に着く頃に旧道経由のバスがあるから、それで熊の平いって歩いて降りてきて
峠の湯によって文化村。完璧 登りも辛いけど下りも膝にくるんだよ
と知らないのはヤング >>282
たけーよ。
釜めし1080円。峠の湯600円前後。あとは峠の湯から横川のバス代? ツアーだからな
保険も人件費も
廃線跡の安全確保もある
廃線跡はツアー以外歩けないプレミア トンネルの中で足を溝落としやって挫くんですねわかります >>284
鉄道でも、登山でもそうだけど、実は難しいのは下り。
碓氷峠は、幹線鉄道ではキチ◯イじみているほどの勾配を無茶苦茶な方法で上り下りした前代未聞・唯一無二の鉄道遺産。 >>289
緊急時が特に怖いから吸着ブレーキまで付けてたもんな
アプト式はどうしてたんだろう 山の遭難事故で一番多いのは下山時だっけ?
俺も最近は登山しなくなったけど、下山時が一番しんどかったわ。 一定速度超えると止まれなくなるからね
上り1号トンネル出口で転覆したのが有名
アプト時代は下り列車の逆送事故があった 上りより下りで脚に来るのは
使う筋肉とその使い方が違うため
力を受け止めながら筋肉を弛めていく方が
負担が大きい
登山後の下山の場合は
これに疲労が加わる 下り列車(山登り・軽井沢方面行き)よりも、
上り列車(山下り・横川方面行き)のほうが、
所要時間も長かったよな。
ブロア音響かせながらめちゃゆっくりと下っていたのが印象的 今の時代なら・・・
てか3000系とかなら単独でも十分通過できると思うんだが。 山之内の著書だかで読んだが、粘着試験で降坂中に重力とブレーキがバランスしてしまい
丸山あたりでようやく減速したとか、暴走一歩手前の事案もあったそうだな
ED42で実用化していた回生ブレーキも、安全性を考慮して63では見送られたし 回生ブレーキは回生失効が怖い
板谷ではやってたかな 何回もいうけど見送られたんじゃないよ。発電ブレーキが実用で使えるようになったから
発電になった。ED42やEF11、16の回生ブレーキは半導体使った回生とは別物と思った方がいい
>>284
さすがに7%の下りで音を上げるような身体は日常生活でも困るレベルだろ 発電常用って抵抗器の負荷が凄いからその技術が
むしろ戦前じゃ無理だったんじゃない?
絶縁関係の技術って軍事用含めかなり稚拙で
発火騒ぎとか昔はよくあるようだし。 >>296
熊ノ平にある古いトンネルは暴走した際のツッコミ用に使われたんだっけ? >>300
とツッコミ待ちかw
あれは有効長稼ぎの一種のスイッチバック >>297
板谷峠の場合はEF16で回生→EF64で発電→EF71・ED78で回生と変遷
EF64が発電ブレーキだったのは置き換え決定の直流変電所を大規模改修するのを避けたためで
EF71・ED78で回生になったのは交流での発電ブレーキは回生に要するものより機関車の内部機器を巨大化させるから >>303
熊ノ平の有効長をそのまま取ると前後の勾配がとんでもないことになるからなあ 廃線になったのはそんなに昔じゃないのに、不明な事が多いなあ。 よくよく考えればあの構造で交換駅ってすごいな
上下同時進入しても待たされないし 子供の頃、脱線転轍機について学研の図鑑に記述があって、
よく理解できずに、「脱線させるための転轍機」という部分だけを捉えて、
なんて酷いことをするんだろうと思ってた。 >>303
ピクで碓氷峠の旧線遺構調べた記事だと下り引上線トンネルに客車10両、貨車25両と有効長示す注意書きがあったそうだが今も痕跡あるのかな
それ以前の雑誌で熊ノ平駅跡行った記事だと朽ちた木材(ホームの一部?)も引上線トンネルの手前まで続いてる写真あったけど >>300
あれね、構内の線路有効長が足りないから。
>>301氏の言う通り、一種のスイッチバックだった。単線・交換駅だったが故の苦肉の策。 下り列車の場合、列車の先端を一旦トンネル内の通称『下り突込線』に入れる→ バックして『下り引上線』のトンネル内へ、本務機(横川方)側を入れる→ 軽井沢方第3補機がポイントに干渉しない位置までバックできたら停止(この間は汽笛合図で位置を確認し合う)。
つまり、こうしないと交換のためのポイントが切り替えられないって事。
第3補機の運転士は、トンネルの先が行き止まりだから、結構怖かったらしい。 >>308
その脱線側線が災いして
三河島事故の惨劇の引き金だったんだよね >>309
客車と貨車で長さが違うからにしても貨物25両てw
今じゃ考えられない長さだな >>314
貨物、1両で延長8mだからどっちも200mじゃね
補機込みなんだろうけど、あの位置に200mとかよく切り拓いたと思うわ 熊ノ平も当初はスイッチバックをするのは下り列車のみで
突込・押下線とも明り区間で収まる程度の有効長だったようだが、
ED42の頃には牽引定数が大幅に増えていたしな >>313
安全側線機能は果たしたけど、車体が運悪く本線側に傾いたのが
災いになったと言いたいんじゃないの? >>316
皮肉な事に、それが信越本線の黄金時代というのもね…
観光シーズンには列車が満員となり、そのおかげで列車の車高が下がって、矢ヶ崎の縦カーブではアプトのレールに車体が干渉した!
それで縦カーブを緩くする改良が行われたり、アプトを廃止して新線とする計画がいくつか出されたわけだが…
66.7勾配複線化案外(EF63による粘着運転化)ではなく、25パーミル緩勾配迂回案(補助機関車を必要としない)など、全く違った案が採択されていたら…今頃信越本線はもう少し違ったものになっていただろうと思う。 >>318
25‰案は、所要時間がかかりすぎるというので候補から外されたんだよね。
でも、これだったら今でも残ってたかもしれないな。
都電荒川線の王子〜飛鳥山にある明治通りとの併用区間、66.7‰なんだってね。 >>319
長大トンネル案なんかもあったんだけど、単線で50億円という、建設費がとんでもないがために没になっていた。、 >>321
解決したのは勾配だけ。
在来線3セク化で旧信越本線の途中駅は骨抜きにされた。
新幹線で得をしているのは起点と終点だけという声さえある。
実際、東京・上野・大宮と金沢くらいしか恩恵を感じていない。
東京〜金沢は確かに2時間半だが、熊谷辺りから乗ると、まず上越新幹線に乗り、結局は大宮か高崎で乗り換えないとならない上、これまでの在来線はくたかと到達時分が大差ない。
ここから先は感情論になるけど、乗っていて旅情は皆無で、ただA地点からB地点へ移動するだけの手段でしかなくなっていた。
こんな幹線網に誰がした…と言いたい! >乗っていて旅情は皆無で
外見るよりスマホ画面の時代にはいいんでね?
高速道路だって車窓つまらんしな。 鉄道から旅情を切り離したものが新幹線じゃない?
旅行というより出張のイメージ結構あるし >>323
>>324
確かにな…
…って、いやいや、高速道路はドライバーにとっては車窓の楽しみどころじゃないでしょ。
でもさ、新幹線よりはまだ旅情があると思う、サービスエリアに止めさえすれば… >325
煽り運転されてハラハラさせられるもんなw 横川サービスエリアでは上りしか釜飯は無かったような記憶だったけど今は下りも売ってるんだ >>328
売ってる
だるま弁当も上りで売って欲しい
下りまで遠征する人もいるようだ ダルマ弁当って釜飯と似たような味なの?
容器だけは欲しいと思ってもどうしても釜飯の方を買ってしまう まぁ、時代の流れと共に自分も変わった。
昔は新幹線開通と共に在来線特急が廃止され、新幹線なんて大嫌いだい!って思っていた。
しかし今は新幹線での京都旅が楽しい。
新幹線に旅情はない、いや、京都へ行くテンションを高めてくれる。それに2時間少しの乗車
時間もちょうどいい。これがもっと長いと退屈、乗車疲れもある。逆に短いと弁当を広げた後
が慌ただしい。時間を気にする事なく弁当を広げ、しばし景色を眺め目をつぶる。ほどなくし
て到着するタイミングは今となってはちょうどいいのであーる。 歳が分かってしまうが
アプト式の時代にも
長野にスキーに行くのに
碓井峠をよく通った。
夏は窓が開いているから、
アプトと駆動歯車がきしむ音が、
機関車のすぐ後ろの客車では聞こえた。
走る速度も飛び乗りが出来そうな・・・
その頃の1時間目ダイヤグラムを見ると、
ほぼネットダイヤで、
保線作業時間を取るには、
臨時運休をしなければならなかった? >>336
私もアプト式の列車に乗ってスキーに行ったことがあります。(スイスでですけどね)
ラック音も良いですよね
実はヨーロッパにはクモハニピみたいな列車が沢山あるので乗ってる列車の下からラックレールの振動を感じ取れるので皆様、是非一回はヨーロッパへ足をお運びくださいまし 突っ込むならスイスの登山電車はアプトとは限らないんだが
ユングフラウはシュトループ式だし、ウェンゲルンアルプはリッゲンバッハ式 >>343
専門板で何を言ってるんだ
ところでクモハニピって何だ? 電車記号と貨車記号くっつけたのかよ
いきなり「自分記号」使うなよ
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