編成美を崩していた車両
サロ110の特急型車両とか屋根高さ違ってて見事に編成美崩してたな 東武6000を6050に更新していた時期なんか更新前の6000が1ユニット入ったのなんかはもうねorz。 >>34
下段は固定ね。通勤で使ってたけど、上段を開けてるの見たことないわ。
しかも空調の効きは悪いし。 >>16
札幌市営地下鉄も6000の中に8000を1両組み込んでいたことがあったらしい
>>17
名古屋市営地下鉄も3050の中間に3000の余剰車を組み込んだ編成が1本だけ存在する 昭和56年185系出始めの時は153系低運+185系
の併結なんてのがあった。昭和30年代半ばと
50年代半ばとの新旧世代併せ。これなんか
編成美なんて何それだね。
同じ頃総武線153系で片側低運片側高運で
編成中に165系が入っていたり、上野口で
片側ボンネット片側電気釜の485系なんてのもあったが別に編成美は崩れてないか。ただ低運やボンネット狙いだとがっかりしたな。
その少し後で九州の181改造のクハ481-500
はボコっと先頭車だけ屋根が低くて醜かった。 思い出した。東海道や中央線の113や115の尻に
ひとつだけおまけみたいなクモユニが付いてたろ?あれなんか本体は軽やかなカルダン駆動なのにケツの1両だけ狂気じみた吊り掛け音響かせておっかなかったってかうるせーってか
蹴飛ばして転がしてやろうかと思ったよ。 ブルトレ始め日本の客車列車って、客車とは全く異なる塗装、形状の機関車が牽引していて編成美ぶっ壊しているんじゃないかねえ? 65-500に20系などはなかなか合ってたと思うけど刷り込みかね? ただ編成美もそうなんだけど、ヨーロッパの客車と比べると14系以降の、特に内装の味気なさ見るとやっぱり日本はダメだなと思う。一方で昨今の良くなった中国の寝台車なんかかなりいいよ。
クモユニってか吊り掛けは113や153系が闊歩
する時代のダイヤでは無理があったねえ。
ほとんどモータが悲鳴あげてて80系とか乗る方はかなり疲れたんじゃない? 昭和50年以降の環状線と緩行線の103系。
中間の6両ないしは5両はピカピカの新車、先頭車2両は京浜東北や山手線から都落ちしてきた
昭和39年から42年ころに製造された初期製造のクハ103。
冷房改造こそしてあったが、車内は黄ばみ、東京近郊の地図を剥がした後を白ペンキでベタ
塗りしたものまであった。 >>38
485系で仙台配置の編成は先頭が非ボンネットで中間の10両全部がキノコクーラー、西日本や北陸地区の編成は逆に先頭がボンネットで中間が非キノコクーラーという逆バージョンが目立ってた。
全車非ボンネット世代で統一されてたのは青森の編成が多かった。
>>43
103系のユニット窓世代は編成両数全車がユニット窓車で統一されてる編成ってどの線区でもほとんどなかったよね。 結論、今日の鉄オタが「走るんです」とか個性がないとか言っている車両が、最も編成美の取れたものが多い。画一的だからなあ・・ 編成美言うのなら、二階建てグリーン車なんて廃止すればいいのにねえ・・ >>39
中央本線の甲府方の最後部に連結されたクモユニ・クモニの小仏や笹子トンネルとかの長いトンネルの中で
悲鳴と轟音轟く吊り掛け音が昔の中央本線の音なんだよな。 >>45
走るんデスやAトレは、最初から固定編成で考えられたものが多いから、逆に、異端車が組み込まれると、とたんに編成美が崩れる。
特に、日立Aトレと従来型アルミ車が混結されたら、ちぐはぐ感倍増。
ただし、東急5176Fの、1両だけsustinaが組み込まれた編成は、この上ない強烈なアピールである。 >>16
>>17
まだこの例がありました。
京都市営地下鉄10系
初期型の四角い側窓と、増備車の四隅が丸い側窓。
角と丸の対比も、営団7000系の混結編成に似ている。 A寝台にB寝台、そしてグリーン車、食堂車、電源車と、窓などの配置がそれぞれ異なっている20系夜行寝台列車も編成美欠いているわなあ。 窓配置の違いはアクセントだよね。
丸い行き先表示と号車表示、折戸ドアが
ズラリと連なる様は荘厳そのものだった。
急行運用で貨車みたいなパレット車が
東京寄りにつく様などは落ちぶれた感じ
がした おっとごめん わかりにくい。
上野口での急行運用で東京寄りに貨物のようなパレットつけて、ね。
新聞運送のためだったね。
それとか20系と12系との混結とかいやだったなあ。20系の美しさを知る世代としては。
マヤ20、種車の古いスハ32が御身青く塗って
白い帯締めて、何とか20系になりきろうという姿がアスナロの木のようで涙ぐましくて良かったんじゃない?ただ妻面の白が傷痍軍人の包帯のようでちょっと怖い。 >>37
6000形に8000形に1両入っていたのは事実で
6000形は4両に2両を後から入れた編成もあったから
3種類の車両が組み込まれていた
ちなみに8000形が増備された時にそのまま8000形の編成に転用された編成と
8000形になったけど別の編成に入ったグループがあり
置き換え用のうち1編成は全車新造の編成がある 横須賀線でスカ色の70系6連に連結されていた、ブドウ色のクモニ13。
塗食と車体長が異なる。
スカ線は6連ダブルの12両が標準であったが、この編成だけは旅客が
乗れる車両が6両のみのために混雑するので不評だった。 ここまで東急5200の中に5000が1両混じった話なし 京阪1650型もだな
登場から最期まで編成美とは縁のない車両だった >>54
マヤ20は種車が32系ながらオハシとか変な車ばっかりだった。35系でも作れたかも知れないが、
仮に43系で作ったら恐らくマヤを飛び越えてカヤになっているかも。
元々はさくらの佐世保行き編成の仮電源車で使うためからはやぶさの長崎行きかなんかで使うために作った。
これがなくなってから今度はあかつきが佐世保行きでの24系25型のために電源車が必要になって
カニが足りず残っていたカニ22を改造してカニ25なんていう変な電源車を作っている。14系15形化で解消。 そう、おニューな24系25型のしんがりに場違いなカニ25がついてると申し訳ない気持ちになる。ありゃ最も醜い編成のひとつだ。 でもカシオペアの予備電源車のカヤ27は意外と編成美崩してないな >>59
番号だけ復活しているんだな。しかも神戸線でM車w
1000系に1500や1600の番号が混じっていることは、別の意味で編成美を崩しているように思えるww >>61
このカニ25、マヤ20とは違って本務電源車としても使えるんだよね
大阪駅で明星で充当された映像があったね
>>62
元々関西発着の九州ブルトレって電源車はカヤ24がデフォだった
25形と同時に作られたカニ24は東京発着や東北ブルトレで使われてたな
つまり関西(西日本)はカヤ+25形、関東(東北)はカニ24+24形と逆転していたね
関西ブルトレの25形使用列車でカニ24が使われてて銀帯で統一された編成になってたのは安芸と日本海位か?
カニ25という形式は本来ならカニ24-100が名乗るのが適当だと思った 50系改造の北斗星電源車は
作り物の丸屋根を被せるとか
涙ぐましい努力をしてたな
側面ペッタンコだから
どうせ目立つのが哀しい
ただ、旧客改造とか、
24系のカシオペア用とは違い
世代の異なる車をねじ込んだのでは
ないので嫌いではない 編成美を崩すについて語るというのは編成美について語るという事になるけれども、いわゆるブルートレインで編成美を保ててたのは
20系については昭和53年頃の急行転用されるまで、24系については、24-24、24-25-0、24-25-100or200それぞれでまとまってた時期が最も編成美を持っていたけれども電源車と食堂車で崩されている事が多かった。 14系については14-14、14-15共に比較的遅い2000年頃まで純血編成で編成美は保たれいていた。ただし24-24も14-14も二段寝台改造で24-25や14-15とのとの違いがなくなり、寝台列車衰退が進むに連れ24系同士、14系同士であれば何でもありとなり、
更には24系と14系との混血まで生じるなど醜悪を極めるようになった。
こんな感じ? 1981年頃の大阪発着の24-25-0の編成などはオハネ、オハネフが両側面とも大窓でオハネフは半折妻で格好良かったなあ 京阪
600系と1300系
2600系と1900系
これ等は編成内に1両だけ混結 湘南電車のGに165系改。
特急電車改183系だったか?のGもあった。 模型だと差がある車両を組み込みたくなる
何両も金なり労力をかけるからには
折角ならという感じ 25形ロビーカーや金あさかぜ、EF66牽引が出た頃
14系のさくらやみずほは
見た目が整っているけど単調だなと思った
カルテットが外見から違いがないし スシ24
オシ24にすれば編成美が整ったが車両が足りず泣く泣くサシ転用になった そうだ70 71で大事な帯のこと書かんかった。末期は白ありーの
オリジナルのステンレス帯ありーの金帯ありーの悲惨だったなあ
それに485改造ロビーカーとか。ありゃインバータからの漏れ磁力で
長くいると癌になるんとちゃう??ってかいまいち寛げないのは体が
電磁ノイズ感じてるからやろ?? オシって足りてなかったんだっけ。
時期的に九州ブルトレでまだ必要だったんか、廃車しちゃったんか パンタとSIVの付いてる瀬戸用のやつは
12系改造だったかな
485系改造のは
なはのレガートシートがあった >>78
その頃東京からの九州口のブルトレのオシは食堂としては営業はもうしていなかった。
売店代わりと車内販売用のスペース的用途。
仮にあの時に外していたら北斗星に回せたが当時さくら はやぶさ 富士らの車両の保有はJR九州保有で、
尾久にいたのは出雲1・4号 瀬戸 あさかぜ程度。当時3往復体制でJR北海道は1・2号でJR東日本が
3号・2号 5号・6号担当だったが瀬戸や出雲やあさかぜのをかき集めても多分オシは足りない。
九州が手放したやつを買えば良かったんだろうけどね。オシ14とオシ24あれだけであれば後に
北海道と東日本の車両合体化した際にぶちこめた。 九州ブルトレの食堂車休止は、1993年改正だよな
のぞみが本格的に走り始めた時 窓の形とかドアの位置が違うくらいだと気にならないけど、
車高や断面、塗装などが違うと違和感が生まれる感じかな。
東京口の113系で、湘南色とスカ色が混じっている編成を見ると悶えてしまってた。
逆に全部同じ色だとがっかりしたり。
一度、湘南電車の付属4両が全てスカ色というのを見たな。 >>85
房総各線はボロ車と1000番台初期の一部を関西にトレードに出したりしたためにスカ色に湘南色が
混じるどころか阪和色のグレーに青帯のまんま内房線や外房線で使ったりもしていた。
クモユニ143が4両全て幕張に集結した際にもスカ色どころか湘南色や身延の赤までいた。 80系電車も300番台とその他がごちゃ混ぜだと塗り分けがガタガタ >>58
グリーン車だな
>>59
阪急なら530はどう?
東急だと8000・8500かな、軽量車だと結構車体断面が異なる。
特に8000に組み込まれた軽量車は張り上げ屋根のようで印象が違っていた。
阪急だと5202に組み込まれていた5563とか、
5200に組み込まれていた2880かな。
阪急名物運転台撤去車も編成美という点では微妙だった。 > 5200に組み込まれていた2880
すまぬ、5200編成でなく5200系。
阪急だと、5300ではクーラーが揃った編成は少ないんじゃないか。 標準色の変更があると一時的に編成がゴチャゴチャになる時期がある。
俺が覚えているのは1970年代後半の相鉄と、つくば万博後の常磐線赤電。 58系気動車は、グリーン車以外は全て運転台が付いているから、
編成が58系車両で統一されていても、何かゴチャゴチャに見える印象。
編成内に連結されてても運転台同士が向かい合っていれば、
ゴチャゴチャ度は下がったかも知れないが、そういうことはまずなかったし。
さらに西日本だとキハ65が入るからゴチャゴチャ度に拍車が掛かる。 >>91
四国と九州の急行はキハ28よりも必ずキハ65が混っていた。反面西日本の陰陽連絡急行のちどり
とかはキハ58-28を最後まで貫いていて、あの地獄の登りの木次線でもキハ58-28だった。
晩年の急行砂丘はキハ58-キロハ28-キハ65。
特急ひだになってしまったが、急行たかやまの晩年はキハ58-キロ28-キハ28だが、キハ65も一時的に使っていた時代があった。
九州の急行にはキハ58-キロ28-キハ65にさらに島原鉄道のキハ5500 2600 2000形らが混じるのまであった。 なぜか急行「ちくご」は当時特急街道の田原坂で481/485系に追いまくられながらもキハ58+キロ28+キハ28+キハ58の編成を守り抜いてた
キハ58系はこれくらいの編成が美しいと思う
号車番号札が14〜16号車とインフレしてたが 西武701系のモハ701-1〜701-14
701系の一部6連化のために601系からモハユニット引っこ抜いて701系に編入。
窓形態やドア位置が異なるため、明らかに編入だとわかるくらい目立っていた。
まあそれはそれで面白かったが。 >>85
半蔵門線8000系の8106Fは、最初6両編成で出て、8両化で2両増結、その12年後に05系風の増結車2両を加えて10両化したため、ドア窓の大きさが3種類あった。
しかも、05系風だけ側面の処理がハッキリ違うため、異様に目立ってた。
現在はリニューアルされて、ドア窓は一番大きい05系風のものに統一された。 逆に、編成美を保つために、後継車やマイナーチェンジ車が現れても、あえて旧形態で作る例もある。
京王7000系
マイナーチェンジで、ビードプレスのステンレスになったが、初期の5両編成、6両編成の増結車は、編成美を保つために、コルゲートステンレスで作られた。
東武10000系
マイナーチェンジで車体が一新されて10030系になったが、初期の8両編成で作られた10000系の10両化で、10030系登場後にもかかわらず、コルゲートステンレスで作られた。
都営大江戸線12-000系
練馬-新宿開業で作られた8両編成は、最初から無塗装アルミだったが、初期の白い6両編成の増結用2両は、白い車体で作られた。
東急8500系
増備途中で、車体をフルモデルチェンジした8090系が出たが、後に出た8500系の増結車は、軽量ステンレス仕様ながら、編成美を保つために、旧来のコルゲート仕様の外見で出た。
後に、全車が軽量ステンレスの編成も出たが、8500系は、車体はモデルチェンジしなかった。 横浜線、ひいては後の南武線で山手・中央・総武・京浜東北のおさがりがカラフルに混成していたのはドン引き 大井町線7両化のための増結車
6020系仕様にはならなかったな >>97
常磐線のエメラルドグリーンもなかったっけ。
武蔵野線はエメラルドグリーンが多かった。 >>95
都営新宿線の試作車も4両で登場して初期車と増結車を2両ずつ組み込んだために3種類の車両が混在していた 国鉄末期、常磐線の青電快速の一部列車が車両転配の影響でごちゃ混ぜ編成になっていた時期、
「太陽にほえろ!」で、そのカオス編成への憤り、アンド惚れた女に鉄道趣味を嘲笑された腹癒せに
殺人を繰り返すサイコ鉄ヲタが出て来てたな。
最後、ドックに「電車の色が違うからなんだってんだ!」って問答無用で射殺されてたけど。
編成美!編成美!という奴らの中にはそういうバカが多そう。
あの頃よりも。 >>100
最末期は先頭車が10-300Rに振り替えられてなかった? >>45
遅レスだけど走るンです元祖の901系も、C編成のうち2両が大船工場製でドア窓と側窓が他車と異なってた。
ドア窓で思い出したが、相鉄3010系(→3000系)の3514(→3651)も1両だけドア窓や車高、VVVF化後は塗り分けも他と違って違和感があった。 臨海線70-000系の初期車も、ドア窓の違う増結車が組み込まれている ゆったり化前の381系やくもで、通常やくも色とスーパーやくも色が混合してある事があった。
さらに多客期の増結にくろしお色や国鉄色も混ざる事もあった。 ぱっと見は解かりにくいが、大阪市交30系の一部。
先頭のみ新30系の中央線3043・・・・3543とか。
一番の変態編成は谷町線の3098・・・・3598だったかな、先頭はブサイクな旧7000+8000。 営団東西線のJR車で、10両化の過渡期に、301系5両+103系1200番台5両という編成があった。
ただし、異種併結のため、稼働率は低かった。
同じ頃、103系1200番台の中にサハだけ0番台という10両編成があった。
こちらは、屋根上の冷房のデザインの違いがポイント(サハは、新製冷房車の時点でA-A基準を満たしていたため、地下鉄乗り入れにも問題がなかった)。 >>104
りんかい線の車両は、側面に「TWR」のみの車両と「TWR りんかい線」と書かれてる車両とが混在してるのも気になる 旧型車全盛の時代の北陸鉄道の辞書に「編成美」の文字はない。
例外があった→クハ1001+モハ3201/くたに号/しらさぎ号 西鉄の特急車1300形は自前で編成美を崩してた
好きだけど 名鉄2000系には1800系に相当する専用の増結車が作られていないので
8両のときには後ろ2両だけ色違い。 >>111
初代600形の先頭車です
京阪1000型に似た流線型先頭車でしたが残った中間車とか電装解除で余った部品で造った新車とか編入させられた300形の編成美が凄い事に
車体構造や台車や扉数がバラバラになってしまいました >>90
キハ183が新国鉄色からとかち・オホーツク色やHET色になるころに特に混合が多かったな >>58
崩してたほうが名車で人気も知名度も高いしな
日本初ステンレス車とかいうわりに地味だね5200系 国鉄の急行型電車、近郊型電車に見られたが、運転台が中間に入る編成も編成美を崩しているな。
運転台同士が向き合っていれば問題ナシなんだが、
運転台の反対側が中間車の切妻連結面だと美観が損なわれている感じだった。
中央東線『アルプス』みたいにクハ連続とかサハシの次に連結されたクモハとか。
信越線の『信州』は165系と169系の違いはあれど先頭車、グリーン車、ビュッフェ車など、
『アルプス』と同じ形式の車両が揃っていたけど、こちらはサハシの隣をクハにすることで、
美観を保っていた。
『アルプス』は付属編成が4両で、『信州』は付属編成が3両だったからって事情は勿論承知。
飽く迄「編成美が保たれているか否か」の話ね。 <クモハ - モハ - サロ - サロ - サハシ - <クモハ - モハ - クハ> - <クモハ - モハ - クハ> - クハ>
こんな編成だったっけ確か。アルプス。 房総各線にまだ急行があった時の内房 そと房 犬吠らもクハ2両連発とか似たり寄ったりだったなあ。
急行佐渡もそんな感じ。中間電動車のモハ165もあったのに大量に作らなかったし、ほぼ東海用だったなあ。
あれがアルプスに使っていたらかなり編成美か揃ってたはずなのに。 急行型電車で一番酷かったのは、大垣165系の晩年じゃなかったかな。
8両中運転台付が5両とか、6両もあったかもしれん。
また、59.2のときだったか、
<Mc|M'|Tc>|M|M'|<Mc|M'|Tc>
なんていうのもあった。 東急7200系と言ってみる。
3両編成の池蒲線に入ると運転台が閉じ込めのデッドスペースにもなり、編成美以前に邪魔くさい。
個人的にはさっさと譲渡されて消えて良かった。
なんかファンが多いようでw >>118
『佐渡』『よねやま』の全盛期は「Tc M' Mc Tb Ts Ts Tb Tc M' Mc T Tc M' Mc」だったそうだが、
編成中間の運転台の連結相手が、悉く切妻連結面というw
それを「Tc M' Mc Tc Tb Ts Ts Tb M' Mc Tc T M' Mc」に繋ぎ変えるだけで綺麗になったのにな。
山陽新幹線・岡山開業前の門ミフ475系急行も、
最盛期は「Tc M' Mc Tb Ts Ts M' Mc Tc Tb M' Mc」だったそうだが、
これも1両クハを足して「Tc M' Mc Tc Tb Ts Ts M' Mc Tc Tb M' Mc」とすると綺麗に。
以上、飽く迄、編成美だけに拘った話。 >>121
3両貫通編成(目蒲線時代は4両貫通も)もあった。
営団6000系もそうだけど、アルミ、ステンレス(銀色ボディ)で、くの字形の先頭車って、なんかひきつけられるんだよね。 東横時代の7251×8は急行唯一の冷房付きで神だった >>124
運転台中央の貫通路と切妻連結面・通路で幅が異なる(運転台:狭い/切妻:広い)から、
切妻連結面の通路側に狭い通路用のアダプタ付けて連結していたな。
あれはあれで好きだったがw >>92
島原の気動車の形式名はキハ55、26、20形な
車体番号で騙され易いが >>108
その臨海線表記のある車両が増結車
初期車にはサハが存在しないために初期車だけで統一された編成は存在しない 超・多客時のムーンライト九州に青い12系(自由席)が組み込まれていた。 E233-3000の一部編成のG車が川重製。
何で編成ごと川重で作らせなかったんだ? >>132
2階建て車は製造が面倒臭いから、面倒くさい車両だけ外注に出した
ってところでは?
2階建て車は製造が面倒臭いから、ある程度まとまった数作らせろ
って川重が言ってきた、って可能性もある