編成美を崩していた車両
サロ110の特急型車両とか屋根高さ違ってて見事に編成美崩してたな >>262
その崩れ具合がマニア心をくすぐるわけやね 大井町線時代、無理やり5連にする必要あったの?
それほど混んでなかった 本来は6連なのだが、青ガエルは車体が長いから5両までしか組めなかった >>270
6両編成で3m長いだけで無理だったってのはシビアな話だな 阪急京都線のかっこいい新京阪デイに挟まった後からこしらえた不随車
と思ったら最初のほうに書かれてた S52頃、茶色の72系で統一されてた千葉ローカル(津田沼)に、片町線から流れてきた
オレンジ色のサハ78、しかも戦前製の4ドア改造車でリベットだらけの丸屋根、よりによってなぜ?と思った あれすいませんでした 1550もそれ一台だとすらっとして台車もかっこいいし失礼しました >>275
S49年に久里浜で73系電車が水没した影響が残ってたのかしら? 3両のときの名鉄ク2320と言ってみようと思ったところだが
むしろその方が自然に見えて、モ700×3で組まれた臨時列車のほうが不自然なかんじがした。 旧名岐のスター700 旧愛電のスター2320
同時期の製作ながらこうもスタイルが違うのか
かたや寸胴、かたやスマートw
どっちも好きな名鉄ファンです。。。 JR西の103系体質改善車のカオスっぷりは異常w
同じ103系とは思えないくらい編成美を崩してた
USJラッピングはさすがにオール体質改善で揃えた 東急3000系も編成美崩れる予定だな
異様に年の離れた中間車を増結する事になる キハ80系特急「まつかぜ」
キハ82の故障で下りは最後尾無し
上りは先頭をキハ28にして運行 客車の方は全て12系か14系の座席車で荷物車だけが旧型客車という急行列車編成が好きだったな。 >>281
あれを編成を呼べるのかはおいといて…
1980年代の揖斐線で何度も拝ませてもらった
幸せだった 好みの問題だが俺はこの凸凹コンビの方が良かった
最末期は多客時でも700同士でコンビ組んでいた記憶 名岐と愛電の共演でいうと、
ナマズとイモムシの組成は現実にあったのだろうか ク2320が先に無くなった後、モ700-モ750-モ750の3両組が有ったけれど変な感じだった 長年3400は連結不可(非常用)だったが、1984年に改造
その後、短期間で稀ではあったが、850と連結する機会があった >>244
2022年現在、抜かれた6両は未だに放置中w 昔の名鉄で旧5000系に5200系中間車が入った6両固定の違和感はすごかったな。
近寄ってくる電車の中間車の膨らんだ断面が見えるのだもの。 5200奇-5150偶-5150奇-5200偶、のことか?
5200の中間に5000をぶち込んだやつ
当時の旧型車は何でもアリだったし、正直5200は何とも思わなかった
鉄屑+木屑、2扉+3扉、両開き+片開きなどの固定編成と比べれば、
別にどうって事なかった
そういえば、セミクロス+オールロングの編成もあったなぁ 鉄屑+木屑
3561-2836
2扉+3扉
808-2503
831-2501
832-2502
3505-2561
両開き+片開き
3749-2702
クロス+ロング
3505-2561
3835-2818
3749-2702
思いつくのはこんなとこか
ま、いろいろあったなぁ 国鉄時代、14系座席車や12系客車の端に旧型の荷物車や郵便車が連結されているのが好きだった。
マヤ20+20系というのも。 2扉+3扉
ク2323-モ702
ク2325-モ754
ク2326-モ703
ク2327-モ704 >>295
3561って焼け電を復旧させた1形式1両のやつだっけ確か そう、3504が事故で炎上したので3700と同一車体で作ったヤツ
車内も3700と同じだったが、よく見ると室内灯カバーが無かった 最近のコンテナ貨物列車、積むコンテナがないときは
機関車直後の車両を空荷にしてるような気がするんだが気のせいか?
昔はバラバラに積んでないところがあったような 名鉄でいうとパノラマカーの中間車に両開ドア車がなかったっけ? >>303
そう、アレも編成美イマイチだから正直好きじゃなかった
混雑激化で急造したが、あの程度ではラッシュ対策にもならなかった
上のほうにもあるように、一昔前の名鉄は何でもアリだったから、
それらと比べるとどうってことなかったけど 南海「サザン」ってデビュー当初から一般車と特急車両の混結が新機軸的な運用という評価があったけど、
今もってその編成形態を良しと感じたことがない。特に7000系が現役だった頃は片開き2段昇降窓という60年代スタイルと
80年代風をくっつけた違和感だらけの妙ちくりんな姿だった。旧1000(1001)系四国号は良かったよなあ。
見ての通りだよ。自由席もクロスシートだったし。 末期の四国号も、料金取る列車としては古すぎたな・・・ うむ・・
それとキハ5501も非冷房で車幅が狭い一般型と同等、紀勢線内での58系との混結では明らかに格差を感じる編成だった。
末期時代、自分の記憶でも南海線内も国鉄もいつも数人しか乗ってなかったな。 阪和間の最速達系統が問答無用で特別料金必要なのは嫌だ
だから一般型の併結は我慢できる 指定席車6両+自由席車2両
なんば発車時に自由席車は満席 名鉄の指定4+一般2か
当初はそんな嫌がらせ?運用都合?もあったな
平日昼間の限られた本数だったけど 乗客の視点からこういうのを
急行のりくらの一部で
自-グ-自-自-荷郵-自-自-自
この荷物車を挟んでいるところは
通り抜けできたのかどうか やくもの増結
カラーは3種混在で並びも先頭車の位置も何でもあり DMH17ファミリーは凄いよな
特急専用車以外はほぼ何でも繋げるという恐ろしい汎用性
両開き3扉ロングシート通勤用のキハ35と急行型キハ58の混結なんか
紀伊半島では当たり前にあったからな
電車で例えるなら、103系と165系を繋いで走らせるようなもんだ >>318
> DMH17ファミリーは凄いよな
エンジン関係なくね?
国鉄の液体式ディーゼルカーは特急系列以外基本どれも混結可じゃねえの? 正確にはエンジンではなくブレーキ指令な
特急用でも混結不可だったのはキハ181系だけだった 揖斐線の700形3重連は違和感が強かった
<モ700-<モ750>-<モ750>
<モ750>-<モ700-<モ750> 750-700-2320
510-510-520
510-520-510
という異種連結が標準で
モ750の電装を外したク2150が残っていたころには
モ750-モ750-ク2150
が理屈上構成できるけれど実際に有ったのだろうか 戦後の急増する輸送量でエンジン開発する余裕もなく
SL駆逐に躍起になっていたこともあって
戦前製DMHエンジンが大量生産されたんだっけ でもJR東海なんて30年以上カミンズNシリーズだからな
あれ基本設計は1950年代だからな 京阪に編成美崩壊編成が出現したな
13000系に元3000系とぶち込んだのがある
車内が転換クロスのまま キハ81に向けて、高出力エンジンと多段変速機を開発し、
まずキハ60を試作したが、盛大に失敗。
仕方なくキハ55や20で実績があるDMH17を改良して搭載したが、
結局これもトラブル続出で、はつかり、がっかり、事故ばっかり。
トラブルを一つ一つ解決し、改良を重ね、改めてキハ82、キハ58として
サンロク、トオで華々しく全国デビュー。
優等列車の動力分散化、無煙化に大きく貢献した。 無煙化は政治問題だったしな
期限は絶対的だったから、回り道する余裕は少なかった
方法や中味はどうあれ、目標期限までに達成できた
ディーゼルの排ガスが「無煙」と言えるのかはさておいて >>326
ロングシートに1両だけ転換クロス、プチ・プレミアムカーの爆誕
過去には3000系に8000系T車を組み込んだおけいはんだから想定内だな 編成美は普通だが阪急8000系の一部編成を思い出すな 115系3000番台と3500番台の併結
ぱっと見は同じでもよくよく見たらいろいろ違いがある
パンタや方向幕の位置、屋根Rの大きさなどなど 117系東海所属車
4両のうち先頭車1両だけ一段下降窓
ちなみに全車日本車輌製 靴下がいつも右足指に穴が開く。そこで残された左同士で暫定的にユニットを組んでいる
特に第2編成(洗濯してわからなくならないよう番号を振っている)は白黒の組み合わせ
で異彩を放っている >>334
左右関係ない靴下で、同じ色を10足ぐらい買うといい。
左右時々入れ替われば傷みも均一化されるし、仮に穴が開いても
次に穴が開いてペアを失った靴下とニコイチにできる >>335
おお、有効なアドバイスありがとうございます。
鉄道と無関係すみませんでした >>333
トイレの位置がガチャだった
編成によって神戸方だったり東京方だったり 近鉄なんか昔から編成美を無視した列車編成を組んでたけどな 阪神の昔のジェットカーもごちゃ混ぜが常態化してたな
基本性能は同一だが車体形状が微妙に異なってた 阪急5000系リニュ車で5100系から抜いてきたT車
微妙に車体がデカい 京阪600(二代)にヘッドライト1灯&戸袋窓付きが混じっていて違和感を放っていた 阪急のPRIVACEも編成美崩してないか?
9300系に2300系車体を組み込んで編成美崩れそう 137に既出だが、古いドラマの再放送で井の頭線の線路沿いシーンが多く
3000系片開きに断面もドアも違うのが組み込まれてるのが映ると結構カッコ悪い そんなに珍しくないが
キハ47−キハ45の2両
すれ違う列車は
キハ45-キハ47の2両
組み替えてどっちかに統一して欲しい >>342
3950形も
5300系登場後の落成で非冷房時代はモニターの形状が違って目立ったが冷房化で屋根高さが微妙に違うだけになった >>344
ドア窓の表面積が異様に広くおまけに戸袋にも窓があったので車内はとても明るかった
一回しか乗れなかったのは残念
樟葉行きの臨時急行だった 編成美を崩すほどではなかったよ
見た目は違ったけど パノラマカーの中間車にあった両開き扉。
先頭車は片開き。 >>340
昭和40年代の名古屋線急行の例
電動車は6300台のモで揃っていたが、中間車がカオスで、基本旧伊勢電の付随車
ノーシルノ-ヘッダで小窓が並び、KD台車のサ6451・6461
シル(2段)とリベットが残ったものの両開きドアのサ6453
スタイルは6300台に近いが、台車がD型イコライザのサ6471
戦後製で形は新しく、しかも19m車(上記よりは長い)だが、台車が古いサ6261
戦後製元特急車6421型4両に増結された、昭和ヒトケタ製のモ6251
モ6251は古いのだが、更新修繕でノーシルノ-ヘッダシールドビーム2灯化で、台車はシュリーレン、
6421に近い形状になっていた
しかも窓と扉の配置が元荷物合造車とはっきりわかる変態車輛
当時たまたま見たのが新車の1810×5連急行で、ものすごく美しい編成に見えたが、
今思うと座席がショボいので、乗るには不適当な編成だな、上の百鬼夜行のほうがいい 近鉄6453も2000系も重厚な古臭いスタイルのまま
両開き化したので、インパクトあった 9300系にPRiVACE暫定組み込みは屋根上カバーが付いてないだけで車体形状ほぼ一緒だな 気動車時代の八高線、キハ17とキハ20の混結
キハ20の方が車体の大きさが一回りと言って良いほど大きいし、デザインも近代的になっていたから、どうしてもキハ17の方が貧相に見え、編成としても凸凹だった