【あさかぜ】20系固定編成客車スレ05【さくら】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
AREB増圧装置付き電磁自動空気ブレーキ使用は43.10より
少しは調べろ >>812
ないな。元空気ダメは引き通してる
マヤ20使う区間で電磁B使わないからな 事故か故障の緊急対応で山陽・東海道をマヤ20が走ったこと無かったっけ?
あったとしたら速度制限かかったのかな? >>816
それが>>802の事例でしょ
マヤの足回りは九州島内のみと割り切られていたので旧客のままだったはず
だから速度制限はあったんじゃないかな? >>816-817
>>802と>>804のいずれもAREB使用開始前の95km/h時代の話であって、速度制限などあるわけがない もし昭和33年までに東京-博多だけでも直流電化が完成していたら、
電源車マニ20は屋根上にパンタグラフと車内に電動発電機を搭載した車両となり、
機関車はEH50が製造されて東京-博多をロングランとかになったのだろうか。 ↑あり得ないレベルの妄想はいい加減他でやってくれませんかね >>823
よそ行って!
そんなの読まされると、暇つぶしでなくて時間の無駄になる >>823
幼稚な妄想は面白くない…他の方も言うようにどこかに行くか、広告の裏にでも書いてみては? >>823
雑な妄想を垂れ流して巻き込むの、いい加減止めてもらって良いですか? ナハ20とナハフ20の等級表示、最晩年は車体色の板か何かで埋められてたらしいな。 全盛期の20系、特にハザ知ってるのは65歳以上だろ。 >>834
遅くとも1970年には消えたしな。
ナハ21はともかくとしてな。 誠文堂新光社 国鉄客車・貨車ガイドブックの横長のやつを持っている人は分かる
あれはマロネ40とともにギリセーフだった 今月号のピクで追突事故で破損した写真が載ってるがよく修理で来たな
通常だと台枠破損は廃車するしかないはず B寝台は跳ねるから「ハネ」
A寝台はゴロ寝できるから「ロネ」 圧倒的につまらない
しかもマルチ
389 名前:回想774列車[] 投稿日:2022/08/27(土) 15:55:13.59 ID:ItdVcEbb
A寝台はゴロ寝できるから「ロネ」
B寝台は跳ねるから「ハネ」 ナハネフ22もカニ21も、寝台特快(もう特急料金は取るなw)でもあれば使える顔だ。
22は左右1人用個室、21は2人用個室。 むしろミニラウンジとして座席・ソファー・畳を置かず開放
カニは不可能だけど コロタン文庫ブルトレ百科に『走るホテル』と書いてあったが、
「ルーメットや2人用区分室はまだしもブルマ式ロネや3段ハネはドヤ街の宿泊施設に近いのではなかろうか?」
と思った小学生時代
※ドヤ街については近所の大学生が持っていた梶原一騎原作・川崎のぼる作画の『男の条件』を読んでいたので知っていたw 本のほうは登場時の価値観、あなたのほうは80年代時点での価値観。 3段ハネはどの宿泊施設よりも下とは言えるかもしれないな
宿泊施設に3段ベッドは認められないものなあ 鉄道車両は大地に建てる構造物じゃないんだから
単純比較して寝台車両のほうを悪く言うのはさすがにおかしいと思う 鉄道車両は建築限界があるからね
その限られた範囲内で工夫しなければならないし
だからB寝台ですら後年ちゃんと二段になったでしょ 日本での寝台車運用開始
1等寝台 1900.4〜
2等寝台 1903.5〜
3等寝台 1931.2〜
ナハネ10で日本最多の寝台数60を達成したものの、座席時のシート間幅が470mmしかないため昼間環境は劣悪
ナハネ30は座席時のシート間幅470mm(トイレ前の1区画だけ465mm)
60系客車のオハ60/61の一番狭い区画でも485mmあった
だからナハネ11では1区画寝台を潰して寝台数54へ戻し、座席時のシート間幅を520mmに広げた(ナハネ20も新製車はこのサイズ) 20系登場当時のドヤ街の宿泊施設が空調が効いていて列車給仕係が寝台のセットと片付けをしてくれていたとでも思っているらしい ドヤ街の宿泊施設は寝台のセットとか片付けとかは要らないだろw 当時の殆どのホテルの寝具はベッドじゃなく布団なんですけどね 3段3等寝台っても酷いよなあ。
ナチスがユダヤ人の死骸運ぶために作った貨車を戦後の日本が買い取って改造したのかね?
ユダヤ臭くて眠れ無さそう ええ、だから当時のホテルにはドヤ街の宿泊施設にはないセットと片づけがあったんですよ
今の感性で当時の車両や設備に文句つける人って何がしたいのかサッパリ分からん
走るホテルって言ったのは当時を生きていた利用客であって今の利用客じゃないんだし ハネの最上段で眠るを乗客たちに車掌が致死量の睡眠剤を注射
終点で回収した死骸を駅の裏手で血抜き・充分乾燥させた後、細かく切り刻み肉片に
その肉片を食堂車で『鹿児島名物ミートキューブ』として7個入り800円(記念切符付)で販売
昭和30年代から40年代はこんな事が横行していたと
恐ろしい・・・ 当時の人間でもない癖に知ったかで語る奴が多いのもこのスレの特徴 当時の人間でもない癖に知ったかで語るID:dxhpZvRp 当初の20系は寝台のセットと片付けをしていた列車給仕係が途中から乗り込んでくるのではなくて全区間乗っていたことも知らないんだろうな
そもそも乗ったことすらなさそうだが >>851
>昼間環境は劣悪
いやいやナハネ10、定員60でしょ。ナハ10は88人。そのシート間隔とやらは470で同じだよ
1ボックス8人のところをハネは6人で座席幅は広い。確かに10系、20系のハネの昼間は狭いとは思う
けど、同じころのナハ10やナハ20に比べたら劣悪ってほどじゃないでしょ
個人的には開放ハザよりコンパートメントっぽいハネの方がいいと思うけど、閉塞感あるし、慣れてないから
日本人は開放の方を選ぶんだよな
実際、14系だけど昼行の天北利尻はハネで余計なカネとってたけど、誰も乗らなくてすぐタダになったし よくわからんけど
スハネ30 寝台数54 ベッド520mm、シート間隔470mm(1区画だけ465mm)
ナハネ10 寝台数60 ベッド520mm、シート間隔470mm
ナハネ11 寝台数54 ベッド520mm、シート間隔520mm
ナハネ20 寝台数54 ベッド520mm、シート間隔520mm
オハ61 座席数96 背合わせ840mm、シート間隔485mm(4区画だけ490mm)
ナハ10 座席数88 背合わせ1000mm、シート間隔480mm(量産車は4区画だけ470mm)
ナハ20 座席数64 シートピッチ925mm(回転クロスシート)
3列だと窓側が出ようとした場合、中央の足がずらしにくい >>866
各寝台の寝間着にブルマが置いてあったw 少なくともブルと入力した時点で候補で出る人柄かと
プルだったらよかったのにね 当時の2等寝台の様式の1つであるプルマン式のことだろ?
他にもルーメット式やツーリスト式などもあった筈。 >>643
『大いなる驀進』は、個人撮影フィルムではなく、劇映画DVDが出回っているし、アマゾンプライムビデオでも見ることができる。
これはかなり凄い。1959年撮影、1960年公開ですので、CG合成技術が存在しない時代の作品です。
↓が予告編とワンシーン(当時も、現在も列車防護の方法がほとんど変わらないのは驚き)
https://www.youtube.com/watch?v=VOfaXFcXKsQ
https://www.youtube.com/watch?v=RaSZghmPUGI
国鉄の全面協力は大きく、映ってる列車の車内は、セットではなく実物です。
EF58特急色や山陽本線のC62、東海道本線の80系湘南電車などがゾロゾロ登場するというのも要チェックです
鉄道がメインの交通手段だった時代の記録として本作は間違いなくトップクラスの作品だと思います。
↓がワンカット。↓の画質の映像としてこの世に存在するというだけで見る価値は高い
https://pbs.twimg.com/media/CIMmI5BUEAAT8NQ.jpg
https://pbs.twimg.com/media/CIMmI5HUsAA8z-Y.jpg 江戸東京博物館でやったイベント上映で初めて見られた映画だった。
ちなみにもう1本は鉄道員(ぽっぽや)。 大いなる驀進
BS 日本映画専門チャンネル
10/27(木) 8:50~10:35
11/8(火)9:55~11:35 >>864
>実際、14系だけど昼行の天北利尻はハネで余計なカネとってたけど、誰も乗らなくてすぐタダになったし
14系寝台付は下り天北、上り宗谷。
で寝台は自由席だが、1区画だけ、改造でグリーン席にした。 >>872-873
『大いなる驀進』は、個人撮影フィルムではなく、劇映画
どうやら撮影した会社に依頼したらフィルムなどのメディアが届くらしく
時々、「名画座」という旧作映画をメインの映画館やミニシアターで上映されている >>875
東映配給
ちなみに悪役商会で元東映フライヤーズの八名信夫がチョイ役ででている もう「走るホテル」と呼ばれた理由もわからん人ばかりよ。
昭和30年代なんて庶民は汲み取り式便所に裸電球のすきま風だらけの木造家屋が当たり前、扇風機だって贅沢品で、各家庭にある訳じゃなかった。
アルミサッシに水洗便所に蛍光灯にガス水道電気が完備の公団の団地が近代的な理想の生活とされた時代。
汽車は車内は木製で暗い白熱灯で扇風機もあったりなかったり、隙間から煙は入ってくるし暖房は蒸気だから場所によって効きが違う。
そんな時代なのに、しかも汽車なのに、1等だけでなく全車が電気式の冷暖房完備、蛍光灯で車内は明るいし、内装が木造でもないし、以前より揺れも少なく防音もしてあるんだから、画期的だったことがわかるってもんで。 静寂性は現代の車両をも凌駕する水準だったと聞き及んでいるが真相は如何に? 色々な方がネット上でUPされている様々な車両の走行音を聞いてるけど、20系のものはやたら静かな印象がある。
もちろん20系の現役当時と24系とでは録音機材など条件は違うだろうけど…、静音対策はしっかりしていたのかも。 >>879
それってここで散々され尽くした話だけどな
読んでないの? 東京・名古屋・大阪と大都会だけを結んでいた電車151系と比べると、
20系ブルトレは大都市も走りながらも日豊線・山陰線・東北線・羽越線など
本線を名乗りつつも実態は安全側線と第四種踏切だらけ枕木ボロボロの非電化ローカル単線とか走ってたんだからなんか凄い。
SLが牽引する『はやぶさ』の画像とか見ると「機関車が石炭でヨボヨボと動いてんのに客車はディーゼルエンジンで発電???」と困惑してしまう。 >>885
> 機関車が石炭でヨボヨボと動いてんのに
これは単なる偏見だよ
DD51が出来るまではC61やC62に勝てるディーゼル機関車なかったから そんなことよりシロクマとグリズリーの自然交配の話をしようぜ >>879
細かいようだが20系登場と同時期の公団住宅は、アルミサッシではなくまだ木造窓枠だな。
東京オリンピックの頃から、公団住宅には鉄プレス製窓枠が登場した。
どちらもペンキ塗りが必須で、無塗装で済むアルミサッシが採用されたのは70年代に入ってからだ。 H3前後に通っていた高校、S37~38年頃に建て替えられた校舎だったけど鉄サッシだったな…。東京オリンピックの頃はそれが普通だったんだね。
…ちなみにその高校、まだ建て替えられず現役。さすがにアルミサッシになってるみたいだけど。
スレ違いスマソ >>880
自分は実際に乗ってるが、客室ドアから内部はかなり静粛
その後の車両と比較してもおそらくトップクラスかと
20系のリアルを知ってると、サンライズの騒音は個室内でも相当ひどい
ただし20系はデッキ部分は走行音がし、その音は旧客に近いものだった
(14系や24系とは明らかにちがってた) 20系気動車とは凄い差があるな
どうしてこうなった? 同じ20系どうしだからって
さすがにキハと比較してやるなよw >>896
これがかつてJR北海道で走っていたというディーゼル車+寝台車の夜行かあ・・・
一度乗って見たかったのう・・・ 博多や熊本、大分で切り落とされて折り返しまで車庫に留置されてた所謂付属編成の電源ってどうしてたんだろう?
折り返しの合間の整備では電源が必要なると思うんだけど 博多や熊本、大分で切り落とされて折り返しまで車庫に留置されてた所謂付属編成の電源ってどうしてたんだろう?
折り返しの合間の整備では電源が必要なると思うんだけど 原始的にほうきとチリトリと雑巾で掃除してたんじゃない?
日本海の24系なんかは末期には終着の大阪駅でカニのエンジン切ってたこともあったし… ラジオで誰かが言ってたが、車両基地でブルトレのリネンの交換のバイトをやってたが、窓は開かないエアコンなしの地獄だったと。
切り落としの付属編成も同じではないかと…と思ったが、食堂車の冷蔵庫はどうした?? さすがに食材は入れっぱなしにせず全部積み下ろししてたんでは 食材はクルーごとの管理だろ?
当然クルーと一緒に動く
誰が何時入れたか分からない食材をプロが客に出せないだろ 皿コップ鍋調味料までそのたびに乗せて下ろしていたと、読んだ記憶がある。 東海道ブルトレも終着東京で回送発車までの間に電源車のエンジン切ってたね >>905
そのための業務用扉
台車で大量に積み降ろししてたのは食器もあったからか オシ17の時は食器も積卸していたけど、20系は最初期の数年間以外食器は積んだままになった
単純に始発・終着駅でのホーム待機時間が短くなり、食器まで積み降ろす時間がなくなったため レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。