>>749訂正

ほとんどの区間で架線下走行になることから、昭和35年夏前後で投入する荷物電源車は架線利用を本格検討
最初に生まれた案が交直流MG荷物電源車だけど、交直切替時一時停電になることが嫌われ廃案
次に交直流MG荷物電源車と非電化区間だけDG荷物電源車を連結する重連案。非電化区間の連結重量が増えることから廃案
最後に残ったのが、DG・交直流MGを1つにまとめたシロモノ
始めのコンセプトが全架線下運転による牽引重量の営業客車比率向上であったけど、最後は迷走してマルチ化し、それがカニ22の命運を決めた

重量オーバーが確実視されたため、直流MG荷物電源車と交流・非電化区間だけDG荷物電源車を連結する重連案が再び出されたものの、竹下の留置線長さ不足で廃案
この亜種として荷物室付二等寝台車と直流MG電源車/DG荷物電源車があったけど、「将来寝台特急には荷物を載せない」方針になったため、廃案
 下関駅に地上3相600V送電ジャンパを設置し、機関車・電源車付け替え時に荷物室付二等寝台車の専用受電口へそれを接続して一時停電阻止
結局、交直機器と交流設備を外したDG・直流MGを1つにまとめたカニ22が作られた

カニ22投入時昭和35年7月は上郡までしか電化なされておらず、姫路でDG/EGを切り替えた
(同年10月からは岡山で切り替え。広島切り替えは昭和37年になってから。あいすまぬ)