【あさかぜ】20系固定編成客車スレ05【さくら】
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事実や実体験に基づかない妄想を垂れ流すだけで返信は一切なしのポエム君、そんなカキコ要らないから 日立食堂車野郎のオナニーカキコがいい加減ウザい。
ここまでしつこいと反感がでるのは当たり前。 そもそも乗ったことすらなさそうだな
>>544
猿はオナニーを邪魔されると発狂するんだよねえ >>545
これはID:DJzvZaJaに対してな スレを私物化してる自覚があっても止められない
そりゃあオナニーカキコだといわれるわな
毎回自己満足だけのカキコを垂れ流してるだけのお前になんか今後も誰もレスなどつけんよ >>549
毎日同じ内容で繰り返されちゃたまらんわ
最初はついてたレスは完全無視だったし
批判されたら全方位に噛み付き始める始末でホント質が悪すぎる 確かに。
「で?」とか「だから?」で挑発するってホント悪質だよなあ。 >>553
そこは2020年1月の時点で大規模補修中で見学不可だったのけど補修は終わったの? >>554
天竜レトロ・トレインクラブ
https://trtcweb.blogspot.com/p/index.html
コロナ禍でイベント自粛、活動休止してたりでまだまだの様子
上で貼ったのは2010〜2011年の撮影だった古くてゴメンね >>555
Thx
自分の情報も少し古いので聞いてみた >>551
確かにクズそのものだな
539 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2020/10/18(日) 08:20:23.13 ID:3TMG1wZK
>>537
だから?
543 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2020/10/18(日) 09:23:27.87 ID:3TMG1wZK
>>542
は?
545 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2020/10/18(日) 09:25:51.38 ID:3TMG1wZK
オマエも同類だろが。 >>557
せやで。
その前の時間帯にもこんなことやってるクズやねん。
530回想774列車2020/10/17(土) 13:55:35.72ID:1hoyuLoT
>>529
で?
533回想774列車2020/10/17(土) 22:34:02.95ID:1hoyuLoT>>534
>>532
だから?
541回想774列車2020/10/18(日) 08:58:53.76ID:DJzvZaJa
>>540
で? >>558
マウント取るために無理に絡んでる感が凄いな。 >>558
で、悔しくて悔しくて>>557を書いたわけだ
感情をコントロール出来ない典型的な老害 >で、悔しくて悔しくて>>557を書いたわけだ
これは>>557にコピペされてる3つのカキコのことな つーか、いつまでこの老害のネタやるの?
ホントうんざりなんだけど 罵り合いは最後に発言したヤツの勝ち
などという幻想にとらわれてるからいつまでも終わらない
それはともかく関ロッジのナハネ20 2237ってどうなった? >>563
2019年に撤去予定とか言われてたけどどうなんだろう?
まぁ近いから一度見に行こうかな? 明らかな挑発の乗った奴がアホやねん。
一番ええのは無視しかないで。 2020年5月
ttp://pbs.twimg.com/media/Eh73BtPU4AAVhFb.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/Eh73CK6UwAEs_Ed.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/Eh73Cr9U8AAoULB.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/Eh73DLCUYAAERQQ.jpg
2020年1月
ttp://pbs.twimg.com/media/EPnVbSBUEAAVlwS.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/ENbfk47UUAAaGkn.jpg
2019年10月
ttp://pbs.twimg.com/media/EH-LUOHUcAYiQML.jpg
2006年
ttp://pbs.twimg.com/media/EGeGvK9UwAARd88.jpg
2002年
ttp://pbs.twimg.com/media/ED8FhGUU0AA0zV3.jpg >>538
車暦表を見ると日立製のナロネ・ナシ・ナハネは一貫して品川と尾久に集中配置だったんだな
品川と尾久は共に大宮工場が担当だから、ここに集中配置とすることで日車製とは異なる部品の在庫抑制をかけていたのではないか >>567
そいつ仮定の話すると怒り狂うから
関わらん方がいいよ。 朝から日立食堂車バカが悔しそう
そういうとこだぞ
>>567
おそらくそれな
日立製で全国に散らばったのは座席車から改造した寝台車と電源車だけ
食堂車は真っ先に潰されてる >>567
>品川と尾久は共に大宮工場が担当
そのころは大船も客車をみてたよ >>574
お前こんな挑発しといて何まとも面してんの?
530回想774列車2020/10/17(土) 13:55:35.72ID:1hoyuLoT
>>529
で?
533回想774列車2020/10/17(土) 22:34:02.95ID:1hoyuLoT>>534
>>532
だから?
541回想774列車2020/10/18(日) 08:58:53.76ID:DJzvZaJa
>>540
で? もはや見境ないな
ホントうんざり
とっとと消えてくれ 嫌ならスレに来なけりゃいいだけの話じゃね?
以前「嫌なら見るな」とどっかの小さいおじさんも言ってたし >>566
未だに撤去されてないまま?
前スレで車体が傾いでるとかデッキ下段に穴明いてるとか聞いたし
車体の搬出が難しいのかも
アスベスト使われてるから現地解体は無理ぽいし >>579
HPには2019年度中に撤去と書いてあるものの、解体の情報はないのでおそらく解体されてない
↓の記事を読む限り新オーナーは資金が潤沢とは思えない
関ロッジの経営を引き継いだ 久保徹弥さん 33(亀山市)
ttp://www.yomiuri.co.jp/local/mie/feature/CO035671/20190107-OYTAT50092/ >>578
日立食堂車バカはスルー推奨
何もかもが異次元の輩だからな 個人で鉄道車両の保存管理は、はっきり言って無謀だと思う。
維持費が捻出できず、挙句の果てに処分(解体)すら出来なくなる。 ホントこれな
ttp://pbs.twimg.com/media/Ekgbx-OVMAIn1K5.jpg
>>582
相当かつ継続的な財力がないと無理だよね
車両の取得費用ですらクラウドファンディングで集めるとか気楽に言い出すヤツがよく沸いてくるが、殆どはスタートラインにも立てないという結末に >>582
20系ではないが隣町に個人所有の保存車輛がある
15年ほど前に化粧直しして外装ピカピカになったけど
屋外設置なので近年は褪色が進み錆も浮いてて特に屋根がヤバい様子 >で?とか、だから?とか書いて煽る割に書籍に書いてあることをほぼ羅列するだけなんやな。それくらい見たらわかるから。
↑日立食堂車基地外の自己紹介でしかなかった件 流れ変える為にも誰か保存車の画像貼っておくれ
他人のではなく自身で撮影した物がイイな >>583
たとえ管理がしっかりしていても当の本人が死亡したら遺族は相続したくないだろうな。 カニ22に関する興味深いやり取り
ttp://twitter.com/Tamon0703/status/1331970421789364226
当時のディーゼルエンジンの信頼性が低いことによる電源機関としての信頼性向上が目的だったとの主張
↓の文献の37ページに「DD502」の項があり、その心臓であるDMF31Sの惨状について、「当該機関は“回している限り必ず速やかに重要
部品の損壊へと至る”とでも形容されるしかない機械であった。」とまで書かれているが、20系電源車のエンジンであるDMF31S-Gは、この
DMF31Sの定速運転バージョンで実質同一のものだったとのこと
別府鉄道資料から観た非電化地方鉄道におけるディーゼル車両検修実態
ttp://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBb1180101.pdf より
言うまでも無く,国鉄制式機関車用ディーゼル機関の伝統は気筒ブロック一体式クランク室の剛性不足に由来する主軸受の損傷にあり,
国鉄線上におけるクランク軸折損事故についての言及も残されている。多噴孔型の予燃焼室を有する機関が噴孔中隔部溶損の持病を
託っていた事実も一般論としては首肯される。
従って,以上に見たような損傷・修理実績は定性的には理解し易い事案ばかりである。然しながら,大物小物とりまぜた重要部品の交換
頻度は極めて高く,年中行事のようにこれらが交換され続けて来た有様は由緒正しき制式機関としては恥辱とするに足る状況である。
制式機関のメリットは交換部品入手の容易さにあったとは思われるが,かかる状況を有難がっておれるのも所詮,損傷の頻度次第である。
実態として他にもっとマシな国産エンジンが入手不可能であったのなら未だしも,時の日本が左様な状況下に置かれているワケでは決して
なかった。しかも,1961年の末に製造された当該機に載せられていた DMF31S型は1957年12月製のDD1351のそれに等しい習作段階の
機関ではなかった。何となれば,DD13の量産は既に1958年には開始されていたからである。
それにも拘わらず,当該機関は“回している限り必ず速やかに重要部品の損壊へと至る”とでも形容されるしかない機械であった。かような
モノを押し付けられた運用現場の徒労にも近い辛苦の程が偲ばれる。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) もう何年も前になってしまったが、関ロッジ、泊りに行っておいてよかった。
指定管理者が変わった1回目は宿泊が保持されてたので、再開業後、数回泊まった。
そして休業、2回目の再再開業時にはすでに泊まれなくなっていた。
(今回の管理者は3回目) >>590
20系が誕生した1958年当時はまともな制御装置が無かったから「ディーゼル発電機を無人で動かす」のが無理だったからな・・・。 (20系を湾岸ポエム風に)
それは・・
夢と希望と狂気が作りあげたマシーン
何のデータもなく
誰もノウハウなどしらない
当時の日本ではあまりにも現実離れした
途方もないその数字
62年も前───
本気でその領域へ・・
夜行列車全編成全区間冷暖房化
ディーゼル発電機12時間オーバー運行
あの男たちは本気でそれを手にしようとした 固定編成って言うから中間は半永久連結器でも使っているのかと思った パンタグラフ付きのカニ22、子供の頃、本で見たときはこれにモーターついているから機関車いらない、列車でなく電車じゃないのか?と思っていた。 その気持ち、分かる
あとは「カニ」という記号の響きだな 今更だしガイシュツかもしれないが、カニ22はDGとSGをそれぞれ別個に搭載するのではなく
動力切替で発電機を共用するのは無理だったのだろうか? カニ22は3軸台車にすれば軸重軽減できて入線可能線区の制約が緩和されたのに
軸重16トンとか大型機関車並
現在だと四季島の先頭車が64トンあってカニ22に匹敵する重さ >>598
当時は技術的にDGとMGを融合させるのも困難だったし
万が一の故障時に於ける冗長性確保の理由も有ったのではないかと >>598
ちょうど昨年出たピクトリアル別冊の20系本にその辺りは出てるがカニ22の計画中は交直流両用な上に
発電機部分を電気とディーゼルで共用する方式も考えたものの重量面や1960年夏までの製作時間的にボツ 技術的には問題ないけど、定置や船みたいに自由度あるならともかく、直列に置くしかない
ような鉄道車輌だと伝達装置を取りまわすより、発電機をそれぞれに積んだ方が面倒ないんだろ まぁ俺が思いつく位だから当時の開発者も当然検討したんだろうが、結果DGMG別搭載の超弩級の電源車になってしまったと。
しかもMGの信頼度がイマイチで、直流区間でもDGを回す事もあったようだ。 @Tamon0703
ピク誌の20系固定編成客車の号を読んでいて思ったのだが、カニ22って何のために造ったんだろうな。
電動発電機とディーゼル発電機の両方を積まなければならないのであれば、機材の初期導入費用も重量も明らかに不利なだけだと思うのだが。
電化区間でDGを動かすのがそんなに問題だったのかな。
@SEI_YASUMA
端的に申しますと、それだけ発電セットの信頼性が低く故障が多かったということです。
DGの場合乗務員を始終張り付けておかねば怖くて運転できませんでしたから。
20系のトラブルはほぼ電源車の発電セット停止に起因するものでしたから、直流電化区間だけでもその心配のまずないMGにしたい、
という当時の技術陣や運輸部門担当者の考えも無理からぬものがあります。
続きは↓のやりとりを参照
ttp://twitter.com/SEI_YASUMA/status/1332282618721619968
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) @SEI_YASUMA
DMF31Sに連なる国鉄制式機関で一応の信頼性が得られたのが、クランク軸受を船舶用大型機関並のトンネル型ころ軸受として制式機関の
業病であった同軸受破損を回避できるようになったDML61ZB以降の話なので、機関の信頼性がマシになったとしても、1960年代も終わりに
なってからの話なんですよ。
なお、20系客車が総数約480両で正規の電源車が38両、新造時点なら1編成に1両は含まれていた食堂車が36両という構成なんですが、
この時点で電源車は定期検査に関係無い故障対応のための予備が少なくとも2両はあったと判ります。
言い換えると、20系電源車は最低でも2両は余計に準備しておかないと危ない、と国鉄自身が判断する程度の、およそ安定には程遠い信頼性、
故障率であったのだとも言えます。
余談ですがカニ22 51、つまり日立製カニ22のトップナンバーは新造後まもなくMGを下して「マニ20・カニ21・カニ22共通の予備車」とされて
いますが、これもまた電源車3形式のどれが何時壊れるか知れたものではなく、そのままでは扱い辛いカニ22を予備車として急遽抽出した
状況の傍証となりましょう。
もし新造が間に合っていればカニ21を予備車としていた筈で、つまり次期予算での新製措置すら間に合わない/待てないほど切迫した状況に
あった訳です。
ttp://twitter.com/SEI_YASUMA/status/1332158539641495553
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 脳内妄想かどうかは本人の他のツイートも参照して判断してくれ でも鉄道雑誌でもこんな内容の記事見たことないしなあ >>609-610
TL読んだが国鉄車両の設計陣の大本営発表とそのつじつま合わせっぷりが垣間見えてすげえ面白かった
そりゃあ電源車に検修係を乗せるだろうしマヤ20が上京してくるわな >>609-610
面白いツィートありがとうございます。
喜劇急行列車だったかフランキー堺の映画で
同じ列車なのにカニ22のパンタがついてたり
外されてたりして苦笑せざるを得なかったんだけど、そういう裏事情があったとは。
国鉄制式の軸受とはどのようなものだったんだろう?中回転高負荷だったろう台車の軸受の技術はあるけど発電機の軸受は多分高回転低負荷
であろうけどそのノウハウが蓄積されてなかった?それ以前にベアリングなのかな?玉の精度に問題あり? 焼き付いて発電機が外れて車体破って外に飛び出しかねない危ういものだったのだろうか? 上のツイートはガチだな
今でこそ日本車は壊れないイメージがあるが、昭和30年代なんて日本車のエンジンは酷いものだった
トヨタや日産は生産技術を積極的に取り入れる事で安定性を含めた性能向上を図ったが、国鉄は自動車ほどの大量生産が求められなかった事もあって、最終的には個体差は職人技で乗り切っていた気配を感じる 他のツイートを見てみたが昔の文献をきちんと調べてるし数々の事件事実とも整合性が取れているとは思った 当初、ナハだのナハフだの有ったらしいが
急行寝台の方が、万倍マシだったんじゃないのか? >>622 昭和36年、オレの両親が福岡で結婚式あげて上京した時は、寝台が空いてなくてナハかナハフだったらしい。途中静岡で降りて伊豆箱根を新婚旅行として廻って、153系準急東海で木造アパート一室の新居へって随分タフだったんだなと感心。 >>622
当時はまだ東海道新幹線開業前だったから東京−名古屋・京阪神といった区間で、
最終列車的に利用する人も多かったらしい。
だが東海道新幹線ができてからはそのような利用が減ったため、ナハ・ナハフの利用者も激減した。 寝台はお金持ちの乗る物
寝台に費やすお金があれば、生活の方に回すのが当たり前の層が沢山居た
斯くなるうちの先祖もそうだった
気合で何とかなる部分は、全て我慢で対応 鋳鉄シューで増圧して強引に110キロ運転したら制輪子の交換が頻繁では? 高砂工場でカニ25
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ttp://kokutetu.up.seesaa.net/image/E696B0E9AB98E7A082E382ABE3838B251E6969CE38281E382B5E382A4E38389.JPG >>624
その当時、東京〜山陽・九州などの長距離を、一昼夜座席夜行で過ごす旅客は珍しくなかった。 20系は固定編成だったが
末期は2両分割、12系のお供になって、おでこの帯消されて、とても残念だった
急行かいもん&日南 >>631
しかし12系併結改造車は自動ドアになって、車掌はだいぶ楽になったよな。
ナロ20はどの連結列車も利用不振だったんだな。
あさかぜ用3両以外は大掛かりな車体改造までしてナハネ20-500に改造したものの、なんとそれから4〜5年で廃車。
ナハフ21大改造車も同様。
初期の20系は75年以降急速に廃車になったが、この改造が行われたのは既に14系が登場してた71〜72年。
経年と間近に迫る山陽新幹線全線開業の兼ね合いを考えれば、ナロ・ナハフをナハネに大改造する意義があったのかね。
改めて国鉄は金のどぶ捨てが好きな組織だと思う。 ロックピンの所にアイスの棒でも差し込めば走行中でもロックは解除は可能 >>635
それを言い出したらなんでもありだな
Dコックを扱えばドアは開けられると言ってるのと同じ 一時期、wikipediaの20系客車の記事に、
「ドアには走り出すと車速を感知して自動でロックされる機構が備わっている」
というトンデモが載っていて話題になっていたが、
どうやらそれが書かれた原因らしきものに辿り着いた。
鉄道ファン78年1月号が20系客車特集だったのだが、この号には
フランス国鉄の新型客車コラーユの紹介記事が載っていて、
正に、「車速式自動戸閉装置」が装備されていると書かれている。
Wikiの投稿者はこの号のことを、うろ覚えで執筆したんだろうな… >Wikiの投稿者はこの号のことを、うろ覚えで執筆したんだろうな…
どうしてこの結論にたどり着くのか 実際は車掌スイッチでロックする方式のはず
高崎の旧客も同様だがドアを開放固定する電磁石の電源が切れてドアクローザーで自動で閉まる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています