【あさかぜ】20系固定編成客車スレ05【さくら】
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>>207
直流区間は油を使わず
上の架線から電気取って使う
それ以外の区間はエンジン回して
電気作る
せっかく上に架線(直流)があるんだから
使わない手はないよねって所じゃね? パンタ付き客車はスハ25まで待たないといけなかった
しかし直流区間専用
20系も全長13mの直流用電源車の図面があった >>208
でもそこにディーゼル発電機があるんだから
使わない手はないよねって思わね? やっぱSIV位まで高効率化、
小型化しないとね…>>架線集電電源車 >>210
当時の技術力では活かしきれなかったから
後に集電、MG周りが外された
昭和30年代の鉄道って
構想はいいんだけど技術力が
追い付いてなかったんだよね…
電気式気動車とかDF50とか…
DF50好きだけどね!
模型で何両あるやら…^^; 酔っ払い
「ほとんど架線下なら、交直流MG発電車のほうが安価かも」
で昭和34年秋に始まった計画だったものの、
なぜか「あさかぜ」で使うことになり、
更に交直流MG発電車から直流MG発電車へ変更とか迷走して、
昭和34年年末にカニ22を作ることが決定された
どこでも使える
将来カニ22が主力になった場合、マニ20・カニ21の発電機器は新しく作るカニ22へ流用して、車体は荷物車として使って老朽荷物車の淘汰に利用
ところが、下記の本末転倒が重なり
マニ20同様重量が増えに増え、荷物3tのままでは64tとなり、3級線(ほぼ乙線)限界の63tを超過(63t時でも上限75km/h制限付)
供給電圧が不安定で、直流架線下でもディーゼル発電装置からの給電がそこそこ実行
旅客が多すぎて専用荷物車を連結する余裕がなくなり、その分を発電車で穴埋めするためMG邪魔
長距離が多くなるため、燃料タンク1つだけでは不安
マニ20(2つ)・カニ21(1つ)の燃料タンク1つ700リットルと書かれているけど、外形寸法から切り出しても内容積1500リットルは上回る
タンクの形もカニ22と同じ、そして同数の同じ発電機用エンジンを搭載しているDD13が2000リットルへ増やしていることから、1700リットル
そのため、余裕のあるカニ21に燃料タンクをもう一つ増加したものを20系標準電源車して決定
カニ21 1,51,52=燃料タンク1つ、それ以外=燃料タンク2つ(たぶん)
日車に落成時の写真があるから見ればよい 1は1つ、18は2つ
少なくともカニ21 1,51はのちに燃料タンク2つ化工事が行われている 酔っ払いその2
あさかぜで使うことになったのは、燃料搭載が多いマニ20を「はやぶさ」へ転用するため
しかし、現実は重量オーバーで荷物搭載量が減ったため、
あさかぜ20→はやぶさ
さくら21→あさかぜ
新製22→さくら
そして作った早々予備電源車として汎用運用が求められたカニ22 51はMG撤去+取って付けた追加燃料タンク(400t×2個)+荷物室1t増
となってしまった
直流MG発電車はそこそこ図面が作られ、形式名「オニ22」となった
でも、スニ22となったのは確実
交直流ならともかく、直流だけ作る時点で意味不明
更に早すぎ(山陽本線全線電化完了は昭和39年7月25日)
それをごり押ししたり、窓の構造にしてもこの時期の客車の連中は何を考えているのかわからん
(一転して12系からはまともになる) 持ってる知識を思いのままに吐き出したい時ってあるよね >>207
05年のピク誌にあった星晃インタビューだと両用電源車に疑問もあったものの島秀雄(当時の技師長)から
電化区間延びるから人員や燃料節約のためにも利用しようと特にいわれて作ることになった、
結局思ったほどの効率化もなく島氏の技師長退任後には早期のMG撤去になったと述べてた
これを設計側の自己弁護ととるか電化や車両計画自体の混乱、曲折(同時期には山陽線を岡山以西まで交流化する検討もあった)が招いたととるかは別だが… 電化非電化の境目で機関車変えるんだから両用電源車なんて無意味ってわからんもんかねえ 下関まで電化されて残り200kmの為に1000kmをディーゼル回してるからな
蒸機もまだ多かったからなにかあったときの途中駅での給油設備も貧弱だったし
真上の架線から供給したくもなるだろ。
やってみたら逆だったわけだけど、60年近く前のことを後出しであれこれいうのは簡単だよね マニ20→カニ21は荷物室拡張が主目的だった筈。
にも関わらずMGのせいで荷物室が激減するカニ22の登場はやはり納得行かない。 >>222
20系の列車本数が増えてく時代だったから荷室減らしても総量では問題無いんでない? 燃料節約ってのは後付の理由なのかどうかで色々条件は変わりそうだな 無くなってもなお色々と思いを巡らせる事ができる20系はやはり最高 今だったら天地寸法を通勤電車と同じ
(サンライズの電動車と同じくらい?)
サイズにすれば
交直流電源車作れるよな
(内部はのびのびとかソロとか…)
詰め込めば5方式(在来3+新幹線2)
+発電機とか…
ただ悲しいことに定期の客レに
なんの価値も意味出せなくなった
JRという会社があってな… つまらない空想
「新聞輸送は東京からの片道で、戻りはほとんど空車。輸血用血液を上回るほど新聞の価値があるなら、そのように紙面で表明せい」
十河総裁のこの一言で特急列車での新聞輸送は禁じられ、マニ20で間に合う事に
定期量産が確実になったため、納入費も抑えられ、昭和38年までに13両製造
昭和37年、今後の電化区間での電源車運用が議論された
昭和39年夏 山陽本線全線 →東京−博多間すべて電化
昭和40年秋
鹿児島本線熊本以北 →東京−熊本間すべて電化
東北本線盛岡以南 →東京−盛岡間すべて電化(東北本線だけ)
昭和42年秋
日豊本線幸崎以北 →東京−大分間すべて電化
荷物室が問題となったが、主に荷物を積み降ろししている駅には給水設備があるため、
この水の搭載容量を調整して荷物の空荷・積荷時の振動差を抑え、電源車には荷物を積まないことにした
これで電源車を交換することが可能となり、機関車交換などを考慮して、直流専用+補助発電装置搭載のマヤ21と荷物室のあるオロネニ23の製造が決定 客車のサービス電源を供給できる機関車が
あっても良かった >>228
あったことはあったんだけど・・・
320kVAでは食堂車なしで9両、食堂車1両付で8両までしか給電できないわけ
(ED75は380kVAなので+1両)
さらに停車中は弱暖・弱冷になってしまうわけで 昭和33年 マニ20+3 あさかぜ
昭和34年 マニ20+3 さくら
昭和35年 マニ20+4 はやぶさ、予備
昭和38年 マニ20+3、オロネニ23+3 みずほ
昭和39年 マヤ21+5、マニ20+3、オロネニ23+3 富士、はくつる
はやぶさ、さくら マヤ22×5(0)、マニ20×3(3)、オロネニ23×6(0)
富士(大分) マニ20×3(0)
昭和40年 マヤ21+5、マニ20+2、オロネニ23+6 あかつき、ゆうづる
富士(西鹿児島)、みずほ マヤ21×5(0)、マニ20×3(3)、オロネニ23×6(0)
ゆうづる マニ20×2(1)
あかつき マニ20×3(0)+2 合計3
昭和43年 マヤ21+5、マニ20+2、オロネニ23+5 あさかぜ追加、あかつき追加、彗星、日本海。はくつる撤退
あかつき2つ マヤ21×5(0)、マニ20×2(1)、オロネニ23×5(0)
はくつる△ マニ20×3(4)
日本海 マニ20×3(1)
彗星 マニ20×1(0)
あさかぜ追加 マニ20×(0)+2
昭和43年10月時点
マニ20×20、マヤ21×15、オロネニ23×17
(史実では、マニ20×3、カニ21×21、カニ22×6) >>228
逆にパンタ付き客車があるドイツなんか、冷房装置はどうしてたんだろうか >>231
スイスのレーティッシュ鉄道にもあるよな
>>パンタ付き客車
オマケに運転台付き客車なんてものもあるから
機関車が編成の中に入るなんてこともあるしな >>233
もう朽ち果ててたよな…
解体するにも廃石綿の問題で
解体料が高騰するし
それをどこが負担するかで揉めてるだろうし… 傾いてしまったのが運の尽き。
バラス+枕木なんかで凝らずに
コンクリ埋めレールでよかったのにね。 >>238
さよなら20世紀?
潔すぎる番組だったな 20系や国鉄時代の24系は電源車のすぐ隣にロネ(しかも個室とか)が連結されている場合が殆どだったが、
ロネの客室からは、電源車の発電エンジンの騒音、荷物の出し入れ音&職員たちの声とか
うるさくなかったのかな?
まあ発電エンジンは客室から離れているから大丈夫そうだけど、
荷物音&職員の声とかは結構うるさそう。
真夜中のホームで・・・
親方「おい野郎どもッ!この荷物出し入れ1分で終わらせるぞーッ!」
子分たち「ウェーイッ!」
・・・とか叫ばれて荷物ドカドカやられて、せっかくナロネ20のルーメットで眠ってのに
起こされちゃうとかあったんじゃないかな。
でも夜中でも発車ベルがジリリリリッ!!とかうるさい時代だし、
発車のショックでガックンッ!とかなるから、乗客の方も「まあ所詮は寝台車、
ぐっすり眠れなくても横になれるだけ個室なだけまだ良いか」って感じだったのかな? 昔は機関士の腕も良かったし
58なら捨てノッチもあるし
各連結器のバッファーも
14,24に比べればしっかりしてたから
最近まで残っていた上野口や
富士ぶさ等のハズレの機関士よりは
良かったと思うよ
トワイライトも東日本区間はえらく下手だったしな
北と西は上手かったけど >>242
まるで鉄道そのものを利用した事無い人みたいだね
デッキがフルオープン状態の旧客じゃないんだからさ
20系の経験でなく24系だけど
電源車の隣でものDGの音なんか聞えなかったよ >>243
日本海乗ったときに西と東での技術差を感じたな。西の機関士はショック皆無だったのに直江津からは青森まで全区間で… 荷物を積み下ろし音や、それを行う職員さんたちの大声(掛け声?)とかの方は
どうなんでしょ?
主に知りたいのはそっちの方。 新聞降ろすだけだろ。なんで大声とか言い出すのわからん >>231
https://en.wikipedia.org/wiki/Head-end_power#Europe_(RIC_cars,_except_Russia_and_UK)
駅間で非常停止することを考慮していないのだろうね
また、ヨーロッパのパンタ付客車は駅で機関車を取り換える時に、客車編成へ電力を供給するために用いるのであって、
日本のカニ22やスハ25のように停車時も走行時も客車編成へ電力を供給するのではない >>248
DGの音をかき消すほど人の声が大きいと思うのか
113系や115系に荷電が併結されてたり荷物専用列車が走ってた時代を知らない人? >>248
当時を知らないで質問するのは全くかまわないけど、思い込みはよくない。
そんなガテン系なことはないし、寝てる人が起きてしまうような荒さもない
あんたの言ってるようなのがあったとしたら旧客荷物車のニモレとかだろう。 けん引機関車や電源車の荷物室は冷房付いてないんだよな。夏場は大変だっただろうな。 >>253
そうかあ。
自分は国鉄というと1970年代後半で、なんか『態度が悪くて凶暴』ってイメージなもんで。
実際、荷物・貨物も凄く杜撰に扱うのを見たことあったしね。
ホームで『あさかぜ』待ってる客をいきなり線路に蹴り落として
「線路に降りんな!ダイヤが乱れるだろあ!」とさらに殴りそうな感じというか。 たぶん騒音輩>>255は、窓が開けられる急行しか乗ったことがないのだろう
下手したら12系か?
荷物がぞんざいに扱われるっても、当時寝台特急で扱っていた荷物は新聞か急送品なので、ほとんどありえないし
モー少し丁寧に作り話をすればよかったね >>247
北は自弁に少しだけ圧残しておいて
単弁で釜のブレーキを緩解させて
その状態で牽きつつ徐々に自弁を緩めて
発車させることが多い
でもこんな事やるのはトワイライトだけ
かもしれん…北斗星やはまなすで
そんな事やってるの感じなかったし… >>254
少し前まで電車の前後乗務員室にも
なかったしな>>空調 >>260
ナシ20も厨房は冷房ナシだっけ?
厨房にも冷房入ったのはサシ151からだとか。
その前にモハシ150があるけど、
ビュフェだから乗客へのサービスに
コックやウェイトレスたちも肖れた、と。 厨房冷房なし
後期(17〜29)は厨房換気能力を増やし、勘定台横の厨房出入口付近を改造して、
食堂室内の冷気を厨房内へ入れるようにしている 厨房に冷房が無いと雑菌が繁殖して食中毒の危険性が無いか? いや日本でも真っ先に冷房がついたのは一、二等と食堂車だから 国鉄のはやぶさのオロネと、束のあけぼののオハネフでカニの連結車を乗車してるが、オロネ個室は全く静粛
しかしいかんことだろうがもう時効か、連結してるカニの扉を開けたら(施錠されてなかった)荷室からでもエンジン音がうるさかったな
オハネフも気にならんほどだったが、停車中やトンネル区間は反響して若干うるさかったな
まあカニに機関車も連結してたら、EF81の独特な高周波ブロワー音もよく聞こえてたが ちなみにE26のカハフ車内は?
外はかなりうるさいけど。 >>266
廃止直前の天の川のカヤの元荷室にも隣のロネからそのまま入ることができたよ
ディーゼル発電機の音よりも床上にそのまま鎮座していたC3000電動空気圧縮機
の稼働音の方が迫力があって五月蠅かった覚えが クハ181のCPを転用か
カヤ21は外からなら見たことあるけど、エンジン音しか気にならんかった
台車にエア送るから走行中がフル回転なんかね 臨時あさかぜ、玄海ではカヤのCP使わないんだっけか
そう言えばEF66から引き通してる写真撮ったぜ!などと息巻いてた人は
何時になったら画像出してくれるんだろうか >>270
西の66はブレーキ管しかないのにねぇ
是非とも見てみたいもんだね >>271
そうだよね
http://www.bbbn.jp/~taka/ef66/kaisetsu/page01.html
あり得るとすれば、
下関〜米原あたりの1988年からの繁忙期臨時列車、特に1990年代までの甲子園臨程度しか思い浮かばないわ 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@高添・沼田(東京都葛飾区青砥6−26−6)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
A井口・千明(東京都葛飾区青砥6−23−16)
※犯罪首謀者高添・沼田の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
B宇野壽倫(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
異臭を流し込んでくるなどの嫌がらせを何度も繰り返ししつこく行ってくる嫌がらせ犯罪者である
C色川高志(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
D清水(東京都葛飾区青砥6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
E高橋(東京都葛飾区青砥6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青砥6−23−20) コピペで煙に撒こうとしたのかな
JR西の牽引予定機がトラブってJR貨の元溜め引き通し改造のEF66が代走
なんて未だメディアに発表されてない事例があったのかもしれない コピペしても無駄だぞ
貨物EF66元溜め別菅化1988年時点で、すでに20系の電源車はカヤ21だけになっている
つまり、繋ぐ必要がない
また、貨物EF66に予備がほとんどなく、貨物が暇な盆・正月・GW以外では貸出自体が不可能
コキ100系が多く投入され始めてからは、高速1200t以上のコキ編成は貨物EF66しか牽引できなくなったことから、なおさら
ほとんど貨物EF65ノーマルが貸し出されていた
西EF66故障時は、「あさかぜ3・2カニ24編成」もしくは「さくら」を西EF65PFにして代走させていた
(末期は別にEF65PFで運転できるため関係なくなったけど) >>276
前スレの終盤くらい
EF66+20系にご執心な人が居たんだよ
データは保存してあるから復旧してお披露目するとか豪語して消息不明 無能が書いたモノに釣られた変態がいるという事
http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1410584215/955 つまり前の前のスレ
955 :回想774列車:2016/12/08(木) 09:43:38.24 ID:KGZc70q0
おそらくコレだな
代走でEF66が使われたのか。
オレも知らなかった
http://dic.pixiv.net/a/20系客車
改造車>カヤ21型
>>変わったところではEF65の
>>検車の関係で、本来は高速貨物用に
>>空気元ダメ管を持つEF66が
>>『あさかぜ81号』に充当したときも、
>>EF66と空気元ダメ管が接続され
>>カヤ21のコンプレッサーは
>>使用しなかったという。
(抜粋改行)
https://dic.pixiv.net/a/20%E7%B3%BB%E5%AE%A2%E8%BB%8A 残念ながら1988年夏のEF66+あさかぜ81・82号はバカの勘違いが濃厚
鉄道ファン1988年9月号から1988年12月号まで確認したから >>274-275
>>273はマルポだから関係なさそうだ >>269
10000系貨車でEF66のC3000が短期の起動と停止くりかえして問題になったって
電気機関車EXだったと思うけど記述があった
最初は連続稼動だけど、空気バネに圧かかればほとんど動かないんじゃないかな
まぁDMFの方がうるさいな。ボンネットクハに乗ってC3000が気になるかって話 1988.8.17(8.16出)上りあさかぜ82号の写真はある
http://d51498.com/past/19880817/
引用>8026列車 (博多18:21→東京10:30) 臨時特急「あさかぜ82号」 EF651134 + 20系 >>283
スゲー自信満々な物言いだったからね
見てみたくなるものさね 懐かしなんだから記憶が曖昧になるのも無理はないよ。
242みたいな妄想も笑える。若い野郎どもが6尺褌履いてたら中年のおばちゃん
マダムも喜んだ事であろう。 JRになっても20系の臨時寝台特急はあったんだな
しかし寝台が52センチと狭くアコモ的に見劣りするので初っ端だけですぐ急行に格下げされた
最高速度を95キロに下げたわけではなくスジそのままで急行に格下げして寝台特急を彷彿とさせる最高110キロの「俊足急行」になってた? 110km/h運転の対象になる牽引機も区間も限られてたしな20系は
20系とブレーキも違うだけでなく高速運転の区間をJR化前後に拡大した14系・24系と比べると尚更 Rail No.110 20系寝台客車の魅力
値段が高い(3600円)ので購入するか悩んでる
ファンやピクなど20系に関する文献は揃えてるつもりだけど…
買いですかね? 最寄の書店で内容チェックして決めれば良いのでは
これまで未公開のカラー写真てんこ盛りとかだったら迷うね >>292
40年前だったかな、Railでキハ81系、旧客車、151/181系が連続して出たけど
今でも見てる。同じような本はいろいろ出たがこれらを買ったことに後悔はない。 買わずに後悔より
買って後悔
だから家に本が溢れるorz >>292
出版元には在庫がなくて、増刷しようかなってとこらしい。 >>292
出版元には在庫がなくて、増刷しようかなってとこらしい。 >>286
俺は当時まだこのスレ知らんかったけど
無関係おまえの粘着質も相当なもんだと思うよ
フツーのオトナなら287程度の心的余裕がありそうなもんだけどね。
シニアが意固地になるのは本当なんだなと きりしまに1度乗ったことがある
せっまい寝台車だったのが強烈に記憶に残ってる 小説「張込み」より
「張込み」は、2人の刑事が、東京目黒で起こった二人組の強盗殺人のうち、まだ捕らわれていない殺害犯を追って、
列車で九州へ向かうところから、物語が始まる。東京駅から乗車しなかったのは、顔見知りの新聞記者に見つかると
まずいと思ったからである。当然、汽車は満員である。2人は通路に新聞紙を敷いて、尻を下ろして一夜を明かした。
京都で下岡がやっと座れ、大阪で、柚木も腰をかけることができた。太陽が上る中、2人とも、欲もトクもなく眠りこけた。
岡山や尾道の駅名を夢うつつのうちに聞き、はっきり目が覚めたのは、広島あたりであった。
岩国で駅弁を買い、昼食とも夕食ともつかぬ飯を食った。
物語の冒頭、20数行でこれだけのことが語られ、当時の列車事情がよくわかる。
映画化は、昭和33年1月封切り、松竹映画(橋本忍脚本、野村芳太郎監督、大木実、高峰秀子、田村高広出演)で、これはDVDで観られる。
原作冒頭の列車の旅を、映画でもタイトルが出る前、えんえん12分間にわたって描き、
それだけでも、当時の鉄道事情がうかがえる貴重な資料である。
松竹映画「張込み」 の長〜い導入部 国鉄SLで長旅 渋いね
https://www.youtube.com/watch?v=-7p3OYYH7lA
舞台になった列車は急行「さつま」急行「筑紫」、特急「はやぶさ」の先代にあたる。
1956年11月に「急行筑紫」を改称して誕生した列車である。
東京21:45発、翌日でなく、翌々日の鹿児島5:46が終着という気が遠くなるような超長距離列車だった。
「急行筑紫」は、博多行きとして残った。ロケは、「急行筑紫」の1車両を借り切って、行われたという。
途中の広島、小郡駅では、停車時間中に降りて、弁当を買うシーンなどが撮影された。
昔の停車時間は長かったので、可能だった。
http://ameblo.jp/kyuzho/entry-11709963126.html
昭和33年10月、全車冷暖房完備の20系特急「あさかぜ」が東京⇔博多間を走るまで、
旅は楽しいものでも快適なものでなく、劣悪な環境で苦痛に満ちたものだった。 いきなり20系が出来た訳ではなく、いきなりあさかぜが出来た訳でもなくて、それが必要とされて出来るまでの前段階背景、経緯などあるんだから、あながちスレチともいえないよね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています