【あさかぜ】20系固定編成客車スレ05【さくら】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
昔は今に比べ小柄な体型な人が
平均的だったみたいだしな 改造車ではない初期の座席車であるナハ20等のハ級座席は、シートピッチ925mmの回転式固定クロスシート(おそらくT13系統か)であり、
スハ44みたいなもの
リクライニングシートではなかった
さらにその初期タイプは乗客による回転が不可能であった(後に、乗客による回転ができるよう改造される)
なので、体を伸ばせられ、しかも一人分のスペースが確保されている寝台車の需要は今では考えられないほどあり、
10系改造寝台車が誕生する原因にもなる
20系の場合は、後に座席にも需要があったもののそれを上回る寝台需要があり、更に昼間特急列車の運転が増えていたため、
列車毎の寝台座席分離を行える状況ができたので、やった
出張時寝台料金が出ない規定は昭和50年頃まで「官公庁」にあった
なので、東京−博多間のナロ20だけが残った あかつきのレガートは、1986年11月の改正による急行大削減時に「補填」との意味合いで連結された佐世保発着オハ14が始祖
285系ののびのびは、出雲運転区配置車で運転されていた出雲3・2号に1989年11月から1両だけ連結された3段B寝台が始祖 12系の開閉窓は、
12系の主用途が団体列車や臨時急行であったため、停車駅が多く、食堂車や売店スペースを作っても効率が悪く、
それなら従来通りのホーム売りから購入してもらったほうがいいとの合理性による
ただ、10系・20系の窓構造は悪く、特に落とし窓として開閉の出来る10系寝台車の車体腐食は急激に進んだ
その辺りの詳しいことは↓参照
http://kokutetu.seesaa.net/article/443744698.html >>4 >>5
あの井門が撮影してアップしている
https://train.ap.teacup.com/yoshihiro/1037.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:87f20c3c9ee883ab649a4d7f8b996d63) >>130 >>133
20系でのB寝台サービスアドバンテージは電車寝台で下段がAネと変わらない幅で営業開始した
68年までの10年だけとも言えまいか。さらに数年後70p幅の14系寝台、25型2段寝台と急速に
B寝台のサービスは改善されていく。。 >>140
しかし日中の居住性は、14・24系は寝台幅が仇になって背ずりにもたれにくく。
梯子が窓に固定式とあって、20系の方が勝った。
>>139下の画像からその雰囲気がある。 >>140
1等料金が必要なスロネ30(2段区分室・寝台幅650)全廃から5年後に
同等以上の24系25型ハネが登場したからなあ。
581系電車以降、進化が早すぎたかと。
まあ、特急は45.10あたりで寝台幅700にならんかったんかなとは思う。 >>140
583系ハネの下段って20系プルマンより幅広かったんだぜ 共通
全高4090
床面−下段床355
中・下段床厚各85
天井厚70
スハネフ14・オハネフ24 ともに
レール−床面1230
下段床−中段床下730
中段床−上段床下750
上段床−天井(最も高いところ)785
ナハネフ20
レール−床面1170
下段床−中段床下755
中段床−上段床下735
上段床−天井(最も高いところ)835
発電用エンジンを搭載するため、どうしても60mm上げるしかなかった(スハフ12もレール−床面1230)
14系は分割併合もさることながら、寝台幅70cm化で定員が減少する分を電源車の1両で出来る限り穴埋め
13両(ロネ2両、シ1両、ハネフ3両)+カニ ハネ7×54、ハネフ3×48。B寝台522
14両(ロネ2両、シ1両、ハネフ4両) ハネ7×48、ハネフ4×45。B寝台516 もう一つのifとしてあり得るのは、寝台幅520mmでの固定2段化
これなら車掌補区画が不要になるので1区画増えた40人分
通路上の荷物スペースも余裕ができ、上段は寝台のまま放置になるので、1区画毎にその寝台化に必要なものを置ける
14系寝台車でも食堂車を作ったので、食堂車はそのまま作られるものの、少し先を見越して20系から改造流用ができればいいのだが 座席車ナハフ21改造のナハネフ21は窓割りに寝台区画合わせたので区画ピッチがちょい広い。 ナハフ20から3両改造されたナハネフ20
ナハフ21から6両改造されたナハネフ21
これらは車内だけ改造したため、
2窓1区画化・途中1窓は冷房ダクトのため閉鎖となり、
壁厚が10mm減らされた代わりに、寝台間通路幅は520mmから750mmへ広げられた >>143
ナロネ21の寝台・座席は昼夜ともに二人で使用するのを想定したものだっけ?
だから後の改造ナハ21は4人で座ると窮屈だったとか。
583系の方は昼間は4人席として使うから広くした? >>150
>>143ではないが (mm) 583系(サハネ581)、20系(ナロネ21)
車体幅 583系:2900、20系:2950
外壁厚 583系:85、20系:70
通路幅 583系:610、20系:745
座席幅 583系:1060、20系:1009
ナロネ21=オロネ10 >>151
ありがとう。
やはり583系の広かったのかあ。
ナロネ21の方は飽くまでもA寝台車、583系の方は昼夜兼用で想定する用途が違うし、
登場時期も違うから似たような設備でも差があるんだね。 >>152
583系下段が広くても、三段式寝台で頭上に圧迫感があって、着替えに不自由がB寝台にされた
所以だね。
客車二段式は頭上の圧迫感はないが、寝台幅が70センチ。
幅と高さのどちらかが欠けてたので、B寝台になった模様。 >>153
車両が出来てから
「これA寝台にします?それともB」みたいな会話するわけじゃないからw
最初から2等寝台、B寝台として作られてる訳で
ちなみに583系ハネは下段は幅広いが中断上段は14系、24系ハネと同じく幅70cmだよ >>153
妄想甚だしい
幼稚園児か?
星晃さんの回顧録を読め 実は客車ハネ、寝てしまうと幅の18cm差など気にならない
あと上の方が書かれておられるが昼間ハネの居住性は20系に軍配、正座ならともかく >>157
>実は客車ハネ、寝てしまうと幅の18cm差など気にならない
寝返りうたない人なんだろうね ちっちゃいんじゃないかな。新星で乗ったとき子供だったけど狭いって思ったから
横川で10系寝てみたけどいまとなっちゃ縦もギリギリ。横にいたっては腕がはみでるから >>158
体格は176cmだから普通かな
自分は20系だろうと24系だろうと横になると朝まで起きないのよ、家ではたまに目が覚めるのに自分でも不思議なんだ
一言つけ足すと24系より20系の方が遥かに車内の静粛性が優れていた 20系は静粛でした。
あさかぜ81号以降の20系末期しか乗ってない世代だけど
静かなのはハッキリ覚えてます。 沿線住民的に20系の走行音は14系や24系に比べて
軽快な感じだった記憶がある アニメ観てたけどツッコミ所が多すぎて鉄ヲタには勧められない 自動ドアだったり機関車が間違ってたり
佐世保でフル編成だったり 改造車を除いて
最後の最後まで自動化されなかったよなぁ…
>>乗降ドア 模型だと編成中央にマヤ20連結してる「さくら」とかたまに見る。
当時を知らずメーカーのカタログに例示されている編成表を鵜呑みにしてるのか、
それとも知っている上で「現実ではありえないが、せっかくだし」とかで敢えて連結してるのか。 >>168
多分前者だと思う
知ってりゃわざわざ繋がんでしょ
それはそうと
マヤの室内灯は電球色なのかな? そのまま繋いじゃってるってのは
(省略)+ナハネフ21-4+マヤ20-2+ナロネ21-108+(省略)
とついないじゃってるって話ね >>171
KATOの書き方が悪い
https://www.jnrpc.com/N-TRAIN/MIZUHO.html
もっと詳しく知りたい人は、pdfでどこかに転がっていたらいいけど「20系電源車の生涯」 鉄道友の会 客車気動車研究会 中村 光司 を見るべし >>170
牽引機とか「5・6号入れ替え」とか書いているのに、
「マヤ20の連結区間は肥前山口〜佐世保」と一行入れないのが不思議。 >>168
小3くらいのとき、コロタン文庫のブルートレイン全百科の編成図をみて勘違いしてたことがあったのを思い出した…佐世保行く人はどうやって食堂車に?って疑問だった。
でも見てるうちにマヤ20の上か下かに肥前山口〜佐世保間の文字に気づいて納得した。しかも途中から連結なんて!って胸熱な感じだったなぁ。
…過渡の編成図を見てそのまま疑問に思わずマヤを中間に挟むやつがいるとは…小3以下? な、内部に通路があって通り抜けできるんだょ・・・・爆音だけどw >>177
電源車を途中で解結するような分割併合なんて、53.10(1978)で廃止になったから仕方ないわい
もう40年以上も前だから
でも、マヤ20が95km/h以下でしか走れないことを知っていたら、43.10以後はおかしいことに気づくだろう
それでも九州から新大阪まではよく営業運転したらしいけど
マヤ20は東京まで行ったことはある 38.11.11下関発「臨時あさかぜ」から数日間
→山陽本線由良−厚東間で保線作業ミスにより保線機材が熊本行特急「みずほ」のブレーキ管を外してしまい急停車
修理・試験等をやっている最中に後ろから来た博多行特急「あさかぜ」が制動時期ミスで15km程度にて追突し、みずほすべてとあさかぜ側5ないし6両が工場行
残りのあさかぜ車両を増減させ、門司からマヤ20(1か2)を、それぞれ下関へ運び込み、
臨時編成の上り列車として下関から運転。冷暖房フル運転が必要な時期ではなかったので、どうにか運転できた模様 まだブルトレの歴史も殆ど知らない子供の頃は「20系時代の『さくら』や『みずほ』は、
分割後の電源はどうしていたんだろう?」と謎だった。
また、編成の端に無理矢理ブルトレ塗装した旧型荷物車の様な車両を連結した『さくら』とかの写真を見たりして
「なんじゃこりゃ?」と不思議だった。
その二つの疑問を一気に解決してくれたのがコロタンのブルトレ全百科だったな。
ただ車両紹介の頁で、カニ22の写真がパンタ撤去後の姿だったり、
カヤ21やマヤ24が車掌室側じゃなかったり、
日車製ナシと日立製ナシの内装の違いが文章だけで写真がないのが残念だったがw >>176
http://www.katomodels.com/product/n/20kei_sakura
>・長崎本線・肥前山口駅で、長崎編成と佐世保編成に分割。佐世保編成に連結された簡易電源車マヤ20を新規に設定。
と一応書いてあるんだが句読点の使い方がおかしいんで意味通じてないんだろうな
これって
長崎本線・肥前山口駅で、「長崎編成と佐世保編成に分割。佐世保編成に連結された」簡易電源車マヤ20
という意味なんだよ その後の24系25形でも分割運行の為にカニ25が生まれたのを思ったら歴史は繰り返すということか
ただカニ25はマヤ20と違い本務電源車としても使えるからしょっちゅう新大阪発着段階でも見掛けた
もっとも関西〜九州ブルトレの25形使用列車では電源車はカヤ24かカニ25が殆どで本来のカニ24は居なかったが >>179
関西ブルトレはEF58牽引列車もあったから出来たんだろうね。
編成を組み替えて臨時に仕立ててでも運行するってのは、今じゃ考えられないな。
>>180
車両紹介ってところ、オレもそう思った。後々鉄道ファン誌やピク誌で見ることになったが…
コロタンのブルートレイン全百科は今でもボロボロながら愛蔵してます。 うばざくらは110キロ対応でMR管引き通す前だから出来た荒業だったな 昭和43年以降ならそもそも10系客車やスハネ30を特急に回すって発想自体出て来ないと思うよ 20系に限らずだが、子供の頃は終点に着いたブルトレはどうやって折り返しているかも疑問だったな。
当時は東京在住で、東京駅は機回ししてるのを見たから納得できたが、
上野の地平ホームの方はバック推進を見たことがなかったので、ずーっと悩んでいた。
カニ22やナハフ21など、用途に応じて新形式が登場した20系(151系も同様)だったが、
流石に上野〜尾久の回送用としてカニかナハフに回送運転台を設けるとかはしなかったね。 尾久所属車の中には推進運転用ヘッドランプ増設してるのが居たね 確か推進用の前灯は20系も旧客や14系24系と同じく標識灯掛けに引っ掛けてたよな
カニとナハネフ22の窓にワイパー付ける改造はしてるが >>190
カニ24みたいに
中に取付部があるのでは? ところで何で推進運転だったんだろう?
DD13とかDE10で引っ張るとかは考えなかったんだろうか?
と言うかそもそも機回し線なしの頭端式ホーム何で作った? 20系は当初機廻しの上回送だったことから、非貫通車両車掌室内に(推進回送用)ブレーキ接続弁はなかった
(のちに回送用機関車(EF57が多かった)が牽引することも増えた)
そのため、上野駅ではすべて高いホームの機廻しができる5/6/7/8/9で発着をしていた
しかし、20系特急列車が多くなったことから高いホームで賄うことができなくなり、
非貫通車両車掌室内に(推進回送用)ブレーキ接続弁が設置され、
尾灯掛け(のちに後部標識掛け)へバッテリー式の前灯を取り付けることで、
それ以外のホームでも「推進回送を行う事で」発着できるようにした
うろおぼえで恐縮だが、昭和45年前後と思う
尾灯掛けは第一次ロット図面にはなく、日車製は回送の都合上(これがよくわからん)取り付け許可をもらって納入
※日立製はその必要がないので、そのままで納入
その後、尾灯掛けがあったほうが良いとの事で、日立製にも取り付けられ、9月30日東京発下りあさかぜから一足早く営業運転される
なので第一次ロットの日立編成は試運転・PR写真撮影時と営業運転時はちょっと違うので注意 >>182
カニ25は、北陸トンネル事故で14系の製造が打ち切られなければ、
登場しなかったろうな。
その場合24系も生まれず、荷物扱いがある「あさかぜ」などは、
14系編成の端に荷物車連結とかになったのだろうか? >>149
下関あさかぜと瀬戸の為に、カニ22からディーゼル発電機を撤去し、
代わりに電動発電機とパンタグラフを再搭載して運用
ってのは無理だったんだろうな、もう。 >>196
とりあえずその対応車としてオユ14・スユ15が1972・1973年に生まれているから、
1両丸ごと荷物車として、スユ15の荷物車版が連結される
>>197
それ以前に電圧が違う(20系600V、24系440V)
さらにカニパン用ジャンパ栓も異なる(カニ22:KE59、スハ25(というかオハネフ25 300番台):KE70)
あと、カニ22のMG設備は昭和43年10月くらいに全て撤去されているから まあ知ってのとおり、スハネフ14は床下発電セットの防音と振動を極力抑えるよう作られたものの(のちにさらに改良されたけど)、
エンジン直上の下段寝台利用者からはどうしても苦情が寄せられ、車掌が予備寝台や空いている中段・上段へ変更することがたびたびおこなわれていた
そのため、スハネフ15ではさらに改良されたものの、件数は減ったけど皆無までは到達しなかった >>199
>>197で挙げた『下関あさかぜや瀬戸にカニ22』ってのは、
どちらの列車も20系で運用されていた頃を想定して書いたんだ。
東京〜下関/宇野は、全線直流電化だから、ディーゼル発電機はなくても大丈夫そうだし、
『ディーゼル発電機撤去、電動発電機&パンタ再搭載したら』という改造?をしてみたら、
カニ22は予備電源車から本務電源車に戻れたんじゃないかなという・・・。
もともとの>>197が分かり辛くてスマン。 >>201
ここ20系のスレだから自分は読んでてすぐ理解出来たけど
>>199さんは何故か24系と結び付けてしまったんだね
ブルトレ総合と勘違いしたのかも 60年代にキハ52を使って寝台気動車の研究してたが騒音や振動問題が解決できずお流れになった
トワイライトエクスプレス瑞風まで待たなければいけなかったが付随車に寝台を設置してる カニ22のMGは取り外された後そのまま廃棄になっているらしい
しかも、600VのMGはこれだけ。600Vを使っているのは1号編成と20系だけ(たぶん)
20系電車から80系気動車も12系客車も440V
500kVAが必要なら、巻きなおした210kVAのMH129-DM88電動発電機が最低3基必要
瀬戸なら荷物室部分の容積は足りるか? 瀬戸大橋を渡る20系客車が見たかった
青函トンネルは消火装置が無いため不可能 >>205
後付でなんとかなるだろ
14系だって初期車には後から
消火装置付けたって言うし… カニ22の開発コンセプトがイマイチ判らん。
直流区間以外では死重にしかならないMGって意味あったの? >>207
直流区間は油を使わず
上の架線から電気取って使う
それ以外の区間はエンジン回して
電気作る
せっかく上に架線(直流)があるんだから
使わない手はないよねって所じゃね? パンタ付き客車はスハ25まで待たないといけなかった
しかし直流区間専用
20系も全長13mの直流用電源車の図面があった >>208
でもそこにディーゼル発電機があるんだから
使わない手はないよねって思わね? やっぱSIV位まで高効率化、
小型化しないとね…>>架線集電電源車 >>210
当時の技術力では活かしきれなかったから
後に集電、MG周りが外された
昭和30年代の鉄道って
構想はいいんだけど技術力が
追い付いてなかったんだよね…
電気式気動車とかDF50とか…
DF50好きだけどね!
模型で何両あるやら…^^; 酔っ払い
「ほとんど架線下なら、交直流MG発電車のほうが安価かも」
で昭和34年秋に始まった計画だったものの、
なぜか「あさかぜ」で使うことになり、
更に交直流MG発電車から直流MG発電車へ変更とか迷走して、
昭和34年年末にカニ22を作ることが決定された
どこでも使える
将来カニ22が主力になった場合、マニ20・カニ21の発電機器は新しく作るカニ22へ流用して、車体は荷物車として使って老朽荷物車の淘汰に利用
ところが、下記の本末転倒が重なり
マニ20同様重量が増えに増え、荷物3tのままでは64tとなり、3級線(ほぼ乙線)限界の63tを超過(63t時でも上限75km/h制限付)
供給電圧が不安定で、直流架線下でもディーゼル発電装置からの給電がそこそこ実行
旅客が多すぎて専用荷物車を連結する余裕がなくなり、その分を発電車で穴埋めするためMG邪魔
長距離が多くなるため、燃料タンク1つだけでは不安
マニ20(2つ)・カニ21(1つ)の燃料タンク1つ700リットルと書かれているけど、外形寸法から切り出しても内容積1500リットルは上回る
タンクの形もカニ22と同じ、そして同数の同じ発電機用エンジンを搭載しているDD13が2000リットルへ増やしていることから、1700リットル
そのため、余裕のあるカニ21に燃料タンクをもう一つ増加したものを20系標準電源車して決定
カニ21 1,51,52=燃料タンク1つ、それ以外=燃料タンク2つ(たぶん)
日車に落成時の写真があるから見ればよい 1は1つ、18は2つ
少なくともカニ21 1,51はのちに燃料タンク2つ化工事が行われている 酔っ払いその2
あさかぜで使うことになったのは、燃料搭載が多いマニ20を「はやぶさ」へ転用するため
しかし、現実は重量オーバーで荷物搭載量が減ったため、
あさかぜ20→はやぶさ
さくら21→あさかぜ
新製22→さくら
そして作った早々予備電源車として汎用運用が求められたカニ22 51はMG撤去+取って付けた追加燃料タンク(400t×2個)+荷物室1t増
となってしまった
直流MG発電車はそこそこ図面が作られ、形式名「オニ22」となった
でも、スニ22となったのは確実
交直流ならともかく、直流だけ作る時点で意味不明
更に早すぎ(山陽本線全線電化完了は昭和39年7月25日)
それをごり押ししたり、窓の構造にしてもこの時期の客車の連中は何を考えているのかわからん
(一転して12系からはまともになる) 持ってる知識を思いのままに吐き出したい時ってあるよね >>207
05年のピク誌にあった星晃インタビューだと両用電源車に疑問もあったものの島秀雄(当時の技師長)から
電化区間延びるから人員や燃料節約のためにも利用しようと特にいわれて作ることになった、
結局思ったほどの効率化もなく島氏の技師長退任後には早期のMG撤去になったと述べてた
これを設計側の自己弁護ととるか電化や車両計画自体の混乱、曲折(同時期には山陽線を岡山以西まで交流化する検討もあった)が招いたととるかは別だが… 電化非電化の境目で機関車変えるんだから両用電源車なんて無意味ってわからんもんかねえ 下関まで電化されて残り200kmの為に1000kmをディーゼル回してるからな
蒸機もまだ多かったからなにかあったときの途中駅での給油設備も貧弱だったし
真上の架線から供給したくもなるだろ。
やってみたら逆だったわけだけど、60年近く前のことを後出しであれこれいうのは簡単だよね マニ20→カニ21は荷物室拡張が主目的だった筈。
にも関わらずMGのせいで荷物室が激減するカニ22の登場はやはり納得行かない。 >>222
20系の列車本数が増えてく時代だったから荷室減らしても総量では問題無いんでない? 燃料節約ってのは後付の理由なのかどうかで色々条件は変わりそうだな 無くなってもなお色々と思いを巡らせる事ができる20系はやはり最高 今だったら天地寸法を通勤電車と同じ
(サンライズの電動車と同じくらい?)
サイズにすれば
交直流電源車作れるよな
(内部はのびのびとかソロとか…)
詰め込めば5方式(在来3+新幹線2)
+発電機とか…
ただ悲しいことに定期の客レに
なんの価値も意味出せなくなった
JRという会社があってな… つまらない空想
「新聞輸送は東京からの片道で、戻りはほとんど空車。輸血用血液を上回るほど新聞の価値があるなら、そのように紙面で表明せい」
十河総裁のこの一言で特急列車での新聞輸送は禁じられ、マニ20で間に合う事に
定期量産が確実になったため、納入費も抑えられ、昭和38年までに13両製造
昭和37年、今後の電化区間での電源車運用が議論された
昭和39年夏 山陽本線全線 →東京−博多間すべて電化
昭和40年秋
鹿児島本線熊本以北 →東京−熊本間すべて電化
東北本線盛岡以南 →東京−盛岡間すべて電化(東北本線だけ)
昭和42年秋
日豊本線幸崎以北 →東京−大分間すべて電化
荷物室が問題となったが、主に荷物を積み降ろししている駅には給水設備があるため、
この水の搭載容量を調整して荷物の空荷・積荷時の振動差を抑え、電源車には荷物を積まないことにした
これで電源車を交換することが可能となり、機関車交換などを考慮して、直流専用+補助発電装置搭載のマヤ21と荷物室のあるオロネニ23の製造が決定 客車のサービス電源を供給できる機関車が
あっても良かった >>228
あったことはあったんだけど・・・
320kVAでは食堂車なしで9両、食堂車1両付で8両までしか給電できないわけ
(ED75は380kVAなので+1両)
さらに停車中は弱暖・弱冷になってしまうわけで 昭和33年 マニ20+3 あさかぜ
昭和34年 マニ20+3 さくら
昭和35年 マニ20+4 はやぶさ、予備
昭和38年 マニ20+3、オロネニ23+3 みずほ
昭和39年 マヤ21+5、マニ20+3、オロネニ23+3 富士、はくつる
はやぶさ、さくら マヤ22×5(0)、マニ20×3(3)、オロネニ23×6(0)
富士(大分) マニ20×3(0)
昭和40年 マヤ21+5、マニ20+2、オロネニ23+6 あかつき、ゆうづる
富士(西鹿児島)、みずほ マヤ21×5(0)、マニ20×3(3)、オロネニ23×6(0)
ゆうづる マニ20×2(1)
あかつき マニ20×3(0)+2 合計3
昭和43年 マヤ21+5、マニ20+2、オロネニ23+5 あさかぜ追加、あかつき追加、彗星、日本海。はくつる撤退
あかつき2つ マヤ21×5(0)、マニ20×2(1)、オロネニ23×5(0)
はくつる△ マニ20×3(4)
日本海 マニ20×3(1)
彗星 マニ20×1(0)
あさかぜ追加 マニ20×(0)+2
昭和43年10月時点
マニ20×20、マヤ21×15、オロネニ23×17
(史実では、マニ20×3、カニ21×21、カニ22×6) >>228
逆にパンタ付き客車があるドイツなんか、冷房装置はどうしてたんだろうか >>231
スイスのレーティッシュ鉄道にもあるよな
>>パンタ付き客車
オマケに運転台付き客車なんてものもあるから
機関車が編成の中に入るなんてこともあるしな >>233
もう朽ち果ててたよな…
解体するにも廃石綿の問題で
解体料が高騰するし
それをどこが負担するかで揉めてるだろうし… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています