昭和30年代の寝台特急は、プロ野球。特に西鉄ライオンズの関係者が「常連」だった
特に九州から東京への移動は100%確実に「あさかぜ」や「はやぶさ」での移動だったようだ。
ちなみに関西遠征のときには特急「かもめ」での移動が多かったという
プロ野球選手という職業を選んでしまったら、シーズン中はずっと超遠距離通勤をすることを強いられる。
かつてのプロ野球選手の長期遠征は鉄ヲタでもやりたくないレベルの過酷さだった。

特に一番西の端っこの西鉄ライオンズが最も過酷だった。

伝説の日本選手権 奇跡を信じて博多駅で 選手見送り・寝台特急あさかぜ(1958年)
http://www.nishitetsu.co.jp/museum/lions/videocollection.html
http://www.nishitetsu.co.jp/museum/lions/image/ANH1958.m4v

昭和30年代の西鉄にとって最大の敵は「遠征」による疲労であり、どれくらい最悪かといえば選手寿命を縮めるくらい酷かった

西鉄ライオンズは本拠地の福岡市から東京や大阪へ移動するのに、新幹線もなければ、当時の日本には高速道路も無い。
飛行機の安全性が極めて怪しくて墜落のリスクが付きまとう時代だったから、必然的に列車による移動しかない。
当時の時刻表だと大阪へ約10時間、東京へは約17時間もかかったのだから、こんな過酷な移動をした後でまともなプレーができる方が不思議だった。

こういった厳しい環境で西鉄は黄金時代を築いたのだから恐れ入る。

ちなみに、現在、福岡に拠点があるソフトバンク、北海道に拠点がある日本ハムは、他球団と比べたら飛行機での移動がケタ違いに多い。
昔と比べたらマシだが、これでも日程はハード。
https://baseballgate.jp/p/46149/
https://baseballgate.jp/admin/wp-content/uploads/2017/03/01194530/distance.png
そして、世界一過酷な遠距離移動を強いられるプロ野球球団は、MLBのシアトル・マリナーズ。
その飛行距離は約5万1,000マイル(約8万2,000km)。プライベートジェットでの移動だが過酷な「時差」に悩まされることになる。
https://www.junglecity.com/mariners/ms-pro/ms-players-flight/

長い道程に耐えうる強靭な体力と、遠征を楽しい旅と思えるようなプラス思考のハートがなければ、とてもプロ野球選手など務まらないと言える。