昔の上越線を語れ 2番線
特急・急行列車の最盛期は食堂車やグリーン車2両を従えた堂々とした編成。
そんな上越線の黄金時代を語ろうではないか。
前スレ
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1392452880/ 月並みだがここも新幹線開業で一気に寂れた
というか新幹線が必ずしも沿線に幸福をもたらすとは限らない好例第一号 速達便が新幹線に流れたぶんできた余裕でもって
ローカル便に力入れてくれたら良かったのに 桜が綺麗だった諏訪峡
撮影ポイントとして古くから知られ
撮り鉄の聖地とも >>4
贅沢な悩みだがな
今じゃ在来線存続さえ保障して貰えない 新潟側は望んだかもしれないが群馬側はそれほどでもなかった
不便になるなら造らなくて良かったのにとぼやいてる人も知ってる 連カキコ失礼
急行ゆけむりではじめてクロスシートに座れてはしゃいでた小一のとき
じつは115系だったことを知ったのは鉄に興味を持つようになってからのこと
当時はロングシートしか知らなかったから向かい合わせて座れる、進行方向に向かって座れるシートが
とてつもなく高級のように思っていた 国鉄のネームドトレインは数々あれどゆけむりは個人的には五指に入るダサさ >>12
上毛高原からアクセスできるし、水上がそこまで不便になったわけではない。関越道と新幹線で湯沢が便利になって、水上行くなら足延ばして湯沢にっ、て流れになったのと、何より水道水温泉が問題視されたんだろうよ。 昭和58年に水上で下車したとき、
ホテル旅館の送迎車両が列をなしていて
法被着た従業員が客寄せの声を張り上げていた
昔の温泉駅風景が見られた最後の時期。 急行用だと165系などは固定クロスだったでしょ
115系とそんなに変わらない >>14
その頃だと急行と新特急の両方あったな上越新幹線が大宮駅暫定発着の頃だから昔の上越線最後の黄金期大舞台の頃だな