在りし日の機回し線
機回り線はないが機回り操車をしていたのが近鉄四日市の内部線ホーム
見てる分には楽しいが非効率の極み
通常の電車モ270導入が遅すぎたくらい 近鉄ナロー線区は当時モハとクハしかなかったから
実質客車運転みたいに起終点での機回しが必要だったな
西桑名にも車庫兼機回し線路があった記憶 あああミスった
×近鉄ナロー線区は当時モハとクハしかなかったから
○近鉄ナロー線区は当時モハとサハしかなかったから 機関車運転時代の遺物としては、転車台よりは使い道があった
電車運転になっても撤去せずに留置線代わりにしてることが多かった 逆に言えば遺構としての値打ちはターンテーブルの足元にも及ばなくなってしまったわけだが 養老鉄道の大垣駅に残ってたけど線路は既に切られている。 近鉄時代に撮影した写真を確かめると昭和57年にはまだ繋がってたようだ
まだ貨物も細々と営業してた
養老線は、一応関西線と東海道線を短絡する意義はあったんだよな 近鉄がそうなら東武西武南海の大手私鉄貨物御三家にも
後年まで機回り線が残っていたのでしょうか いつもより余計に廻しております、も懐かしになっちゃった >>11
樽井、羽倉崎、天下茶屋(地上時代)、住吉東など多数あった >>7
山形交通の三山線では、総括制御方式の電車でも機回し線で
電動車と制御車を付け替えて向きを変えたりしてた
冬季限定の措置で
積雪時に走破性能の観点からクハを先頭にさせないため 上野・地平ホームは敷地の都合もあったんだろうが、
機回し線を何本か設置できていれば尾久との間の推進回送とかも解消できたろうな。 >>20
クハは片運の場合が多いが山形はそのような運用してるなら
自ずとクハであっても両運だったの? >>21
据え付け・発車のホーム占有時間が短くて、よかったのかも? >>22
どうせ往復とも引き摺られるだけの運用なら別に付随車の運転台があろうが無かろうが別に構わないのでは?
後尾に尾灯か標識板がついてればそれでokなんだから。
更に貨車ぶら下げてた可能性もあるし ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ 北勢線で第二エンドが非貫通スタイルのクハかサハがいたねえ 高尾駅
機回しがあるのは1月中の高尾臨の時だけだったけど可能だった
高尾臨は`99が最後となり機回し線は下り通過線に変更となり高尾駅での機回しは出来なくなった >>27
観光バスの最後尾と同じく悠々と幅を取って座れるので人気があったらしい