廃線跡をたどる
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
線路の残る路線、道になってしまった線、断片的な遺構の残る線、等々。
語り合って面影を繋いでいきましょう。 日本鉄道(=東北線)宇都宮〜矢板とか官鉄の関ヶ原〜米原付近も早い時期にルート変更されたよね。
人海戦術でこしらえたものを十年そこらでよくも「やっぱこっちで」的に切り替えたものだ。 じゃ大仏線
稼働 明治33〜39年 だけの本線
いまも遺物あり >>112
大仏鉄道 で 検索してごらん。
京都府側はかなり残ってる。 今日は築地市場の最終日
日比谷公園のイベントに行ったついでに線路の遺構を探すのも良いかも >>108 碓井馬車鉄道の廃止が明治26年、千住馬車鉄道の普通馬車営業廃止が明治29年。
早期に開通した官営鉄道路線に並行する馬車鉄道、人車鉄道調べれば、これよりもっと早く廃止された路線もある可能性。
馬車鉄道から軽便鉄道、更には軌道に転換したような場合を「廃止」というべきかが問題となるが。東京馬車鉄道という大物があるので。 実際に自分で行って見た風景・どう感じたくらいはやっぱり書こうよ。 赤城山の上に行けば、赤城登山鉄道ケーブルカーの廃線跡がよくわかる。
特急「りょうもう」との接続輸送で結構な数の利用者が見込めるのではないかと思ったが、麓の駅が不便すぎたのが問題だったそうで。 山麓側は大間々の街を抜けて122から左折するとガクンと上がって、さらに県道から外れて到達するまでひたすら上り詰めなんだよ。
当時のバスじゃオーバーヒート必至だったんじゃないかな。
赤城温泉のある南面からのつづら折り道が古そうだし、旅人や修験者が行き交う街道筋とは思えない。
利平茶屋なんて昔からある地名なのかねえ。 廃線跡にスポットを当ててくれた故宮脇俊三先生マンセー >>123
先駆けは同じく故人となられた堀淳一さんだよ。 >>124
「消えた鉄道」っていう本を書いた先生かな?(そんなに厚い本じゃない)。 >>125
そう、「消えた鉄道を歩く」だったかな。
文庫本サイズで全6篇(箇所)くらい。
それを読んで当時近場だった奥羽本線矢立峠旧線・旧国道をバイクで探ったものです。
SL末期はこんな山の中を通ってたのか…と雰囲気は味わえたな。
はるか後に“山行が”のレポにはまったのは言うまでもなくw >>126
自分が持ってるのは「消えた鉄道・レール跡の詩」という新書版?の本で、〔そしえて〕というところから出版されたものです。
久しぶりに読みたくなってきたなぁ・・・ 1960年代〜80年代の国鉄は、
1.非電化のまま新ルート化(場所により数年してから電化)
2.旧ルートのまま電化、数年してから新ルート化(+複線化)
3.一気に複線電化+新ルート化
4.電化済みだが新ルート化(+複線化)
こんなんであちこちに廃線跡ができたが、蒸気機関車が無いと記録もなかなか表に出ないよね。
特に2.のケースは中央本線や羽越本線にあるわけだが、中平信号場を行く「しなの」や五十川付近の海沿いを走る「いなほ」や「白鳥」の写真は見たことがない。 松前線
1990年代に松前を訪れた時は、まだ赤い鉄橋が残っていたが、今はその鉄橋も撤去されたらしい 一気にメジャー趣味にしてくれたのはやっぱり宮脇先生だよ いずれにせよ、大先輩たちに対する感謝は尽きないですね 1968年に付け替えられた、総武本線の物井〜佐倉間も、
>>128で言うところの3番に当てはまるんだろな…。
まあ、付け替えた際に529メートル短縮したのに、
営業キロは付け替え前のまま、今日に至るんだよ。
営業キロも実態に添っていれば、佐倉〜錦糸町間は50キロジャストになって、
運賃は勿論、特急券や快速グリーン券も安くなったんだが、当時の国鉄ときたら…。(~_~;) >>133
Googleマップの航空写真見たら、驚いたことに物井側のわずかな痕跡がスポットになってる。
「歩く」の何巻かに野っ原の中を行く汽車が写ってたが、今でもほとんど耕作地とは…いやはや。 >>134
途中の築堤のあたりにはレンガの橋台跡と説明板もありますね。 >>137 筑波鉄道真壁駅だったと思うが、20年少し前、行ったときはこんな感じだった。
今は、サイクリングロードが延びて、整備されているが。その当時は整備されていたのは筑波駅付近までだった。 >>138
真壁駅は交換施設付きで、駅自体は集落の中にあったから、何かの勘違いじゃ?
>>136は鹿島鉄道の坂戸駅
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/82/Sakado_sta_katetsu.jpg >>139 20年前、真壁駅が草ぼうぼうだったってことよ。 いくらでも見てくれ
身を投げてダム湖と一体化してな >>142
前にも書いたが渇水期に草木橋から見下ろしても、土砂が堆積してて何も見えないよ。
余談だがもうあのダムは見かけは満水になっても、有効な貯水量はかなり落ちてるわ。 自転車最強だな
歩くと時間かかり過ぎだし
車は見逃しが多い 糸魚川〜直江津間に至っては鉄道架線下DCしか走らなくなってしまったのに、自転車道の方がむしろ充実しているよな ルート変更による廃線跡の方が(どこでも)現行線よりダイナミックだと云いたいのだろう。
氷河急行ことフルカ峠はたいへんな苦労の末に観光用で復活したが、日本で匹敵するのは狩勝峠の旧線くらいか。
今やトンネルは崩落したし、それどころか根元側が廃止を取り沙汰されちゃって…。 >>138
筑波鉄道跡と言えば、20年くらい前、小田城跡を突き抜けてる所を見たくてうろうろ。でも勢いある笹などが3メートルもの高さでぎっしりと。大きな民家もあって結局、線路の通過した部分が分からなかった。 横浜ドリームランドモノレールの橋脚はもう一本も残ってない? 危ないトンネル内や橋が失われた場所にはいいよな。
平沼先生のフィールドが狭まりそうだが。 >>109
それも間違ってないんだよね
どういうくくりだと、白糠線が廃線第一号になるんたっけ? 【南薩線(鉄道)回顧展】
年明けまで開催中です
(場所)鹿児島県日置市吹上町、さつま湖近くの吹上砂丘荘(旧国民宿舎)
●回顧展記念ポスター
●記念誌
●(6枚入り)ポストカード
各(税込)500円
※駐車場無料 倉吉線の廃線跡行ってみたんだけど、山守から中国勝山までどうやってつなげるつもりだったのかよく分からない
どう考えても関金から蒜山に抜けたほうが勾配的に有利なのに >>157
国鉄再建法が出来て、収支だけでなく実際の利用客密度が評価基準に加わった。
改めて第1次〜2次の廃止候補、さらに3次まで作られ各地区で交渉が始まった。
さしたる反対も無く合意が得られたのが白糠線。 >159
たしかに
山守駅の線路終端部の車止めの前に農道があり、農道の向こうは畑になっていて、
その先には大きな民家があって、工事着手された形跡はないよな
国鉄未成線の地図では南勝線は山守を出ると左に大きくカーブし、東に向かって進み、
清水という場所を経由し、そこから南下して八束、蒜山、勝山へ抜ける予定だったようだ pixivに予定線の未成線を地図で検討したものをすべて公開している人がいます。
通称南勝線もありますので、見ることをお勧めしたい。
ただし、困ったときは長大トンネルで向こう側に抜ける人ですw
山守から先、福原トンネル1500mと蒜山トンネル5600mで岡山県側へ抜けています。
脳味噌を相当に柔らかく加工してから登録して、見ることをお勧めします。
別表第89号などで検索すると見つかると思う。
コレ公式ではないのは当たり前ですけど、他もツッコミを入れるためにも見ておくと面白いですよw
そんな考えがあるのか、とか、それは無理だとか色々。 南勝線は昭和49年5月に岡山県勝山町(現:真庭市)の勝山小学校で起工式が
行われ、その後空中写真による測量が行われただけで、用地買収や工事着手されることもなく、
計画は消滅した。 >>161-163
倉吉線・南勝線に触れてるサイトは、行く前にひと通り覗いてみたんですよね
中には関金から分岐して、犬挟峠を抜けるルートを主張してるサイトもあり、実際に犬挟へも足を運びました
当初の計画通りなら、清水の先をトンネルで抜けるしかないルートになるかと思いますが、
それでも遠回りをした上に建設費のかさむルートになることは免れず、山陰から蒜山高原と湯原温泉への
観光客を当て込んだとしても、非現実的かなと思った次第
陰陽連絡線とするのであれば関金から犬挟ルート、蒜山観光なら伯備線から分岐させたほうが妥当だし、
結局どっちつかずの路線にしてしまったからこそ、廃線・未成線になってしまったのでしょうね 千葉の物件についてその後 >>85 を見たものはいなかった。
というか、すごく気になるんだけど、おいらは本州じゃないから簡単には行けないんだよ。
どなたか、レポしてちょうだい。 皆さんご存知の通り築地市場が閉鎖されて環状2号が暫定開通した。
内回り(築地→豊洲への東向き)入口が「旧青果門」という信号付きの交差点になり、ここがまさに東京市場線の跡になる。
バイクで走り初めした際にカーブしたホーム跡が見えないかと眺めたが、1区画南を迂回してしまうのでまるでダメ。
築地橋上は駐停車禁止だし、歩行者自転車通路も橋の南しか通れないので新しい道からの撮影は無理です。
解体・整地が進んだら『ここはかつて貨物列車が…』と報じられるかもしれないね。 名古屋ローカルメーテレ「UP!」で特集終着駅の旅
上田電鉄の別所温泉駅、信越本線の横川駅紹介
上田電鉄は枝分かれしてた昔の写真、横川駅は軽井沢峠の廃線跡めぐり映像あり 平沼ってヨッキだっけ?
気付いたらもう何年も見てないw今も面白い? しまった廃線スレあったのか、こっちのスレに貼るべきだった
フジテレビ 2月13日(水)19:00〜
世界の何だコレ!?ミステリー【こんな山奥に廃駅?/仰天結末!少年からの謎投稿】
視聴者投稿で仰天結末!8歳の少年がまさか…約1億年前の(秘)化石発見▽こんな山奥に廃駅?そこは“間もなくダムの底…”六角精児が初調査▽住宅街で怪奇音&ゴーストホテル
過ぎちゃってゴメンよ >>175
放送当日にたまたまテレビつけたらすでに番組エンディングだったわw
結局どこの廃駅だったの? ダムの底という辺りから、田口線田口駅でしょう。
最近発掘というか、ホーム側壁が整えられましたけど、イベント終わって再び埋められました。多分今度こそ永久に:湖底に消えます。 昔のロマンポルノ見てたら五日市線岩井支線大久野駅が出てきた
他にも鉄道関係のシーンが出てくるから片っ端から見てると面白い
U-NEXTが安くていい 岩井支線跡よく見に行ったもんだ。都内だけど寂しい住宅地だった カルメン故郷に帰る、生きた草軽電鉄が何度も出てきてすごく良かった。
高峰秀子が走る貨車に乗ったまま踊ったり >>184
あーあそこ遂に変わるんだ、また思い出が1つ消えて行く… ねえねえ岡村
夕張支線って今日廃線なの?
それとも明日廃線なの? 汽車みち、電車みち、軌道みちは聞いたことがある
軽便みちはないな 先週金曜だったか、報ステで喜多方市の桜並木中継やってたけど、
遊歩道が日中線の廃線跡だと言ってて早速ググった >>191
終点に駅舎やターンテーブル跡などもあるので良かったらどうぞ
遊歩道はごく一部なんだけどね >>191
俺もそれ見たな
桜が咲いてるのは初めて見た気がする 知多半島にあった日油武豊専用線。
つい先週かな、線路が剥がされました。
架線柱は残ってますが・・・・。廃線後、長く線路が残った不思議な場所でした。 新潟交通は、一日かけて歩いた事がある
大部分が遊歩道だったり、線路跡の隣に道があり
関屋分水路以外はでかい橋も無いから辿りやすい
ただ、夏だったから日焼けしたww 地方の弱小私鉄だと、遊歩道にすら転用されずに大地に還っていく 新規で作られる鉄道は高規格で高架線を多用した路線ばかりになるから、それらが廃止(しないだろうけど)されても
廃線跡をたどるようなことはできないだろうな >>196
線路、残ってたんだ
でも、トロッコはどうなっているか知りたいな。
武豊の工場、さらに火薬庫。
航空写真みると、土塁に囲まれた火薬庫群を網の目のように軌道がしかれてるんですよね。
場所が場所だけに、記録写真が見あたりません。 トロッコ線路は設備投資が行われたところ以外では手を付けないでしょう。
ローカル駅の坪庭というページに興味深い写真があります。
http://teramatiisejosai.travel.coocan.jp/nihonyusi.html
ずっと下のほうの写真で、1067mm線に並行するようにトロッコの軌道があります。
この写真は奥の火薬庫と、路線の中間にある化学工場の間です。(施設名称はコロコロ変わってますので便宜的に)
おそらく火薬庫正門前あたりから撮っています。今は背景一杯に知多自動車道の築堤がある筈です。
この、1067mm線の南側に並行して走るトロッコ線路を私は見た記憶があるのです。
それも母が運転する車で、道に迷っているうちにある筈のない踏切(名鉄では無し…武豊線の筈でなし・・)に出くわして
両親が首をひねっている最中という状況下で、強い印象があります。踏切はトロッコ線路と重ねて複線の様でした。
私の自転車の行動半径が広がった頃には専用線は健在でしたが、トロッコ線路はありませんでした。
はるばる自転車で乗り付けた小学生の私は線路とフェンスの隙間から侵入しトロッコ線路を堪能…おおッといけない口が滑ったw >>204
貴重な写真を写真を紹介していただき、ありがとうございます!
今のグーグルアースでも構内軌道の残渣が見て取れますが、かなり舗装が進んでいました。
稼働してたときの配線はさぞかし凄かったんだろうなと、想像しています。 フジの何だコレミステリーで
六角精児が長野県と群馬県の県境付近、草軽電気鉄道の廃線跡ロケやってた 草軽といえば軽井沢の三笠パークという別荘地内に線路跡と思われるなだらかな窪地がずっと続いてた。
別荘地の道路に並行して少し下の方に。
木が茂っていたがいかにも鉄道が走ってただろうなという良い雰囲気。 草軽の路線跡は道路に転用されたところはともかく、されなかったところは大地に還りかけてる
終点のモニュメントも石碑だけで味気ない印象 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています