失敗作だった鉄道技術やサービスなど★5 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
54追加 事故を起こした8000系は1993年の製造 事故が起きたのは2004年 >>48 >>52 そもそも>>30 がアスペ呼んだからこうなった もし>>30 があんなレスしなかったらアスペが来ることなんてなかったのに まさにアスペを召喚する魔の呪文だ >>54 クハ201=3も東中野の追突事故で103系にオカマを掘られた側で千葉方で唯一残ったがとこにも使えず ずっと放置され、最終的には車庫が手狭になって豊田に押し込められていた。結局その後二度と使うことなく廃車。 クハ201では武蔵野線用にバラバラにした余りでクハ201/200-134が豊田にずっと放置されていた。 習志野にはクハ103-819-モハ103-740-モハ102-896-サハ103-493が車両センター内で自爆事故をやって 修理やらず他の車もねじ込まずほったらかしにされた挙げ句廃車された。 武蔵野線にはモハ103-105の極初期にユニット窓のモハ102-445のちゃんぽんと言う変なユニットがいた。 >>35 京急のもう一つの事故は1533編成が品川行きとして運用中に安針塚〜京急田浦で土砂崩れに巻き込まれた。 こちらは1536を同一車番で代替新造(ただし機器は流用しているため、車籍上は修理扱い) だから不慮の事故による廃車なんて短命要素はあっても失敗要素はないだろが 少しはスレタイ読んで意味を考えろ >>29 事故廃車→小田急→事故廃車→小田急(以下同様)の 永久ループですから(笑) >>62 前スレで小田急のことが話題になっていたが、3000形による従来車大量淘汰は、代々木上原〜梅ヶ丘間の高架複々線化から地下複々線化への計画変更により発生した梅ヶ丘付近の勾配に対応できないというのもある。 90年代に通勤車をあまり新造しなかったのは、高架複々線化に投資を優先していて、車両ではロマンスカー置き換え(NSE→EXE)が精一杯だったため。 381系パノラマグリーン車 運転台が太陽光で灼熱地獄になって運転士が熱中症になる問題が露呈し後継車両に波及せず 踏切事故時の運転士保護の観点でも問題があったはず >>40 >>49 と内容があまり変わらないが 南海2000系 難波〜極楽橋間の通し運転用に作られたズームカーだが、何故か最近南海本線に転用された なぜ転用する必要があったのか? 大型車が橋本まで入れるようになって余ったからでは? >>60 そっちは1997年に起きた事故で車両もまだ耐用年数内だったから修理扱いの代替新造が妥当だな >>66 大型車両が橋本まで入れる 難波〜高野山までのいわゆる大運転直通をやめた 橋本から先は小型車が必要でなおかつ2〜4連で十分で2連車が旧式車含め揃っていた 本線の老朽車を廃車した結果本線の普通用が足りない 本線特急に使おうにも2ドア小型車なのでサザンの一般車に使えない >>54-55 相鉄8000系は直角カルダンで特殊というのもありそう。 最近8000系機器更新と9000系リニューアルが始まっているが、どちらも全車が対象とはなっていないらしい。 9000系は1編成のみリニューアル対象外で、8000系は後期車のみ機器更新対象。 なので8000系・9000系からも(事故以外の)廃車が出ることが確実。 これは直角カルダンが原因だろう。 >>69 直角カルダンが標準だった相鉄の場合、10000以降の平行カルダンの ほうが特殊なわけだが。 そろそろ平行カルダンの勢力も均衡してきたのかな? 新7000のV車が直角カルダンで残ってるからなあ。恐らく対象外車は自社線完結運用だけっていう可能性もあり得る。 >>65 大運転用に作ったはいいが、大運転だと急行の混雑をさばけないから、 原則橋本で系統を分離→大量の余剰→仕方なく本線普通に転用だったような。 最初から橋本で系統を分離することを前提にできなかったのかな。 高野山の観光協会や寺院あたりから難癖付けられるのを恐れて、なかなか分離に踏み切れなかったのでは? あと、新型と鉄屑の相性が悪かったのもある 車体更新の進行中、支線封じ込めに方針転換 最終的に、鉄屑と同数の64両を製造することに その直後に系統分離、新車が大量に余ってしまったと https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1487336896/97 とあったけど、ところで「こいつ〜にいじめられてたのか?」も「親でも殺されたのか」と同じ意味? あと「親でも殺されたのか」の「でも」は本当に6番目の「極端な例を示し,他の場合にはもちろんであるということを類推させること (例「親のスネでもかじってろ!」)」の意味で正しいの? >>65 7000系全廃前倒しのため。 7000系の代替として8000系が増備されていたが、増備がままならず、結果として8000系の増備だけでは7000系を潰し切れなくなった。 それで2000系を南海線に転属させた。 更に泉北3000系も南海線に一部転属して、これでやっと7000系を全廃できた。 泉北が南海の子会社にならなかったら泉北3000系の転属はなかったかもしれないが。 >>71 新7000系VVVF車も8000系の機器更新対象外の編成と共に直通用の新車に置き換えられて廃車になると思う。 >>74 まだこだわるんだね、うまれてきたことじたいがしっぱいのきみ はやくせいしんかにいっておくすりもらうかしんでね >>76 新7000系と同時期(80年代後半)に新造した 他社の形式が編成ごと廃車されてる時代だもんね YOKOHAMA NAVYBLUEへの変更がひと段落ついた所で廃車 ところで、新色YOKOHAMA NAVYBLUEは https://pbs.twimg.com/media/Ctgs3vAUkAUye4b.jpg 今度こそは全編成に波及するのかね?(また方針転換とか・・・) >>77 だから質問に答えろよ 答えるのが目的でないなら通学路にトラックが突っ込んだみたいに凸してくるな >>79 あいかわらずへたなたとえしかできないんだね ばか、いやきちがいがいくらあたまがいいようにみせかけても、 もとがこれだからしっしょうかっちゃうよ おやのかたきのようにいつまでもしつこい「しつもんにこたえろ」くんw >>78 7000系残存車・N7000系は一色塗りへの変更対象外 8000系残存車・9000系も全編成には施工されない模様 >>81 置き換え前提で塗替え対象外の編成があることは承知している 変更やリニューアル絡みの予備車が必要だから その作業の進捗がある程度波及したところで 対象外の編成は淘汰されるのだろうね 8000系もデザイン出てるてことは 一応統一されるのかな 赤いやつ一本つくったら面白そう 新京成8900形 1993年に8両編成で登場したが、3編成のみで終わってしまった挙句、2014年に6両化されてしまった しかも余剰車は8800形のような先頭車化改造をすることなく廃車解体 改造が難しいステンレスだから仕方ないとはいえ、何とかならなかったのか・・ 更に機器更新もVVVFは廃車された8000形VVVF車からの流用で主電動機はそのまま 8800形機器更新車はVVVF・主電動機とも換装してるが これを見るに8800は今後も使用が見込まれるが、8900は8000全廃したらすぐ廃車にする気ありそう 下手したら8800より先に8900全廃・・なんて 8900は当時の最新型だったけど、後になって使いにくい車両になっちまったんだよ 千葉線の乗り入れもやらないまま廃車はあると思う 今更千葉線に試運転なんて手間がかかるだけ 新京成8900を8連のまま京成線内の運用に使い、 その車両使用料として、京成の6連を新京成線内で運用 って柔軟な発想があれば無駄なく使えたのにねぇ。 >>87 千葉直は新京成の片乗り入れでいいよ その方が新京成にとって収益にもなるから >>84 多分セミワイドドアで特殊というのもあるだろ。 小田急も1000のワイドドアは更新しない予定。 ワイドドア関連はワイドドアを標準化したメトロと横浜市営が例外で他は多扉と同じ扱いされてるんだろう。 >>85-86 8900形は、保有する新京成と親会社京成双方の既存車両とは 仕様が異なるのが仇となってる(京成G標準仕様の登場で尚更) 竣工時、乗り入れ云々の構想も当時から疑問符だったし・・・(だから前面に貫通扉がある) >>87 現実的ではない(8900形を8連のまま京成に貸し出すにしても?) 千葉線乗入対象外だから、IR無線対応工事が必要な上に ・扉間隔が新京成仕様、セミワイドドア採用(1号線規格不適合) ・新京成仕様の動力構成、MT比4M4Tの先頭Tc仕様(非丸山イズム、京急仕様不適合) ・ボルスタレス台車採用(京急仕様及び、事実上1号線規格不適合) だから、使おうにも運用できる筋が限られる(上野線専用?) >>92 仇になったことなんてあったっけ? 妄想じゃね? 仮に8900を3700のコピーで作っても編成短縮で廃車になるのはステンレス車である以上変わらない 京成や北総に編成毎譲渡するにしても首尾よくいったかは不明 京成乗り入れしないのは乗り入れ運用が限定されてるからその必要がないだけにすぎない >>93 それやったら3600の二の舞になるわな それ以上に編成両数の違う車両同士のやりくり自体がありえない 余計面倒になるから それ言ったら芝鉄はどうなんだと言われそうだが 西武の9000系が廃車になるらしい 車体は6000系と同時期だけど、旧101系の機器流用車というのが災いしてしまったのか? ↓旧2000系よりも先に廃車された西武車 ・新101系 ・301系 ・3000系 ・新2000系VVVF車 ・9000系←NEW 車体は鋼製だから失敗ではないと思う 京成3400形も同様 ただ新2000系とは異なり戸袋窓回りが完全に埋められない点では失敗だと思う 戸袋窓回りはステンレスとかだろうか? それ言ったら旧営団5000系はどうなのかと言われそうだが 新2000はまだまだ使い続けるから戸袋窓を完全に埋めた 9000はもう廃車にするから中途半端な工作にとどめただけでは 車体工法は同等か9000の方が進化してるはずだし 2000系は4扉車であることから荷重が大きいことに対応して軸受を強化したFS372A台車を履いている(主電動機の関係で3000系も使用してた)が9000系はそれをしていないFS372を使用してるのが問題だったのか? VVVF化したのも少しでも軽量化したかったというのもあったかもね 単に台車の経年的にその時が来ただけかもしれんが >>93 IR無線を初めから積んでいない千葉線非対応の8800形も数本ある。対応車のほとんどは北初富からの 北総線直通があった時に使ったもので、廃止後もそのアンテナを残してあった。千葉線直通開始時に そのアンテナがまた使う必要を迫られて切り替えスイッチを変えて京成乗り入れに必要な運行表示機 (これは8000でも同様)を追加で付けた。ラッピング車の千葉ジェッヅ ふなっしー封メ成は乗り入れ荘ホ応車。 bサのためVVVFが血テくて何も全く封マえていないのbニ古いやつで補緒蕪d源のSIVやコンプレッサーだけが N800と同じやまっさら新品のVVVF・SIVにした車などがある。前照灯がLED化した車もある。 なお千葉ジェッヅ ふなっしーは古いVVVFで補助電源とコンプレッサーも替えてないタイプの対応車。 >>96 機器流用で低コストで4ドア車を増やし、ラッシュ時の乗降時間節約、ダイヤ乱れの防止に貢献したのだから、失敗作じゃないのでは?コストパフォーマンスで考えないとねえ あじさいの関東関西つゆ はなまるや丸亀は本格的だからねえ >>102 西武の狭山そばにしても、似たようなものだろ 丸亀などと競争する必要はない。店舗代いらないし。 そもそも、駅上屋やホームといった厨房設備の制約が大きい場所に、丸亀や富士そばのような麺類系チェーン店が進出したがらないのでは? 最近の駅ナカならともかく。 >>105 ニューデイズのような、鉄道会社の小会社、系列企業の駅ナカコンビニも、地代やテナント料が無料か格安なんだから、駅そばも似たようなものだろ。 そして、駅の利用客を対象に、独占的地位を保つことができる。 要するに、丸亀のような鉄道会社と系列関係にない企業が駅構内に進出するには、地代、テナント料を負担しなくてはならないということだね。 https://www.sbbit.jp/article/cont1/33551 で、駅ホームのような厨房設備が貧弱で出せるメニューが限定される場所に、丸亀なんぞが高いテナント料支払って進出したとしても、駅の丸亀はまずいなんて評判が立ったら、チェーン全体のイメージダウンとなる。 そんな危険を冒してまで進出する気になれない、ということなんではないかな。 >>99 FS372のA付きは複巻電動機対応なだけでしょ >>108 西武線各駅の狭山そばの大半は、西武鉄道系列の西武通運が運営していたんだけどなあ >>109 軸受も違うよ Aの方が少し大きくてより大荷重を受けられる >>95 かつて北総線が「北総・公団線」って言ってた頃 日中に他者(都営、京急、京成)保有車両しか運用の無い時期があったな・・・ 当初(2期区間開業1991.3.31.)の北総・公団線直通運用の南限(京急方面)であった 京急本線の京急川崎から、空港線の羽田に行先(運用)変更されたのに伴い 当時の空港線には6連までしか有効長が無い駅があったため 1993.4.1.から1994.12.4.までの間 北総・公団線内に、日中の北総及び公団の保有車両は運用が無かった 西武9000は所沢工場の仕事確保のために登場したようなもんだったから機器流用車なんだろうね 東武なら旧101を更新とかしただろうが西武だからな >>112 しかも6両編成の関係で都営、京急、京成の車両も大半が古参車だった >>110 西武通運は西武鉄道系列じゃないよ 西武沿線の中小通運業者が戦時統合されて出来た会社だから西武と付くだけ >>113 つまり、所沢工場の廃止がなければ9000はでなかったということか それは >>112 その時期、銀色に塗り替えられた元京急1000がなかったっけ? 使ってなかったのかな? >>117 その7150形(元京急1000形)も含めて、北総・公団の車両はすべて8両編成だったため、日中 は京急の新町検車区に留置か、都営浅草線の押上・泉岳寺−西馬込間の折り返し運転に 使用されていて、一方で、その時間帯の北総・公団線は>>112 氏が仰っているように、都営 ・京成・京急の6両編成で運転されていた。 >>112 当時の京急空港線が6両編成だった最大の理由は、羽田(現天空橋)駅の先にあった 折り返し用の引上線の長さが6両までだったため。羽田駅開業時点では、空港関連の設備 が引上線の先にあり、当時工事が進められていた羽田空港の沖合移転が完了するまで 引上線を延伸することが出来ず、反対側(大鳥居駅側)は急勾配があるため駅の位置を ずらすことも出来なかったため、羽田駅開業時点では6両編成での運転となった。 >>118 7150形は4+4の7160形と共に全て三菱の大爆音車だけで固めていたから地下は大爆音轟かせていた。 ちなみに京成で貸して千葉急行開業でも使っていた1029〜1032 1037〜1040も爆音車だった。 ただ一方は片方が東洋(爆音はない)もう片方が三菱大爆音だった。 東急6000の総数が42両って、9000を廃車したのも42両で同じじゃないか 製造している一方で廃車するとかね・・ 9000は、一旦5両にしたとき全廃車しなければ、7両化できたんじゃね? 例外は9007だけど >>15 ベイリゾートは、通勤輸送を主体にすれば(当然車両も通勤車、停車駅や列車種別も変える)、まだ需要はあったと思う。 しかし、そうしたら、メトロ車両は東武、西武、東急、小田急と、自社を入れて5社分の保安装置を搭載しなければならなくなるので大変だ。 やるなら、ベイリゾートと同じく、小田急の片乗り入れか。 近い将来推計人口は中央快速通勤E233グリーン車がここに来る、のか >40年使用する時代はもう終わった >今の車両は電子部品が多数使用している為 >車両を更新するよりも直接新車に代替した方が経営的にも良くなった >5300や12-000は塗装車体の維持、東急9000や解体された205は保守部品確保の為 >8年前とは車両に対す扱いがすっかり変わったんだ >今の電車は20年した持たない 40年使用する時代はもう終わったというが都営は元々40年使用する概念がない 昔から25〜30年で廃車だっただろ 5300・12-000は廃車時期なんだよ 昔の国鉄は、車体構造などに問題なくても、30年くらいを目安に 廃車にしてなかったか? 都営地下鉄はその頃の考え方を踏襲しているだけかも。 >>115 >西武通運は西武鉄道系列じゃないよ >西武沿線の中小通運業者が戦時統合されて出来た会社だから西武と付くだけ そもそも武蔵国西部だから「西武」なのであって (西武信金とか西武ガスとか西武学園とか) 今は西武=鉄道&セゾンのイメージしかないが、堤家がいかに横車を押しまくったか、という事なのだな。 >>115 資本関係なくても、西武鉄道が地元業者の連合体に、西武線の駅の荷物運送業務を独占させ、ついでに駅そば出店についても独占させたということなのでは? 「西武」の名称がつき、かつ駅構内で運送業務に当たっているという外見から、表見代理や名板貸しにまで行かなくても、西武運送の業務上のミスが西武鉄道のイメージダウンとなる危険性がある。それを承知で「西武」の名称を用いることを認めたということなんでは? >>128 いい加減しつこいぞ ここはお前の妄想を書き並べるスレじゃない もしかして、いつも珍説書き込んでるシッタカ厨房? >>125 5300系は、わざわざ京急の久里浜工場で再塗装しているのを止めたいから。 雨ですが、選挙に行きましょう。これ以上生活が苦しくなったらオタ活動にも支障が出ますよ。 >>115 西武通運は日通系 「西武通運」の書体が日通と同じで、ロゴも日通と同じ〇通マークがついていた。 西武運輸も西武通運もどちらも実在するよ。 西武運輸(現セイノースーパーエクスプレス)…元西武グループ、今は西濃グループに入ったけど依然として西武鉄道が株式の一割を保有。 西武通運…昭和19年に地域の通運業者が合併して成立、日通法下での大同合併には参加しなかったのかな?(○通マークは日本通運の独占ではないらしい) C51形蒸気機関車 下手に優秀だったため改軌計画を潰した島安次郎のオウンゴール 世田谷線に引き継がれなかったペコちゃん東急200は失敗作? >>136 失敗作の例の中でも最も有名な部類だね もちろん過去スレでは既出だが、制御器が屋根上にあって保守が大変とかよく揺れるとか脱線しやすいとか他の車両より収容力が小さいとか欠点だらけだったらしい 屋根上に制御器を置くのは現代の路面電車では当たり前になってるけど、当時のメンテナンスフリーでない抵抗制御ではまさに手を焼いた しかも玉川線の車がほとんど吊り掛けの中で唯一のカルダン車だったからね。 ボディマウント式をやめてオーソドックスな車で作ってたら世田谷線移籍後も300に更新せずに しばらく使っていたかも知れないけどね。 でも東急で300系設計するとき、参考にしたのは200系なんだよな。 東急で経験のある連接車ってそれしかないし、同業他社に頭下げられないしw ただ、中身的には江の電を小さくした車両って感じで路面電車要素はそれほど多くないようにも思う キハ60ってトライして成功したモノってある?強いて言えば2軸駆動の台車と、軽量、防音の床構造くらい? あ、外吊戸みたいに何十年か経過してプラグドアとして実用化されたようなのは当時の技術じゃ無理だったって事で失敗とみなすと キロの空気バネ台車は気動車初で後の特急気動車の開発には役立ったらしい あと、外吊り扉は両開きにしたのがキハ35系で使われたから失敗とまでは言えないかな >>143 残念ながら同じ外吊りでも構造が違うからね >>141 も言ってる通りキハ60のはプラグドアだから もっとも何十年か経過しなくてもサシのドアとしてはポピュラーだったよね プラグドアや外吊りドアはなんで定着しなかったんだろう? 採用されてる車両が少なすぎる 戸袋窓があると中に蛾が入って気持ち悪い >>145 人に尋ねないでまずは自分自身で考えてみればいいと思うよ。 >>145 新交通で外吊りやプラグドア、特急でプラグドアが多く使われてるから、マイノリティであっても 定着はしてる。 そして君が思う失敗とは結局戸袋窓なんだと思う。 >>145 プラグドアの成功例って300系新幹線くらい? >>149 300系では特に問題出なかったけどその後の車両ではやめてるから成功とは言いがたい気もするな 東のE2系は途中でやめた 空気抵抗や騒音的にドアの凹みは大した問題ではなかったらしいがN700系は先頭車の一番最初のドアだけプラグドアにしてる コストが高いという問題がまだ完全に解決してないようだ 近鉄特急は戸袋にスペース潰されるのを嫌がるから長らく折戸だったし近年は外に出るプラグドアだな ここ最近はバリアフリーとかでホームとの段差や隙間を減らす方針なので外にはみ出る欠点が露になってきたが、車体をやや小さめにつくってドアが開いたらステップ出すようにすれば解決はできる >>149 300系も失敗だった 高価な上に機構が複雑で故障が多く途中で普通の引き戸になった それに何か段差があって躓きやすかった N700系は最前部だけ流線形がドア部分にまで及んでるために変形ドアになってるための苦肉の策 車体の経年変形にドア合わすのって 大変みたいだよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる