>>187
知らないようなので改めて教えて差し上げよう。

90年代の小田急が通勤車をあまり製造しなかったのは、複々線化工事に投資を集中したため。
その複々線化工事も、反対運動や、バブル景気による土地価格高騰により計画が大幅に遅れていたため、
ラッシュ時のピークサイドに数本しか増発できなかったことから、通勤車(1000形・1700形・2000形)はあまり製造されず、従来の通勤車の廃車も出なかった。

また、5000形5200番代の更新を途中で打ち切って、最終的に全て廃車したのは、
複々線化計画が、下北沢住民の反対運動により、代々木上原〜梅ヶ丘が高架から地下に変更されて、
梅ヶ丘付近に地下から高架への急勾配が設置されることになったため、その区間に対応できないためである。
要は、通常走行では問題は無いものの、故障車が発生した時、その故障車を回送する際に後ろから押し上げるパワーが無いことが理由。

更に、HISE・RSEは、落成から15年以上が経過して更新が検討された際に、
ハイデッカー車体であるため、交通バリアフリー法に引っかかり、出入り口の段差解消などの改造工事が、大掛かりになって改造工事の費用が嵩むことと、
抵抗制御の為、省エネの観点からも、更新工事を施工してまで継続使用するのは得策ではないと判断されたため、廃車となった。
念の為に言っておくと、HISEが登場した80年代後半はまだVVVFが高価であったため、停車駅が少ない特急車では起動・減速の回数が少なく、省エネ効果が低いため、
HISE・RSEは同時期の近鉄アーバンライナー・さくらライナーなどと同様に、 VVVFを導入するメリットが無いと判断された。