短命に終わった列車 [無断転載禁止]©2ch.net
特急むつ 秋田〜青森 1985.3〜1986.10
カナシス >>9
ウイングあずさは千葉行きを空港まで延長してみて、リサーチしたとこあったんじゃね?
ウイングはくつるは海外旅行客向けで走らせた案は良かったが、海外旅行の大衆化した頃とは
いえ東北だけでは無理があったからな ウィングあずさは長野〜成田空港だったんじゃなかったっけ? あずさの千葉発着が設定されたときは日中にも設定されていて千葉折り返しの時間がたっぷりあった
最初は夏だけ千倉延長してたんだが海水浴の衰退で成田空港に行き先を変えた
結局日中の千葉あずさ自体が廃止されて終了 日中の千葉あずさ、当時は土曜半ドンだったから、
よく使ったんだけどなぁ。今でもあればそれなりに使うのだが。
今の朝一あずさは、千葉駅で駅弁が買えんのだよ(´・ω・`) 甲信エキスプレス
懐かしくないけどいつの間にか無くなってた 地元高崎線ネタだけど、高崎線内快速〜東海道線内普通の湘南新宿ライン
2001.12の湘南新宿ライン運転開始で設定されたものの、2004.10のダイ
ヤ改正で湘南新宿ライン快速(高崎線内も東海道線内も各駅に停車)に
吸収合併された >>20
言われてみれば確かに。
塩山ではなくせめて大月発ならよかったけど線路容量の問題かな。 成田空港だとエアポート常磐なんてのもあったけど定着しなかった。 ホリデー快速とりで
大宮から乗ったけどほとんど武蔵浦和で降りる乗り鉄だけだった。 特急おおよど、6年で終了。DCにちりんの間合い運用で、にちりんが電車化されたこと。それに需要が少なかったことが短命だった原因。 >>27
それを言うなら「あおば」のほうが短いよ。 >>27
需要はまあそれなりにあったんじゃないかね?
宮崎はともかく、都城は当時博多へ行くにはおおよどルート(吉都・肥薩・鹿児島本線経由)が距離も所要時間も最短だった訳だし。
まあ、都城や人吉から熊本や博多に出る客が一日どれだけいたのか? って話になるがw まだ宮崎自動車道がなかった頃だからそれなりに需要があったはず
宮崎まで高速道路が通じてしまったらもう勝負ありで急行えびのも壊滅した >>29
下りが博多発朝8時台、都城着13時台、上りが都城発17時台、博多着22時台というダイヤだから
都城や人吉の人が熊本や博多に用務で使う感じじゃなかったような >>25
上野から我孫子、成田線経由だっけ?
勝算0なのによく走らせたもんだ。 特急「へいわ」大阪・広島
急行「やましろ」東京・大阪
それぞれスジを広島「つばめ」「宮島」に譲り、8か月で消滅・ >>32
指摘サンクス。
博多基準の列車だったのね…。
でもまあ、当時はにちりんが博多宮崎間を約六時間半〜七時間弱、おおよどは約六時間。
時間が合った乗客はおおよどを選んだと推測。 DC「おおよど」のもそれなりに利用者はいたね。
熊本〜宮崎間は特定特急料金で大サービス(最後のほうは普通急行の自由席と同じになった)していましたね。
もっとも他会社のDCだと「おおよど」よりもっともっと早く行けたけど・・・・ネ。 >>38
>他会社のDC
確かに
福岡-宮崎便は727が1974年2月1日からでDC-9が翌年9月1日からで
おおよど運転開始が1974年4月25日だからちょうど同じ頃なんだね 福井発着の白鳥(82.11〜85.3)も
しらゆきのローカル急行臭をそのまま受け継いでいた
ロングランの割に大都市圏と無縁だったのも異質だった >>41
当初「白鳥なのに食堂車ないの?」と思ったよ。 しらゆきは金沢だがそれを格上げした白鳥は福井でいいと思う この頃は、急行列車が淘汰されていく時代でした。
よって急行すらろくに停車しなかった青海や能生にも特急が停車しだし、
どうせならこの福井白鳥が能生に停車ってことなら面白かったのにとは思う。 「みのり」なんてのもあったな。まさかしらゆきで実質復活するとは思ってなかったけど あの「しらゆき」のおかげで、上越妙高〜直江津間を介し、前後のJR各線の発駅を無制限とする通過連絡運輸があるわけだが。 湘南新宿ライナー
ホームライナー逗子
おはようライナー津田沼
ホームライナー大宮
ホームライナー鴻巣
ホームライナー古河
ホームライナー土浦
急行みさき
急行なぎさ 特急つばさ
上野ー盛岡間 1963年12月〜1965年9月
山形ー青森間 1985年3月〜1986年10月
仙台ー秋田間 1991年8月〜1992年6月 上野発日光行きの夕方の便でジルコニア号っていうのがあったはず
午前便のだいや号と対になってた
3年ほどで消えたなぁ 東北本線(宇都宮線)のネーミングセンスは良かった。
スィフト、ラビットとかもね。
高崎線方面はダサい。アーバンとかタウンとか 俺がすんでた頃の高崎からは海水浴臨時列車とか登山やスキー臨時列車とかいろいろあったけど、今はさっぱりですね 南武線(本線)の日中の途中駅折り返し電車
平成23年4月の快速運転開始に伴い、快速通過駅フォローのために登戸折り返しを設定・この3年後に快速運転が
稲城長沼まで延長されると共に稲城長沼折り返しに延長・翌年のダイヤ改正で快速運転が全区間になると共に
日中の途中駅折り返しも設定が無くなってしまった 昔から、登戸折り返し、稲城長沼折り返しなんて当たり前にあったわけだが。 京急の京急久里浜〜三崎口の普通列車
1995〜1998年頃 >>7
快速急行が、2003年8月〜2006年10月で、もっと短かった。 >>68
設定も90年前後かと。
とがくしのスジを置き換えたんだよね。 日南マリーンの前身の日南マリン
他に都井岬とかなんごうとか数か月毎に愛称を変えていた ネーミングセンス最悪その1:)
京葉線休日快速「マリンドリーム」
全通当初の京葉線は、平日と休日で、快速の停車駅のパターンを大きく変えていた。
しかし、平日と休日で停車駅が大きく異なるため、誤通過が続出。
当然、利用者からも不評で、後に、快速の停車駅は共通化された(それでもまだ少し異なる)。
それにしても、このマリンドリームというネーミングは最悪だ。
休日の快速で、スペシャル感を出したかったんだろうけど、車両は205系か103系だし(当時京葉線には201系はなかった)、なにより、「マリンドリーム」って語感が悪い。
後に、休日も「快速」という名称になり、「マリンドリーム」という名称は廃止された。 ネーミングセンス最悪その2:)
小田急ロマンスカー「サポート」
平日夕方の下り列車に「ホームウェイ」というネーミングがついたと同時に、「さがみ」、「あしがら」と、2つあった停車駅の多いタイプを「サポート」という名称に統一。
あなたの暮らしを「サポート」するという意味でつけられた。
しかし、さがみなど、長い間親しまれた名前が廃止されたことに加え、「サポート」というとても列車の名前とは思えないは大不評で、後に「さがみ」の名称が復活して、「サポート」という名称はなくなった。 ネーミングセンス最悪その2:)
小田急ロマンスカー「サポート」
平日夕方の下り列車に「ホームウェイ」というネーミングがついたと同時に、「さがみ」、「あしがら」と、2つあった停車駅の多いタイプを「サポート」という名称に統一。
あなたの暮らしを「サポート」するという意味でつけられた。
しかし、さがみなど、長い間親しまれた名前が廃止されたことに加え、「サポート」というとても列車の名前とは思えないは大不評で、後に「さがみ」の名称が復活して、「サポート」という名称はなくなった。 >>74
キャラクターでマリンちゃんとか高橋留美子が描いてな。マリンドリームに合わせて武蔵野線直通はむさしのドリームって名付けてましたね。どっちにしろセンスが、本音は快速ディズニーとかミッキーとかやりたかったのが見えます。 >>77
ましてやむさしのドリームは日中越中島と汐見通過するだけの快速で武蔵野線内各駅停車表示もむなしく
事実上新木場から各駅停車状態だった。平日の快速も事実上舞浜から各駅停車になるのも同然とかになって
最終的には快速運転そのものさえもやめる要因になった。
現行205系はLED化してない車と5000番台化してない144以降のはまだ幕が残っている
(むさしの号幕があるため)みたいだが。 >>77
米国ディズニーが、駅名や列車名に「ディズニー」の名称を使うことを認めなかったからね。
ここが、駅名や列車名に「ユニバーサル」の名前を使えたユニバーサルスタジオとのちがいだな。
「マリンドリーム」という名前は、瀬戸大橋線の「マリンライナー」にあやかったんだろうな。 マリンドリームって公募で決まったんだよね?
それが不評だからなんてありえる? >>80
例えば
A、B、C、D、Eから一つを決める投票を100人でした時に
Aがいい(でもB、C、D、Eどれでもいいかな)というひとが24人
Bがいい(でもAだけは絶対に嫌)という人が19人
Cがいい(でもAだけは絶対に嫌)という人が19人
Dがいい(でもAだけは絶対に嫌)という人が19人
Eがいい(でもAだけは絶対に嫌)という人が19人
だとしたら >>74
何か元青函連絡船が運航された横浜〜神戸の船の名前みたい >>80
不評は、平日と休日で停車駅が異なることについてであって、「マリンドリーム」という名前については、ここでは言ってません(公募かどうかはわからないが)。
もっとも、2002年のダイヤ改正で、平日と休日の停車駅が統一されて、「マリンドリーム」という列車種別は12年で廃止された。
愛称ならともかく、快速や急行と同じ列車種別として扱われていたというから驚きだ。 >>81
一見してAが最大多数のように見えるが、次点投票まで加えるとAよりB〜Eの方が多くなるわな。多数決の問題点というか。ただ、公募は必ずしも投票結果のとおりになるとは限らない。 >>50 >>53
宇都宮線の「スイフト」・高崎線の「タウン」は愛称名が1年で廃止されただけで、列車自体は
「通勤快速」として現在も運転されている。
快速といえば、内房線・外房線の日中の千葉発着の快速列車(千葉−君津・上総一ノ宮間)
が91年3月のダイヤ改正で誕生したが、1年後の翌92年3月のダイヤ改正ですべて普通列車
に格下げされた。 水戸線快速は乗ったことはないが駅に停車駅が出てたっけ。
小山〜結城〜下館〜岩瀬〜笠間〜友部だったかな確か。 >>76
まあサポといえば、違う見方する輩がいる可能性あるからな
ロマンスカー回送にJK乗せちゃた頃にそのサポートがなくなったんだっけ? >>11 >>88
陸奥宗光も短命といや短命かなあ。 最近の例だが、岡山〜下関の最長距離普通列車
確かあえなく1年で消滅 >>91
サポート 1999-2004
回送JK 2012 >>95
鳳行きの前身は環状線直通の103系区間快速だな 神鉄の特急も、特急らしくない特急などと散々酷評されて、短い生涯を閉じました
なんであんなネーミングにしたんだろ 前橋発沼津行
上野東京ライン誕生で生まれたが、高崎ローカル減便の嵐で2年で高崎発に改められる 寝台急行「つるぎ」大阪・新潟
昭和47年3月ダイヤ改正で大阪・富山から大阪・新潟に延長されたものの同年10月改正で
特急に格上げ。 快速伊豆マリン新宿号。
あれは、92年〜93年ぐらいの夏臨だったような気がする。
94年度の夏臨が設定されてたかどうかは、分からんが。 京成の快特
快速と間違いが多く、半年で快速特急に変わった 急行くろんぼ
一夏で終わったがよくこんな差別的な名前つけたもんだ あさかぜ81&82号
1994年12月3日改正〜1997年夏臨まで 90年代に入ってからもブルトレの増便があったということが意外 >>110
あかつき、あけぼの、なは、日本海、はくつる、北斗星とその派生、明星
このあたりは1990年代に臨時の実績あり