>>582
当時大学生だった自分は復活運航も東京から通いました。JR東3日間乗り放題15000円のE Eきっぷがあったからね。バイト料をつぎ込みました。
6月初めの青函博が始まる前は本当に空いていて、後部桟敷は基本閉鎖していました。
食堂やサロンも売店も普通に営業していたし、シャワーも使えました。
洗面所のカランがカーテンで区切られて、今で言えばシャンプードレッサーみたいに改造されてました。また、案内所で売っていたD型硬券のデザインは変わっていました。
6月3日の1便は出航式があったけれど、ガラガラでした。6月中は空いてて、ブリッジだけでなく、気軽に車両甲板や総括制御室とか見せてくれたし、航行中に船尾扉を開けてくれたりしてくれました。
7月位から船内ツアーって形になってたけど、航行中の船尾扉を開けるのは運輸省に言われてダメになってました。やってた便もありましたが。
羊蹄丸の車両甲板には3月13日22便の黒板がそのままになっていて、清水50t、乗用車◯台(台数は忘れました)、さようなら、と書いてありました。
夜はくつろぎカードで十和田丸も羊蹄丸も泊まりました。企画券で9月18日の最終日まで一斉に売り出したんだけど、1ヶ月前からと思ってる人が多かったのか、あっさり取れたんで、びっくりしました。
9月18日の4便はシャッターが開く前から並んでみどりの窓口に走ってグリーン船室が取れたのは嬉しかった。
回5001便は青森で見送りました。自力で動いている連絡船を見たのはそれが最後でした。ちなみに動いてる連絡船は羊蹄丸の回航が最後です。
長い思い出話ですみませんね。