3月が熱狂的なお祭り模様だったせいか、アンコール運航はどうしても冷めた扱いが多いんだよね。
年表でも何も触れないとか。
だけど日に2往復便とはいえ各船には正統なクルーが乗り組み、タグや地上要員の皆さんが支えた紛れもない青函航路だったのですよ。
末っ子の十和田丸が回航で大トリを飾ったけれど、別れを告げる涙声はずっと忘れない。

なお、東奥日報1988年9月20日朝刊には、写真との二段ながら回航便出航の光景が掲載されている。
桟橋の光景や乗組員の切ない心情をまとめた秀逸な記事だけど、さすがにバックナンバーは無いだろうなぁ…。