昭和48年8月5日に、乗船者殺到で函館桟橋だけでは旅客が捌ききれなくて、
乗りきれなかった旅客を急遽有川桟橋へバスや臨時列車で運んで、有川発着
の貨物便(津軽丸形運行便)に乗せたという記録がありますよ。
この日は青函連絡船の歴史の中で、輸送人員最高を記録しています。