ムーンライトえちごの思い出を語るスレ Part2 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>9
485系化された平成15年頃は既に赤羽通過になってたと思うから、それ以前かな。
165系の頃にも何度か乗ったけど赤羽停車は憶えてない。
165系の頃、冬に乗ったらあまりにも暖房が効き過ぎて暑かったので
車掌に「緩めてほしい」と頼んだら、「他の車両が寒くなるから無理」と拒否されたわw
485系は車両ごとに調整が可能だったけど、165系にはその機能はなかったようだ。 165系の空調が入切する時の「バッ」という音が好きで、ついつい口で真似してしまう >>11
夏はモハ164の冷房の風が強く吹き付けて寒い時があった。
房総の113系みたいにパンチングのカバーで風を和らげる改善策を新潟駅のグリーンカウンターに提案したが、最後まで改善されなかったな。
自社の中でせっかく良いもの使っていたのに。 >>9>>11
2002年頃だと思う
知らずに赤羽で待ってて、目の前で通過されたわw 古い時刻表が出てきたから調べてみたんだけど
1989年3月の時点で上りのムーンライト号は
大宮 4:30/4:30
赤羽 4:48
池袋 5:02
新宿 5:10
京浜東北線は
大宮 4:31
赤羽 4:52
東京 5:15
なので赤羽乗り換えの方が余裕がありました
東京発の東海道線は始発が5:20、次が5:46で、
5:46の方が大垣夜行の折り返しでした 2001年2月の時点では名称に「えちご」が付いただけで時刻は変更なし
京浜東北線は
大宮 4:30
赤羽 4:53
東京 5:18
東京発の東海道線は始発が5:20、次が5:46で、
5:20の方がムーンライトながらの折り返しだったようです
残念ながらそれ以降の時刻表は残っていませんでした 上野ー長岡間の名もなき上越線夜行時代が懐かしな…
165系じゃないぜ。115系だったんだぜw 733Mのロングシート部分で寝てきたこともあったな
冬なんて長岡に着くとめちゃくちゃ寒かったっけ ほぼ各停だったしな。しんどかったけど面白かったよな 籠原の間違いじゃないかな?
俺が乗った時(多客期)は11連のまま長岡まで行ったよ 1980年10月1日改正号
733M
上野 22:11発(9番線)
高崎 0:10 / 0:46(天の川通過待ち)
新前橋 0:53 / 1:37(佐渡7号通過待ち)
長岡 4:45着
421M
長岡 5:14発
新潟 6:35着
733Mの切り離しは確かに籠原だったかも
越後線はまだ電化前で新潟発が22本、うち関屋行きの客車が1本、急行ひめかわが1本、
今から比べるとものすごく本数は少ないけど、面白い時代ではあったね 後継はスターライト舞浜(E653系)
新潟→上野
逆もあればなぁ 東京へ行くときは片道新幹線で片道ムーンライトというパターンを良く使ったな >>27
それただの単発列車じゃん
後継でもなんでもない 貧乏18利用者としては、ながらみたいにシーズンだけ復活してくんないかな。 >>30
高速バス乗れよ
18きっぷって1万以上するんだから高いぞ >>34
18きっぷって一度に一万以上払うから
乞食じゃ買えないぞ 勝ち組はもうすぐのグランクラスだよ。グリーン車は負け組。目糞、鼻糞を笑うの皆さん。 >>36
あんまり高速バスユーザーを馬鹿にするなよ 165系の時は最少単位が3両なのを活かして、
編成が3両から9両と柔軟に対応してた。
新宿近辺でライブ見た帰りや、静岡県内に
朝着きたい時など、よくお世話になった。 >>39
「最終の快速電車で帰る」って言うと結構かっこ良かったもんな >>5
冬場だと、大宮延着で京浜東北・静岡行きに乗り継げないケースが・・・。 NEXの253系が置き換えられたとき、当然転用してくるとばかり・・・ 冬場といえば下りが大雪で越後湯沢打ち切りになって
越後湯沢から始発の新幹線に振替乗車で帰ってきたことがあったな
そして新潟でさんざん待ってようやく乗った白新線が新崎で抑止3時間…
あの時はマジ疲れたね ムーンライト設定される前、臨時の夜行急行佐渡が運転されても1車両あたり5人くらいしか乗ってなかったんだが
よくこんな夜行列車定期運転したな 訪日外国人でも、アジアはジャパンレールパスではなく、かなり18キッパーいるんだから、シーズンだけでも走らせろよ。匂いするから駄目なのか。 「ご案内致します。この列車は快速ムーンライト号新宿行きです。途中新潟までは全車自由席となります」
という放送が入っても、たいていは村上から乗る時点で自分の席に座ってたね。
たまに新潟までの客が座ってたこともあるけど。 >>6
亀だけど373系登場時に羽越線の50系はすでに無かった気がしたんだが 繁忙期の上りに乗ると早朝の高崎からの乗車が案外多い時があったんだよな。
こんな朝早くから何??と驚いたことが何度かある。
面白いことに高崎乗車組の大半はデッキで車掌に510円払ってたな。
>>47
平成17年から18年に掛けての冬は特に抑止が多かったような記憶がある。 1995年の8月に急遽乗る事になって、しかし指定券は満席で
最初から2号車と5号車にあった談話室のシートに座って新潟
まで行った事がある。
中期〜後期の指定券は取りづらさはハンパなかったから18キップ
適用期間だけでも臨時急行ムーンライトえちご81号で運転しても
乗車率は良かったのではないだろうか? 165系時代、9両編成には乗ったことがあるんだけど、12両のこともあったのかな >>57
おそらく大半が成田空港経由で海外に行く人 >>59
あった。当時のファンに写真が投稿されていた。
赤倉色のA編成が中間に組み込まれていたよ。
A編成にはPが無いから。 >>61
ありがとう、壮観だったろうね
保安装置が適合しない車両を挟み込むというのは
数年前、高崎の115系を借りてきたときのことを思い出すね 485系時代に北越、いなほ編成での代走が稀にあったな。 間合いで新宿に着いてから、黒磯行きの快速には良く乗った。 >>63
T18の事かな。K1かK2の片方が検査の時はT18が頻繁に代走してたね。
一度、「えちご」の運用に就くはずのT18が故障、代わりにグリーン無の
大宮車が下りで代走したことがあったような。
その時・・・その後、485系3000番台のR27が「えちご」の運用に就いてた。
LEDのマークの「えちご」は当時かなり騒がれていた。
新潟にはT編成やR編成が沢山あったけど首都圏に乗り入れる為に必要な
ATS-Pを装備が編成は数が限られていたので、代走の編成はいつも決まっていたね。
ついでに書くがT18の5号車と6号車は簡リクだったので乗るとなればハズレだった。 >>68
485系の強みか
黒磯よりも北、郡山方面に延長運転されたことがあるな >>69
ATS-Pでいえば能登の489系ボンネットも
白山時代に定員の関係もあってボンネット形に編成を統一して
その後にATS-Pを搭載したことが活躍を長く続けられた理由になったからな >>72
滅多になかったけど何度かあったはず。
「485系3000 えちご」でぐぐれば写真が沢山出てくるよ。 下りが長岡停車中に横をコンテナが轟音たてて通過する音で目が覚めていたな〜 上りに乗ると新津で「日本海2号」に、長岡で「日本海1号」と出会った。
「日本海1号」は新幹線が停まる長岡を通過してた。
「日本海2号」が廃止された後、そのスジは貨物が使ってた。
下りに乗ると確か、新津で「トワイライト」と出会っていたような。 1993年12月に18きっぷで青森から上ってる途中、奥羽本線石川で雪によりポイント不転換で大幅遅延。
乗り継いで上りムーンライト乗車予定の人が20人くらいいたかな?
秋田から接続する酒田行きが先に発車したためムーンライト乗車予定者は皆日本海2号に振替乗車が秋鉄司令から認められ新津まで乗車。
ところが日本海2号も吹雪で大幅遅延し新津は深夜1時過ぎに到着しとうのムーンライトは出たあとだった。
新津駅員の計らいで駅前旅館に5人くらいずつ雑魚寝で宿泊することに。
そんな思い出があったよ。ムーンライトと日本海2号の間で。 >>75
そうそう
洞爺から新津トワイライトエクスプレスノンストップだったもんで(運転停車有)新津からムーンライトえちごで酒田まで戻ったのはいい思い出だし指定席料金を見逃してくれた車掌さんには今でも感謝 >>76
JR東はその辺り柔軟だね。「えちご」は1時間くらい遅延させても良かったような気がするが
「フェアーウェイ」の兼ね合いがあるし難しかったのかも。
でもそれ、振り返れば良い経験をしたのでは・・・と思う。 >>70
羽鳥湖スキー号だったか、会津若松行きの時もあったね。
磐越西線内で当時特急色だった快速あいづリレーとすれ違った。
会津若松では新潟色のキハ40と顔を合わせていたよ。 >>46
新潟労組が夜行を臨時でもやりたくなかった事情があった
日本海を利用していた修学旅行の人たちは新幹線利用で
目的地を関西方面から関東方面に切り替えた話がある >>81
豪華だったけど、窓から来る冷気で眠れなかったな 長岡花火の今日でさえ夜行出さないのに20000%夜行を復活させる訳ないからな >>81
歯医者の椅子のようなシートね。
あと、新潟発、新潟着がどっちも改札最寄の1番線・・・これも客寄せだったかなあ、すぐに消滅したような。 >>84
またAKBのイベントがあれば夜行出すだろwww
>>85
グリーン車からの発生品のイスな。
最初はモケット張り替えだけだったが、クッションも交換したクルマもいた。
読書灯に横引きカーテン、飲料の自動販売機に休憩シートと至れり尽くせりだった。
485系化で酷くサービスダウンしたと感じたよ。
165系のサービス内容は維持してほしかった。
グリーン車仕様のシートは無理でも、モハの車掌室をつぶしてミニロビーと自販機にしてもよかったと思う。 ただ豪雪シーズンには、165系の窓のわずかな隙間から雪が・・・。 >>84
>長岡花火の今日でさえ夜行出さないのに
昨日今日と団臨で走ってるだろ
それも大船行きと新宿行きの2本も 165系→485系→183系→485系と変化したけど最も人気が高かったのは165系か。
183系のマリ31/32は簡リクだったけど、座面のクッションは柔らかいモノに交換されてたな。
485系が「能登」に使われていた時、この183系が「えちご」に使われていた。
485系T18の5-6号車も関リクだったが、こちらは背もたれが分厚いモノに交換されていたので
シートピッチが少し狭くなっていた。これは東北の455系と同じパターン。 簡リクの詰め物替えたやつは好きじゃなかったな
狭いし暑苦しいし 定期列車化された「ムーンライト」の165系基本編成は1988年から1993年2月くらい
までは1・2・3号車だったけど1993年から165系編成「ムーンライト」晩年までは基本
編成が4・5・6号車に変更になったのはどんな経緯なのだろう。 >>92
時期的に長岡分割併合の新井行き快速が長岡分割併合のがなくなつた時期だからそのことと関係あるんじゃないのかな?1号車2号車3号車は長岡駅から新井行き 165系時代で5,6回くらい利用
禁煙車でも煙草臭かったし
冷房は効き過ぎていた
窓はめちゃくちゃ固かったんだけど、
開かないようにしていたの? えちごからしらかみという流れを断ち切りたかったんだろうな >>97
165系の窓は開閉可能だったけどね。
冬に乗った時、あまりにも暖房が効き過ぎて辛かったので下り・早朝の長岡停車中に窓を開けて熱を逃がした憶えがある。
窓を開けると外気温との気温差が激しかった為か、車内から外へ向けて熱風が発生していた。
停車中、ずっと開けていたけど、その熱風が途切れることはなかった。
165系は485系と違って車両毎の温度調整が出来なかったから他の車両との兼ね合いで暖房の効きを緩めることが出来なかったらしい。
485系なら各車両のデッキの上のボックスに温度調整のツマミが装備されていた。 >>98
えちごに乗ったところでそれこそ大昔の165系の時代は酒田からの接続が悪くて701系になり接続こそ良くなったけども酒田から青森ロングシート地獄だからな
>>99
冷暖房効きすぎもだが逆に全く効かないいやそれどころか冷房の水逆流もあった(厳密には165系ではなく北陸線の急行型
ムーンライトえちご廃止どころか直江津〜金沢JRでなくなりトドメ刺されたが車両に関しては正直いい思い出はないな えちごが183系マリ31またはマリ32で運行されていた頃、
下り高崎の長時間停車中に元えちご専用のK1またはK2が格上の急行(能登)になって
追い抜いていく光景が見られた。初めて見た時は懐かしく感じたが、この急行が廃止になれば
K1・K2は再びえちごに復活した。※もちろんたまには僚友のT18も運用に就いていた。 ムーンライトえちごファンのハゲはイケメン・男前・ダンディー・シブい・ナウい・ナウすぎた(*^▽^*) ムーンライトえちごファンのハゲはキモメン・キモ・気持ち悪い・キモい・キモい・キモすぎた(*^▽^*) 165系時代末期の頃は肘掛が割れていてもそのまま修理せずに走っていた。
それを見て「おいおい部品を買う金もないんか」と思ったが、
程なくして485系化されたので「なるほど、修理せずに正解だったのかな」と思った。 新潟から上りに乗車した時、すぐ近くに凄いデブ君が座ってた。
で、うわーダイエットせぇや…と思ったが、何とデブ君は次の新津で下車、あれ早いなと思っていると
しばらくしてそのデブ君が舞い戻って来た。そして手にはコンビニの袋が・・・
デブ君は腹が減ったのか駅前にあるヤマザキデイリーまで食料を調達しに行っていたようだ。
デブ君、席につくと同時に待ってましたと言わんばかりに弁当を上手そうに食ってたよ。
今思えば、ちょっとかわいいデブ君やったかな。以上。 懐かしいな。村上に行って酒田で時間があるからそこで朝食で、さらに北上・・・・・・
ただ素通りしてしまうには惜しい。村上の鮭は絶品。 自分は村上住みなんだけど村上と新宿と直通列車で結ばれたときは嬉しかったね
でも5時頃新宿に着いても行くとこがないから行きは新幹線利用が多かったよ 新井行きが併結されてる列車には一回だけ乗ったことがあるよ
「前寄り3両、4号車から6号車は新潟、新発田方面村上行き
後寄り3両、1号車から3号車は柏崎、直江津、高田方面新井行きです」
というアナウンスだったね 新潟が近付いてみんないそいそと降りる準備を始めるけど
村上まで行く自分はまだ半分夢の中
何とも言えない気分だったね 坂町を発車して荒川の鉄橋を渡ったあたりで降りる準備t 坂町を発車して荒川の鉄橋を渡ったあたりで降りる準備開始
トイレに行って出てきたあたりで岩船町のYポイントでグラっと来て転びそうに
ここを乗り切れば終点の村上まであとわずか ゆっくり寝て行きたいときには窓側の指定を取ったもんだし
途中駅で写真を撮ったりしたいときには通路側の指定を取ったもんだよ 07年の4月にK1編成の3号車トイレが血だらけになっていたことがあった。 まだ「ムーンライト」だった頃。
中坊だった俺は下車駅を増やすことにハマっており、新潟の7分停車の間に下車。
戻ってきたら俺の席にはもう地元客が。 興味津々で乗ってみたが時間がかかりすぎて無理だった
体力勝負 興味津々で乗ってみたが色々無理だった
長岡駅で下車して結局上越線で帰京した ムーンライトえちご号が廃止になった理由は、労働組合が深夜労働に反対していて、
MLえちごを廃止せよと要求したからと言われている。
夜行列車を走らせるにしても、深夜労働がネックになり廃止する必要性があったと言われている。 深夜手当貰えるんだからいいだろうに。ブラックな地方私鉄と違うんだからさ。 JRとしては昼夜使えない車両は保有したくない
でも、特急用座席で今時ボックスシート(ただしふかふか)なんて冗談がきつい
よって、寝台はあきらめて座席だけ
JRではなく第二種会社が車両を保有するなら2階建て車の2階建て部分は上下合わせて4段にすることができるけど、
靴除けの高さが確保できないため横に出入り口のあるカプセルタイプにするしかない
4段×左右2×5組=40床
平屋部の片側はトイレ・出入り口になるため、もう片側のみ2段寝台が設置できる。また階段を工夫することにより階段横の左右どちらかは2段寝台にすることができる
2段×左右2×1.5組=6床
合計46床
これは業務用区画があるため3床少ない583系中間車より1床多く、寝台幅が70cmへ改善された3段寝台の14系より2床少ないだけ
ただ本末転倒な話、座席利用しない583系なら靴除け部分を少し上げるだけでよいため、上・中段の寝台高さを6cm増やした74cmにできるし寝台幅も1m確保できる、下段を2つ潰して大型荷物置き場も設置できるため、こっちのほうが良かったりする 今は昔、いわゆる山形新幹線の工事で米沢〜山形間が不通だったころの話。
嫁が里帰り出産で実家の天童に帰っていたころ、
週末は毎週のように利用してた。
土曜の晩に下りMLえちごに乗り、村上で乗り換えてから余目まで行って
そこから快速月山で天童まで 朝のちょうどいい時間に着く。
東京に戻るときは、
天童から各駅停車で新庄まで行き、
当時は陸羽東線を迂回していた寝台あけぼのソロで上野まで
これも月曜朝の出勤時間にちょうどいい。 新潟弥彦ミニ周遊券で乗ったな。
新宿から長岡までムーンライト、長岡から新潟まで急行きたぐに、新潟から直江津まで急行赤倉、直江津から上野まで特急あさまで一回り。
今では考えられない豪華リレー。
行きと帰りで別ルートを選択できた周遊券は使い勝手が良かった。 新宿からムーンライトで新津まで、新津から磐西線のDD51+50系で喜多方まで行き、朝ラーメンするのが好きだったなぁwww
なんかねぇ、最果てにウマいもの食いに来たみたいで、10倍くらいウマく感じるんだよね! 高崎で能登追い越しを見届けてから寝るのがお決まりだった。 編成番号忘れたけどシールドビームの編成にはなかなか当たらなかった。あの分厚いシートいいなあ ムーンライト165系の幌が切れてて雪が入ってきてた 清水トンネル通過中はうるさくて目が覚めたなぁ。トンネルの半ばくらいから急にうるさくなる。 初めて乗ったのが高校1年の7月。東京に行くってんで半ばワクワク半ば不安だったな~。
肌寒いくらい効いた冷房、客室とシートに染み付いた独特な消毒剤の匂い、新清水トンネルの主抵抗器ブロワーとモーターの唸り声、眠れず車窓に目を遣ると水銀灯に照らされてる高崎の電機群、明けゆく空と見知らぬ都会近郊の景色…
この時期になると今でも鮮明に浮かんでくる。 村上から乗って、すれ違う夜行列車を確認してから寝てた。
大体、水上過ぎてから寝て、新前橋の運停で一瞬起きる 熊谷以遠だとアオハル切符、1日分無駄にすること無くて済むんだよね
籠原で抜かされても、高崎で待ってるし >>153
能登は高崎線内小まめに停まるけどムーンライトは停車駅少なかったですね 165系はシートが快適だった
485系はグリーン車に乗った ターミナル駅が新宿でそこまで行き来するのに不便さを感じた
東北、上信越のターミナルといえば伝統的に上野であるわけだし
485系に置き換わった時点で上野発着に変更しても良かっただろ 上野と新宿だったら新宿の方が便利という人のほうが圧倒的に多いからなあ ムーンライトえちごの運行の開始頃は、ちょうど俺の全国の
鉄道旅行の全盛期と被ってる頃だから、ムーンライトえちごも
乗ったわな
EF64+14系の前身のような列車もあったわな
しかし、青春18きっぷで行くと日付が高崎からだから、中学生の頃だと
高崎までの切符代がネックだったわな
「え〜、高崎まで買わないと行けないの〜」
とか、前日分は横浜〜戸塚まででいいムーンライトながらに比べても思ったもんだわ
だから意外と東北方面は朝いちで行くことが多かったな
しっかし、ムーンライトえちごも今となればナイスな列車だったわな
JR東日本エリアだから今でも臨時でやってほしいくらいだがな?
しかし、今となっては「ムーンライト〇〇」みたいなのも、安くは乗らせない列車にするからな 臨時便化された時点でもう先は長くないと思ったのだが
それを知ってか知らずか設定されなくなった事に文句言ってる人が多いのに驚いた たしかに現代は他責脳だが
それはそれ
不便に思った人が声を上げるのは昔からフツーだろ
その声で、維持や継続や再開や再販されたモノ(こと)
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