懐かしの交趣会(交通書房)について語ろう! [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
今日惜しまれつつ閉店になった交通書房さんの思い出話を聞かせてください!
長い間お世話になりました! 甘糟ビル(耐震性の問題で2006.4月まで)の頃にありましたよ
ただ店主の定年で2003年ごろ閉店になったみたいです
確か3Fだったかな〜
キハ120の模型買いました! 甘糟ビルのころは
2F切符と書籍、交通趣味誌
3F部品メインの部屋と模型の部屋
ってなってたかな
2Fの閉鎖と3Fの模型を止めてからは、3Fの元部品の部屋が模型以外の全ジャンルになった
部品に関しては池袋の青列車に比べると凄いと思わせるのは少なかったけど 池袋があった同時期はよく行ったな。
移転してからはあまり記憶にない
というのも個人的に営業時間的に訪問しにくくて
数回ふられたので、最終的に入れたかどうか自体よく覚えてない 交通書房はなんとなくアットホームな感じが好きだったな…
Fさんともよく話したし、末期はMさん自らレジを担当されてたけど
一言声かけてくれて
退店時も「ありがと、またな」と一言添えてくれたりして…
他のお客さんに話しかけられて話が弾んだこともあったなあ
個人商店とスーパーの違いのような感じ
淋しいな… >>5
確かに部品は青列車の方がすごかったかもしれない
交通書房さんはやっぱ切符メインという感じだったな
青列車か…懐かしいな
2003年初頭、移転するという話だったんだけど
そのまま営業終了になっちゃった
いまアルパの跡地はそのまま埋め込まれてしまって跡形もない… 甘粕ビルは変な作りだったなあ。3階から上が気になる。
上野になんか部品屋あったよね。 たしか4Fが交趣ギャラリー(初代)だったように記憶してるけど
4Fから屋上に出れて、喫煙コーナーがあった
ある日、一服してた時、Mさん(社長)が来られ
雨漏りがひどいから補修しだしたんでちょっと手伝ったのもいい思い出… ついに閉店とは…甘糟ビル時代が本当に懐かしい
(大学入学前から、どんだけ行ってたんだ…?)
ホント、20年で様々なものが激変したよなぁ… かつてはここでしか切符整理用の袋、アルバムなどが売っていなかったんだよな。
しかし今ではオフィス沢村で揃えられるからね。 >>14
高校時代、東京駅の動輪の広場で待ち合わせて
一緒に甘糟ビル時代の交趣で買い出しし
近くの森永LOVEで夕飯喰ったのも懐かしい思い出だな…
青春、あの時は遠く
三陽ビル時代の思い出話もありましたら
よろしくお願いします >>4
新橋の交通書房ってもう14年も前に閉店してたんですか?
あの時代を物語るようなビルが好きだったなぁ。
部品売り場にいたお婆ちゃんがすごく印象に残ってる。
まだご存命なのだろうか・・・。 俺は主にNゲージ中古でお世話になったなぁ
扱うのやめちゃってからパタリと行かなくなった >>17
ぶっきらぼうで太ってたおばちゃんか
中学生の頃はあのおばちゃんがおっかなく感じたもんだった。
移転後は印象に薄いなあ。2〜3回行ったような気がするけど、特に買うものなかったな >>16
甘糟ビルそのものの歴史が知りたいw
何時建立され、そしてなぜ解体されたのかまでw >>17
ご存命
金・・夫(確か自称写真家でチョビ髭)は健在? あのオバチャンから、都議選は公明○へ、と言われたことがある。 >>17
二人おられて、太めの方のおばちゃんは三陽ビルになってからすぐに倒れられて
亡くなられたらしい…
確かにちょっと怖めではあったけど、骨のあるおばちゃんだったなあ
もう一人の方は三陽ビルになって3年ぐらい勤めておられて
よく話させていただいたんだけど、もう亡くなられたのかもしれない…
クマのプーさんがすきだって言っておられたなあ…
時の流れは残酷だ
合掌
>>19
確かに三陽ビルになってから品ぞろえが少なくなった気がするなあ
でも毎月通ってたわ
交趣の和やかな感じが好きだったからねえ
>>20
甘糟ビルで検索してみてください!
取り壊しは耐震性の問題…と当時いただいたチラシにかいてありましたよ
>>21
K氏は甘糟ビル100円均一セールの時しかおられなかったような気がする 元祖情報隠しの転売人。
各地から善意で送られてきた発売情報を元に買い占め。
数ヶ月後の趣味誌に「このようなものがありましたが、今はありません」と掲載。
会員減少の元を作った張本人だぜ。 そうなん?
氏とは話したことないからよく分からないけど… 開けると音がしたなあ…
階段の端っこのつくりも古びていてシブかった >>23
1930年(第2次大戦前)竣工だったのか、あの甘糟ビル…(しかも共同建築ってのが)
空襲被害も免れた、骨董品的な建物でもあったってこと?
東日本大震災前に取り壊されてて、ある意味良かったのかもしれないね
あのビルに「鉄道の百貨店」が入ったのがいつだったのかも、非常に気になる >>23
あの太めのおばちゃん亡くなられたんですか。
甘糟ビル時代に行ったきりだけど、あの話声今でも自分の耳の奥に残ってる。
合掌 >>29
由緒あるビルだったけど
安全性を考えると仕方なかったのかもしれませんね
>>30
社長のMさんが閉店二日前に話しておられたのを耳にしたよ
ご冥福をお祈りいたします… >>29
すでにバブル時代から営業してたみたいだよ
昭和59年ごろの鉄道史に広告が載ってて
行ってみたという知り合い(年上)が言ってたよ 昭和51年開店
旧運輸省外郭団体 運輸情報センターの関連組織が日本交通趣味協会
交通趣味協会は昭和46年頃誕生 >>33
そんな前からやっていたんですね…
ご丁寧にありがとうございます! もう閉店から1週間…
他店で買ってた時期もあったけど
なんか交趣って居心地が良くて
ここ1年ぐらいは交通書房さん以外に行ってなかったなあ… 自分もここ数年は行ってなかったけど、甘糟ビルの思い出は
銀座線通路とも合わせて本当に忘れないと思う
あのビルの中の様子を、今五感で体感できたらなぁw 3Fの一番奥にビールのポップみたいのがあった記憶あるから居酒屋でも入っていたんかな
…あのビルで飲食する気にはならなかったけど。
そういや甘糟ビルの1Fってどうなってたんだろ。
いつも階段しか目に入ってなかったもんで ああそういえば確かに飲食店があったなあ
1Fについては考えたことなかったけど
どうなってたんだろ? 1階と2階は飲食店で、2階の踊り場に相当するところにドアがあった。
2階の飲食店の客がトイレに行くときに使ってた。
4階にもトイレがあったような覚えが。 すまん、画像検索したら勘違いしていた。
1階の真ん中に階段があり、左が飲食店、右がゲーセン。
2階はカラオケ屋。
3階と4階と屋上の小屋が趣味協会だった。 左の1階と2階は、24時間営業の喫茶マイアミだった時代もあったんだな。 そう言えば屋上解放して鉄道制服や帽子を売るイベントやったこともあるよね? >>41
トイレって屋上に出るまでの細い廊下の中間あたりにあった記憶が… >>4>>31
タイシンガーってのは都合のよい免罪符だから
建て替えたいときは調べさえせず理由に使われるから。
タイシンガーの理由付けで国内各所の近代建築の名建築が破壊され続けてる 階段は2階付近に扉を埋めたような跡があった。
あとトイレは観葉植物の奥を入ったところだったような。 交通全般が対象のように聞こえるが、
雑誌の中身は完全に鉄道きっぷ・カード・部品マニア向け。 かつては雑誌名も「趣味情報」といっていて、切手や古銭も扱っていたんだが、昭和45年くらいから、記念切符の人気が高まり、交通関係にシフトした。
発足当時は、記念切符の情報が大半、ほか、駅スタンプや弁当掛け紙の情報、大コレクターのエッセイなどで紙面が締められ、部品や硬券は好事家のゲテモノコレクションの扱いで、殆ど紹介もされてなかった。 硬券は、情報隠し、吊り上げ、デパートで大声あげてズッコケ、仲間晒し、なすりつけ、偽名、出品地偽装のクズがやるようなものだから、廃れてとうぜん。 硬券知らない若い世代がついてこないから廃れた…と
Mさんが言っておられたけど
交通書房に限らず他店でも若年層がきっぷあさってるのを
殆ど見かけないしな〜 旅先できっぷ買う若い鉄ヲタはいるけど
専門店で買うのはやはり40以上の方が殆どだしな >>49
昔は記念切符が人気あったけど
乱発しすぎて暴落したという話を聞いたことがあるなあ >>54
記念切手ブームも同じ頃だったね。
歴史は繰り返すというわけでもないだろうが、テレフォンカードやオレンジ
カードも電子マネーや携帯電話の普及等状況は違うが同じ道を歩んだ。 確かにね…
なんかコレクションの幅が狭くなってつまらなくなったよ IC化の影響で記念切符に回帰…してるのかなぁ
どっちかと言うとグッズの方か? むかしから非売品グッズは人気者だな。
乗車証明書とか。 でもそういうモノってカネで買ってもつまんないよ。立ち会った記念のものだし
特定路線や特定車両の収集家ならともかく。 まあその気持ちはわかる。
実際に旅先で仕入れたものの方が愛着あるしね
けど旅先で降りた駅が気に入ってるけど無人化しちゃってる場合とかもあるし
そういう場合はお店やヤフオクで買っちゃうなあ 甘糟の先代社長の頃には活気があったけど、三陽になってからのM社長も、なかなか味があったね。 甘糟の頃の社長さんは直接お目にかかったことないけど
Mさんは末期、自らレジ担当されてたのでよくお目にかかったわ
「こんちわー」とあいさつして入店すると「おぅ」と言ってくれて
退店時「ありがと、またな」と一言添えてくれるので
なんか暖かい感じだったなあ… そうか?耳が遠いんだか無関心なんだか、愛想が良いときなどなかったよ。
愛想が良いというか、媚びへつらうときは、飯の種を持ってくる、切符の委託出品の会員が現れたときくらいだった。
歳下で身なりも汚い奴に「頼むからまた委託品出してくれよ」とよく懇願していたよ。 感じ方は人それぞれだし、ウマが合うあわないもあるからね 何が美化してる奴がいるけど、この協会は一部の切符転売屋の巣窟で、会員から得られた情報が操作されていた。
それがだんだん明るみに出て、信頼を失い、ネットの普及で見放され、転売屋の委託出品の手数料だけでは成り立たなくなったというのが実際のところだろ。 批判や中傷は別のスレでやっていただけませんか?
このスレの趣旨と異なりますので どっちにせよもうなくなったのだから事実がどうであれ問題は少ないのでは?
私怨の書き込みはご遠慮いただきたい 周知の事実を私怨と感じるのがわからねえ。
収集趣味の世界なんてそんなものだと割り切って入り込むもんだよ。 会報が情報誌の役割を果たしていたころは読者もいたが、末期はただの入札誌。
店頭販売も会員の委託出品。
それらの手数料だけが収入。
そらつぶれるわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています