1988年3月の北斗星開業から1992年3月までは食堂車グランシャリオは3往復全て(3・4号は1989年から)
日本食堂仙台営業所が担当して、一部の厨房スタッフ(コック)と食堂長はL特急「ひばり」他の食堂車に
乗務していたと聞いています。厨房は2名スタッフだけど開業当初のディナー3回転(5・6号は2回転)と
一部の繁忙期はコックが3名乗る事もありました。1992年3月ダイヤ改正から1往復の北斗星グランシャ
リオ担当を仙台営業所から上野営業所に意向させて、1993年には全て3往復が上野営業所に統一。

上野営業所は国鉄から民営化により撤退した日本食堂門司営業所の後を次いで「はやぶさ」「さくら」
「富士」などを担当していましたがメニューも少なく、コック1名のみの少人数で東海道ブルートレイン
食堂車を凋落化させたチームなのですが将来的には北斗星を受け持つ布石みたいな物だったらしい。

北斗星のグランシャリオディナーは1988年・1989年・1990年は全4コース提供されたが年々クオリティー
劣化は否めないけど4種から選べたので楽しみがあった。因みに1990年は肉と魚のコースがそれぞれ千円
値上がりして肉8000円、魚6000円だったが味覚は千差万別なのであえてコメントはしないけど1988年の
開業時に食べたCコースディナー:スペシャルシチューコースは大きい肉がゴロゴロと入って肉質がよく、
口の中で蕩けてしまい1988円当時で3000円でもお値打ちだと思ったほどである。

1991年3月16日、北斗星グランシャリオにおいて運命の日かもしれない。ディナータイムだけで4種類
あったグランシャリオディナーが肉のフランス料理コース(\10000)と和食懐石膳コース(\6000)の2種
のみに統合集約されて大幅値上げした。トワイライトエクスプレスのディナーが10,000円だったし、
それに準じたのかもしれないがシーズンオフの月曜日〜木曜日発車はノンゲストの日もあったけど
サブメインの「舌平目物語 洋酒蒸しアンダルーシア風」は評価しており、このメニューは2回食べてる。

北斗星グランシャリオの一万円ディナーは上記を別にすれば2回あって「オマール海老のサラダ・ロシア風」
「海の幸の軽いクリーム煮」(何れもオードブルとサブメイン)のコース2点の味付けが似通ってたり、珈琲
に小菓子を付けて10000円ディナーなのに皿数(品数)増やしの様に思えてならない。更にこの後に続くディ
ナー「ストラスブルグ産のフォアグラのテリーヌ・グランシャリオ特製ブリオッシュ添え」「平目の野菜ドレ
ス包みオマール海老とキャビア添えサフランソース」ディナーを含めて気合が入ってないように思えて
シーズンオフの火曜日〜木曜日発のディナーはノンゲンストだった事もあった。上記2種のメニューは本場
三ツ星レストラン「オールベルジュ・ドゥ・リル」で経験を積んだパステル亭が監修しているメニューだった
が個人的に自分は評価していない。

平成不況なのに値下げせず、料理内容もイマイチで、毎年メニュー更新もなくなり、コックが1名体制では
客は離れていく一方で少しずつグランシャリオディナーの凋落化が始まっていた。