北海道の昔の鉄道の思い出を語ろう7(仮) [無断転載禁止]©2ch.net
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現行スレが荒らしに占拠され、返還されそうにないので立てました。
現行スレが、正常に機能回復するまでの仮スレです。
・バス、航空、自動車等はスレチです。
・新幹線、道内鉄道の予想等はイタチです。
*ご遠慮ください。
詳しいスレ情報は
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1477276259/1
現行スレ
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1477276259/
○尚、荒らし、煽り、釣りには反応しないように
言うまでもなく(例え正論でも)反応したら荒らしと同じです。 俺は北海道全線乗り潰すのに
北海道ワイド4回分(足掛け3年)かかったよ
駅寝が嫌で、夜行に拘った結果なんだけど
拘らずに駅寝してれば、3回目には完乗できてたかな
でも、楽しかったのは5回目の渡道で
行き当たりばったりの「気まぐれ旅」だった >>8
オレも持ち歩いてた
鉄旅の必携だったよねw >>7
ありがとう
仰る通りで、夜行がまったく使えず宿泊費や鉄道以外の交通費がバカにならなかったな
あと、当時は情報収集が満足にできなかった事もある
時刻表だけでは分からないバス路線や時刻を調べたいのに、問い合わせ先すら分からないことが多々あったからなあ
>>6の言ってることも当たってて、特にバス〜国鉄の乗り継ぎに何時間もかかることもあったorz
結局、計画段階で折れてしまったorz
後年クルマで3泊4日かけて外周走破したが、旅としてはイマイチだったな
>>5
すまん、知らんわ 青函連絡船から真冬の函館駅ホームへ繋がる
乗船通路を出た所で凍結に気づかず転倒し
腕を骨折して速攻お帰りになられた兄ちゃんがいたな 函館駅で、特急「おおとり」に乗ろうとした姉ちゃんに化けてたオバちゃんが
凍ったステップに滑ってコケたのを目の前で見たことがある
ケガはなかったようだが、若作りがバレて心は傷ついていたようだった 北海道を早周りしたって魅力は伝わらない
時間がかかるから雄大さと手付かずの自然を実感できる
新幹線は北の大地の死神
スマン、新幹線は禁忌だったな >>15
同艦!!
言いたいことは凄っげーよく分かるよ…
でもスレチ、イタチなんだよ。残念っ! まだ解らんぞあれだ、新幹線札幌開業前JR北海道鉄道事業そのもの放棄すればJR北海道どころか全て幻封印され闇に葬り去られ正にスレタイ通りかも(>_<) 「北海道の鉄道の思い出を"予想する"スレ」立てた方が需要あるかも?なw >>14
冬場は、列車も婆様も白粉纏って厚化粧だったからな 上がってきたついでに…
羽幌線で幌延、稚内へ出て
翌日、天北線、興浜北線、バス、興浜南線、名寄本線、湧網線で網走へ出たことがあってね
道北、道東の海岸線の車窓は素晴らしかったよ
景色の良いところは自分で運転しては駄目だね >>22
>>15にも通じることだけど
ゆったりのんびり列車に揺られながらってのがミソなんだよね
これ言うと今の人は豪華な列車をイメージする人が多いけど
ボックス席の古ぼけた車両で十分ゆったりのんびり満喫できるんだよね >>22
本数の少ない線は行程も似たような感じになったよね?
どの街に宿泊するか?にもよるけど
自分は興部の安い旅館に宿泊
興浜南〜宗谷バス〜興浜北は朝一の雄武行で北上してバスに乗り換えた
バス停で言えば郡堺だったかなぁ?
素晴らしい景色だった
今レンタカーでそこへ行っても当時の感動があるかは不明 羽幌線ついでに天売、焼尻行ったわ
焼尻の民宿では自殺者と思われたらしく
人生論みたいな話されて参ったな
今思えばいい思い出かな まとめレスで失礼
>>23
価値観が同じ方かな
旅に豪華さは必要ないね
旅行じゃなくて旅がいいんだよね
>>24
この時は夏
>>25
興部で投宿したのか…そういうのもいいなあ、通り抜けることしか考えてなかったな(汗)
冬に逆回りもしたけど、その時は日程の都合で稚内から 利尻 で南下してしまった
しかも、浜頓別辺りで日没…orz
>>23-25
景色の良いところはクルマでもいいけど、運転はしたくないな
車窓がもったいない
何れにせよ、あの時の感動はもう叶わない・・・orz 自分が初めて北海道に渡った時は、まだ「いしかり」が走ってて
函館まで 特急「おおぞら」「おおとり」 急行「宗谷」が顔を出していました。
函館から道端の町まで乗り換えなしで行けたんですよね。
今のコヒじゃ考えられない行路でした。 で、隔離スレで鉄スポット質問した俺だが
中野ZERO裏の公園にC11がある的なネタまだ募集中、西春別なんかそれだよね
あとラッキーピエロやかすべみたいなグルメも >>31
すみません、そうでしたね。
ニセコをド忘れするとはお恥ずかしい…(>_<) 連絡船内で下船の行列ができたのって
今考えると異様な光景だな 循環急行いぶり にワイド周遊券でのったとき
レチが、昨日も周遊券で乗り通した人がいたけど友達?
と言われてワロタ >>34
同じようなことを、やっぱり循環急行「五葉」で聞かれたよ
なぜだか思わず笑っちゃうよねw 急行ちとせ に自由席グリーン車が連結されてたけど、利用はそれなりにあったのかな? 千歳線の普通列車(非電化区間乗り入れ便以外)に
キハ22やキハ40がJR化も使用されていたことがあまり知られていないな かむいは基本的に711系だったけど一部は気動車だった
キハ27 41↑旭川行
キハ27 23↓
キハ56 10↓
キハ56 147↑
キハ40 148
キハ56 41↑
キハ40 188
滝川で2両切り落とし富良野行き
深川で2両切り落とし増毛行き >>43
すまなかった
自分の記憶(たぶん55年より前)と違ってたものだから…
わざわざレスありがとう 昔、北海道は広かったんだよ
北海道はでっかいどーっ!てな ためされられる
と言えるかを試されられてる・・・あん?
試される大地じゃねーかよw 学園都市線で電化直後はキハ201が今まで通りのダイヤで走っていたんだよな
一部の便は一般形気動車も使用していた 元スレ戻り始めた人いるけど、まだ早いような希ガス… それもあるけど、まだあのスレに書き込む気にはなれないな せっかく元スレにカキコしてくれた人がいるんだから、戻りたいなら様子見るなりして戻ればいい
元スレが気持ち悪いなら、このまま仮スレに残ればいい
俺は、まだ当分元スレにカキコする気にはなれない 二本立てでうまく進むわけないっしょ
このスレを本スレにすべき 本スレに書き込んでる人たちの話題は、我々と論点がチョッと違うから別々のスレで調度いいよ
我々は、このまま仮スレに残ろう 初めて北海道へ上陸したとき
言うまでもなく、青森から連絡船に乗り継いで函館に降り立った時のことだ
うっすら見えてきた島影が、もどかしい程ゆっくりと、徐々にゞにはっきりと視認できるようになり
次第にそれが北海道だと分かると、自分の気持も高揚し言葉にできない感動があった
それは、まったく別格の感動だった
初めて飛行機で北海道へ降り立ったとき
雲の合間から抜け出すと、立体地形図の地図どおりの光景が飛び込んできた
立体地図の道路や線路が徐々に本物に変わり、貨物列車やトラック、クルマが現れてくる
それはそれで感動したものだ
初めて列車で北海道へ上陸したとき
快速「海峡」で長いトンネルから抜け出すと、あっけなく北海道に上陸していた
実に呆気なく、味わいもない、無味無臭な上陸だった
「アレ?上陸しちゃったの?」
これが偽りのない素のままの感想だ
今は新幹せ・・・いや、もう何も言うまい
北海道は、遠くて広い方が良かったなァ・・・ 往路、飛行機で北海道へ行ったときのこと
空港から日高本線に向かうため
南千歳で乗継下車すると前日に上野を発った北斗星が入ってきた
いかにもテツという感じのブタ、っと失礼…恰幅の良いオッサンが降りてきて
北斗星を撮影しつつ見送ると、すぐ様空港行のエアポートに消えていった
北斗星に乗るだけの為に北海道まできて文字通りのとんぼ返りだったらしい
同じ乗り鉄でも価値観が違うと思った まあ、この分野の好き好きは
人の数ほど細分化できるからな >>27
亀だけど興部の駅前には何軒か旅館(民宿)があって その中で北原旅館は国道沿いに移動して今も営業してるんじゃないかな?
10年くらい前に泊まった時は畳部屋で襖 鍵もなく まぁ人ん家感覚だったよ 廃線跡たどってると、ピンクのリボンが木に結ばれてるのをたまに目にする
勝手に熊の出没箇所と思いこんでるけど、あってる? >>72
どこの廃線かわからないけど
廃線跡を他に転用するための(土木関係の)マーキングじゃない? 世田谷線宮の坂辺りの設備にピンクリボン結ばれまくってるの思い出した 烏山線のタラコ色のキハ40がさよならヘッドマークを付けてるのを見たら、昔の北海道の廃線になった路線のお別れ列車を思い出した >>75
天北線のさよなら列車(キハ40)は、まだ記憶に新しいな ちょいスレチだけどスマン
今でこそ首都圏色って
懐かしいとか北海道の雪原に映えるとか、国鉄色でアゲ風潮だけど
当時の評価は、西の末期色の如く最悪だったよな
ちなみにタラコ色という言い方、未だに馴染めないわ 気動車色を楽しみに北海道までやって来たのに、首都圏色ばかりになってた時は凹んだよな…
確かに、末期色くらいのショックはあったね。やれ手抜きだ、品がない、悪趣味だ…ってねw
当時の状況を知ってたら>>80を、ゆとり世代のレスだとは思わないよ>>81ゆとり君w 首都圏色が出てきた頃は
塗り分ける金もない(実際そうだったんだが)
と言われていたくらいだったからな
それに朱一色じゃデザイン的に云々言えるレベルじゃないしな
話は変わるが
滝川ー釧路の長距離鈍行用に気動車色にしても良かったと思う
実際はキハ40に気動車色は存在しなかったとは言え
首都圏色にするくらいなら気動車色にしても良かったと思うな
まさか、それを倒壊がやるとは思わなかったが >>86
それはあるね
上の方にもあったけど、雪原に首都圏色は映えるし、温暖色だから今の時期は見てて乗りたくなるw
けど、朱一色ってのは、やっぱりセンスなさすぎるよ。もうひと工夫あれば良かったのにね もうひと工夫したくない&する余裕がないからあれだったのに >>87
朝>>84で書いたけど、だから末期色と同じってことだよねw >>89
手抜きかどうか
品がないかどうか
悪趣味かどうか
これはもう好みの問題だからなあ だから書いてあるじゃん
>当時の評価は、西の末期色の如く最悪だったよな>>80
って
今の人達が末期色を酷評してるように
当時の人達にとっては末期色と同じなんだから五十歩百歩だよ 北海道といえば定番のキハ22だけど初期型は車内のスピーカーが中央部と両端デッキ上で違っていたな。
内地から転属してきた127は全て金属製JNR
ロゴ入り タラコは導入当初は悪評高かったよ
そのうち慣れたのかあきらめたのかどうでもよくなった 木古内の焼きそば急行の婆様が亡くなったらしい。
寂しいね。 https://twitter.com/horomin777/status/865588107076190209
https://twitter.com/horomin777/status/865764050621218816
https://twitter.com/horomin777/status/866212097394221056
名物焼きそば「急行」閉店 88歳店主、厨房で倒れ死去
6/4(日) 10:23配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170604-00000015-asahi-soci
北海道のJR・道南いさりび鉄道木古内駅そばにあった老舗食堂「駅前飯店急行」の店主垣内キミさんが5月、亡くなった。
直前まで名物の焼きそばを作り続け、厨房(ちゅうぼう)で倒れた。旧国鉄時代や昨年春の北海道新幹線開通など、
木古内のまちの移り変わりを見守った88年の生涯だった。約60年続いた食堂は、垣内さんの死去とともに幕を閉じた。
「駅前飯店急行」は、垣内さんが作る和風味の焼きそばが名物だった。2013年夏までは、JR木古内駅のすぐ前で
開店当時の古い店舗で親しまれてきた。北海道新幹線開業に伴う駅前再開発で立ち退き、同年10月から数百メートル離れた場所に
移転して営業を続けていた。
垣内さんが倒れたのは5月16日。夕刊を読み、午後5時ごろにやってきた男性客に焼きそばを作ったあと「背中が痛い」と言って、
厨房にある丸いすに腰を下ろした。毎日手伝いに来ていた知内町の宮西容子さん(62)に「水が飲みたい」と頼んだ。
宮西さんが湯飲みを取ろうと振り向くと、いすから崩れ落ちるように倒れていたという。
すぐに救急車を呼びドクターヘリで函館の病院に運ばれたが、午後8時過ぎ息を引き取った。大動脈瘤(りゅう)破裂だった。
道東の浜中町出身。旧国鉄時代、松前線と江差線の分岐点だった木古内駅前で始めた店は繁盛した。
「急行でも止まればいいのに」と願いを込めて付けた店名だった。
.
朝日新聞社 かまぼこが入った独特の「おばあちゃんのやきそば」の味が忘れられません。
移転後一度も訪れてなかっただけに悔やまれます。
合掌 たった一度だけ、寒い日に立ち寄った
何を食べたのか、美味しかったのかも覚えてない
何か話したけど、やっぱり覚えてない…30年前…
だけど暖かい一期一会だった・・・
謹んで、お悔やみ申し上げます。 売国奴朝日新聞もたまには良いこと書くじゃねえか。
合掌!! 特急ではなく急行と言うところが
良い意味で素朴な道民らしいな >>106
60年前ってつばめ、はと、かもめの時代で
やっとあさかぜが出来るか出来ないかって頃でしょ?
そりゃさすがに特急は妄想でも無理だよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています