【鉄道懐かし板】タイアップ企画の思い出 [無断転載禁止]©2ch.net
1979年7月、国鉄の銀河鉄道999号はNHKニュースでも取り上げられるほど社会的にも注目された
チケットを取れなくて悔しがったのを思い出す。
当時の999は漫画・テレビ・映画とどれも大ヒットし、
タイアップの話が持ち上がるのは必然の流れであった。 オタク化の過程において、ジャンル的に鉄とアニメは親和性が高いのかな 歌謡曲であれば、2億4千万の瞳に、いい日旅立ちが代表的なものでは。
ディスカバー・ジャパンの他、JR SKI SKIのもあるか。 タイアップというかバファローズ時代の仰木監督は藤井寺へ向かう南大阪線の車内で
野茂の登板日に「今日の先発は野茂」と宣伝していた 野茂なら客を集められるけど、阿波野とか佐々木とか山崎では客は来ないだろうなあ(誰も知らない?)
近鉄球団は野茂のお陰で15年延命できたと言われてる 国鉄時代に始まったフルムーン。
企画そのものよりもTVCMが話題になったなあ、高峰三枝子の。
覚えてるか? フルムーンパスのどこがタイアップなんだよwただの企画切符じゃないか スレ違いかも知れんが
谷村新司の三都物語はJR西のアーバンネットワーク構想とリンクして
タイアップとしては成功の部類に入ると思うが、どうか スキー列車はスキー場及びスキー用品メーカーとのタイアップ。
バブル期は真っ盛りだったじゃん スキー用品会社だとアルペンが思い出される
ダンプ松本と松本典子のCM >>34
分かるけど、なんか違う気がしてならん
協賛とタイアップは別物だよなあ 999の時はジャーナル編集長が散々文句言ってたんだよな、
マンガとタイアップなんて嘆かわしいと。 当時の事は幼くてまったく覚えてないが、
やはり苦々しく思ってる人はおられたのね あの雑誌は基本的にシニカルな造りで筋が通ってるんでしょ? でも当時のジャーナルは幼稚なイラスト多用したりしてたんだよな。 >>39
アタマのお固い御仁がこの世界には多いということかもね。
件の編集長氏が999タイアップのどこを難じていたかは読者でなかったので知らないのだが、
漫画を一段低く見ている、とか、そういう発想だろうか? >>42
手元に本が無いから明確じゃないが、雑誌の後ろにある
編集長の後記的なところで国鉄もそこまで堕ちたか的な
書き方で批判していたように思う。
まぁ当時のあの年代の人間なら間違いなくマンガは下に見てますよ。 学校のセンセイが「マンガを読むとバカになりますっ!」とか発言しても
誰からもどこからも苦情が出ない時代でしたからなあ
マンガが文化として認知されるようになったのはいつ頃からかなあ
・・・スレチなのでもうやめますw 外野から嘆かれようが批判されようがムーヴメントを起こして儲けになれば勝ち。
いくら殿様商売だった国鉄でもそこは割り切ってたでしょ
後が続かなかったのは残念だがね 趣味としての鉄の世界は空気として保守的じゃん(政治的な意味の保守ではないよ、念のため)。
だから新しい試みに対しては本能的に拒絶反応が出てしまうのだよ
当時の空気は知らないが、組む相手がマンガ作品でなくても
タイアップ事業は批判されてたというのがわたくしの考え。 京阪が枚方パークの菊人形展をNHK大河ドラマとタイアップして客集めしてた
毎年家族で田舎から見に行っていた。
俺以外は菊人形目当て、俺だけは電車目当てw 連投失礼して、
一番覚えているのは「武田信玄」のとき(1988年)。
視聴率の高さが物語るように人出も凄かった >>47
いや、あちこちの私鉄で999が走り始めたように思うw
またタイアップではないが、ジャーナルは
客車の臨時つばさに特別にHM付けて取材したりもやってたな。 業界は二匹目のドジョウを狙うので保守などと無関係に行動するよ
保守的なのは鉄道ジャーナリズムの世界で生きてる人や、出版物の講読者かもよ ライターは二極化してる
一読者から見るとどっちもどっちだと思う 最大のはオリエント急行だろう、バブル期フジテレビ絶頂期の。 あったねえ‥(  ̄- ̄)
フジサンケイグループのイベントには色々参加して、散財したもんだ
鉄道タイアップではないが、1987年夢工場には夏休み中に東京と大阪の両方に行った いつから大河ドラマのラッピングをやるようになったんだろ?
個人的には京阪が新撰組でやった9000系のラッピングが好きだったわ。 駅弁がテレビ番組とタイアップして売り出したのが小淵沢駅の「元気甲斐」。 発売当初物珍しさでわざわざ千葉から買いに行った。
どーせテレビの企画モノだろと馬鹿にしてたが
意外と美味くてその後何度も買って食べた思い出がある。
今も続いてるのは何よりうれしい
スレチ堪忍 「一枚のキップから」を短命で終わらせた
「いい日旅立ち」 歌謡曲とのタイアップは好きじゃないが
いい日旅立ちは名曲なのでこれだけは受け入れることができた 誰も覚えてないと思うがナンノの「リフトの下で逢いましょう」も
新生JRのタイアップ曲であった。 >>64
これやな
https://www.youtube.com/watch?v=_A7gmrYkeS0
ただ俺が覚えてるヴァージョンは、一番最後の「大増発」のセリフに合わせて
タイプライター音(ルパン三世のタイトル表示の時に鳴る音)とロゴ(文字)が重ねられていたはず 年代は少しずれるがJR東日本はダンスユニットzooがやってました
南野さんにはスキーのイメージがないが、zooはぴったりの人選だと思いました。
曲は大ヒットしたし、関西や名古屋でも放映されてたので
覚えてる人は多いのではないでしょうか。 いい日旅立ちも三都物語も谷村新司の作品
鉄にこれほどまでに合う曲を作れる天才 ヒットしなかったからタイアップにまでは至らなかったはず
でもメディア戦略は凄かった
テレビ・ラジオ・新聞で押しまくってたね >>72
フジサンケイグループは昔からこんなことやってたのね >>62
海援隊の「想えば遠くへ来たもんだ」はタイアップのボツ曲だったらしい
こっちも名曲だと思う
幌内の鉄道博物館の「さよなら幌内線」の映像のバックで流れています
あれは泣けます 中野アナがデビューのころ、ナンノに似てると言われてたよ 地方の役場とタッグを組む企画もあるね
名鉄と愛知県下の市町村がタイアップしたトコトコ東海道は
カメラファンにはなかなかの好企画だったよ >>83
「ヤーレンソーラン北海道」って歌もあったな 京都市営地下鉄の漫画アニメフェアとのコラボ企画も、
違和感があったよ
古都にアニメ漫画は合わん
京都には漫画ミュージアムがあるが、街起こしありきだからな >>54
またフジテレビとJRでイベント列車やらないかね? >>72
それもあるが松本零士先生があまり乗り気でなかったのでは?
999の時もあまりに便乗が過ぎて困惑されてたというし。 でもその収入のお蔭で次の創作活動に専念できたんでしょ? >>98
いまは真逆だもんなあ
タイアップを持ちかけても向こうから断られるみたいな‥‥ 石川県の「のと鉄道」で、アニメ花咲くいろはの
ラッピング列車を走らせてから乗客がかなり増えたとのこと。
ご当地アニメとのタイアップの成功例だと思う。 >>99
WC日韓共同開催辺りじゃね?
同じ頃、韓流ブーム捏造(ゴリ押し)して叩かれ始めた希ガス >>71
>>72
>>74
まさか懐鉄板で1000年女王のネタに遭遇できるとは!
俺も実家が産経新聞を取っていたので鮮明に覚えてるよ
配達のお兄ちゃんが記念イベントのチケットをサービスとして
届けに来てくれたが、その日がちょうど家族旅行とバッティングして
悔し涙を流したことも… 東急の二子橋や静鉄駿遠線の大井川橋のように、
道路橋建設費用の一部を負担することによって
橋の真ん中を通行する権利を得ていわゆる併用軌道の様態になるのも
道路管理者たる国や自治体と鉄道会社が手を組んだタイアップ企画の一環だす ダイエーと名古屋市交通局がイベントで組んでいた思い出
市バスと地下鉄で市内のダイエーを回るスタンプラリーとか ダイエーは京阪ともスタンプラリーでタッグ組んでたよ
京橋にはテナント持ってたし。
スーパーが小売りの王座を占めてた時代、
あのダイエーがまさかこんなことになるとはね・・ >>106水を差すわけでないが
そんなに引き込まれるものなのか 松本零士作品