鉄道イベントの思い出 [無断転載禁止]©2ch.net
車庫の一般公開、新車のお披露目、駅備品や車両部品の即売会などなど
楽しかった思い出を語りましょう 50周年はテレビ大阪で毎週土曜の昼1時頃に番組を放送してた
ゲストを呼んで地下鉄の思いで話を語るという内容。
テーマ曲はキダ・タロー作曲
たぶん、当時は森之宮でイベントがあったんだろうが
でも全然覚えてない 鉄道の日のイベントは昔からあるわ
行ったことないけど。 ハイキングは鉄道業界以外の会社が主催して、鉄道会社が協賛もしくは後援という位置付けで関与することがある
形を変えていまも続いてる関西五大私鉄沿線ハイキングが代表例
春と秋のシーズンに五社各社の沿線の名勝をターゲットにするのだが
阪神だけはネタが枯渇気味で他社より知名度等でのショボショボ感が拭えなかったw 阪神と言えば六甲山しかないわ
しかも阪急とエリア的に被るし 即売会ならポッポ祭りを超えるイベントは今後もあり得ないだろう。
サボだけで何千枚、何万枚が500円で売られたのやら。 >>28
あの時は地下鉄でもスタンプラリーをしていた。
まだ小学生だったけど、あの時初めて南巽や八尾南に行ったな。
そしてその後の人生でもこの辺の駅は何回かしか行ったことがないw サボはいつも飛ぶように売れてるのね
関心無いから不思議だ >>38
先頭車の正面に掲げる方向板も人気だよ
子供の頃、自作したりしなかった?
リアルな物が買えるとなったら行くしかないでしょう カネ次第だが。
当たり前だが正面サボは遠目から見てもわかるように結構デカイ
置場所つくるのも一苦労で大枚はたけるようなヤツでないと楽しめるものではない >>39
最近だが京阪中之島線。
まさかこんなにコケるとは思わなかった 違うだろ
こんな場所に地下線を通して誰が使うんだろ、と思われてたぞ 京阪間鉄道開業100周年イベントでのSL撮影事故は今でも記憶に残る
類似の事故がその後起きないのが何よりだが、起きないのが不思議といえるくらいな
危険な撮影活動するマニアも多いと聞く。 事故が起きるとイベントそのもの盛り下がってしまうわ
参加者は最低限のマナーを守ってほしいものだ 京阪百年号って大阪駅10番線で
海原千里万理が司会をしていたあれか? >>49
葬式鉄の社会的イメージが一気に悪化した事件だったな イベント行ったことないなあ
人ゴミ嫌いだし、アポなし凸で車両区入れてもらえたからなあ… オレも同じく
ただ人見知りがひどいので、
事務所に行って見学を申し込むことすら出来なかった >>53
もったいない
鉄道趣味的人生の、一番美味しいとこだったのに、、 アポ無し突撃ってかなり勇気要るんじゃない?
一つ間違えたら110番されかねないでしょ >>55
それはお前が挙動不審もしくは身なりが変質者っぽいからだろ
鉄ヲタはこれだから困るんだよ >>55
何にも知らないんだねw
てか、アポなし突撃を不法侵入だと思ってないか?
ヒント>>52-53 >>55
タイムスクープハンターの要潤の様に
特殊な交渉術を用いて入場を許可されましたじゃね? 鉄道100年記念の年、鉄道記念日だったかに交通科学館へ行った際、
催事スペースに青色の行先表示板(主に天鉄エリア)が大量に
立てかけてあった。人影もまばらで全然売れてなかった。
当時サボは見向きもされずファンはもっぱらナンバープレートに
金を使っていた。 >>51
マナーの悪いのが居たのは事実だが、マスコミの取り上げ方もどうかと思ったぞ
まるで非常識人の集団ヒスみたいに・・・ >>67
番組スタッフの中にアンチ鉄が潜伏してたとおぼしき演出 >>まるで非常識人の集団ヒスみたいに・・・
てか、そのまんまやんw 往年の人気列車のリバイバル運行で満足した験しがない >>74
「懐かしの急行佐渡」とか良かったけどな
デカ目、幌付き、ヘッドマーク付きの165系がカッコ良かった >>74
リバイバル系のイベントに過剰な期待をしたが為にハズレ感が強まるという法則 >>76
主催者側に「こんな細かい所までヲタは拘らないだろう」と手抜きする理屈が罷り通ってる法則 オタクをターゲットにしたイベントなんてあるの?
普通は家族連れを狙うでしょ サボ・ナンバープレートなど、
オタク以外の需要はないと思うよ イベントのメインは家族連れを対象とした催し物で
オタ向けのグッズ販売(特にサボやナンバー)はサブ的な催しでしょ
HPの告知やチラシなんかは、そんな感じの構成だよね タモリがテレビ番組で鉄道マニアをネタにするまでは、
鉄道趣味もそれなりに市民権があったのにな タモリその人が紛うことなき鉄道マニアなのだが‥?? 親にイベントに連れて行けとせがんだが非鉄の親は頑なに拒否。
中学に上がって初めて一人で参加したときの歓びは忘れられない >>86
まだ小学生の子供に遊園地に連れて行ってと
せがまれるならまだしも
鉄道イベントに行こうと言われたら
普通は困惑するでしょうよ。 フツーの親なら自分が非鉄でも
子がせがんだら応えてやるもんだけどな >>91
可能性高いね
カーキチとか、ミリヲタとか。
偶さか鉄にはまらなかっただけでメンタリティは同じという。 子どもに何もしてやらず、家庭も省みず、
いい年して自分の趣味に金を注ぎ込んでる馬鹿親は確かにいる 昭和61年にさよなら165系アルプスに乗ったよ。初狩駅スイッチバック体験や上諏訪駅構内での撮影会があってEF58や65、デビュー直前のミニエコーも展示してた。
帰りの車内では部品即売会あったけど驚いたのは垂れ流しトイレ管が販売してたこと。
国鉄職員曰く
「大丈夫だよ、俺達が綺麗に洗ったから!」
流石にこれだけは売れ残ってた。 楽しそうだね
鉄道イベントとは本来こういうものを言う 楽しい思い出になっていればコンテンツは何でも構わない 自分だけかもしれないけど国鉄時代のイベントは、ほのぼのというかノンビリしてたよくな感じかな。
国鉄末期に長岡機関区公開あったので行ってみた。
地元紙しか周知がなく、見学者がDE10のキャブに満員電車並みに乗って構内を走ったり、機関区敷地のどこまで入っていいのかわからない曖昧な範囲で皆勝手にラウンドハウスに入っていた。
国鉄職員達も本線に出なきゃ別にどこウロついても構わないという雰囲気がよかったな〜。 羨ましすぎる‥‥
時代が変わってしまった後に生まれた世代には
縁のない話 >>90貧乏母子家庭で発達障害の親は願いは全てダメ金かかる全てダメで聞いただけで平手打ち3〜4発
遊園地もイベントも行った事はない、今は親子関係もない 平手打ちは無かったがウチも一度もなかったな
家で商売していたというのもあって、
日・祝日が書き入れ時だから諦めていた >>101
90です
うちも母子家庭(=機能不全家庭)に育った
だからテツになったw
ただ当時は祖母がいたので俺はおばあちゃん子として(まだしも)マトモに育った
中学進級前は単独旅が不可だったが母は日帰りテツ旅の求めにも応えてくれた。
平手打ちとは完全なる毒親ですね
深くお察しします。 >>103
うちも自営業でしたが母は定休日に連れてってくれました。 自営の場合は定休日が平日だと
学校の休み(日曜祝日)と合わないのが辛いね そうですね。たしかに合いませんでした
今となっては覚えてないです
バイト+祖母管理だったのかもしれません。
母は健在ですが若い頃から済んだことはすぐ忘れるタイプなので。笑
スレチ失礼しました。 関西だと73年のSL伊賀号、74年の白鷺号、77年の京阪百年号
くらいしか思い浮かばない。 何気にさよなら運転に参加してる私。
さよならクモニ83も乗ったよ。
初狩駅スイッチバック体験と帰路は三鷹電車区で撮影会。
初狩駅撮影会では参加者が撮影してる最中に運転士が運転台で昼のお弁当(駅弁)を食べてて写真現像したらご飯を頬張る姿までバッチリ写ってたのもいい思い出。 初めての鉄道イベント参加が、84~85年頃の
高崎第二機関区の文化祭だった。
内輪の催しといった風情で、車両展示も
当時高崎所属のごくありふれたEL・DLだった。 >>111
当時は普通にあった車両ばかりでつまらなくとも今となっては貴重であり、しっかり撮影 しておけばよかったと思う物ばかりですね。 昭和60年に内郷の側線でDE10を運転したわ
平駅まで職員さんの車で送ってくれた 昭和末期、向日町の一般公開に参加。
481ボンネットにうずしおの文字マーク
まだ残ってたんだな。 いわゆる手弁当っぽい雰囲気の一般公開系催し、
鉄道の日イベントで昨秋水島臨海鉄道へ初訪問で行ったが
本社会場ってのが初めてだったみたいで
ちょうど皆が書いてる昭和期のような平和な雰囲気だった。 ただし本社は単なる街中の事務所で車庫とかではないから
部品展示くらいだったけど 品川駅でサンライズデビュー直前に
285系サンライズとEF81 81+北斗星用のカニ+24系博多あさかぜのカルテット+デュエット+夢空間と
EF58 61+14系座席車と185系ストライプ編成の展示会があったな リバイバルカラーもイベントの一種になりますかね
一例をあげると東武一般型のロイヤルベージュとインターナショナルオレンジの組み合わせとか。
写真でしか往時を知らない世代にとっても興味深いものです まなびの鉄道館10万人突破06/25 16:46nhk
去年4月、津山市にリニューアルオープンした「津山まなびの鉄道館」の来館者が25日で10万人を達成し、記念セレモニーが行われました。
「津山まなびの鉄道館」は、旧国鉄時代の津山駅にあった扇形機関車庫を整備し、ディーゼル機関車や蒸気機関車など13両を展示している観光施設です。
扇形機関車庫は現存するものとしては国内で2番目の規模を誇り、国の「近代化産業遺産」にも指定されています。
去年4月にリニューアルオープンし、当初は年間1万5000人の来館者を予想していましたが、観光シーズンを中心に多くの鉄道ファンが訪れ、25日に10万人目の来館者を迎えました。
10万人目となったのは、広島市から家族7人で訪れた木原湧心くん(3歳)で、入場口でくす玉が割られたあと入館定期券や鉄道グッズなどの記念品が手渡されました。
このあと湧心くんと家族は蒸気機関車の前で10万人達成を記念する汽笛を鳴らし、写真をとるなどして楽しんでいました。
湧心くんをだっこした祖父の稔之さんは「思いもよらないことで本当に驚いています。古い機関車が1度に見れるのでまた遊びに来たいです」と話していました。
「津山まなびの鉄道館」の竹内佑宜館長は「これからも施設を充実させて、お客様をお迎えしたいです」と話していました。 [25日 18:00]津山まなびの鉄道館 10万人達成rsk
SLや、ディーゼル機関車などが展示されている津山市の「津山まなびの鉄道館」の来館者が
25日、10万人を達成しました。
10万人目の来館者になったのは広島県から家族で訪れた木原湧心くんです。
記念のセレモニーでは無期限の入館パスポートなどが贈られました。
去年4月にオープンした津山まなびの鉄道館は年間1万5千人の来館を見込んでいましたが、
それよりも大幅に早い約1年3か月での10万人達成となりました。
津山まなびの鉄道館では7月15日からの3連休に
10万人達成の記念イベントを行なうということです。 両備軽便鉄道たどる展示06月21日 08時36分nhk
現在のJR福塩線の前身の「両備軽便鉄道」の歴史を紹介する企画展が福山市で開かれています。
大正3年に福山市と府中市の22キロの区間で運行を始めた「両備軽便鉄道」は線路の幅が通常より狭い鉄道で、旅客や生活物資を運んでいました。
昭和8年に国有化されたあと、三次市まで路線が延び、現在のJR福塩線となりました。
福山市西町の広島県立歴史博物館には「両備軽便鉄道」の19年間の歴史をたどることができる写真や文書など、あわせて11点が展示されています。
このうち、開通当時の写真は、鬼の面などで仮装して府中駅前を練り歩く地元の人たちの姿が写っていて、地域を挙げて開通を喜んでいる様子がうかがえます。
また、開通から3年後の大正6年当時の時刻表からは府中駅を発車する9本の列車のうちの4本に郵便物を載せて運んでいたことがわかります。
広島県立歴史博物館の山本智宏主任学芸員は「『両備軽便鉄道』が地域の人たちにとって大きな存在だったことを知ってほしい」と話していました。
この展示会は7月27日まで開かれています。※月曜休館。
6/13〜16臨時休館。 コピペは要らないですよ
タイトルさえ教えてくれたらググりますから 温暖化の影響で夏休み中に屋外でのイベントはやり難くなったな >>119
南海もグリーン濃淡の旧塗装でそこそこの人出を集めた