なつかしの山陽電車 その2 [無断転載禁止]©2ch.net
特殊鋼製車を塗装して普通鋼製車に見せかけるのはよくあるが
その逆はこの会社くらいじゃね? 同感
塗装するのは構わないが似せるならもう少し似せてほしい >>80
高架化とは無関係に一変してる駅も少なくない
しかも寂れる方向に変わっていってる‥‥ ロータリーにシュロの木が立ってるのに駅前風情が無いと? 尾上の松から廃止前の高砂線を見渡すと
何だか優越感に浸れた
スピードも全然違った 1975年頃の尾上の松はそれこそ何も無かった様な。
高砂線の尾上駅はいい味出していた。
その昔、尾上の松駅は高砂線乗り越え勾配上にあり運転上の難所と聞いた。 勾配のピーク部分がちょうど連結器部分に当たるため
余分な力が掛かって停車できない車両(700形?)があった話のこと? >>93
あれは貨物線みたいなもので、比較することにあまり意味を感じない
逆に、何十両もの黒貨車を率いてのっしのっしと歩むDD13あたりを見ると
2両でこじんまりと走る山陽電車が貧相に感じる人もいる 尾上の山陽+高砂線交差部分は、加古川橋梁とともにこの一帯における撮影の名所だった
国鉄キハと山陽3000系の一瞬の出会いに賭けて、何時間も山陽築堤北側の畦道で粘ったのを思い出した。 >>77
汚れを隠すためではなくて当時はまだアルミ鋼の加工技術が発展途上で、
外板の歪みを完全に除けなかったためそれを隠すためのウロコだって話だよ。
ステンレス車のコルゲーションと同じ目的。 >>96
高砂線晩年は黒貨車より鳶色のワム80000が多かったと思う。
両数も2~3両で物寂しく、終焉を感じさせる雰囲気。 尾上の松と浜の宮は構内踏切を置かずに地下通路で上下ホーム連絡していたのもちょっと珍しい >>97
築堤の周りには何も遮るものがないので吊り掛け車が登坂するときのモーター音が
辺り一帯に響き渡っていました。 >>86
静岡鉄道350がアルミ擬きのシルバーに塗られた事があったが、
鈍い光沢を湛えたカラーリングで、本物に近かった。 直通特急の就役から来年で20年‥‥
早いものだなぁ 網干線で6000系に乗った。空気バネって乗り心地いいね。
昔は空気バネの3100や5000系とか走ってたけど、ここ20年コイルバネの3200ばかりでつまらんかった。
1dayチケット買って3往復もしてしもた。 >>110
阪急と山陽が六甲で衝突事故
事故車は3064
大破したが修理して現役 負傷者は多数出たが死者は奇跡的に出なかった
ただ自責の念にかられた車掌が後日に自ら命を断った
だよな? 鉄道事故のまとめサイトを見てると山電はウテシのヒューマンエラーによる事故が結構多かったことが分かる 5月末で3004fと3200fが引退。
3004fといえば西二見で踏切事故に遭い3602と3502が大破横転。
残った車両が長い間東二見に置かれてて、廃車かと思ったが奇跡の復活!
しかし3連になり二度と特急で走ることはなかった。
あれから25年、引退のヘッドマークまでつけてもらって幸せな車両だと思う。 六甲事故を報じる民放テレビニュースでのテロップが「三洋電鉄」になってたのが忘れられない
おなじ「さんよう」といえども電鉄は東京ではほぼ無名、
電器メーカーの方が知名度があったということかね その三洋も無くなってしまったな。
昔はラジカセや冷蔵庫で名を馳せていたのに… サンヨーといえばサッポロ一番のサンヨー食品じゃないか 山洋電気、三陽商会 、サンヨー堂といろいろあるわな >>118
今でも当時のニュース映像が動画サイトで見られるが、
山陽も阪急も死者が出なかったのがふしぎなくらいなほど
壊れてるね 保安装置ってものは人間がとち狂っても正確に作動してはじめて安全が保たれるのに
運転士が勝手にスイッチを切ってしまえるところがなんともやりきれない 保安装置に絶対は無いわな
必ず抜け穴は存在するし、抜け穴が必要な場合もある
仮に万全な保安装置を構築しても、物理的に止まれないこともあるし 山陽姫路駅にキャスパが出来る前の記憶があまり無い。
1階に改札があったような?ミスドの位置が券売機?
今のキャスパに行く通路は壁だったのかな?
網干線が一番北のホームだったのは覚えてる。
姫路市民だが、当時は姫路には年に1度行くかどうかだった。 姫路駅前にはデパートが2つあって、
山陽が庶民的、ヤマトヤシキが高級感という印象を勝手に持っていて、
大阪梅田の阪神vs阪急とイメージを重ねていた ヤマトヤシキに高級感?あるかな?
それはともかく、山陽百貨店の方は1985年タイガース優勝の時に
派手にセールを展開したことで阪神と深いつながりがあることを知った。
それ以前には阪急ブレーブスが何度も優勝てるがたぶん何も企画はなかったし、
そもそもチームの人気差もあるだろうが例の事故とは別にしても
昔から阪急との関係は良くなかったのだろうと。 85年は甲子園直通の特別電車を走らせなかったのかな
2005年は覚えてる ジャスコで万引き〜
ダイエーで食い逃げ〜
山陽百貨で捕まり、牢屋行き〜 潮干狩りシーズンのHMも思い出に残るね
1986年の「Let's! 貝取り!」が最高にワロタ >>131
ジャスコのテーマソングか!
ジャスコで逢いましょ、とか歌ってるやつ >>132
的形駅付近で「潮干狩りありマス」の看板を一年じゅう出してる民家があった 学校で山陽の貸切列車で的形まで潮干狩り行ったわ。
行き帰りとも2012アルミカーだった。 地元民だから当然といえば当然だが遠足は山陽電車が定番だった
月見山から須磨水族館、須磨浦公園から山上遊園、人丸前から天文科学館、等々。
高学年になって大阪の交通科学館へ行ったが、この時初めてJRに乗った 明石の天文科学館は校外学習の定番だね
駅からも近い 関東人が山電の最大の謎だと思っている、「団急」幕は、こういう列車に使っていたのですかね。 図工の授業で神社仏閣のスケッチのため鶴林寺まで。
学校の最寄駅から山電で行ったのは覚えてるが、
下車したのが尾上の松か浜の宮かがはっきりしない。
駅からもかなり歩かされ、喉が渇いて水筒のお茶を
飲み干してしまったのだけは覚えてる。 139の最寄り駅が何処かも分からずして書くが、
マニア的には高砂で国鉄高砂線に乗り換えて鶴林寺駅、と考えてしまう
おそらく寺のスケッチなどどうでも良くなってると思うw 小学校の社会見学は高砂のキッコーマンだった。
山陽電車で荒井まで行ってそこから歩き。
ウチとこが山陽使ったのはそれだけで、神姫バスが定番だった。
神姫バスで遠足で車両が足りず、俺のクラスだけ他社の超豪華なバスに当たったことがある。 そういえば荒井駅近くに、社名そのままに「キッコーマン」という名の踏切があったね
なんかテキトー感満載なネーミング 山陽から四種踏切が消えたのは昭和55年頃かな
明石以西で所々に残ってた気がする 魚住あたりはひたすら一直線で周りに視界を遮るものがないから
四種でじゅうぶんと考えてたのかな 網干線沿線の住民なんだが、昔は日中に時々茶色い単行の電車が走り去っていった。
網干駅に資材とか運んでたと思う。
隠れキャラみたいで楽しかった。 無蓋スタイルの片運長物車がなつかしい
レール取り替え工事時に背中合わせでペアで走ってたらしいが
俺は東二見で見学時に見ただけ >>146
夏は田んぼで虫取りしながら行き交う電車を指差しては
次に来る形式を予想して遊んでたわ 考え事していて過走というのも大概だが、
取り繕うためにバックして後続車と正面衝突とは、
事実は小説より奇なりとでも言おうか。 逆走してる間の踏切はどうなってたんだろ
逆方向から電車が来た!?って、警報器は
ちゃんと作動しなかっただろうな >>150
1980年代までなら3000、2000、2300、2700、300、250、800と
7系列が存在してたから予想のし甲斐があったね
今は半分以下になっちゃった >>154
>>24のとおり、会社的には今の方が望ましい 3000も5000も、画一的に見えてファン心をくすぐるような変化が多数
製造時期による違い、後年の改造も 2300と2700は遠目では識別しにくいはず
台車が見えれば一目瞭然 2300系は2700系の機器更新車だからクリソツなのは当然です >>154
昔から15分サイクルだから2本に1本は
特急3000系になるという予測ができる
実も蓋も無いこと書いてスマン 90年発行のピク誌を眺めてる
ついこの前に感じるが、かろうじて2000が残っていたんだな
これが保育社私鉄の車両だと、小型車も残存 さらに古いカラーブックスになると、まだ300や800が現役で活躍中で、
グッゲンハイム邸を背景に走る300の横顔がカラーで載ってたりする。
就職で引っ越すときに鉄道関連の本は捨てようとしたが、CBだけは捨てずに残しておいて良かった 大手でもないのに山陽一社だけでカラーブックス一冊を割り当ててくれた保育社に感謝。 カラーブックス日本の私鉄
それの詳細版と言えそうな私鉄の車両
懐かしすぎる >>163
それを言うなら神鉄も相鉄も名古屋市営地下鉄も
規模や歴史がそれほど無いのに独立した一冊になってた。
コロタン文庫の私鉄全百科ともども
自分にとってのバイブル。 >>160
もう80年代に差し掛かると2000の特急代走は挑むべくもなかったかな >>165
編著はやはり亀井御大だったのかな?
というか御大を差し置いて他に居ないと思うわ 小川金治氏と山電車両部の共著。
とはいえ小川氏は交通カメラマンなので
本編解説文にはタッチしてないと思われ >>165
コロタン文庫、懐かしい。
会社の概説には、「東の相鉄・西の山陽と並び称されてる」、
とまで持ち上げられてたが、
相鉄との格差はその後拡がるばかり… 神戸高速乗り入れまでが華だった
そのあとは坂道を転がり落ちるが如く‥‥ >>154
同世代とみた
その顔触れの中では300系が一番思い出に残ってる
出足の悪さと、振動と、騒音。
ボディは綺麗だが足回りが貧弱過ぎ カルダン車とツリカケ車でそんなに違いを実感できたかな
何らかのバイアスがかかってただけでは? モーター音が大きいと目一杯走ってるな、という感覚にはなる そもそも山電にカルダン車というものは存在しない(乗り入れ車除く)
有るのは、WN駆動車というものだ。 >>178
WN駆動のわりにモーターが喧しいのが多いぞ >>179
WNの騒音源は主電動機じゃなくて駆動装置の共振だぜ 地上時代の板宿付近のゴチャゴチャした街並みが懐かしい
駄菓子屋と本屋がやたらと多かったのを覚えてる
地震で壊滅したんだっけな >>181
古い木造家屋ならひとたまりもなかっただろう
線路の南側に当時既に珍しかった貸本屋があって
藤子不二雄の初期の単行本(タイトル失念。「天使の〜」という言葉があったかも)なんかが借りられた。
踏切脇の小さな広場みたいな所で自転車に腰掛けながら読み耽ってた思い出がある