なつかしの山陽電車 その2 [無断転載禁止]©2ch.net
乗り換えさせられるし混雑してるし運賃も三社併算されるし、
国鉄に比べて良いことがあまり無かった >>48
>>1でリンクしてる前スレ読んでみると、
相互乗り入れ開始当初から激しい混雑のため乗り換え客がホーム上に積み残されるなど、
弊害が出ていたようだよ
レス数が少ないのですぐ読めますw >>51
でも須磨以西は当時の輸送量をもってしても3,4両で十分だったのに・・・
わずかな区間の特殊事情の対処としてコストのかかる増結は躊躇するところだ せめて三宮まで毎時六本は行ってくれればよかったのだがね
朝の神戸方面行きで新開地止めが多かったのにはうんざり
今もそうなのか 小学校の時に大阪から須磨水族館へ遠足に出掛けた。
月見山で降りて徒歩で水族館まで。
まだ800系が現役でローカル輸送に頑張っていたが、
新しい阪急阪神車とすれ違うと、古さは覆いようもなく、
子供なので無遠慮に「古い」だの「ボロイ」だの
むちゃくちゃ言ってた。
ホームに立っていた駅員さんが渋いカオしてたっけ 阪急や阪神から乗り入れてくる車両は新型だから昭和40年代以降、
片や山陽800は昭和20年代の生まれ。
古いからボロそうに見えるだけで
貶めてるわけでもなんでもないよな 月見山は改札のすぐ隣に踏切があるのに構内踏切もわざわざ設置してるのが昔から不思議だった。 阪急には1980年代初めまでは古めかしいスタイルの系列(920,810,710)が残ってた。
山陽800が取り立てて劣化してた、整備が出来てなかったわけでもない。 >>57
改札をスルーできないように構内踏切と月見山踏切との間に厳めしい剣山のような物が置かれた(多分昭和55年頃)
キセル客の多さに業を煮やしたのだろうか 構内踏切と一般の踏切が隣接してる箇所は
大抵剣山(正式名は俺も知らん)があったよ 俺の知る月見山は各停しか停まらない小駅だったが、
今は特急も停まってくれるようになった出世駅やね ホームの行き先を示す看板が「姫路・明石・垂水・スマ方面」と、
何故か須磨だけはカタカナだった。
謎だった。漢字に改められたのは1980年頃かな 月見山?
覚えてない
須磨浦公園以西の主要駅の乗場案内が
三宮・大阪方面は良いとして、京都まで含めるのには
いくら阪急と相直してるといっても子供心に違和感を覚えていた。
でも阪急も大宮駅では姫路を入れてたのを見てそんなものかと
妙に納得したw いくら国鉄時代のサービスが悪くて運賃も高いにしても、
明石や垂水から京都へ行くのに山陽〜阪急を使う人がどれ程いたのかなあ >>64
元西代最寄り民だが
京都でも場所によるんでは?
三条や四条なら間違いなく
山陽〜阪急では? 国鉄でも阪急でも京阪でも京都市内の駅から遠く離れてる場所なら(たとえば金閣寺や大原三千院)
結局のところ駅からバスなどに乗り替えざるを得ないので
せめて京都市内までは速く到着できる国鉄を使う人が多そうじゃない? >>62
須磨の「磨」が画数が多くて作字しにくいから
カタカナにしてしまったと思われ 月見山、須磨寺辺りは学生時代によくデートで歩いたもんだ
離宮道から海方向に線路を望むとちょうど2000系アルミ車が横切るところで、
あの美しいサイドビューをカメラにおさめることができたのも
良い思い出 アルミ車の腰板のウロコ模様が光に乱反射するさまがきれい 3000〜と3002〜でも昔はウロコ模様あったよ。正面が3068〜と同じ太帯に変わってからなくなった記憶があるけど上から塗装されたのかな。 貴見のとおり
研磨により消されたという記事を読んだ事がある 工場地帯を走るから煤煙などが付着して汚くなる恐れがあるから目隠し的にウロコをつけたが、
実際にはそれほどでもなく、車体洗浄の回数を増やすだけで対処できたので
ウロコを剥がしたと、亀井御大の解説書で知りました。 細かいこと言うが剥がしたというのは正確ではない
あくまでも表面に装飾しただけで何かを接着させたわけではない 話ぶった切って悪いが西新町が高架になってたとは知らなんだ
駅周囲の光景も一変しとる
ソロバン塾や駄菓子屋みたいなのもどこにあったか分からんくらいに そういえば3500と3501は一度過去に普通鋼色を経験したのだが、今の銀色は塗装したのだろうかそれともクリーム色を剥離して磨き直したのだろうか。 特殊鋼製車を塗装して普通鋼製車に見せかけるのはよくあるが
その逆はこの会社くらいじゃね? 同感
塗装するのは構わないが似せるならもう少し似せてほしい >>80
高架化とは無関係に一変してる駅も少なくない
しかも寂れる方向に変わっていってる‥‥ ロータリーにシュロの木が立ってるのに駅前風情が無いと? 尾上の松から廃止前の高砂線を見渡すと
何だか優越感に浸れた
スピードも全然違った 1975年頃の尾上の松はそれこそ何も無かった様な。
高砂線の尾上駅はいい味出していた。
その昔、尾上の松駅は高砂線乗り越え勾配上にあり運転上の難所と聞いた。 勾配のピーク部分がちょうど連結器部分に当たるため
余分な力が掛かって停車できない車両(700形?)があった話のこと? >>93
あれは貨物線みたいなもので、比較することにあまり意味を感じない
逆に、何十両もの黒貨車を率いてのっしのっしと歩むDD13あたりを見ると
2両でこじんまりと走る山陽電車が貧相に感じる人もいる 尾上の山陽+高砂線交差部分は、加古川橋梁とともにこの一帯における撮影の名所だった
国鉄キハと山陽3000系の一瞬の出会いに賭けて、何時間も山陽築堤北側の畦道で粘ったのを思い出した。 >>77
汚れを隠すためではなくて当時はまだアルミ鋼の加工技術が発展途上で、
外板の歪みを完全に除けなかったためそれを隠すためのウロコだって話だよ。
ステンレス車のコルゲーションと同じ目的。 >>96
高砂線晩年は黒貨車より鳶色のワム80000が多かったと思う。
両数も2~3両で物寂しく、終焉を感じさせる雰囲気。 尾上の松と浜の宮は構内踏切を置かずに地下通路で上下ホーム連絡していたのもちょっと珍しい >>97
築堤の周りには何も遮るものがないので吊り掛け車が登坂するときのモーター音が
辺り一帯に響き渡っていました。 >>86
静岡鉄道350がアルミ擬きのシルバーに塗られた事があったが、
鈍い光沢を湛えたカラーリングで、本物に近かった。 直通特急の就役から来年で20年‥‥
早いものだなぁ 網干線で6000系に乗った。空気バネって乗り心地いいね。
昔は空気バネの3100や5000系とか走ってたけど、ここ20年コイルバネの3200ばかりでつまらんかった。
1dayチケット買って3往復もしてしもた。 >>110
阪急と山陽が六甲で衝突事故
事故車は3064
大破したが修理して現役 負傷者は多数出たが死者は奇跡的に出なかった
ただ自責の念にかられた車掌が後日に自ら命を断った
だよな? 鉄道事故のまとめサイトを見てると山電はウテシのヒューマンエラーによる事故が結構多かったことが分かる 5月末で3004fと3200fが引退。
3004fといえば西二見で踏切事故に遭い3602と3502が大破横転。
残った車両が長い間東二見に置かれてて、廃車かと思ったが奇跡の復活!
しかし3連になり二度と特急で走ることはなかった。
あれから25年、引退のヘッドマークまでつけてもらって幸せな車両だと思う。 六甲事故を報じる民放テレビニュースでのテロップが「三洋電鉄」になってたのが忘れられない
おなじ「さんよう」といえども電鉄は東京ではほぼ無名、
電器メーカーの方が知名度があったということかね その三洋も無くなってしまったな。
昔はラジカセや冷蔵庫で名を馳せていたのに… サンヨーといえばサッポロ一番のサンヨー食品じゃないか 山洋電気、三陽商会 、サンヨー堂といろいろあるわな >>118
今でも当時のニュース映像が動画サイトで見られるが、
山陽も阪急も死者が出なかったのがふしぎなくらいなほど
壊れてるね 保安装置ってものは人間がとち狂っても正確に作動してはじめて安全が保たれるのに
運転士が勝手にスイッチを切ってしまえるところがなんともやりきれない 保安装置に絶対は無いわな
必ず抜け穴は存在するし、抜け穴が必要な場合もある
仮に万全な保安装置を構築しても、物理的に止まれないこともあるし 山陽姫路駅にキャスパが出来る前の記憶があまり無い。
1階に改札があったような?ミスドの位置が券売機?
今のキャスパに行く通路は壁だったのかな?
網干線が一番北のホームだったのは覚えてる。
姫路市民だが、当時は姫路には年に1度行くかどうかだった。 姫路駅前にはデパートが2つあって、
山陽が庶民的、ヤマトヤシキが高級感という印象を勝手に持っていて、
大阪梅田の阪神vs阪急とイメージを重ねていた ヤマトヤシキに高級感?あるかな?
それはともかく、山陽百貨店の方は1985年タイガース優勝の時に
派手にセールを展開したことで阪神と深いつながりがあることを知った。
それ以前には阪急ブレーブスが何度も優勝てるがたぶん何も企画はなかったし、
そもそもチームの人気差もあるだろうが例の事故とは別にしても
昔から阪急との関係は良くなかったのだろうと。 85年は甲子園直通の特別電車を走らせなかったのかな
2005年は覚えてる ジャスコで万引き〜
ダイエーで食い逃げ〜
山陽百貨で捕まり、牢屋行き〜 潮干狩りシーズンのHMも思い出に残るね
1986年の「Let's! 貝取り!」が最高にワロタ >>131
ジャスコのテーマソングか!
ジャスコで逢いましょ、とか歌ってるやつ >>132
的形駅付近で「潮干狩りありマス」の看板を一年じゅう出してる民家があった 学校で山陽の貸切列車で的形まで潮干狩り行ったわ。
行き帰りとも2012アルミカーだった。 地元民だから当然といえば当然だが遠足は山陽電車が定番だった
月見山から須磨水族館、須磨浦公園から山上遊園、人丸前から天文科学館、等々。
高学年になって大阪の交通科学館へ行ったが、この時初めてJRに乗った 明石の天文科学館は校外学習の定番だね
駅からも近い 関東人が山電の最大の謎だと思っている、「団急」幕は、こういう列車に使っていたのですかね。 図工の授業で神社仏閣のスケッチのため鶴林寺まで。
学校の最寄駅から山電で行ったのは覚えてるが、
下車したのが尾上の松か浜の宮かがはっきりしない。
駅からもかなり歩かされ、喉が渇いて水筒のお茶を
飲み干してしまったのだけは覚えてる。 139の最寄り駅が何処かも分からずして書くが、
マニア的には高砂で国鉄高砂線に乗り換えて鶴林寺駅、と考えてしまう
おそらく寺のスケッチなどどうでも良くなってると思うw 小学校の社会見学は高砂のキッコーマンだった。
山陽電車で荒井まで行ってそこから歩き。
ウチとこが山陽使ったのはそれだけで、神姫バスが定番だった。
神姫バスで遠足で車両が足りず、俺のクラスだけ他社の超豪華なバスに当たったことがある。 そういえば荒井駅近くに、社名そのままに「キッコーマン」という名の踏切があったね
なんかテキトー感満載なネーミング 山陽から四種踏切が消えたのは昭和55年頃かな
明石以西で所々に残ってた気がする 魚住あたりはひたすら一直線で周りに視界を遮るものがないから
四種でじゅうぶんと考えてたのかな 網干線沿線の住民なんだが、昔は日中に時々茶色い単行の電車が走り去っていった。
網干駅に資材とか運んでたと思う。
隠れキャラみたいで楽しかった。 無蓋スタイルの片運長物車がなつかしい
レール取り替え工事時に背中合わせでペアで走ってたらしいが
俺は東二見で見学時に見ただけ