なつかしの山陽電車 その2 [無断転載禁止]©2ch.net
>>178
WN駆動のわりにモーターが喧しいのが多いぞ >>179
WNの騒音源は主電動機じゃなくて駆動装置の共振だぜ 地上時代の板宿付近のゴチャゴチャした街並みが懐かしい
駄菓子屋と本屋がやたらと多かったのを覚えてる
地震で壊滅したんだっけな >>181
古い木造家屋ならひとたまりもなかっただろう
線路の南側に当時既に珍しかった貸本屋があって
藤子不二雄の初期の単行本(タイトル失念。「天使の〜」という言葉があったかも)なんかが借りられた。
踏切脇の小さな広場みたいな所で自転車に腰掛けながら読み耽ってた思い出がある 確かに、地上時代の板宿〜西代付近は味があった
西代で車窓から本社ビルを見ることで、山陽に入ったのを実感していた ちょっとスレチだが初めて山陽電鉄に興味持ったとき
ちょうど社会科の授業で古墳の岩宿遺跡を習ったばかりだった影響で
板宿を「いたじゅく」と覚えこんでしまった思い出がある おれは網干をつなぼしと思い込んで
友達に大笑われした つなぼしw
でもたとえ網を正しく読めても「み」を飛ばしては読めない
結局「あみぼし」と読んじゃうのが落ちだな 地上時代の西代駅で必死に神戸高速との分界点を探してた思い出 末期の西代駅はホーム屋根も無くなって
仮駅ムードが充満してたね
神戸方面側はベンチすら無くなってたかも 西代は、オンボロではないが異様に人気(ひとけ)がない駅の印象 >>118
俺のパソコンでは真っ先に算用電車と変換してくれるよw 今の本社ビルが、震災の約10年前に出来た
それ以前は記憶にないなぁ >>194
そういえば須磨浦公園が山陽全駅中で客数最下位になったのはいつ頃? >>195
>>197
本社は昔から西代にあるよ。
今の本社ビルと周辺は車庫跡地。 六甲駅行って来て当時を思い出した
とはいえあまりにも変わりすぎていて何も感慨湧かなかったけどな
今更だが御影までの折り返し線をノタリノタリと走る3000系をもう一度見てみたいと思った 決まり事とはいえ阪急三宮〜阪急六甲では空気輸送みたいなもの、且つ後続の邪魔にもなりかねないダイヤ、正直阪急側からしたら要らない子扱いだったんだろ
何かにつけて阪急から難癖つけられて撤退を模索していたというから山陽本社の決断の遅さが六甲事故を招いたとは言い過ぎか 事故の衝撃もさることながら
時間通りに動かすのが面倒だから安全スイッチを勝手に切ってしまう運転手がいるってことが
かなりのイメージダウンになったのは間違いない いやいや事故を起こせば十分すぎるくらいのダメージ。
かつて三河島・鶴見と連続で大事故を起こした国鉄は、
球団を手放さざるを得なくなるなど影響は本業以外分野に迄及んだ。 >>203
ノタリノタリでいうと阪急三宮・阪急春日野道の高架部分でも並行する国鉄103系の車窓からよく見かけた
鈍足で知られた103系が速く感じられた 阪急阪神との相互乗り入れ協定で、
相手先の線内ではすべて各停にするというルールにしたのが間違いだったな 神戸〜明石、姫路間そのものの競争では山陽、国鉄どっちが勝ってたの?
特にターミナルが兵庫だった頃は三宮や元町に行くのに市電や国鉄に乗り換える必要があるし 今までに一時期でも山陽が勝ってた時期があったのか? >>214
国電の走る前とか?
明石電化が1934年で姫路電化は1958年 >>208
駅間距離を考慮してる?
都市部の平均間隔は国鉄と私鉄では倍近く違う ありがとう、やっぱりそうだったのか
神戸は国鉄が繁華街を全部通ってるし、兵庫がターミナルじゃ不便だろうな >>213 時代によって差があるが、通勤電車の運転本数比較したらどうなるの?
総武線東京乗り入れ以前の京成と成田線千葉・成田間を比較するようなものだが。 鉄オタって、棲み分けがわかってないのかなあ?
所要時間で比較すれば、阪堺電軌なんて並行する南海線に完全に負けている。
それでも今日まで存続できたのは何故かと。国鉄が山陽電車並みにたくさんの駅を設けてきたのかねえ。 >>220 おまいらの言っている競争って、所要時間、速さだけの競争か? 皆が皆、神戸〜明石〜姫路の都市間利用じゃないしな
駅数の違いもあるし、明石〜姫路は両者が大きく離れるし
国鉄で都市型ダイヤは明石まで、その先はテキトーに走ってるという雰囲気だった 親が加古川出身だが加古川では昔から山陽は移動手段として認知されてないという話を聞いた
昔でさえこの様だからJRがスピードアップしたいまではますます影が薄まってるに違いなし 最近、斜陽だとは言え、明石から網干にかけての海沿いに新日鉄などの工場が多いわけだろ。
JR線からだと、これらの工場に通うのは不便。 加古川付近の住民にとって、高砂線って高砂市方面の工場に通勤するにしても、ほとんど利用価値のない路線だったんだろうなあ。
山陽電車とバスで十分。 新開地だったら兵庫駅からも神戸駅からも同じような距離だし、新開地が繁華街の時代だったら兵庫駅も案外悪くない位置かも >>224
別府地区、浜の宮地区は今も昔も山電一択。
明石で乗り換えて神戸まで行くのが定石
また、明石にはデパートはなかったが
商店街や食堂街が盛況でそれなりに遊べる場所ではあった
いまの魚の棚なんか観光向けにリニューアルされた造りもので
昭和50年代までは本当にサンダル履きで出掛けられる近所の「市場」的雰囲気があったんだがなあ 山陽かJRかではなくて、クルマバイクが主流なの!
新国道は混まないし快適 土曜の昼下がり、本荘から明石まで普通に乗って眼医者に通ってた
客はガラガラ、途中駅でも客の乗り降りがゼロのこともあった
車内放送は駅名のアナウンスだけで昨今のように企画の宣伝や禁止事項の煩さは皆無
夏は窓を大きく開けて風に当たってたがたまに虫が飛び込んできたりもした
のんびりした昭和55年頃の光景 車内放送なんかやっとったか?
3000系特急はあった
車掌が停車駅を読み上げるのに憧れてた 明石以西は国鉄と離れてるから地元客を独占してると思ってたが違うのか ここまで山陽電車爆破事件なし
塩屋駅で起こった昭和の未解決事件だぞ 事件は知ってるけど親から聞いた昔話のレベル。
やっぱりリアルに記憶してるのは六甲事故
みんなそうじゃない? 六甲事故より阪神大震災
塩屋駅の波打ったホーム踏面と、アメのように曲がったレールは忘れられない 塩屋はホーム全壊だった
建て直されて見違えるように綺麗になったが客は激減した あの辺りが本土側で一番震源に近い場所なのだが
周辺の家屋はそれほど被害がなかった
線路際に迫る法面もビクともせず
方や、ずっと東寄りの長田方面は火災のせいもあったが全滅 大蔵谷駅の東には明石高女前駅があり、今でもホーム柵の痕跡を見ることが出来る。
舞子公園駅の西には歌敷山駅があり、道路側に張り出した̠架線柱が当時の名残を残している。 塩屋から滝茶にいく辺りの山電&国鉄線路三段腹区間には何度も行った
2国の歩道から見上げると普通はあまり目にしない足回りがよく分かった
特に山電旧型車は興味深く見てた 850系など >>238
六甲事故や震災で死者は出ていないけれど
この事件では二人が爆死している。 >>250
上段の山電(六連)が脱線して転落し
中断を通過中のコンテナ満載の貨物列車か新快速を巻き込み
下段の快速に降り注ぎ
国道二号線に散らばるという妄想 >850系
あまり使いたかぁない言葉だが所謂「魔改造」ってやつで
骸骨スタイルの標識灯や非対称な正面Hゴム支持化、
極めつけは中間車化された854が
乗務員扉はめ殺し状態でウインドシルを絞めてた
改造マニアが狂喜するアイテム満載の車
あまり写真が残されてないのが残念 先月の地震、先週の大雨と御難続きだ
昭和57年夏の大雨の時は加古川がかなりヤバい水位にまでなって
鉄橋上をソロソロと走ったり、西新町の辺りが冠水したりして、
運休にはならなかったがダイヤがベタ遅れで
往生した
須磨付近の国鉄との並行区間は滝のように雨水が下に流れ落ちてる様子が
テレビニュースで放映された
あの頃は何十年に一度の大雨などと言ってたが
今は毎年こんな大雨に祟られてるな 最近、帽子のつばを持って軽く会釈する、「かねてっちゃん」に少し似た車掌の線画が右下に入った、ポスター?お知らせ?見ないね。 >>253
中間車にはなったが改造が不十分で運転席はそのまま残るし客室との仕切りも残るしで
スタイルには不満があった
中間車化されたら運転台も仕切りも取っ払ってしまう親会社阪神の方が
徹底していて好感持てた >>269
9/1 山陽電気鉄道株価2560円
一単位100株 昭和40年代にケチってロマンスカー潰してロングの通勤電車ばかりにしたから客離れた
ロクサン型入れたなら近鉄南海さいずの21m特急作るべきだった >>271
ラッシュ時、地獄だっただろうな、そんなことしたら。
車端部座席なしの超詰め込み仕様300形を用意せざるを得ないほどの酷い混雑だったんだがな。