なつかしの山陽電車 その2 [無断転載禁止]©2ch.net
東垂水駅の改札までの長〜い階段を
トボトボ歩いていた頃を思い出す 橋上駅が多い割りにエスカレーターやエレベーターなんて全然付いてなかった そんなのどうでも良い
エスカレーターかエレベーター付けろ
時代はバリアフリー
ちなみにオレはJRユーザー >>13
それ言っちゃうのかよw
間違いなく破産するぞ
もしくは大胆に統合して駅の数を減らしてしまうか…… でもこれからはじいちゃんばあちゃん相手の商売になるから
ゆるがせにはできないよ
階段の登り降りは傍目から見てもキツそうだもん
昔の西新町駅の階段も長〜かったぞな 長さもドア数もバラバラで乗車位置はどうやって決めてただろう
プラットホームに標示があったか記憶がない 1970年代中頃迄は、車長15m(300系)〜車長20m(700系)、扉数2枚(800系など)〜扉数4枚(700系)が
渾然一体となって走ってたというわけね
世代としては被るが、幼すぎて記憶にないのが残念
当然写真も撮ってない というか、素直に考えて2000・2300系が消滅するまでは無意味で
作る必要も無かった ちょっと待て
最盛期でも乗車位置を決めなきゃいかんくらいに乗客が多かったのか
話はそれからだ
当然だがローカル線にはそんなものはない 80年代後半になって一気につまらなくなった
電車を見に行くことも無くなった 車両趣味的にはそうかもしれないが
形式数が少ないのは保守面では有利
車両政策はマニアのために決めてるわけじゃないからな マニアックに観察すれば同一系でも細かな差異があるけどそれは無視ですか
文句言いたいだけだろ ニセアルミ車クハ3619なんか山陽らしくて好きだな
いまもそのままで走ってる? 編成美には割と無頓着な山陽にしては塗装までしてアルミ車編成に普通鋼車を溶け込ませようとした努力は買っても良い >編成美には割と無頓着な
おっと阪神並びに近鉄の悪口はそれまでよ 更に言うと、日々通勤通学してる人にとって
編成美などはどうでも良いこと >>28>>29>>30
あんたら>>27が読めないのか 3000系の中に挟まれていた元2000系の3550の話をしてる。
これなら文句はないだろ>>31
これとて3ドアでデフォルトとの違いは開き方だけだからまだまともなもの。 戸袋窓が中途半端な位置にあって全開になっても戸袋に格納し切れない
これも山陽クオリティ 片開き式ではよくあること。
南海の6000・7000も。 >>33
窓の位置とドアが完全に格納されないことの間に
何の因果関係がありますか >>16
完全スロープは珍しかった
関西私鉄ではほかに近鉄が多数の駅で採用していたくらい。
バリアフリーを先取りしてたのな 清酒カミタカ
FORUS
太陽神戸銀行
第一勧業銀行(ハートのマーク)
山電明石周辺駅の風景 >>33
それよりは片面3ドアの場合で開閉の動きが三者三様なのが面白かった
3000系は完全に同期出来ていたが、その間に挟まれた2000系改造車は、
動きがバラバラでユーモラスであった。 ちゃんと開け閉めさえできてれば
動き方なんてどーでも良い いやいや、ケチを付けてるのではなくて、
微笑ましく感じた思い出を書き込んだだけだよ 阪急が乗り入れてきてた頃の相直区間のラッシュアワーの本数は多かったのね
東須磨の西代方面発車時刻表が7、8時台だけ突出して多かった記憶がある いつの時代でも、どの路線でも、どの駅でも、
朝のラッシュアワーは本数が集中するのが当たり前だが。
ことさら東須磨だけ記憶するほどのものかな 本数よりも輸送力に着目すべき
阪神も阪急も大型車×六連が大挙して大阪から押し寄せて引き返して行くのだから
まだ活気のあった70年代でさえ輸送力過剰だろう 高速神戸や新開地で阪神・阪急の6〜8連から乗り換えてきた客を
山陽の3〜4連が引き受ける
当然、バリバリ混雑で評判が悪かったという 乗り換えさせられるし混雑してるし運賃も三社併算されるし、
国鉄に比べて良いことがあまり無かった >>48
>>1でリンクしてる前スレ読んでみると、
相互乗り入れ開始当初から激しい混雑のため乗り換え客がホーム上に積み残されるなど、
弊害が出ていたようだよ
レス数が少ないのですぐ読めますw >>51
でも須磨以西は当時の輸送量をもってしても3,4両で十分だったのに・・・
わずかな区間の特殊事情の対処としてコストのかかる増結は躊躇するところだ せめて三宮まで毎時六本は行ってくれればよかったのだがね
朝の神戸方面行きで新開地止めが多かったのにはうんざり
今もそうなのか 小学校の時に大阪から須磨水族館へ遠足に出掛けた。
月見山で降りて徒歩で水族館まで。
まだ800系が現役でローカル輸送に頑張っていたが、
新しい阪急阪神車とすれ違うと、古さは覆いようもなく、
子供なので無遠慮に「古い」だの「ボロイ」だの
むちゃくちゃ言ってた。
ホームに立っていた駅員さんが渋いカオしてたっけ 阪急や阪神から乗り入れてくる車両は新型だから昭和40年代以降、
片や山陽800は昭和20年代の生まれ。
古いからボロそうに見えるだけで
貶めてるわけでもなんでもないよな 月見山は改札のすぐ隣に踏切があるのに構内踏切もわざわざ設置してるのが昔から不思議だった。 阪急には1980年代初めまでは古めかしいスタイルの系列(920,810,710)が残ってた。
山陽800が取り立てて劣化してた、整備が出来てなかったわけでもない。 >>57
改札をスルーできないように構内踏切と月見山踏切との間に厳めしい剣山のような物が置かれた(多分昭和55年頃)
キセル客の多さに業を煮やしたのだろうか 構内踏切と一般の踏切が隣接してる箇所は
大抵剣山(正式名は俺も知らん)があったよ 俺の知る月見山は各停しか停まらない小駅だったが、
今は特急も停まってくれるようになった出世駅やね ホームの行き先を示す看板が「姫路・明石・垂水・スマ方面」と、
何故か須磨だけはカタカナだった。
謎だった。漢字に改められたのは1980年頃かな 月見山?
覚えてない
須磨浦公園以西の主要駅の乗場案内が
三宮・大阪方面は良いとして、京都まで含めるのには
いくら阪急と相直してるといっても子供心に違和感を覚えていた。
でも阪急も大宮駅では姫路を入れてたのを見てそんなものかと
妙に納得したw いくら国鉄時代のサービスが悪くて運賃も高いにしても、
明石や垂水から京都へ行くのに山陽〜阪急を使う人がどれ程いたのかなあ >>64
元西代最寄り民だが
京都でも場所によるんでは?
三条や四条なら間違いなく
山陽〜阪急では? 国鉄でも阪急でも京阪でも京都市内の駅から遠く離れてる場所なら(たとえば金閣寺や大原三千院)
結局のところ駅からバスなどに乗り替えざるを得ないので
せめて京都市内までは速く到着できる国鉄を使う人が多そうじゃない? >>62
須磨の「磨」が画数が多くて作字しにくいから
カタカナにしてしまったと思われ 月見山、須磨寺辺りは学生時代によくデートで歩いたもんだ
離宮道から海方向に線路を望むとちょうど2000系アルミ車が横切るところで、
あの美しいサイドビューをカメラにおさめることができたのも
良い思い出 アルミ車の腰板のウロコ模様が光に乱反射するさまがきれい 3000〜と3002〜でも昔はウロコ模様あったよ。正面が3068〜と同じ太帯に変わってからなくなった記憶があるけど上から塗装されたのかな。 貴見のとおり
研磨により消されたという記事を読んだ事がある 工場地帯を走るから煤煙などが付着して汚くなる恐れがあるから目隠し的にウロコをつけたが、
実際にはそれほどでもなく、車体洗浄の回数を増やすだけで対処できたので
ウロコを剥がしたと、亀井御大の解説書で知りました。