懐かしき列車のお便所 [無断転載禁止]©2ch.net
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垂れ流しが多かった頃は鉄橋下や踏切待ちの時に垂れ流しの洗礼を受けたり沿線の民家の干している洗濯物や布団に汚水の飛沫が飛んできたりと大変だったようだ。 80年代、品川駅の東海道線下りホームからも線路にこびり付いた汚物がよく見えた。
このホームにある立ち食いそば屋「常盤軒」がお気に入りだった。
ある時「列車進入時の風圧で乾燥した汚物が舞い上がりどんぶりに混入するのでは
ないだろうか?」と考え始めたら気持ちが悪くなった。
当時のホームの立ち食いそば屋は、オープンな作りで扉なんて無かったからね。
その後、横須賀線ホームなら安全だろうということで「常磐軒」に行くようになった。
横須賀線は総武快速との乗り入れでトイレが全車タンク式になっていたから。
しかし、横須賀線ホームの「常盤軒」は何か物足りない味だったw (訂正)
×「常磐軒」に行くようになった。
◯ 横須賀線ホームの「常磐軒」に行くようになった。 そういえば昔は学校の健康診断の一つに寄生虫検査があった。
人糞を肥やしにしていたため寄生虫を持っている人が多かったと聞いたが、案外列車の垂れ流し便所から感染している例もあるかもしれない。 >>229
ちょうどメシ時で、せっかく名物駅弁を食べるって時に開けた窓から対向列車の黄金ソースかけられたらたまったもんじゃないなww
実際こんなことはあったの間違いないだろうが、よく社会問題にならんかったもんだ
まぁ洗浄水混じりで霧状だったから、あんまり気にせんかったのか
特急以外は非冷房当然だったからね
こだま151は到着すると、糞尿まみれと言われてたが 主に中高年で胃潰瘍や胃癌の原因ななっているピロリ菌の感染原因は幼少期に列車トイレからの垂れ流し糞便が原因かもしれない。 常盤軒、京浜東北線ホームなどでは入線してきた103系の熱気を伴った
暴風??でまだ熱いカレーや饂飩をちょうど良い温度まで下げるのが
乙なもんだった。人糞は大丈夫だけどあの暴風はブレーキ粉か変な
臭気があったよな。横須賀線は品川丼が200円代でご飯ものが食えて嬉しかった。 >>236
ピロリ菌は胃がんの原因にもなる。
怖いものが舞っていたんだね。 最後の旧型客車の垂れ流しトイレが残る大井川鉄道のSL急行の客車もJR北海道の14系座席車更に山口線からの12系レトロ客車の転入で垂れ流しトイレが無くなるのかな? >>239
汚物抜き取り装置の設備はどうするのかな? 沿線に下水道の整備がされてないとしても
小規模であればタンク内中和の後、通常の汲取糞尿ルートに出せるし
固定設備のポンプはバキュームカーで足りる 小学生低学年の頃初めて列車トイレでステンレス便器に遭遇した時なかなか小便が出なかった思い出があった。 旧客のトイレはもろ直管落しで枕木が見えた。
停車中は使用禁止だったが、強制する方法は無かったので、時折、駅のホームから紙切れの
ついた黄金の塊を見ることがあった。
走るホテル20系でも、薬液と混ぜて粉砕したのをバラまきながら走っていた。
初駅で青かったタンク式の水は、やがて緑がかった茶色の濁り水へと変わっていった。 垂れ流しトイレの頃は停車中使用禁止の他大都市近郊区間も使用禁止区間が有った東海道本線東京横浜間や東北本線上駅大宮間などが有ったがトイレに鍵を掛けて使用出来ないようにしてなかったので使用してた事も多かった。 都市部のトイレ使用禁止区間とかタバコ禁煙区間とか
のプレートなんかは実に懐かし国鉄くさいよな。
あと国電使う区間で中長距離列車に乗るのはいけない
事とされてたよな。上野発の常磐線旧型客車の普通列車で
日暮里で降りちゃうとかは不正行為に近いものだった。
柏で降りるのも好ましいとは思われなかったな。 そんな近距離利用客はお便所利用が目的ってことかな? JRの垂れ流しトイレが全廃になって20年近くになるが今だに列車トイレは停車中使用禁止と思っている人が高齢者を中心いるようだ。 在来線あさまはおろか、新幹線あさまでも注意されたよw
大宮近辺でトイレのドアを開けようとしたところで。
現在はタンク式で問題ないと言っておいたが。 東京駅で大がしたくなり駅トイレに行ったが、大混雑していたので入場券を買って
発車前の新幹線グリーン車のトイレで用を足したことがあるw >>250
入場券では車内に立ち入ることはできません >>250
発車時刻は確認していたと思うが、使用中に発車したらどうするの?
(最悪でも、東海道新幹線だったら品川駅で、東北新幹線だったら上野駅で降りられるが・・・) 新幹線が尻から発射するかホームから発車するかの瀬戸際なんだから
大目に見てやれ。緊急避難。 >>251
ヤフー知恵袋で「入場券で停車中の電車のトイレは使えますか?」の質問に回答する
「常連の鉄ヲタ回答者」みたいな返しが良いなw トイレがあってトイレに辿り着けるだけ幸福なんだな。
昭和20年代など車内がぎゅうぎゅう詰めで窓からティムコ
出して小便してたっちゅうし。
あと西武なんか積み荷そのものがンコシッコだしな。東武にも
あったらしいが。ビール会社の屋上のシンボルなんてその名残りじゃ。 大駅のトイレは混んでることが多いので、俺も手近な電車のトイレに駆け込んだことがある
名駅の中央線とか、以前は東京駅で東海道線とか
力んでるうちに発車時間が過ぎ金山へ連行されたことも 汚い駅のトイレで大をするよりか始発駅で清掃したばかりの新幹線トイレで大を
する方が気持ちが良いよな。
洗面所の手洗いはお湯も出るしね。 昔の駅トイレにはトイレットペーパーの備え付けが無く入り口の販売機か売店でポケットティッシュを買わなければならなかったが新幹線や特急列車のトイレにはトイレットペーパーの備え付けがあった。 昔は駅のホームにあるトイレは絶望的に臭くて汚いから発車まで時間があったけど停車中の列車の垂れ流しトイレで大の方をした事があった 昔の駅のホームの男子用小便器?はすごかったね。みんな並んで溝に放尿するやつ。 日本では廃れてしまったけど、海外では壁にするトイレで清潔なのもあるんだよね
https://i.imgur.com/EQH66Rm.jpg >>262
これは美しい!
ステンレス製なのかな? >>255
西武の駅のトイレなんか、昭和の終わりまで男女共用だったり、汲み取りだったよ。
新宿線の23区内の駅で、トイレがない所もあったな。 >>263
>>265
こんなに反響あるとは!
残念ながら拾い画像だから詳細は不明だけどドイツらしいよ 昭和時代は東急の駅もトイレが無くて駅前等の自治体設置の公衆トイレ利用や主要駅の男子トイレ小便器はスターライトの壁式小便器が有った。 新玉川線時代は三軒茶屋以外の途中駅にトイレが無かったそうだが
現代はどうなのか? >>268
今は各駅とも駅トイレが設置されてます新玉川線といえば今は改装されてますがかって池尻大橋と駒沢大学の男子トイレ小便器にスターライトの壁式小便器がありました。 >>269
スターライト社は今では便器や金隠しを作ってないみたいだね >>264
東武はアーバンパークラインで2005年まで汲み取りあった。
東急も緑ヶ丘と九品仏2003年まで汲み取り
京成も幕張メッセの近い幕張駅が2000年頃まで汲み取り 平成の初めの頃は東京23区内の駅トイレにも汲み取り式トイレが残っていたんだな。 >>266
中国の公衆トイレの男子トイレも個別の小便器が無く溝に小便するタイプが多く仕切りが無いので混み合ってると隣のナニが見えたりと使いづらい。 >>273
日本でも隣から見えやすい小便器が増えてきたけど、ドイツはその比ではないらしい
https://i.imgur.com/GOZE0bC.jpg >>274
そっちのトイレは丸見えかどうかよりも位置が高すぎるのが問題だ 「京王スレ」「京阪スレ」を潰したほか模型店を攻撃し実名個人を誹謗中傷
くだらないスレを乱立させ自作自演など荒らしを繰り返し
気に入らない書き込みには複数の端末でIDを使い分けて集中攻撃する
生きている価値無い覚醒剤大好きシャブニート松戸市某バドミントンクラブ代表の正体
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/gage/1475523495/256-299
へたくそな文章でライター気取り 未亡人に成済ます変態バドクラブ代表の正体
愛する人との死別の悲しみを成済まし自作自演する 気持ち悪い掲示板
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/grief/ >>275
子供用に一つくらい低い便器が置いてないのかな? 非電化時代の八高線で、列車が多摩川橋梁や入間川橋梁に差し掛かると
トイレに入って水を流す、と言う悪趣味の人がいたのを思い出した。 国鉄時代垂れ流し列車トイレを停車中に使用それも大をしてトイレから出た途端に車掌から「お客さん停車中は使用しないで下さい」とキレられた俺も思わず「トイレの垂れ流し辞めろ」と言い放った。 クレーマーの先駆者乙。
羞恥心の欠片もないんだねw >>281
当時の国鉄を知らない糞ガキが偉そうに書くな。 >>280
国鉄時代はこういうクソ真面目な車掌か、自ら停車中のトイレを使うようないい加減な
感じの車掌のどちらかだったよな。
普通の人がいないのよw
また、車内精算をしようとする乗り鉄客に「◯◯駅に戻るんだろ?だったら切符を買わ
なくていいよ。このまま乗ってて」と言い放つテキトーな車掌も結構いたわw >>284 >「◯◯駅に戻るんだろ?だったら切符を買わなくていいよ。このまま乗ってて」
つまり往復で「復」が只にしてくれたということ? >>285
往復だったみたいw
国鉄時代に東北本線・利府支線の車内での出来事でした。 国鉄時代なら、そういう人も居たわな
少額のきっぷをチビチビ売るのがマンドクセ!とか
勘定間違えたら一大事だし >>277
高速のパーキングの女便所に男性用の立小便器があってビックリした。
でもとても小さく子供用みたいだった。 >>289
デパートによっては家族トイレ(母子トイレとも書いてある)と称して用意してある。 >>290
そこで用を足す癖がついてしまったら、成人してからも母親と一緒だと、入ってしまいそうだね。 >>290
名古屋の丸栄デパートは家族トイレが用意してある。幼児の年長くらいを想定した
大小便器(大は洋式)がならんで親が外から見守れるように開放型になっている
幼児専用トイレが用意してある。
男子トイレにも小型の小便器が1個あり、大の個室には通常の洋便器の隣に小さな
洋便器が並んで設置してある。おそらく女子トイレもそうなっているのでしょう。
ただ、この丸栄デパートは今年の6月で75年の歴史を閉じる。このような配慮が
できるデパートは中々無いのに残念。
スレ違いスマソ。 >>292
名古屋の丸栄デパートも廃業してしまうんですね。
全国的に市街地のデパートの廃業が増えてますね。
郊外型のショッピングモールが増えたのがいけないと思う。 そういや日光の御用邸公園は陛下の風呂場とかトイレも見れるという希少な施設だ
鉄道でないけど興味深い >>291
年老いた母親と買い物に行くことがあるが、注意しなければならないと思った。 観光地へ行くと内外装に古枕木を利用したガーデンレストランがよくある。
大小便が染み込んだ枕木だとは誰もが気が付いていないw 今出回ってる枕木は古物でなく、わざわざ作ってるものばかり
レール締結痕が全くない >>210
で、我慢しきれなくなって教室で漏らしてしまう女の子いたよね?
ウンコの重みでパンツがずり下がって、ワカメちゃんみたくスカートの下までパンツが丸見えになってた >>299
いねーよ。
>>300
この会社だけど、まだ国鉄があった昭和の創業当時から、国鉄産業と言う前だったのかな?
国鉄からクレームはなかったのかな? >>301
国鉄と取引ないと出来ない業種だからクレームはなかったんだろうな 亀レスだが
>>203 オハニ、オハユニ、スロハ等の合造車、荷物車は大体が真中にあった。
>>243 10系客車の場合ね。35系や43系等の便所は台車に干渉しないよう、流し
管が曲げてあったから線路は見えんかった。客車に限らず、デッキの外側に便所
がある車については、その必要がないので直管式が多かった。 >>303
鉄ピク2011年6月号(849号)「列車トイレ」の53ページにスハ43形の流し管が内側に曲がっているが
この写真ではもろにレール上に落ち、車輪が巻き込んでしまうなと思った。 汚物を車輪に踏み潰させて、拡散で自然浄化させようと考えたのかもしれない。 ノロウイルスに感染した乗客が列車の垂れ流しトイレ使ったら踏切待ちの通行人にうつりそうだな それまではよくわからなかっただけであったでしょ。
話はずれるが、PM2.5だって話題になる前から飛んでただろうし、高度経済成長期には日本でも出しまくってたはず。 理想品と信じて普及したものがある日突然猛毒扱いとか、いくらでもあるわな
アスベスト、PCB、毒ではないがフロンとか
今後も、どんな事実が判明するか解らない
排泄物も、未解明の部分が多い そもそも、畑に人糞撒いて食料を生産していた時代に、そんなこと気にしても… >>310
80年頃から急性胃腸炎を伴う食中毒と認知されて、当時は原因不明だった。まだ日本では症例少なかったよ。
その頃はビブリオ、ブドウ球菌、サルモネラが細菌性食中毒トップ3。
後に遺伝子検査が確立して、やっとノロウイルスに原因決定。 ノロウイルスなんて名前がついて、のろさんは気の毒だった。 TOTOととべんき
TOTOととべんき
なが〜せなが〜せ
なが〜せなが〜せ 和式便器を金隠しという世代はかなり高年齢だと思う。 つボイノリオが好きな列車便所
つボイノリオが恨んでる食堂車 >>315
いすみ鉄道乗りに行った時、野呂PAで休憩した。
そしていすみ市では、ひありを発見した。 ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! 昭和19年、戦局はいよいよ深刻の様相を呈し、物資は欠乏し、大きな松の木に傷をつけて松脂を取り、ガソリンの代用にした時代。ガソリンの不足でバスも走れない。
男子は赤紙一枚の召集令状で戦地へ行く。
東京都庁の清掃事業は人手不足とガソリン節約のため、全く停頓してしまった。
当時は糞尿の汲み取りが難しく、どこの家庭でも便所の壺は満糞。
糞尿を取りにきてくれないので家庭争議が起ったりした。
朝になると奥さんが、
『あなた、またお使いになりましたね、困りますよ。家の便所は私と子供に空けといて下さいよ。』
と言う。
主人の方は、
『そんなことを言ったって、出るものは仕方がないじやないか。』
と抗弁しても、
『だから、もっと早く起きて会社へいってからおやりあそばせよ。』
と一蹴される。
主人の方は仕方なく、脇腹を押さえてかけつける会社のトイレがこれまた満員の盛況であった。
今でこそ笑い話になるが、当時としては全く真剣そのもの、お互いに脂汗を流してうろつき廻った深刻な問題であった。
それまで都内の糞尿はトラックに積んで河岸へ運び出し、船に積みかえて東京湾の外へ捨てていた。
処がだんだん油がなくなって、糞尿船が沖へ出られず、近間近間で流すようになったので、浅草苔の色が黄金色になって、糞尿の匂いがプンとしてどうにもならぬ。 海中ヘ捨てた糞を魚が喜んで食う。その魚をまた人間が食う。魚の腹を通じて人間の腹に還元してくる。
真に不衛生極まるものであった。 東京都の首長である大達都長官は、明けても暮れても糞尿の苦情を持ち込まれて施す術がなかった。
昭和19年2月のこと、大達長官もホトホト閉口して、何とか良い処理法はないものかと考えた。
その頃農村は食糧増産を要請されながらも、肥料不足で困っていた。
もしこれを東京近郊の農村に輸送できたら、食糧増産に役立つし、また糞尿問題も解決する。
そうだと考えついた長官は
『だが、一体これを誰が引き受けてくれるだろう。根本問題はそれだ。』
と思案の末、親友の堤、つまり私に相談しようと決心した。
『ぜひ頼みたいことがある。』
と言う前触れで私のところへやって来た。大達君とは親しい間柄だが、何だろうと思っていたら、
『堤さん、一つ助けてくれ。』
と言う。
『一体何ですか。』
と反問すると、大達君は、
『今、私の頭の中は糞で一杯だ。朝から晩まで寝ても糞、覚めても糞、糞のことばかり
考えているのだ。もうどうにもならなくなった。ぜひ助けて下さい。頼みますよ。』
東京都民の糞尿処理問題の行き詰りについては、かねてから聞いていたので、この”助けて
くれ”もよくわかる。
『ほう、そんなに切迫しましたか。』
『笑いごとではないのです。もう一刻も猶予ならぬ。東家中が糞尿攻めの形です。
毎日、四方八方から苦情がきて、他の仕事は何一つ手が付かない。
堤さん、あなたを見込んで頼みにきたのだが、この際ぜひ一つ何とかしてもらえないでしようか。』
と言う。
何しろ問題のモノがモノなので、大達君も当惑しきった顔に、一層真剣な顔を二重写しにする。 昭和19年2月11日念願の黄金電車は走り出した。
昭和19年2月11日、大達都長官から病床の私に話が持ち込まれ、僅か半年後の9月10日夜、まだタンク車の完成を見ないうちに、普通貨車による臨時運転が始められるという超スピードぶりで、念願の黄金電車は走り出した。
11月21日、井荻駅において糞尿輸送開始祝賀会がは華々しく挙行された。
井荻駅の大きな肥溜の上へ真里列車を着けて、合図と同時にバルブを開けたら、ダーツという物々しい大音響とともに、黄金の奔流が迸り出て、見るもすさまじい壮観さであった。参列者は一斉にアッと叫んだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています