>>531    続く

1954年
この頃、老松町は、夕闇が訪れるころ、通りから、ジャズの名曲「ラビアンローズ」が流れて来る。キャバレーがある方角から。
あるいはラジオから。毎晩の様に繰り返し、グランドキャバレー・ベラミ、金の星、みつばち、のある方向から、その曲が流れる。ひばりの天使のさえずりの次は、
名曲ラビアン・ローズが飛び込んだ。有難い。名曲の数々の連続だ。ずっと昔、大正期に入ると北九州の門司港は上海をはじめとする中国五大港と航路で結ばれ、
取扱量が神戸・横浜を抜いて日本一となり、若松にも急速に西洋文化が入りミルクホールにビフテキ、モダンボーイやモダンガールが現れ、ここを拠点のジャズバンドが活躍し、
上海バンスキングが、福岡県の田川、飯塚、直方へと広がったという。戦後も、グランド・キャバレー・ベラミから、そのキング達が演奏するラビアンローズがたしかに聞こえたと思う。 


同じく、1954年
若松港を出て、遠く港を門司・下関港まで行くと、こんどは暗い太平洋戦争の戦跡が飛び込む。海峡の青緑の海面に沈没船の黒い大きな船首部分が突き出している。
なんという不気味な船だ。大きな船体が斜めに突き上げてる。
その船の間を縫うように往復する、関門海峡の渡し船に乗って、その光景を見あげ、肝をつぶす私「うわっ、大きな船はこうやって船首を海面から突き出しているモノなのか、
これが船の最後か、鉄というものはこれほど無惨に錆びるのか、塗装の色が無いぞ、いったい、ここで何をやらかしたのか、風が吹いたのか、誰かと誰かがケンカしたのか、
これがケンカか、どうしたら大きな船がこうなるんだ」幼児の頭で必死に考え込む、まだ戦争などというものが全然、理解出来ない、父の両腕に抱かれながら船に乗る私。
この不気味な黒い大きな海面の影、垂直に近い角度で船首を突き上げていた、赤茶色に錆びていた沈没船の群れは昭和20年のB-29による関門海峡封鎖・機雷投下作戦による戦果のひとつだった。
徹底的な主要都市・低空無差別焼却攻撃の効率化のため、強い風が吹いて都合が良い3月から4月を選んで実行し、焼き払い作戦を達成した米空軍。